4.女神の間で起きたこと
王都にある中央神殿で、大規模な粛清が行われた。
調理を担当していた神官見習い5人、仕入れを担当していた神官2人、そして出入りの業者2社とは取引をやめた。
そして神官長から公示が出た。
―不浄を持ち込んだこれらのものとその家族は
今後全ての神殿への出入りを禁止する
神殿の加護は失われた―
神殿の加護を失う、それは女神の逆鱗に触れたと言うことだ。実際、その月はあちこちで大規模な自然災害が起き、天候不良で農作物に大きな影響が出た。
公示後処分が行われると、災害や天候不良は収まった。
正しく女神の不信を買ったのだろう。
処分された者や商会は実名で公表された。
神官見習いと神官は家族ごと追放処分となる。行き先はデッドエンドと呼ばれる不毛の地だ。
入植すら出来ない痩せた土地で、あばら屋しかない死んだ土地。
そこに追放された人は1年も生きられないほど過酷な土地なのだ。
商会は神殿との取り引きが無くなれば、信用を失くす。当然のことだが、負債を抱えて商会は潰れた。
不浄を持ち込んだ…
これは神殿の在り方から説明が必要だが、治癒の力は女神様からの借り物であり、聖女様の神聖力を通じて与えられる。
不殺生を教義とする神殿では、生き物を食べることは禁違だ。食事は自然由来のもの、植物を元にしたものしか口にしない。
中庭の畑で育てる野菜や植えられた木も、肥料からその全てを植物性のものとしている。
ほんの僅かでも動物性のものが含まれた食事は食べてはならないのだ。
食べたらどうなるか?
結論から言えば、どうにもならない。神官の場合は。
例外は聖女様だ。
不浄と呼ばれるものを取り込むと、神聖力が濁る。その神聖力を女神像に譲渡すると女神像が穢れるのだ。
大聖女様が頑なに口にしなかったスープには肉や魚こそ入っていなかったが、調味料に動物由来のものが使われていた。ビーフコンソメと言われるものだ。
野菜にはやはり動物由来の味付けがされていた。ベーコンチップがオニオンチップに紛れて入っていた。
そして、今回の騒動に関わった商会や神官たちはそれを把握していた。
そう、不浄だと認識していたのだ。
そしてこれが最も許せないのだが
大聖女様の食事にだけ不浄が使われていたのだ。
神殿の懲罰部屋の中で、神官たちは震えていた。
「何をしたのか理解しているか?」
静かな神官長の声に頷きながらも、どこか誇らしげで、または納得いかない顔をしていた。
神官長はため息を吐くと
「…大聖女様は女神様の怒りを買い、雷撃に打たれた。3日経った今もまだ、御目覚めにならない」
弾かれたように顔を上げた彼らは青ざめて震えた。
「雷撃…」「まさか、そんな…」
そう、女神の怒りでも特に苛烈な懲罰だ。
下手をすれば目覚めない可能性すらある厳しい罰で、しかも今回は大聖女様に瑕疵が無い。
「歴代でもたったのお二人しかおられない大聖女様を、お前たちは軽い気持ちで殺すところだったのだ。いや、今まさに殺さんとしている。目が覚めなければ…
ただでさえ、パンしか召し上がれなかったのだ。栄養が足りずにお亡くなりになる可能性もある」
私は静かに彼らに語った。
「大聖女様ははなからスープと野菜を遠ざけられていた。膨大な神聖力をお持ちのあのお方には不浄が見えていたのだ…。なのに何もおっしゃらずにいた。何故か気が付かなかったのか、悔やむばかりだ」
啜り泣きが聞こえる。一方で舌打ちも。
「分かってて泳がせたと?はっさすが男の神官は底意地が悪い」
聖女様付き神官になれなかった神官だ。
「言葉を慎みなさい。大聖女様はそんな心根では勤まりません。女神様は厳格です。そんなに汚れた御心では、有り得ません」
神官長の言葉で、やっとその神官は我に返った。
そう、聖女様は清らかで居なければならない。それは単に体が清いだけではなく、そのお心も澄んでいる必要があるのだ。
元聖女様方も大変にお優しく、まるで子供のように澄んだ心をお持ちだった。そのことに今更ながら気が付いたのだろう。
「大聖女様が降臨なされた、一度に代替わりしたこともあり…不名誉な噂もある程度は仕方ないと放置した私にも責があります。でも忘れてはなりません。聖女様は自らの意思とは関係なく、選ばれたのです」
もう誰も言葉を発しなかった。
しばし沈黙の後
「わ、私はなんということを…」
「申し訳ございません…」
彼らの贖罪は大聖女様のお耳に入ることはない。ましてやそのお体に受けた懲罰の痛みは、決して消えないのだ。
今回の不浄の騒動は、男性の聖女様に対する不満が発端だ。私が諌めても何の効果も無かった。
後味の悪さだけが残り、目覚めない大聖女様をおそばで見守る日々は、2日後にようやく終わりを迎えたのだった。
長いまつ毛を揺らして、頼りなくその瞼が震えて…何度か瞬きをした後にその目が開いた。
青くてどこまでも澄んだ目。全てを見通すような、深淵のように引き込まれる目。
その目が僅かに揺れたことに気が付いて、唐突に理解した。あぁ、私はなんて愚かなのだろう。表情に出ないことは何も感じていないのと違うのに。
ただただ、自分の中に押し込めていただけなのに。
その細い体で、家族から離されて…悪い噂を立てられて。
直接会うことはなくとも、お耳に入っていたのだろう。大聖女様の、声のない悲鳴が聞こえた気がした。
私はその細い手に手袋をした手で触れると
「お帰りなさい…」
やっと、その言葉だけを絞り出した。私を見つめたまま、何も言わずにまたそっと目を閉じた大聖女様。
あなたは今、何を思うのですか?
