7 甘やかされた姫ぎみ
暫く高椅子に座ったまま、作りつけのテーブルに突っ伏していたアランだった。みなの前では明るく冗談を言っては笑わせるアランが、ここでは憂鬱を隠そうともしない。いるのはインコだけ、他には誰もいないのだから、隠す必要もない。気を抜くと溢れてしまう涙を拭う必要もない。
奥のほうでチリンとベルが鳴り、喫茶室の営業が始まったと知らせている。アランは目を擦って、高椅子から降りた。
「朝食を……」
一番近いテーブルに席を取る。マメルリハインコはアランの肩に留まったままだったが、食事のトレーが宙を横切ってきて、テーブルに着地すると天井の梁に飛んで行った。トレーに手も付けず、インコが飛び去る気配を探る。
僕のマメルリハも、ちゃんと察して飛び去ってくれればいいのに……
幼馴染のシャーンをずっと忘れらないアランだった。魔導界でも珍しい、不思議な髪の色、エメラルドグリーンの髪、子どものころからアランのコンプレックスだった髪……
その髪を『大好き』と包み込んでくれたのがシャーンだった。尻尾を切って逃げたトカゲ、アランの髪と同じ色のトカゲが死んでしまう、と大泣きしたのはシャーンだった。
その時、四歳だったシャーンがアランをどう思っていたのかは、今はもう判らない。魔導士学校で再会したシャーンはアランの事を忘れていて、再会を楽しみにしていたアランをガッカリさせた。
けれどアランは忘れていない。七歳の少年の胸に芽生えた恋心、この子を一生守っていこうという決意。でもそんな思いを運命は許さなかった。
アランを忘れていたシャーンだったが、いつの間にかアランの優しさに包まれている事に気が付く。そしてシャーンもアランに思いを寄せていき、アランもそれに気が付いた。けれどそうなると、不思議なもので、自分に自信が持てないアランが揺れ始める。
そしてあの事件が起き、アランの目は光を失った。アランはシャーンの相手は自分では駄目だと決めつけた。シャーンの気持ちは無視した。
天井に戻ったマメルリハは他のインコたちと仲よく羽繕いを始めている。アランもやっと、トレーの料理を食べる気になったようだ。
(……レーズンを練り込んだパン。たまねぎのスープ。こっちはなんだ? あぁ、茹でたジャガイモに刻んだ野菜を混ぜ込んでる。ポテトサラダだ。フィッシュフライ、この匂いはオレンジババロア)
「匂いに頼るのは感心しないな」
「見えずに食事をするのですから、せめて匂いくらいは楽しみたいものです、校長」
「気が付いていたか?」
ビルセゼルトが笑みを浮かべる。
「もちろんです。急に現れたのは誰だ、と気にしないはずがありません」
アランがメニューを確認しているとき、喫茶室に姿を現したビルセゼルトだ。アランとは少し離れた席に座り
「レモンティーを」
と注文した。
「僕にはハニーミルク」
スプーンを手に、ババロアを掬いながらアランも注文した。すぐにソーサーに乗ったカップと、ゴブレットが奥から現れ、それぞれの注文主のテーブルまで宙を移動していく。
「それで? 今日は何を?」
アランがパンに手を伸ばしながら、ビルセゼルトに問う。
「昨日と今日の出来事について、キミの意見を聞いていなかったと思ってね」
ビルセゼルトが紅茶を口元に運びながら静かに言う。
「キミはどう見ている?」
千切ったパンを口に放り込み、アランはゴブレットに手を伸ばす。ゴブレットの熱さに、中身の温度を下げる術をアランが使ったのをビルセゼルトは見逃さない。
「キミは、キミの父上より、かなり落ち着いているのだね」
「あぁ……父はせっかちで、熱かろうとお茶を出されれば、すぐ飲もうとする。校長が振舞ってくれるお茶が一番旨いとよく言っていますが、校長が温度を調整してらっしゃるのでしょう?」
ミルクでパンを流し込んでから、そう言ってアランが笑う。そして今度はポテトサラダに手を伸ばす。
「花にシャボン……犯人は魔女でしょうか?」
「アラン、女性への偏見と言われそうだ」
アランが魔導術で、ポテトサラダからグリンピースを除くのを面白そうにビルセゼルトが眺める。
「ジゼェーラもグリンピースが苦手と聞く。いつも残して、世話係の魔女に叱られていたようだ」
「……地上の月の加護を得てから、食べ物の好みも変わりました」
