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~ ワカナ ~


 きい兄の冷たい目線は、俺をとらえなかった。何回、俺たちはこんなことを繰り返したんだろう。


 その日の仕事は、ちょっとやっかいなジーサンだった。愉快なジーサンではあるんだが、自分が知っているオヤジギャグを次から次に放ち、さっぱり俺を解放してくれなかったのだ。

「カエルがふり返る!」

「はあ」

「布団がふっとんだあ!」

「あの」

「あれ?ダメ?ならこれは?隣の客はよく柿食う客だ」

「それ、ダジャレじゃなくて早口言葉じゃないの」

「おっ!こりゃ~一本とられたねっ。兄さん、いけるね?!」

 どこにだよ。俺をどっかに連れていく気なのかよ。ってか、どこに行く気でいるんだ、このジーサンは。わはははは、と肉体があったなら、入れ歯が吹っ飛んでいきそうな勢いで大笑いしつつ、ジーサンはご機嫌でダジャレを言い続けた。

 異変には気付いていた。だけど、間に合うと思っていたんだ。自分で収拾をつけようと。

 このジーサンは、そのまま“お迎え”だけをする人だった。清算をする人ばかりではない。しない人だって、たくさんいる。まあただ、それだけとはいえ、無理やり力づくで連れていくわけにもいかない。人の話しを全くきかないが、とにかく陽気なジーサンが満足するまで付き合っていたら、というよりも、付き合わされていたら、異変は緊急事態になっていた。

 シロに命令し、先に駆け付けさせた。笑い続けるジーサンをなんとか送りとどどけた後に駆け付けたときには、もう、どうにもならない状況だった。魂を狩られるよりはマシだ。里中はあの世で強制労働ってことになった。あんな状況では、有無などない。

 いつぶりだっけ、きい兄に会うの。

 俺に視線を向けることなどないと分かってはいても、ひとかけらの希望を持って、声をかけた。けど、やっぱり、いつもと変わらない。俺の存在などスルーして、きい兄は店を出て行ってしまった。

 イトへは最低限の返事しかできなかった。ジーサンで時間を費やしてしまったから、次のお迎えの仕事にいかなければならなかった。任せるしかなかった。まあ多分、イトはおかしなことはしない。今までの動向から、番人として声をかけた。判断力はある。

「ふう」

 真っ暗な宙に浮かび、腰に下がっている鎌を見下ろす。この鎌をぶら下げるようになってから、ずいぶん経った。ただただ、お迎えの仕事をこなしてきた。化け物になる道を選んだのだから、いつまで、とは考えなかった。


 きい兄は、あんな風な人ではなかった。よく笑って、よく泣いて、よく怒る、むしろ、喜怒哀楽の、喜と楽が強めの人だった。人が好くて、損ばっかりしてて。騙されることも、よくあった。騙されたって、笑ってた。騙すよりも、騙された方がいいだろ、って。口数が多いわけじゃないんだけど、なんつーのかな。人間味に溢れかえってた人なんだ。人がいいって言っても、オールドで失恋話をしていた彼とは、また違うタイプだ。

 人は、絶望や喪失感によって、人であることを放棄してしまうことがある。それは実は、他人事ではなく、誰にとっても、ほんとうは、驚くほどに身近なことなのだ。

 理不尽で、抗うこともできない大きな事故や災難、事件。正義という名の差別、批判。いつの時代だって、そういうことは、ある。たまたま、それが、俺たちに、現実、という形で襲い掛かった。

 つきつけられた惨状とは正反対の、スカッとした鮮やかな青空が、今でも目に焼き付いて離れない。

 きい兄は、声をかけても振り向かなかった。ただ、人であることを、やめた。そうして、俺に振り向くことをやめた。

 きい兄が人として生きるのをやめたとき、俺は彼にとって、意味をなさなくなった。というよりも、きい兄は、世の中そのものへの興味を失った。

 俺たちは他人だ。けれども、兄弟のように一緒に育ってきた。考える余裕もなく、選択肢すら浮かばない状況で、人ができることは、ただ一つだ。

 本能に従う事。

 俺は、それに従った。そうして、人としての寿命を終える前に、“お迎え”になった。人が人を管理する。魂の存在であっても。それはもう、化け物であって、人とは呼べない存在だ。

 もちろん、そんな出自の“お迎え”ばかりではない。ただ、俺たちみたいな“お迎え”は、特徴がある。色にちなんだ名前が与えられるのだ。仲間内であっても、だから、すぐに分かる。

 “きい兄”は人だった頃の名だ。俺がそう呼んでいた。今は、「アオ」という名だ。

 俺たちの、残っていたはずの寿命がどうなったか。それは、今の俺でも知ることはできなかった。


~ 居酒屋 トキ ~


「いらっしゃい」

「ども」

 その日、ちょっと遅い時間に現れた客は、番人仲間のイトだった。軽く片手を上げたイトは、「ここ、いいっすか?」と言いつつカウンターの端っこに座った。ピークも終わり、もうしばらくするとラストオーダーだった。客もだいぶ引けていて、後片付けもすすんでいた。他の客の会計をした妻が、俺を見て頷いた。

「飲むかい?飲みに行くかい?」

「うう。ちょっと話したいことがあるんですよ。今から飲んでもいいっすか?」

「いいよ。ビール?」

「すんません。瓶で。それと、卯の花、ひじきの煮物、イワシの丸干し」

 分かったと頷いて、料理にとりかかる。瓶ビールは妻が持っていった。

 卯の花とひじきの煮物はすぐにでる。カウンター越しに置くと、早速、箸を手にとった。ラストオーダーが近い。

「焼きおにぎりは?」

 ちょうど卯の花を口に含んだところだった。頷いたのを確認して、焼きおにぎりを作り始める。イワシの丸干しは、まだ焼けない。

 言いづらそうにしているから、番人がらみのことだろうな。なにかあったんだ。

 番人同士だからと言って、お互いのところに起きた出来事が分かるわけではない。番人はたくさんいる。それに、そんな特殊な能力は持っていない。どうしても必要な場合は、使い魔を通して連絡がくることはあるが、それは“お迎え”を通してだ。番人は、あくまで番人だ。それ以上には決してならない。

「あ、すんませんっす」

 サービスの角煮をだすと、イトが嬉しそうに礼を言った。気を遣って、スピードメニューばかり頼んでいるのは分かっていたので、パンチのあるツマミでも、と、だした。

 ラストオーダーを聞く前に、他の客はみんな帰った。平日ど真ん中だし、混んだとしても早い時間で、客がひけるのもそういう日は早い。おかげでというか、イトがまだ飲み食いしている最中に、俺は後片付けをしながら、カウンター越しに話す余裕ができた。

「どうした?」

「実は」

 イトが話したのは、結構な騒動だった。あのメガネの男の子、オールドに行ったのか。

「その子、ウチにも来たよ」

「ああ、おやっさんのとこですか。居酒屋でも断られたって言ってましたね」

「うん。ちょっと、待っててくれるか。閉店作業、終わらせるから」

「はい」

 キレイに食べ終えたイトの皿とグラスをさげ、温かいお茶と羊羹を出す。どうも、と気持ちよく受け取ったイトは、こういうときに、無意味なやり取りはしない。その代わりといってはなんだが、俺がオールドに行った時に、ちょこちょことサービスしてくれたりする。ま、気心知れた仲だからできることだな。

 ある程度の片づけが終わったところで妻に任せ、イトとテーブルに座る。

「お待たせ」

「すんません。仕事終わりに」

「いいから、いいから。それで、その目撃者の男の子は?」

「ビックリっすよ。なんと、全然、態度、変わらないんです。誰かに話してる様子もないし」

「へえ」

 オールドの常連だという彼は、なかなか大物のようだ。人は、「いけない」という言葉に弱い。話してはいけないよ、見てはいけないよ、聞いてはいけないよ、やってはダメだよ、そういう言葉に誘惑されやすい。話したくなるし、見たくなるし、聞きたくなるし、やりたくなる。不思議なものだ。キッパリと線引きして、それを受け入れるのは難しい。どちらも実行しているっていうのは、たいした人物だ。

「それでっすね、ワカナがさっぱり来ないんです」

「ああ」

「里中の行く先は知らなくていいんですが、丸くんとの約束や、話した内容を伝えないと」

「シロに話して、返事はないかい」

「いつでも店に来てくれってシロには言ったんすけど。アイツ、前はコーヒー飲みに来てたくせして、ぜんっぜん、顔出さなくて。どうすればいいんっすかね」

「どうにもできないなあ。まあ、忙しいし、緊急性もないんだろう。そのうち来るよ」

「そんなスタンスでいんすか?」

「平気だよ。オールドでいつも通りしてればいいだけだ」

 そう。緊急性があることに関して放置することは、ない。だから、特に焦る必要もない。そう言うと、イトは安堵したように息を漏らした。

「どうぞ」

 妻がお茶を運んできた。片付けが終わったんだろう。目で合図すると、先に帰って行った。

「あ、俺も帰りますよ。おやっさん、すんません」

「いいよ、いいよ。まだ話したいだろう?」

「なんで分かるんっすか」

「分かるよ。初めてだろう?騒動が起きたの。ワカナさんも来ないし、落ち着かなかっただろ」

「そうなんっすよ」

 頭をかきつつ座り直したイトが、お茶をぐぐっと飲んだ。

「ワカナさんは忙しいからね。“お迎え”以外にも、清算中の人とのやり取りもあるし、俺たちみたいな番人や、管理下のアパートなんかもチェックしないといけないから」

「え。そんなにしてるんっすか」

「そうそう。“お迎え”の仕事だって、基本的に時間なんて関係ないしね」

「え。まさか、二十四時間働いてるんじゃ」

「今は違うらしいよ」

「今は」

 ぽかん、と口を開けたイトだったが、すぐに瞬きをして切り替えた。

「そいつは忙しいっすね」

「そうだよねえ」

 俺も全てを知ってるわけではない。わけではないが、長く番人をやっているから、少しは分かる。“お迎え”は忙しい。

「おやっさんは、他の“お迎え”に会ったことはあるんっすか」

「あるけど、イトが会ったっていう人ではないね。だから、その彼のことは知らないよ」

 そっかあ、と羊羹を食べつつ、首を傾げる。

「こういうことって、番人やってると、結構、あります?」

「まあ。あるね。お香も置いてるしね。特に、イトのところは、ワカナさんがそれ以外でも使ってるみたいだから、いいこともそうじゃないことも、これから経験してくよ」

 番人にはそれぞれ役割がある。オールドには、ワカナさんがどうにかしてやりたい相手を誘導しているみたいだから……、まあ、いろいろあるだろう。

「いいこと……も、あります?」

「あるよ。逆もあるけどね。そんなことばっかりじゃないよ。だから、ワカナさんも、どうにかしてやりたいって動くんじゃない。ほっといてもいいのに」

 ほっといてもいいのに、という言葉に、イトは思ったよりもずっと、反応した。

「ほっといてもいいって、どういうことなんっすか?それ、狩ればいいっていうことですよね?」

「あ、知らない?」

 問いかけはいらないような気がしたが、聞いてみると、イトは「教えてください」と頭を下げた。


~ イト(井頭イツキ) ~


 おやっさんから教えてもらった話は、まあ、想像のずっと上をいっていた。


 まず、「狩る」こと。「狩られた魂」は、鎌で斬られた痛みをそのまま抱えて、意識を失うこともできずに、自分の罪が分かるまで蠢き続ける。地縛霊、ってヤツになるらしい。そうして蠢いてる中、地縛霊は生者の精気で痛みが軽減される。だから、生者を引き込もうとする、らしい。番人は「人」ってついてるし、人寄りなんだけど、生者ではないから、地縛霊の影響はうけない。“お迎えさん”みたいな、特殊な能力が身につくわけではないけど、そういう面では「人」ではないってことだな。

 次に、「お香」。お香自体は、俺たちみたいな番人以外のところにもあるんだって。都市伝説的に流通させているというか。本物だって知らない骨董屋が売っていたり、知っている人が売っていたり。

「お香って、亡くなった人に会えるんっすよね?なんでそんな品物を存在させてるんですか?」

「あの世のことだから、ちゃんとは分からないけど……。生者にとって、亡くなった人に会えるお香っていうのは、ある意味、救いにもなるから、かな。絶望にも繋がるけど」

「お代が、自分の残りの寿命の半分っすもんね」

「そう。目に見えないその寿命で支払えるかどうか。それが本人にとって、救いにもなるし、絶望にもなる」

「あれ?でも、本物だって知らない骨董屋なんかは、どうやって寿命もらうんっすか」

「お代のことも分からないから、高額で売りつけるんだよね。自分が亡くなった後、どうなるか分かってないから」

「どうなるんっすか」

「あの世の品物で商売をすれば、反動が大きいんだよ。本物だって知っていても、知らなくても。本物だって知らない場合は、詐欺も追加されちゃうからね」

 苦笑いで話すおやっさんは、そんな人の行く末を見たんだろうな。

 そんなことを話していたら、あっという間に深夜になっちまった。最後に、あの世の強制労働を聞いてみたけど、それは、おやっさんも知らなかった。「俺もまだ、あの世に逝ったことないからね」ってさ。

「困ったことがあったら、いつでも連絡くれな」

「あざっす」

 店の外まで見送りに来てくれたおやっさんに頭を下げる。これから何度も、俺はおやっさんを頼ることになるんだろう。


「おっつー」

 そう言って、何事もなかったかのように店にワカナが来たのは、例の件から一ヶ月くらい経ってからだった。

「おっつーもおっつーだよ。ブレンドか?」

「そうそう~。ごめんねっ。来るの、遅くなっちゃった」

「……いいけど、別に。座れば」

「座る~」

 ちょうど誰もいない時間帯だった。カウンターにどさりと座ったワカナに、水をだす。一気に飲み干して、はあ、と息を吐いたところをみると、お疲れなのはワカナ本人だ。

「どうだよ、景気は」

「ぼちぼちだよん。あれ」

「サービスだよ」

 ブレンドと一緒にパウンドケーキを出したら、おどけたように笑った。

「なーに、気~つかっちゃってんの」

「別に」

「あ~美味し」

 茶化しつつも、嬉しそうにパウンドケーキを頬張った。こいつらって、寝てんのかな。あの世に家とかあって、ちゃんと布団で寝たりすんのかな。

「この前の話なんだが。丸くん、他言しないから、ここでオールド続けて欲しいって言ってくれたんだけど」

「あー、いいよ、いいよ。ミドリさんとの約束もあるし。イトの年齢に限界くるまでは、ここでやってていいよ」

 あまりにも軽い口調に、肩すかしをくらった。

「え。いいのかよ」

「他言無用しないって言ったんでしょ?あの世関係のことで嘘ついたら、人生が終わった時に、必ず、清算されるから。ほっといて平気~」

「へえ」

「それに、あの子、そういう約束は守るでしょ。よーっぽどじゃない限り」

「だと思う」

「うん。だから、いいよ」

 ここでこのまま営業できると分かって、ホッとする。ほんとうは一番に話す必要があるのは他の事なのに、やっぱり俺の中では、ミドリさんのことが最優先なんだ。ここで営業できるかどうか。そのことが、喉にひっかかった魚の骨みたいに、ずーっと気になっていたから。

 番人としては、あんまり褒められた態度じゃないのかもしれんが。ま、ワカナも咎めた感じもないし、気にしなくていっか。

「でさ。お香のこと、話したから」

「うん」

「里中のことは、最悪よりはマシだけど、どこに行ったかは知らないって話した」

「それも全部ひっくるめて、他言しないって約束したんでしょ。それでいいよ」

 サバサバとした口調が、それ以上は聞くなよ、と言っている。「人」寄りの番人に教えられることが少ないのか、まだ日が浅い俺に教えるのは酷だと思っているのかは、読めない。

「もう一杯、くれるー?」

 カップを持ち上げたワカナに頷き、サイフォンをセットする。コーヒーを店で淹れるたび、毎回、ミドリさんの仕草を思い出す。愛おしそうに、フラスコにコーヒーが落ちていくのを見つめていた。

「おまたせ」

「ま、よかったよね、目撃者が彼で。お互い」

 ワカナが飄々としつつも真顔で言う。だろうな。丸くん以外だったら、大変だったろうな。

「俺もそう思う」

「これからも、こういうことあるだろうから、ま、それなりにお願い」

 最初から番人に全てを説明しないのは、騒動が起きるたびに目の当たりにしていくのと、生者の目撃者に対応する場合、その方がいいからなのかもしれないなと、思った。番人が、全ての情報を得る必要はない。自分の役目に必要なことだけを把握して、弁えることが大事なんだろう。

 ワケアリっぽい、あのサングラスの男とワカナの関係は聞かなかった。番人として、聞く必要がないからだ。


~ 宇ノ沢 シヅカ ~


 私のせいだ。

 商店街を足早に歩く。肉屋の角を曲がって、路地裏を歩いて行く。

 ココは、あれから体調を崩した。食欲もなくて、眠れなくて……、心療内科に通院するようになった。そして、先週、とうとう、会社を休職した。

 眠れないし、眠っても悪夢を見るって。叫んで起きて、でも、内容は覚えてなくて、恐怖だけが焼き付いてるんだって。

 あの日、元気だったココ。オールドに近づいていったら、どんどん顔色が悪くなって、店の前で動けなくなった。親切なオバサンが助けてくれたけど、そうじゃなかったら、大変だった。

