10 くじけてしまったアラン
黄金寮の談話室で、クッションに顔を埋めてアランが項垂れている。落ち込んでいるのだ。アランをよく知らない者からは『お調子者』とまで思われるアランが、こんなに落ち込むのは珍しい。そもそもアランは談話室で落ち込んだりしない。そんな姿を学友に見られるくらいなら死んだほうがましだと言い出しかねない。
そんなアランが隠しもしないで談話室で落ち込んでいる。仲のいいグリンやカトリスはもちろんの事、それ以外の寮生たちも心配してアランを取り囲む。
談話室のラグに立てた膝を抱えて座り込み、ネイビーブルーのクッションに顔を埋めれば、透明感のあるエメラルドグリーンの髪がサラサラとクッションに零れ、ふわっと煌めく。
「いや、もし僕にアランほどの能力があれば、僕だって、同じ事をしてたよ」
と、カトリスがアランの背中を撫でる。そうだ、その通りだ、と集まった学生たちが頷き交わす。
「レギリンスだって認めてたじゃないか、さすがだって」
そう言ったのはグリンだ。
「教職員を含めて、いち早く気が付いたのはアランだって、レギリンスが言ったじゃないか」
そうだ、その通りだ、と、再び周囲が頷き交わす。
「でも……花火だった――」
やっとアランの声が聞こえた。消え入りそうだ。
「花火だって、火弾には違いないし。直撃を受ければ大怪我するわ」
これはエンディーだ。
「誰もアランを笑ったり出来ない。気付きさえしなかったんだから」
「誰が笑わなくても、僕は僕自身の間抜けさを笑ってしまう」
「どう見てもアランが笑っているようには見えないわよ? 下手すると泣いてるように見える」
「僕が人前で泣くもんか!」
いきなりアランが顔をあげる。なるほど、どう見ても泣いてはいない。ただ不機嫌さ全開だ。人垣の後ろのほうで、『アランが顔を顰めてる』と女子学生がなぜだか黄色い声をあげた。
それがまた、アランの憂鬱に拍車を掛けたようで、再び、はぁ、と大きく溜息を吐いて、アランはクッションと仲良くなってしまった。カトリスとグリンが目を見交わせ、やはり溜息を吐いた。
するとクッションに顔を押し当てたまま、アランが何かモグモグ言う。
「なぁに、アラン? 聞き取れないわ」
「◎△×&@……」
「だから、クッション越しじゃ判らないってば」
チッと、アランが舌打ちした気配があった。同時にネイビーブルーのクッションがころりと落ちて、アランの姿が忽然と消えた。
「わっ! 逃げられた」
「退いて、通して」
グリンとカトリスが慌てて、談話室から男子棟へ繋がる廊下へ向かうが、集まった野次馬に邪魔されて思うように進めない。
「アランの部屋の前!」
グリンが叫ぶ。
「多分、部屋にはアランが結界張った」
さらにそう言うと、グリンも姿を消し、すぐにカトリスの姿も見えなくなった。
「はぁーい。みんな、お楽しみは終了、部屋に戻って」
クスッと笑いながらエンディーが言った。それからケラケラ面白そうに笑った。つられて数人が笑いだす。
笑うのをアランの手前、我慢していたのだ。アランの失敗が可笑しかったのではなく、アランが落ち込んでいるのが笑いを誘っていた。
アランの部屋の前では
「おい、アラン、ドアを開けろ」
グリンがドアを叩いている。が、アランに応じる気配はない。談話室から戻ってきた他の寮生が通り過ぎる中、カトリスが肩を竦める。
「しようがないよ、こうなったらアランは意地っ張りだ。ドアを開けるはずない」
「だからって、放っておけない。あのアランが落ち込んでるんだぞ? あの〝お気楽な〟アランがだぞ?」
「お気楽で悪かったね!」
部屋の中からアランが抗議した。
「十年ぶりに本気で落ち込んでるって言うのに、なんで僕を放っておかない?」
十年ぶりに落ち込んでるんだって、とカトリスがグリンに囁く。そうらしいね、とグリンがカトリスに囁き返す。
「ってことはさ! この十年間落ち込んだことのないアランが落ち込んでるってわけだ。心配しないでいられるもンか」
アランの返事を待ちながら、カトリスがグリンに囁く。十年前はなんで落ち込んだんだろう?――グリンはチラリとカトリスを見たが、その囁きには答えなかった。
十年前ってアランの母親が亡くなった年だと、グリンは思い出していた。そっとしておいたほうがいいか? でも……
母親を亡くしたときと同じくらい落ち込んでいる? あんな事でそんなに落ち込むほど、アランの精神力って弱かったっけ?
