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プロローグ2

 ――宜尉(むべい)六三〇年、哉国了州(さいこくりしゅう)呉港(ごこう)。影の位置はすでに(よる)を指していた。

 男は錬国(れんこく)からの格安船の最終便にやっとこさ乗り込んで、哉国に到着した。

 休んでいる暇はなかった。この港から最寄りの(まち)呉角(ごかく)である。呉角までは街道(がいどう)沿いに行ったのでは遅過ぎて、手頃な宿は全部埋まってしまうだろう。だからといって、こんな港街が目と鼻の先の生臭い宿に泊まりたくもない。男はしょうがなく呉角まで歩くことにした。

 男が呉角の里に着いたのは、もう夜食(ゆうはん)の時間であった。

 呉角はまだちょろちょろと流れる小川のように、旅人が正門を出入りしている。その流れにのって、男も呉角に入った。

 先ほども述べた通り、とっくに陽が落ちているこの時間は、既に手頃な値段の宿は残っていないはずだった。旅人の多くは、なるべく早くに里に入り、そして我先にと、良質で格安な宿の部屋を取る。

 主にこの時間帯、(しんや)の時間でまだ部屋が空いている宿といえば、絹の掛富団(かけぶとん)で好きなだけ寝ることのできる高級な宿か、はたまた布団で寝られるかさえ怪しい低俗な宿か。その二種類に限られていた。はたして、男が見つけたのは後者である。

 見るからに怪しく、そして汚らしい外観。ここらの州ではよく見かける、二階建の小さな宿であった。(みち)沿いに露出した食堂はまだ食器が片付いていない。かつての繁栄を彷彿とさせる、壁一面の綺麗な塗装は長年の歳月を経てほとんど落ちているようだった。その外見はまるで人の気配さえ感じさせないが、(へや)はひとつを除いてすべて埋まっているのが、男にとっては不思議だった。

 ほかに宿をあたってみても見つかりそうにはなく、右往左往していたらこの容まで埋まってしまいそうだったので、男はしょうがなくその宿に泊まることにした。

 もう寝ようと思っていた番台からは、迷惑そうに容に案内された。その容の中には先客が居た。


 呉角の里のように、首都から離れた郊外の里では、このような形式の宿が多い。すなわち、ひとつの容を二人で共用するのである。

 客同士は見ず知らずの相手と一泊するわけだが、その代わり、料銀(りょうきん)は通常の半額のみで済む。また、人と人の輪を広げるという意味でも、この制度は民に受け入れられていた。それに、ひとつの容といっても、きちんと簡壁(ついたて)はついている。食事だけはそれを外し、いっしょにするのだが。

 先にいた客は驚いたような顔をした、が、すぐにその意味を察し、男に軽く頭を下げた。男もまた軽く会釈をした。先客は見たところ、年の頃は二十代後半。黒い古覆(ぼろ)に、紅い帯。ぼさぼさに伸びた髪の毛が妙に印象的だった。


 夜食の(じかん)はとっくに過ぎていたものの男は腹が減っていたので、呉港でもらった握飯(にぎりめし)(ほう)から取り出した。

 「ひとつどうだい?」

 男は二つの内ひとつの握飯を差し出した。先客はこちらを見ないまま首を左右に振った。男は、そうか、と握飯をひとつ食べ始めた。先客はそのまましばらくそっぽを向いていたが、男が二つ目のそれをかじろうとしたその時だった。

 「……やっぱり、くれないか?」

 声の主は先客だった。どうやらやはり腹が減っていたらしい。男は一瞬驚いたが、すぐににかっと笑い、その握飯を先客の手に渡した。

 先客の暗かった顔は、一瞬であったがぱあっと明るくなった気がした。彼が握飯をほおばるのを見ては、男はにこにこと笑っていた。

 「俺は俊鷹(としたか)ってもんだ。兄さん、あんたの名は?」

 先客は、俊鷹と名乗る男に一瞥をくれ、そしてまたむしゃむしゃと咀嚼を始めた、その時だった。男がそれに気づいたのは。蝋燭(ろうそく)の光に照らされたその時。

 先客の蒼く綺麗な、左目の下。長い髪の毛でよくは見えないが、ちょうど頬骨の辺りに約四指(やくよんし)程(一指は人差し指の幅のことをいう。四指は指四本分の幅)の長さの“切り傷”があったのだ。“切り傷”といっても、それは引っ掻いてしまったとかではなく、おそらくは刀で斬られたであろう、痛々しい“傷跡”だった。それは風説家(しょうせつか)であり、世界を転々と旅をしている俊鷹にはよくわかった。

「兄さん、あんたゴロツキかい? ……まあ、人には知られたくねえ事もあるわな。深追いはしねえよ」

 ちょうど握飯を食べ終えた先客は、すまない、と呟いただけだった。

 その時だった。外が騒がしくなり始めたのは。俊鷹は立ち上がり、のしのしと重い足音を立てながら引き違い窓を開けた。

「おいおい。こりゃ酷えなあ。撥ねられちまってる」

 俊鷹は息を吐きながら頭を掻いた。そして、兄さん来てみ、と手招きした。

 先客はゆっくり立ち上がった。今まで座っていたのでわからなかったが、先客は意外と背は高くなかった。

「これは……」

「大方、お役人の仕業だろうな。この辺りじゃ民は馬を持てないからな」

 眼下に広がるみちは野次馬で埋め尽くされていた。彼らは、地面に倒れてぴくりともしない男と女をじっと見つめていた。

 俊鷹は軽く手を合わせてから窓を閉め、再び元の場所へ戻った。

「酷えよな。役人は俺たちを虫のようにしか思ってねえ。そういえば……ここ数年のうちに死んじまったらしいが、兄さん、銀狼ぎんろうってやつを知ってるか?」

 先客はしばらく窓越しに外そ見ていたが、やがて立ったまま首を横に振った。それを見た俊鷹はうれしそうに言った。

「そうか! なら、この風説家の俺が話してやろう。義賊、銀狼の伝説を。いや、あいつは伝説なんかじゃなくて本当にいたんだ。まあまあ、兄さんすわんなよ」

 先客は黙ったまま俊鷹の前に再びすわりこんだ。

「いいか。その銀狼ってやつはな、盗賊さ。だがただの盗賊じゃない。困っている民を助けるために悪事を働くんだ。こういう日には必ずやつは現れた――」

 蝋燭の火が揺らいだ。

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