 どうしてあの日、私、自分の好奇心を優先したかな。ただの下世話な好奇心だったんだから、ココが具合い悪いって言った時点で、やめればよかったんだ。別に、あの日にこだわることなんて、なかった。次の機会にしよう、それでもよかったじゃん。それなのに。

 そうだよ。ココがあんなふうに途中で具合い悪くなって、案内だけでもいい?って聞くことなんて、なかったじゃん。なのに。

 好奇心は身を滅ぼすって言葉があるけど、あれって、自分の身を滅ぼすってだけじゃなくて、周りの人がとばっちり食らうこともあるんだ。

 私の、下世話な好奇心が。ココを犠牲にした。

 オールドの店の前に立つ。早足で歩きすぎたせいで、息が切れていた。息を整えてから、扉を押す。

「いらっしゃいませ」

「一人です」

「お好きなお席にどうぞ」

 店の雰囲気よりも軽い感じの店主が迎えてくれた。迷わず、カウンターに座る。お客さんは、窓際の女性二人で……あれ。

 カウンターに座った直後に立ち上がり、先客二人のところへと近づいた私に、メニューと水を持ってきた店主が足を止めた。

「あの、先日はお世話になりました。ありがとうございました」

 花柄のワンピースのオバサンが顔を上げた。若い女の人は、視線だけで私を見上げた。彼女には、目礼だけする。彼女も確か、ちょっと具合い悪そうにしてたはずだけど。今日は元気そうだ。

「ああ。あの時の。友だちは大丈夫だったかい?」

「あ、いえ……。あれ以来、体調を崩してしまって」

「一緒に座る?」

 後ろに立ったままだった店主が、オバサンと私を交互に見た。

「あ、いえ」

「アンタがいいなら、いいよ。座るかい?」

「あ、えっと」

 オバサンと一緒にいる女の人がどうやって回復したのかは気になるけど、そもそも、彼女は、店から出てきた人にぶつかって転んだんだし、ココとは関係ないかも。

「いえ。お礼を言いたかっただけなので」

「そうかい。ありがとうね」

 ニコリ、と笑ったオバサンは、なんでか分からないけど、うんうん、と何度も頷いた。

「カウンターに座ります。すみませんでした」

「はい」

 カウンターに座り直して、メニューを受け取り、開く。

「ブレンドで」

 のんびりとメニューを吟味にする気にならなくて、結局、最初に書いてあったブレンドを頼んじゃった。喫茶店を楽しむ心の余裕なんて、ない。

 コーヒーを淹れている店主を横目で見つつ、カウンターに置いた手を握ったり開いたりする。どうしよう。運よく、あの日に居合わせた二人しかお客さんいないし。すぐに聞いちゃう?

 迷っているうちに、ブレンドが来てしまった。カウンターの中に戻りかけた店主に、思い切って声をかける。

「あの、先日、友人とこのお店に来ようとしたんですけど」

「はい」

「えっと、友人がここによく来てて、案内してもらったんです」

「はい」

「その日、この店の前まで来たら、彼女、動けなくなっちゃって。あのオバサンに助けてもらったんです」

「はい」

 この店が原因だと思って来たけど、違ってたらどうしよう、そのことが頭をよぎり始め、説明もしどろもどろになる。

 淡々とした表情で相槌だけを打つ店主。独特のリズムなので、イラっとはしないけれども、どんどん、気が焦ってきた。

「アタシ、その日、ここから出てきたサングラスの変な男にぶつかったんだよ」

 ぶっきらぼうで雑な口調だったけど、さっきの若い女の人が声を上げた。振り向くと、窓の外に視線をやりつつ、頬杖をついてる。オバサンが、微笑ましそうに彼女を見てた。

「サングラスの男、ですか」

「そうなんだよ、あの男、ユミちゃんにぶつかっておいて、謝りもせずに歩いて行っちまったんだよ。短髪の、サングラスかけた、ガッチリした男でね」

「サヨコさん、それって最近?」

「いいや。しばらく前だよ」

「……アタシに、お前ももうすