8 嫉妬は知らぬ間に
一時限目が終わるころ、アランは自分のレッスン室に入った。意識を研ぎ澄まして、学内を探る。学生に教職員、見知った顔、顔と名前が一致しない者、親しい友人、そして大切な人……不審者は、少なくとも今は居ない。
視線を感じて窓の外を見る。見ると言っても意識を向けるだけで、視線も身体も動かない。
(鳥……では、ない。リス?)
いや、ちょっと違う。リスの目を通して、誰かが僕を見ている? 浮かんだ疑問を確認しようと、さらに強く意識を向けると、アランに向けられた視線はすぃっと別に向かい、リスの気配は枝を渡って移動していく。追うと王家の森の手前の椎木でドングリに齧りついた。
(気にしすぎか? でも、リスが人間を見詰めるって、珍しいんじゃない?)
まだ椎木に実が残っているのも珍しいな、この秋は遅かったからだろうか、とアランが思っていると、廊下をこちらに向かってくる気配がある。デリスだ。
「ここにいたんだ、アラン。探した」
「うん、どうかした?」
「いや、朝、食堂にいなかったから」
「あぁ……心配させてごめん。デリス、二限目は? 取ってなかったっけ?」
「ビルセゼルトは休講。ギルドに呼ばれたって――誰かが親にご注進でもしたのかな?」
「二日続けての騒ぎだ。不安になるのも無理ないかもね。ついでに幻術を放置ってのが気に食わないヤツも居たり?」
「白金寮のジェイセンヂュオあたり?」
デリスの声にアランがクスッと笑う。
「アイツ、昨日、グリンに蹴飛ばされてたからな」
食堂でアランに足を出して、グリンに蹴とばされたのがジェイス――ジェイセンヂュオだ。
「グリンへの怨みをビルセゼルトで晴らしたか?」
デリスもクスッと笑った。
「それにしてもジェイスはなんで僕を狙うんだろう? 結構しつこいよ。隙あらばって感じだ」
「そりゃあ、おまえ」
デリスが呆れる。
「ジェイスは白金寮だ。だからさ」
「白金寮が黄金寮に敵意を持ってるなんて聞いてない」
「今や白金寮を代表するシャーンの想われ人がアランだってのが原因」
「――なに、それ?」
判っているくせに知らないふりのアランだ。デリスもわざわざそこを追求したりしない。
「ひょっとしたら、ジェイスもシャーンに気があるのかも」
「シャーンはモテるんだね」
「可愛いし、魔女としての力も強い。いつか統括魔女に選ばれるかもしれない。そのうえ、あの気性だ」
「あの気性ね。男勝りではっきりしていて聡明で、そして優しくて思いやりに溢れている」
アランが密かな笑みを浮かべる。アランに自覚はないようだが、シャーンを思うアランの表情はとても穏やかで優しい。
グリンと二人で虫を捕まえてはシャーンの掌に乗せた。子どもの頃の話だ。
ほかの女の子なら、怖がったり、びっくりして泣きだすのに、シャーンは『なんていう虫?』と、面白がっていた。『グリンとアランが触ったのだから害はないはず』と、あの頃から賢くて勝気だった。だけど、シャーンが尻尾を摘まんだトカゲが、尻尾を切って逃げた時だけは泣きだした。トカゲを殺してしまったと号泣した――アランの髪と同じ色のトカゲが死んでしまうのは嫌なの……
グリンは面白がって笑い転げたけれど、アランはそれどころじゃなかった。女の子を泣かせてしまった後ろめたさに戸惑い、シャーンが泣いた理由に心が震えた。
「シャーンみたいなタイプの女の子が好きな男は結構いると思うよ」
デリスが言うと
「デリスもだよね」
アランが笑う。おまえもだろ、そう言いたいデリスは、アランの顔を見てやめた。アランは何も感じていないような顔をしている。心を隠したいのだ。
「で、そのシャーンはアランに夢中だと、実しやかに我が校では囁かれている」
言ったのはアランだ。『実しやか』ではなく本当の事だ、と言いたいのを、ここでもデリスはやめた。
「ってことは、誤解で僕は苛めのターゲットか。馬鹿なヤツが多いな。それに、シャーンの気を引きたいなら、僕はともかく、ビルセゼルトの足を引っ張るのは愚行だ。シャーンの父親がビルセゼルトだって知らないはずないのに」
「グリンの妹なんだからね――まぁ、学生がアランの足を掬えるのも残り一年半だ。一年、学校に留まるって決めたんだろう?」
「うん、卒業したあとは聴講制度を利用して、もう一年、学生でいるよ。再来年度から教壇に立つことを目指す」
「親父さんはなんて?」
「ビルセゼルトの勧めだ。親父が反対なんかするものか」
「……アランはそれでいいのか?」
デリスの問いに、アランが片頬で笑った。
