7.何故ですか?
その日、私は神官長に呼び出されていた。部屋に入ると厳しい顔をした神官長がいた。
どうしたんだ?
ソファを勧められて、神官長の向かいに座る。
「最近どうだ?」
どうだとは何が?不思議な気持ちで神官長のお顔を見る。難しい顔で私を見つめる。
「特に変わりはありませんが」
意図がわからず戸惑いながら答えるとふむと頷いて
「大聖女様とうまく言っていないと聞いたが?」
えっ?
うまく言ってないとは?
「そのようなことは言っておりませんが」
実際にうまく言ってないとは一言も言っていない。
「言い方は違うだろうが、お声掛けしても答えがないとか、会話が続かないなどと漏らしていただろう」
それはぐちではなく事実だ。
「それは事実です。事実だからそのまま伝えただけで」
更に困惑した。この話がどこに繋がるのか分からないから。
「楽になったらいい。私はそう思う」
心臓が嫌な音を立てる。どういう意味だ?顔はほてるのに、指先は急速に冷えて行く。
まさか、そんなことが?
「もう戻りなさい」
神官長の声を何処か遠くで聞いて、私は聖女様の部屋に戻った。
足元が覚束なくてふわふわした変な心地だ。どういう意味だ?
聖女様の部屋に入り
「ただ今戻りました」
ソファで本を読んでいた大聖女様は顔を上げることなく静かに頁を捲る。
まるで私など存在していないみたいに、なんの興味も無いように。
そして理解した。
そう、なのか…?
私は苦しさに胸を押さえる。何故…?何故私ではダメなのですか?
私の様子には目もくれず、静かに大聖女様は本を読む。
後で思えば、分かりやすいサインはそこかしこにあったのに。私はまたそのサインを見落としていたのだ。
震える細い指が、僅かにふせたまつ毛が…そのお気持ちを現していたのに。
私は愚かにも、それらを見過ごしてしまった。
*****
青空が見える。
どれほどぶりか…聖女様専用の神官になるべく、訓練を始めてからだから凡そ4年ほどか。
聖女の代替わりは聖女様付きの神官よりもたらされる。
聖女様の髪色は神聖力の現れだ。その髪色は徐々に薄くなる。
色の落ち方が急速になると、それは代替わりの合図だ。そこから準備を始めて約1年後に聖女様はお役を離れる。
2ヶ月前、神官長に呼び出された後。
私は大聖女様から担当神官を変えてもらうようお願いしたと聞かされた。
あぁやはり…大聖女様自ら願ったのだ。
普通、聖女様付きの担当神官が変わることはない。ただ例外はもちろんある。
神官が勤めを果たせなくなった時と、聖女様から交代を打診された時だ。
勤めを果たせなくなった、には病気やケガもあるが、聖女様に仮想してしまうケースもある。誰よりもおそばにいるのだから、そうなってしまうのも分からなくはない。
しかし聖女様は清くなければならない。なので苦悩した神官は自ら離れることを選ぶのだ。
私はその大聖女様のお言葉を呆然として聞いていた。仕方ない、そう思う自分と何故と思う自分。
余りにも私が応えないからか
「決まったことだ」
会話は打ち切られた。
もしあの時、嫌ですと言えたなら…
もしあの時、おそばにいたいと言えたなら…
しかし私はどちらも言えなかった。
こうして1ヶ月の引き継ぎを経て、私は大聖女様の元から去った。
最後の夜を迎える日、私の粗末なベッドの上に何かが置かれていた。
それはハンカチだ。
眩い金髪の糸で刺繍された真っ白なハンカチ。
金色の花が揺れるそれは繊細でかつ美しい、芸術作品のようなハンカチだった。
私は震える手でハンカチに触れる。柔らかな魔力を感じた。あぁ、神聖力をこめて下さったのだ。
そばには書き付けがある。
片付けている時に借りっぱなしになっていたので、途中までしか読めなかったあの書き付け。
真新しい紙に流れるような美しい文字。これは大聖女様の文字だ。
ならばこれは写本か?
薄いとは言え、古語の写本は難しい。それを私の為に…?