「判った、僕たちも自室に戻るよ。何かあったら呼んで。すぐに来るから」
カトリス、行こう、とグリンがカトリスを促すと、『本当に大丈夫なのか?』とカトリスが心配顔をする。すると、アランの部屋のドアが開いた。
「馬鹿野郎、こんな時に僕をひとりにするな」
部屋の奥からアランの声がした――
珈琲の匂いがアランの部屋に満ちていた。山積みの本をアランが魔導術で積み直して、テーブルと椅子ができている。本のテーブルには埃避けに使うような薄い布がテーブルクロスの代わりに掛けられていた。その上にカップが三客、そして皿に盛られた焼き菓子が置かれている。こないだ使ったローテーブルも、実は本だったのかと思うグリン、だとしたら今日は手抜きかと、こっそり笑う。
宙に浮かんだポットがカップに琥珀色の液体を注ぎ始めた頃、アランがふと顔をあげた。
「校長が帰ってきた……会いたいと言っている。今日の出来事についてだろうね」
「どうする? 校長の呼び出しを無視できないだろう?」
カトリスが心配すると
「行きたくなければ無視しちゃえ。僕は何度も無視したよ」
とグリンが笑う。するとアランが肩を落とす。
「今、カトリスとグリンの三人でお茶してるって言った。そしたら、『ぜひ招待して欲しい』と言われてしまった。南部農場で採れた珈琲をぜひ味わいたい、とね」
グリンとカトリスが頭を抱えた。
アランがカップをもう一つ用意し、本の椅子をもう一つ作ったところで、ドアがノックされる。
「うん、いい香りだね――黄金寮のエリート諸君、お招きありがとう」
言うなり、本の椅子を四脚とも本当の椅子に変えてしまった。そして澄まして、空いている一つに座ると
「書籍の上に座るのは気が引けるので、勝手に変えさせてもらった――アランは手を抜かないことを覚えた方がよさそうだね」
笑顔をアランに向けた。積み上げた本を椅子に変化させるくらい、キミにもできるだろうと言ったのだ。
ビルセゼルトは珈琲を口にすると少し首を傾げたが、何も言わなかった。きっとまだ味に満足できないのだろう。自領の特産品にしようと考えているのだ、評価が厳しくなっても仕方ない。
アランの父は試作品だと言っていた。『ビルセゼルトのところにも持って行っていないんだ』と聞いた時、不思議に思った。きっとビルセゼルトが満足しないと、父には判っていた。
珈琲を味わいながらビルセゼルトは
「カトリスマシコ、姉上は元気かな? 出産されたと聞いたが」
とか、
「グリンバゼルト、母上が全然連絡を寄越さないと嘆いていたよ。たまには声を聞かせてやってもいいんじゃないか」
と、世間話をするだけで、一向に本題に入らない。
カトリスは『偉大な』魔導士と呼ばれる校長に委縮しているし、グリンは母親を出されてカチンと来ているようで、到底楽しいお茶会とはいかない。ビルセゼルトは二人を追い出したいんだろうか、とアランは感じていた。それにアランに話を振ってこない。今日の出来事をアランと二人きりで話したいのか?
ところが、カップが空になると
「今日、騒ぎがあったそうだね」
と、誰に言うともなく、いきなり話を振ってきた。
「えぇ、驚きました」
「最初に気が付いたのはアランです」
カトリスとグリンが口々に言い始める。
「うん、レギリンス先生の授業の時です」
「急にアランが立ち上がって『誰だ!』って叫んで」
「次には拡声術で、『保護術の強化、最大限に』って」
「で、『火弾による攻撃』って理由をアランが告知した」
「そうそう、だから、保護術を強化しろって指令を出したんだと思って、学校の結界に保護術を飛ばしたんだった」
「保護術強化って声が広がってくのと同時に、あちこちで術の発動を感じた」
「で、そのあと、『防衛幕』の指示が出て」
「防衛幕が扱えない者には近くの術者が自分の防衛幕に包み込めって、あれは流石アランだって思った。『各自、防衛幕を施術。できない者を近くにいる施術者は内包せよ』だ。アランらしく的確な指示を短い言葉で出してる」
「そうだね、そんな感じ。で、すぐに、ドンッ! って来た」
「で、パチパチパチ……」
「最初はその音を聞いても花火だとは思わなかったな」
「うん、アランが花火だって言わなきゃ判らなかったかもしれない」
「アランが『防衛幕の解除』って言った時、いいのか? って思った」
「そのあと、『花火だ』ってアランが言ったんだ」
「で、レギリンス先生がアランを褒めてから、満声術で校内に指示を出した」
グリンとカトリスが代わる代わる話すのを黙ってビルセゼルトは聞いている。委縮していたカトリスは出番が来たとばかり、生き生きと話しているし、カチンと来ていたグリンは『教えてやるよ』感が滲み出ている。
「なるほど……ご苦労だったね、アラン。補足はあるかい?」
一通り、話を聞き終わり、やっとビルセゼルトがアランに話しかけた。
「いえ、二人の説明に落ちはないかと存じます」
「うん、レギリンス副校長の報告ともほぼ合致している」
「……申し訳ありませんでした」
アランが突然、謝罪を口にする。絞り出すような声だった。