少しの間を置くと何の揺らぎもない目で私を見た。だから私も淡々と、自分の気持ちを押し込めた。
「お水を飲みましょう。それから、ほんの少しでもいいのでスープを。聖水と塩だけで味付けされたものです。作る過程もそばで確認しました。野菜は私が温室で育てたものです」
何かを話さなくてはという気持ちで捲し立て、勝手に準備を進めた。
ベッドサイドにスープを持ってくると、大聖女様を支えてまずは聖水の入ったコップを口に当てる。三口ほど飲んだのを確認して今度はスープを掬う。口元に運べば静かに啜った。
皿に入っていた分の半分も口にされなかったが、それでも食べられた。その事がとても嬉しかった。
口元を聖布で拭うとまた聖水を少し飲ませて横たえる。
甲斐甲斐しく世話をする私に、大聖女様は何も言わなかった。
目を覚ました日の午後、いつも通りに女神の間へ向かう大聖女様を支えて廊下を歩く。
あれから第二聖女様が治癒の女神様へ神聖力を譲渡されている。第三聖女様はまだ静養中とのことだ。
大聖女様が部屋に入ると、女神様の像が煌めいた。お喜びになっている。そう誰もが認識できるほどの煌めきだった。
いつもの儀式通りに、女神像に触れて神聖力を注がれた。ごく僅かにあったつま先の黒ずみは消え、他の女神様の足にあった黒ずみも霧散した。
そしていつものように気を失った。
やはり、この方の清らかさは群を抜いているのだろう。さらに軽く頼りなくなったその体を、宝物のように抱えて女神の間を出た。
第三聖女様は貴族のご出身だ。選ばれたことは公言出来なくても、パーティーなどで見かけなくなれば推測は出来る。
贅沢な暮らしをされていたからか、やはり堅苦しい神殿の生活は厳しかったようだ。禁止されている甘味を神官に頼んで持ち込み、部屋で食べていた。
それが不浄と見做され、女神像が黒ずんだ。
あの日、創世の女神様がお怒りになったのは
「私が替わりに」
と第三聖女様がアウレリア様の御御足に触れて神聖力を注いだからだそうな。
不浄混じりの神聖力を注がれた女神様がお怒りになった。そのタイミングで私が大聖女様に不浄の入ったスープを飲ませてしまった。
最悪の事態は最悪のタイミングで訪れて、女神様はいたくお怒りになり…大聖女様が雷撃にあったのだ。
大聖女様は何一つ悪くないのに。
第三聖女様の行いは咎められるものではあるが、聖女を剥奪されるほどでは無かったようで、未だに聖女の地位を保っている。
今後は大聖女様のように慎ましやかにあって欲しい、そう思った。
そこで気が付いた。
私はいつの間にか大聖女様に心酔していたのだ、と。
ある時、時間からかなり経ってからのこと。大聖女様に聞いたことがある。
「何故、私に相談してくださらなかったのですか?」
と。
聖女様は目を伏せて何も答えなかった。しかし、それこそが答えなのだ。
私はあの時の己をひたすら恥じた。
疑っているものに、信頼されていないものに…話せるわけなど無いのに。
味方であるべき私が最も疑っていたのだから。
なんという愚問だ。
それでも大聖女様は決して怒らず、そして確信を言われない。言うことで私が受ける罰を分かっているから。
言うことで大聖女様も傷付くと分かっているから。
いや、違うか。
この方は自分が傷付いたり苦しむことは我慢できるのだ。ならばやはり、私のためなのだろう。
どこまでも優しく清らかなお方。
しかし、私の中には一抹の不安があった。
人とは自分と相容れないものを排除する生き物なのだ。自分の醜さを棚に上げて、攻撃してくるかもしれない。
このお方がこのまま清らかであれるように、私は全力でお支えしようと心に誓った。
誓ったのに、結局…
私はお守りできなかった。
なのに、何故あなたは
怒らず騒がす、静かなままだったのですか…?
もうその答えを聞くことは永遠に出来ないことが、残念でならなかった。