「ギルドにも誘われたけど、ギルドに行っても何ができるか想像できない。教職ならイメージがわく。僕の知識や技術を役立たせることができる――呪文学と施術理論をそれぞれ二枠、基礎魔導術に一枠、全部で五枠、僕に任せてもいいと校長が言った。各分野一枠は必修科目でって。今からプレッシャーで胃が痛い」
「初年度から五枠って、期待の星だね。将来は学者先生か。専門は施術理論?」
「うん、多分そうなる。でも、判らない。出来れば魔導理論の研究がしたい。任された学科じゃないけど、本音は魔導法の研鑚を積みたい」
「魔導法って、校長と被ってないか?」
「ビルセゼルトはなんでも熟す。なかでも魔導史学者として高名だ。そして魔導理論にも呪文学にも、ついでに魔導法にも詳しい。ま、さすがギルド長ってことだな――でもさ、誰かがすでに研究してる、なんてこと気にしてたら、学術研究は進まなくなりそうだ。たった一人の視点には限界がある」
「うん、そんなものか……なんか話が難しくってついて行けなくなりそうだよ」
「デリスはギルドの諜報部って聞いてる」
「うん、ダガンネジブが僕には向いているって」
「グリンもギルドに行くって決めたって?」
「アイツは今年度、魔導治世学を受講した。最初からそのつもりだったのかも。最初は警護部の所属、そこから順次別の部署を経験して、最終的には行政部に入ることになってるらしいよ」
「ビルセゼルトが引退するころには、グリンなら最高位魔導士の一人になっているだろう。次のギルド長を育てる腹積もりが見えてるね――でも、グリンが魔導治世学を選んだのはそんなんじゃなくて、街の魔導士になりたかったからだろうさ」
えっ? とデリスがアランを見る。
「アランが街の魔導士になりたがってたのは知ってるけど、グリンまで?」
「うん……今となっては気の迷い、とグリンは言うかもしれないね。ジゼルの事を街人、魔導術の使えない市井の人と思っていたとき、ジゼルと一緒になるには街の魔導師がいいって、グリンは考えたんじゃないかな? 本年度のプログラムを決める時期と重なっていたしね」
「それで、魔導治世学か……そう言われるとそう思えてきた」
「ジゼルは〝とある街〟の契約魔導士になったらしいよ。リンゴ畑を街から貰ったって」
「へぇ、連絡とっているんだ?」
「ときどき送言してくる。かなりの距離なのに、間違いなく僕に届いている。僕が送言で返そうとしたら鼻で笑われた。今の僕には無理だって。確かに届きそうもない。かすりもしなさそう」
「それじゃ、言われっ放し?」
「ジゼルが覗心術で僕を読み取ってるから、意思の疎通は可能さ。でも、ちょっと屈辱。こっちの心を根こそぎ読んじゃうからね。隠し事なんかできない――本音はすごい屈辱」
アランが苦笑する。慰めようかと一瞬デリスは迷ったが、プライドの高いアランを下手に慰めれば逆効果だ。やっぱり何も言わなかった。
自信過剰で、時には高慢に感じるほどプライドが高いアラン……ところが本音じゃ自分にまったく自信がない。親友ながら面倒なヤツだと思うデリス、だけどこの複雑さこそがアランの魅力なのかもしれないと感じている。
「まぁ、相手は地上の月――神秘王だ。地上に降りた太陽『示顕王』に次ぐ者。すべての魔女・魔導士を凌駕する者……ただの魔導士、やっと高位魔導士の仲間入りしたばかりの僕なんか足下に及ぶはずもない」
「アランが足元にも及ばないなら、僕なんか顔を拝めもしないね」
「え、いや。そんなつもりじゃ……」
「判ってるよ」
デリスがニッコリ笑った。
「でもさ、アラン。曲がりなりにもアランは高位魔導士だ。きっちりギルドが基準に照らし合わせて認定したんだ」
「うん……ビルセゼルトが贔屓したんじゃないかって言うヤツがいるけど、違うってちゃんと知ってる」
「だったらもっと、自信を持っていいんじゃないのかい?」
「いや、無理。自分には、何ができないのかがきっちり判ってる。自信なんか持てないよ。もちろん自分にできる事も判っちゃいるけどね」
「アランは万能になりたいんだ?」
「まさか! でもさ、自分の欠点や弱点を知らなきゃそれを克服できない」
「それと自分に自信を持つのは、ちょっと違うように思えるよ」
「どんな風に?」
アランの問いにデリスが口籠る。
「いや、それは判らない。そう感じるだけ」
「デリスは自分に自信がある?」
「そうきたか……まぁ、確かにね。自信があるような、ないような? パワーだけは自信があるよ」
「そうだね」
デリスが笑い、アランも笑った。
「だったらさ、デリス、そのパワーでシャーンを守ってやりなよ」
「……アラン、狡いヤツだ」
表情を硬くしたデリスが、アランの皮肉を睨み付けた。




