19 グリンの憤り
アラネルトレーネの父君アウトレネル様は学生当時、ビルセゼルト様とサリオネルト様、ホヴァセンシルの三人と同学年で、親交が篤かった。そのアウトレネル様の証言から、ホヴァセンシルとビルセゼルト・サリオネルト兄弟は固い友情で結ばれていたと判っている。九日間戦争の発端を作ったのはホヴァセンシル及びその妻ジャグジニアと言われるが、ホヴァセンシルの苦渋の決断があったと推測されている。
「はーい、質問!」
エンディーの進行を待たず、手を挙げたのは赤金寮の三年次生だ。
「ビルセゼルトは今もホヴァセンシルと交流を持っているの?」
それに応えたのはアラン、
「南ギルドが掌握している限り、それはない」
すると質問者が、
「ギルドが掌握、ってことは公としては、ってことね。プライベートではどうなのかしら? 答えて、グリン」
グリンに話を振った。渋々グリンが立ち上がる。
「僕とビルセゼルトに、親子としての交流はほぼない。だから個人的なことは、みんなが知っている程度にしか知らない。ただ先日、シャーンの婚約を決めるとき、僕も同席を求められてダガンネジブ様のお屋敷に伺った」
ここで、場に私語が飛び交うようになり、カーラが静めに入る。グリン兄妹がビルセゼルトの婚外子だと言うことや、デリスがダガンネジブの後見を受けていることを知らなかった者もいたようだ。
部屋が静かになるのを待ってグリンが続ける。
「ダガンネジブ様がビルセゼルトに、ホビスと連絡はついたのかと尋ねた。ビルセゼルトは苦虫を噛み潰したような顔でこう答えた――こちらから接触を試みる必要を感じません」
ここでまた、ホビスとは? と訊く声が聞こえ、ホヴァセンシルの通り名だよ、と答える声があちこちで聞こえた。が、今度はこれらの私語をカーラもグリンも無視した。
「この事から、ビルセゼルトとホヴァセンシルが連絡を取り合っている可能性は低いと思う。そして少なくとも今はその必要がないとビルセゼルトは考えている――こんなところでいいかな?」
口を挟む者がいないのを確認してグリンは着席した。
「それじゃ、いいかな? 続けるよ。ここで、一つ確認しておく。当会の目的について――来る災厄に備え、ギルドとは別にビルセゼルト個人の指令で動く兵隊を組織する。入会時にその決意を我々は表明しているわけだが変わりないか? 心変わりをした者はいつでも申し出、退会を認められる。これについて質問のある人、いるかな?」
発言する者はいない。
「新年度について、ダガンネジブ様からの指示は次の通り――」
示顕王、神秘王について星見魔導士の予見は今のところ的中している。この先、災厄は本格化してその全容も明らかになってくるだろう。そして三年半先の夏至に、必ず示顕王は覚醒する。
示顕王、神秘王が揃って現れたことはないと史実が物語っている。それが今回、揃うのは、それほど災厄が大きなものだと推量される。
これまでの流れから、今回の災厄は大規模な戦争、もしくは大規模な戦争を伴う〝何か〟と予測する。
「大規模な戦争、は判る。〝何か〟ってのはなんだ?」
この不規則発言は黄金寮の一年次生からだった。場が動揺し、カトリスが嫌な顔をした。
「その〝何か〟が判らないからダガンネジブ様がわたしたちを組織したのだし、偉大な魔導士ビルセゼルト・賢者ホヴァセンシルが慎重になっているのだと思うわ」
エンディーがニッコリ笑い、話を進めた。
「ダガンネジブ様の指示の続きよ――当会が結成されて四年、主宰アラネルトレーネはその観察眼を生かし、魔導士としての資質、人間性、思想を吟味し、当会のメンバーを選考してる。ここにいる諸君はアラネルトレーネの眼鏡に適った選りすぐりの魔導士であり、明日の魔導界を担う貴重な人材と承知している」
そのキミたちを別動隊として動かすことは、危険の中に投げ込むようなものだ。できることならば巻き込みたくない。しかし、災厄の全貌が明らかではない今、備えは重要だ。そして覚悟を固めておく必要もある。当会の目的の一つに、いざという時、迷わず動ける覚悟を育てておくことも含まれている。
だが、学生であるキミたちの本分は学業に勤しみ、魔導士としての知識と技術を磨き、見識と教養を身に着けることにある。新年度においても、今まで通り学生であることに重きを置き、勉強会を中心とした活動をして欲しい。