「想像以上の影響が出ているのだね」
ご馳走さま、とアランが呟く。トレーには、手つかずのスープとフィッシュフライ、グリンピースが除かれ、半分食べたポテトサラダ、それに2個あったパンが1個と半分、残ったままだ。トレーが宙に浮き、フラフラと奥へと消えていく。
「随分と少食だな。これはジゼェーラとは関係ないようだが? あれは、量だけは食べると聞いている」
「えぇ、僕の小食は以前からですよ。昔から、胃が受け付けてくれない――校長、僕はかなり短命なのではありませんか?」
ビルセゼルトがチラリとアランを盗み見る。平静を装ったアランは、再びゴブレットに手を伸ばしている。
「アラン、わたしに寿命を見る能力はない。予言の力もない。ただ、ジゼェーラが健在である限り、おまえもまた健在だろうと予測している……アウトレネルには言っていない」
アウトレネルはアランの父だ。母はアランが幼い事に亡くなっている。
飲み終えたゴブレットをアランが頭より高く掲げ、手を放す。するとゴブレットは宙に浮き、ユラユラと奥に消えていく。
「デリスが今回の事をダガンネジブ様に報告したようです」
「ダグはなんと?」
「魔導士学校はビルセゼルトの領域だから口出ししない、とのことです」
そうか、とビルセゼルトがクスリと笑う。
「悪戯を仕掛けたのは北中央魔導士学校の魔女なのではないかと、わたしは思っている」
「北中央……最近、教授陣が手を焼いて、とうとう飛び級につぐ飛び級で追い出すように卒業させた魔女がいると聞きました。麗しの姫ぎみジュライモニア ――」
「うん、ホヴァセンシルと北の魔女ジャグジニアの一人娘だ」
「その姫ぎみがなぜ王家の森に?」
「さぁなぁ……悪戯好きと聞いている。そして花にシャボン、ジュライモニアの趣味にあう」
「まだ断定できそうもないですね」
「自分の痕跡を残すほどの術は使われていない」
「しっぽは掴ませない心づもりなのでしょう」
「ジュライモニアだとすると厄介なことだ」
「北との揉め事は回避したいところです。ましてこんな些細な事では」
「ホヴァセンシルが、なぜこんなに愚かなんだと嘆いたそうだよ」
「父ぎみは温厚実直、賢者と呼ばれるほどのお人」
「母ジャグジニアに似たのだとホヴァセンシルは考えているようだが、いくら賢者でも自分の妻と娘にはとことん甘いと、南にまで噂の風が流れてくる」
「甘やかされた姫ぎみですか……」
「北に潜り込ませた間者によると、ジュライモニアは配偶者探しに躍起になっているらしい」
ビルセゼルトがクスリと笑った。
「なんでも、かなりのメンクイらしい。王家の森の色男たちに目を光らせておけ、アラン」
「ジュライモニアと決まったわけでもないでしょう? だいたい花畑にシャボン、それがどう配偶者探しに繋がると?」
「あいにく、女心はわたしにもよく判らない。妻に鈍感と言われ続けている」
これにはアラン、笑いたかったが無理やり笑顔を引っ込める。気が付かないふりのビルセゼルトが
「確かに、ジュライモニアと断定できないし、ジュライモニアの目的が男探しとも限らない。そして、単なる悪ふざけ、悪戯で終わるとも限らない。用心に越したことはない」
と、続ける。
「僕は男たちに目を光らせるほかには何をすれば?」
「我が校の優秀な学生、また容姿の整った男たちの中にはすでに婚約者が決まっている者もいる。その婚約者にも守りを」
「はい……」
「脱線するが、ダグがシャーンをデリスと娶わせたいと言ってきた話だが ――」
「なぜ、それを僕に?」
校長の言葉をアランが遮る。ビルセゼルトはそんなアランを見詰めた。
「……そうだな、脱線してる場合ではなかった――あとは今まで通り、学内に気を張り巡らせて、少しでも異変があればすぐに知らせろ」
「承知いたしました」
ビルセゼルトが立ち上がる。
「それでは頼んだよ。わたしは校長室に戻る」
アランが立ち上がり敬意を示す。それをチラリと見たビルセゼルトが、ついでのように言い足した。
「そうそう、主席の二人は美形との誉れが高いらしい。特に注意するように」
アランが何か言おうとするのを待たず、ビルセゼルトは姿を消している。
声にできなかった言葉を、心の中でアランが呟く。
(グリンはともかく、僕と一緒になりたい女がいるもんか!)




