5.束の間の平穏と激震
聖女様方の代替わりが行われてから3ヶ月が経った。
当所から大変なことが続いたが、今は落ち着いている。不浄に関わるあの騒動は、代替わりから僅か1週間程で起きた。
その後、食材の仕入れや食事の用意は厳重に見張られて…同じことが無いように細心の注意が払われた。
中庭の野菜も、温室の野菜や薬草も…
虫すら殺すことなく育てている。見つけたら害虫は捕獲して別の場所に放つ。
あらゆる命は尊ばれなければならないのだから。
謝罪の後、古語を教わることになった。私がお願いしたからだ。
私より2つも下で、7歳から神殿にいる私とは違うのに、大聖女様の神聖語の理解力は凄かった。
どうやらそれも女神様の加護によるらしい。
「今は何をお読みになってるのですか?」
「神官の書き付け、というよりも研究資料に近いな」
見せてもらったのは聖女様についての研究資料らしい。
「内容をお聞きしても?」
僅かな間を挟んで大聖女様は問い返した。
「元聖女のその後を知っているか?」
目線は書物に落としたままだ。
私は考える。
王族と婚姻した元聖女様のことなら知っている。が、他の還俗した方のことはそう言えば知らない。
「聖女ことを書いた記録は多い。でもこの書き付けは還俗した聖女に付いて書かれている」
内容を聞いてもそれ以上は教えて貰えなかった。
それからも時間を見つけては古語を習い、少しずつ読めるようになったのだ。
その後、書架で見覚えのある書き付けを見つけた。それは限定書物の指定となっていたが、特に気にもせず借りた。
なかなか読む機会が無く置いてあったそれに気がつくのは少し先になる。
そんな穏やかな時間が流れたから、私は油断していたのだ。
その日、王都で大規模な事件が起きた。
毎年夏に開催される花祭り。そこで王族が馬車でパレードするその時に花が撒かれる。
この花を拾えると幸せになれると言われている。いつもより多くの花が用意された。
理由は大聖女様の降臨だ。
こうしていつもより多くの市民が馬車に群がり、群衆が群衆を呼び…やがて人の雪崩が起きた。
阿鼻叫喚、人が人を踏み、踏みつけられ、押されて…下敷きになった人の上にまた人が被さり、また人が倒れ。
「お母さん!」
「娘が!娘が下にいるの!!」
「押すな!」
「どけ!」
怒号が飛び交い、踏み躙り逃げ惑い、巻き込まれる。
中央神殿に多くのケガ人が集まった。
後で思う。
何故大聖女様がおわすのに、こんなことが起きたのかと。
私はいつもそうだ。
気がつくのが全てが遅いのだ。
中央神殿では神官が運び込まれた人々の治療に当たっていた。
本来であれば聖女様付きの我々は内殿から出ない。
しかし、あまりにも多くの負傷者が運ばれるので、ルミナスを残してリンデルと私は応援のために外苑に向かった。
予想以上の酷さだった。
その怪我人の多さに絶句する。神官長も前線に出て
「治せるものは中へ…」
神官とて万能では無い。しかも神聖力は女神様からの借り物だ。
出来る限りはしているが、全く追いつかない。
「聖女様に神聖力の譲渡を願おう」
いつもより早い時間だが、私は急ぎ内殿へと戻る。
大聖女様は既に支度を終えられていた。
私に頷くと女神の間に向かう。儀式は簡略化して、女神像に神聖力を譲渡する。
いつもより長く、いつも以上に多く。
そしてふらりと倒れたところを抱えて部屋に戻った。
おそばにいたいが、今はあちらも手が足りない。
「しばし離れます」
そう声をかけて軽くそのお体に治癒の力を流す。気絶した大聖女様を置いて、後ろ髪を引かれながら外苑に向かってケガ人を治癒した。
どれほど経ったか
「もう戻りなさい」
神官長の言葉で私は内殿へと帰る。
ん、なんだ…?
何か違和感を感じる。急いで居住区に向かう。扉の前で聖騎士が立っていた。いつも通りに。
しかし私の顔を見ると慌てた。
嫌な予感がする。
扉の前に騎士が立ちはだかる。
私は非力だが、僅かに神聖力を手に乗せて彼らを突き飛ばす勢いで扉を開けた。
そして部屋に進む。
何故、大聖女様の部屋の扉が開いてる…?
中に入って私は絶句した。
「何をしている!?」
*****
聖女様のお部屋に隣接する私の部屋。その狭い部屋のベッドに横たわる大聖女様。
そのお顔は青白く、僅かにさす月の光に溶けてしまいそうだ。
何故気が付かなかったのだ…
女神様の祝福があるのに、あんな事故が起きたこと。それがいかにあり得ないのか。
女神様の寵愛する聖女様を害しようとしたから、女神様がお怒りになったのだ。
何故こんな事に…
男性の聖女様、懸念した通りのことが起きてしまった。
事は婚約予定の第三王子だ。
聖女と婚姻するのだと吹聴した結果、第一聖女様が男性と知って荒れた。
少ないが可能性はあったのだ。
それを勝手に可愛い聖女様と結婚出来ると思い込んで、違ったからと腹を立てた。
大聖女様からは婚姻を辞退するという話が無かったから、自分と結婚する気なんだと思った王子。ならば第一聖女から引き摺り下ろせばいいと考えた。
どうやって?