また、災厄が本格化するのが三年後と見込めることから、新年度より新入生の入会を中断するものとする。これは、危険が増大するころに未成年であることを考慮したものである。
現メンバーで三年後の事変勃発時、成人に達していない者は学内に留まり、連絡役を任せたいと思っている。間違っても戦闘の現場に臨場することを禁じる。これは予測より早く危険な状況の陥った場合でも同様の処置となる。
「ダガンネジブ様からは以上よ」
エンディーが着席し
「少し休憩にしよう」
とカーラが言った。
すぐさまデリス、シャーンを囲む一団ができ、それから逃げるようにアランがいつもの高椅子に座る。アランを追いかけたのはグリンとカトリスだ。アランは窓の外に顔を向け、グリンとカトリスはアランに背を向ける形で椅子には座らず、立っていた。
カトリスがポツンと言う。三人にしか聞こえない声の大きさだ。
「知っていたのか?」
部屋のあちらでは、周囲より頭一つ出るほど背の高いデリスが、やはり向こうに顔を向けて祝福の波に揉まれている。
魔女たちが集まっているところにはきっとシャーンがいるのだろう。背の低いシャーンは取り囲まれて埋もれている。
「――知っていたよ。決まる前から」
やや間を置いてアランが言った。やはりカトリスと同じ、小さな声だ。グリンが横目でチラリとアランを見た。
「二人の仲を取り持つよう、ダガンネジブに働き掛けたのは僕なんだ」
アランの言葉に、カトリスが首を回してアランを見る。でも、すぐにまた、元に戻す。そして考え込んでから
「そうか……」
と言った。
「生きてくって面倒だな」
カトリスが溜息を吐いた。
数日前、グリンとアランが派手に言い争ったのを知らない黄金寮生はいない。談話室で諍いは始まっている。慌ててやってきたカトリスは、騒動を寮外に漏らすことを寮生に禁じ、二人をアランの部屋に押し込み、部屋に結界を張って音の漏れを防いだ。
黄金寮の寮生で、アランとグリンを心配しない者はいない。どうしても寮内では二人の諍いが寮生たちの口に昇る。そこまで防げるはずもないと、カトリスは知っていたし、教職員に知られなければいいと思っていた。
学生時代の四年間を同じ寮で過ごすのだから各寮の結束は固い。しかも黄金寮のモットーは『友愛』だ。そして、少し人付き合いが苦手なグリンをフォローしたのはいつもアランだった。
そのアランがグリンを罵り、グリンはアランに風弾を投げつけ、アランは吹っ飛んで壁に叩きつけられている。アランが効力無効を使うか防護術で回避すると見越していたグリンは、その結果にショックを受けてその場に崩れ、アランは軽い脳震盪を起こして動かない。騒ぎを聞きつけたカトリスが談話室に駆け込んできたときにはそんな状態だった。
カトリスは、アランに回復術を使い、グリンにしっかりしろと声をかけ、意識が戻ったアランを担ぎ上げ、来い、とグリンを呼んで、アランの部屋に入った。素直にグリンはカトリスに従った。
「なんで避けなかった!?」
部屋に入るなり、グリンが叫んだ。
アランを半ば抱きかかえていたカトリスが、アランをベッドに横たえる。
「どこにあたった? 冷やしたほうがよさそうか?」
「なぜ避けなかったんだよ、アラン!?」
カトリスの呼びかけにも、グリンの問いにも、アランに答える様子はない。
そう言えば『本がないな』とカトリスが呟いて、宙から椅子を二脚取り出し、座れ、とグリンに勧め、自分も腰掛けた。
「グリン、揉め事の原因は何だ?」
カトリスが静かにグリンに尋ねる。
「話してくれなければ、校長にこの件を報告しなくてはならなくなる。話してくれれば、寮長権限で不問にすることもできる。校内で魔導術を使って他の学生を攻撃すれば、即退学もあり得るって判っているよね?」
卒業できずに退学となれば、魔導士としての資格も剥奪される。最悪、記憶の消去が行われ、魔導術が使えた事すら忘れさせられてしまう。
「僕が悪いんだ」
そう言ったのはアランだった。
「僕が自分の不甲斐なさに苛々して、それをグリンにぶつけたんだ。そして挑発した。グリンは悪くない」
仰向けに横たわったアランは、天井を見詰めているように見えた。