私はハンカチと書き付けを胸に抱きしめて、涙を流した。
翌朝部屋を出る時、大聖女様は私を見なかった。
「お世話になりました…」
「息災に、な」
私の希望的観測ではあるが、その声は震えていた。
「またいつかお会いしましょう。必ずお迎えに参ります」
私は振り返らずに聖女様の部屋を出た。
それが約1ヶ月前。
私は中央神殿で裏方をしている。神殿の管理だ。食材の仕入れや食事の献立。
中庭の野菜を育てるのも、果物の木を見守るのも、積極的に参加した。
この全ては大聖女様の元に行くのだから。例えおそばにいれなくとも、大聖女様のお役に立てるのならば。
時々はこうして外に出る。
神官は聖女様付きを除けば諸々の用事で外に出る。青空を見ると大聖女様を思い出した。
大聖女様がお勤めを終えたら、おそばに控えたい。一緒に空を眺めたい。
例え言葉はなくとも。
胸に入れたハンカチに触れる。あなたの御心がここにあるのなら、私は頑張れます。
こうして月日は流れ…
大聖女様が神殿にお越しになってから4年が過ぎた。
早いもので大聖女様のおそばを離れてから1年が過ぎようとしていた。
私は時間を見つけては神聖語の古語を学んだ。大聖女様が手ずからしたためて下さった書き付け。
それは私に取って大切なものだから。せめて同じものを共有したかったのだ。
例えもう遅かったとしても…
あの書き付けは元聖女様付きの神官が書いたものだった。聖女様方のお勤めの年数と、その後の足跡。
お勤めになる年数は第一聖女様ほど短い。誰よりも豊富な神聖力をお持ちなのに、だ。
それこそが答えなのに。
あの時の私はそこまで分かっていながら見落としていたのだ。大聖女様の髪色が薄くなっていたのに。
神聖力の源、それこそが第一聖女様のお勤めが短い理由なのだ。
かつての大聖女様のお勤めは第一聖女様の平均である9年を遥かに下回る7年だった。
そして今日、元大聖女様の享年を知った。調べていたのだ、この一年。元聖女様たちの足跡を。
やっと分かった大聖女様の足跡は、神殿を出た後に北に向かわれた。
元孤児であった聖女様が暮らした孤児院、こそが聖女様の終のすみかだった。
そしておそばには聖女様付きの神官が寄り添っていたそうな。
13才で大聖女となられ7年お勤めをして、僅か2年で身罷られた。
書き付けは古いものだから、大聖女の事は書かれていない。それでも、聡い大聖女様は気付いたのだ。聖女様の力は命を対価にしていると。
気付きたからこその、あの態度だったのだ。
もっと早く気がつけたなら、そのお気持ちに寄り添えたのに。何故私は…震える手を握って差し上げられなかったのだろう。
悔やんだところで、もうおそばにいる事はできない。倒れるお体を支え、寝かしつけることもできない。
私はなんて無知で無力だったのだろうか。
そんな折、久しぶりに神官長に呼ばれた。部屋に入るとソファには1人の神官が座っていた。
促されて神官長と神官の向かいに座る。
「大聖女様が倒れられた。2日も目を覚まさない」
神官長の言葉に驚いた。
「女神様への神聖力譲渡の後、ですか?」
それなら毎日のことでは。
「ファルス様と替わって大聖女様付きとなりましたマリウスです。ファルス様が去られた後から…大聖女様は毎晩、気を失ったまま、朝まで目覚めません」
「何?!」
そんな、まさか。
私がおそばにいる時はせいぜい気絶しても1時間程度、夕食前には目を覚まされていたのに。
神官長はため息を吐いた。
「ファルス、どうやら私は間違っていたようだ」
「ファルス様。私には歳の離れた姉がいます。姉は、第一聖女でした」
マリウスは19才だと言う。
ならばその姉は先代の第一聖女様か。穏やかなお人だったと記憶している。
「息災になせれてるのか?」
「…死にました」
えっ、まだお若いのでは?確か17才で神殿に来られ、お勤めは9年。
「先先代です。16才で神殿に来て8年務め、実家に戻って来ました。それから3年です。髪の毛は真っ白になって…寿命で亡くなりました」
それは、いや、やはりそうなのか。
元聖女様のお勤め後の生存年は短い。有り得ないくらい短いのだ。
王族と婚姻された第一聖女様はそれでもかなり長いのだが、それも理由があるのだ。
倒れるまで神聖力を注ぐ事は簡単にできない。何故なら、聖女様たちはご存知だから。
注ぐ神聖力は自らの命だということを。それが分かっているから無意識に抑えてしまう。
気絶するまで注ぐ、それは命を差し出している行為と同義だから。
「あなたは知っていたのですね?」
マリウスは頷く。
「おそばにいて痛いほど分かりました。でも、私にできる事は健やかにお過ごしになるよう、配慮することのみ。しかし、それも私には出来ませんでした…」
悔しそうに拳を握る。
神官長は
「あれほど何事も言わず、静かにお勤めをされていた大聖女様が唯一願ったのがファルスの交代だ」
嫌われてはいなかった…?
でもだからこそ、私を遠ざけられた。
「ファルス神官。只今より大聖女様付きの神官に任命する。速やかに大聖女様のおそばに。そして今度こそ、その御心を救って差し上げるのです」
「はっ、謹んでお受けいたします!」
「荷物は後で聖騎士に預けましょう。すぐ行って下さい」
私は深く頭を下げると部屋を出た。早歩きで慣れた廊下を進む。内宮から内殿を通り、居住区の扉の前に着いた。既に連絡が行っていたのか、騎士は躊躇わずに扉を開けた。
「どうか大聖女様を…」
言葉にならないそれに、私は頷いた。
一年ぶりに入る大聖女様のお部屋は前よりもシンとしていた。胸が痛い。あなたはこんなにも寂しい場所で、1人耐えておられたのですね。
横たわるその姿は更に細く、そして髪色も薄くなっていた。その髪に触れる。
「もう、おそばを離れません。最後までお供します…」
例え返事がなくとも
例え笑いかけられなくとも
例え名を呼ばれなくとも
それでも私はあなたのそばにいたいのです。
狂おしいくらいの気持ちが私の心を支配した。愛、なのかもしれない。崇拝、なのかもしれない。
唯一確かなのは、もう二度とこの手を離さないと私が決めた事だ。
触れ合えなくてもいい…
ただおそばて見ていられたら、それだけで私は幸せなのだから。
こうして私はまた、大聖女様付きとなった。