聖女様は神聖力を持っておられるが、その力はご自身には使えない。そして例え自らが傷付けられても、他者を傷つけることは出来ない。
不浄になれば、女神様がお怒りになるから。それで懲罰を受けた聖女様もおられる。
一番の不浄は体の穢れだ。清らかさを失くす、それは女神が最も許せない背徳行為なのだ。
聖女様は自らが汚されても、傷付けられても…反撃はできない。清らかであること、それは自分を守ることすら許さないのだ。だからこそ守るために神官が寄り添う。
それを知っていた第三王子は、だから大聖女様を汚そうとした。
もちろん、居住区には入れない。神殿に協力者、いやハッキリ言おう。居住区を守る聖騎士、そして居住区に導ける神官の存在が絶対なのだ。
手引きをしたのは聖騎士4名とルミナスだ。
私が部屋に入った時、そこには首に神聖力を抑える首輪をされた大聖女様が、その肌を晒していた。
なんという罰当たりなことを!!
私はすぐに神官服の上に来ていたローブを脱ぐと、覆い被さるようにしていた3人に杖を向けた。
*****
神官は治癒が専門だ。
しかし、人を守るためには力がいる。なので、聖女様付きの神官は護身術と攻撃術を習う。
私は細身だが、攻撃魔法も、剣も使える。聖騎士団長と互角に戦える程度には強いのだ。
奴らの意識を一撃で沈めると、大聖女様のお体にローブを掛ける。そのまま毛布に包んで隣の部屋に向かった。
ベッド周りに散らばった服を手に取って、転がした奴らは聖縄で縛る。
自室に入ると魔法で鍵を掛け、まずは大聖女様の首にある首輪を外す。
カチリ
神聖力を一気に流せば壊れた。
聖水に浸した布でお体を拭く。
新しい服を着せて毛布を掛けた。
「しばしお休み下さい…」
虚ろな目は何も映さず、ただ虚空を見つめていた。おそぼにいたいが、やるべきことがある。
冷たい髪に触れ、軽く口付けると部屋を出た。
部屋を出るとまた鍵を掛けた。これは神聖力による使い切りの鍵。他人には開けられない。
聖女様の部屋の前でリンデルが待っていた。
「大聖女様は…」
私は答えず
「手伝って欲しい」
一方的に言うと、部屋から不貞の輩を引き摺って廊下に出した。
「!!」
第二聖女様が息を呑む。
本来なら入れないはずの聖騎士がこの居住区にいるのだ、驚くのも無理はない。
リンデルは第二聖女様を部屋に戻すと、聖騎士とルミナスを引き摺って居住区を出た。私も聖騎士を引き摺っている。
居住区の扉の前には青ざめた顔の聖騎士2人と聖騎士団の団長と神官長、そして枢機卿猊下もいらした。
私は無言で聖騎士団長を見る。
深々と頭を下げると床に打ち捨てた聖騎士の頭を掴んだ。
「申し訳、ない…」
私は静かに拳を握った。怒りで頭がおかしくなりそうだ。
「あなたがっ!謝るべき相手が違う!!大聖女様は…大聖女様は…」
言葉が続かなかった。
「神殿の不始末は私の責任だ」
神官長の静かな言葉が沈黙を破る。弾かれたように団長は頭を下げた。
もう取り返しはつかないのだ。
傷付いた大聖女様の御心は、元には戻せない。私は無言でその場を離れ、部屋に向かった。
その日以来、王都は悪天候が続いた。
それも王都だけだ。
女神の怒りは王族に向かい、立派な尖塔に特大の雷が落ちた。
第三王子は泣き喚いたそうだ。
「アイツが婚姻を辞退しないのが悪い」
と。
それに対して枢機卿猊下は
「申し込まれてもいないものを、断れません」
「「はっ?」」
第三王子だけで無く、王と王妃も固まった。
そう、王族からは婚姻の打診すら無かったのだ。例え慣例とは言え、申し込まれもしない婚姻を大聖女様から断ることは出来ない。
「「婚姻の打診は…?」」
「「来ておりませんな」」
王と王妃の問いに、枢機卿猊下と神官長が声を揃えて答えた。
その場で床に崩れ落ちた王と王妃、そして呆然とする第三王子。
「大聖女様は女神様の僕…どなたとも婚姻することはないと、おっしゃっていたのですよ」
雷鳴が轟いて、王宮が揺れた。
「女神様のお怒りですね…」
「今夜王宮がなくなっても、私は驚きませんよ」
床に蹲る王たちを尻目に退出の挨拶をした。
「大聖女様は…毎日毎日、気絶するまでその神聖力を女神像に注がれています」
いっそな静かな声は第三王子にどう響いたのだろうか。
「聖女様は、例え御身が汚されようとも…反撃すら出来ないのです」
「な、何故だ?抗えば良いだろう!」
枢機卿猊下は第三王子を見ると
「それすらも汚れとみなされるのですよ。襲われた時点で抗っても汚されても聖女様は女神様のお怒りを受けるのです」
「そんな…」
「だからこそ護られるのです。護るべきもののがその責任を放棄すれば、この国は女神様から見放される。聖女様はその肩に多くのものを載せておいでなのですよ。あなた方が考えるよりも…遥かに多くのものを。自らの犠牲の上に」
「あ、あっ…私は、私は…」
私たちは静かに退出した。
王宮は雷鳴の中で、頼りなく揺れているように思えた。




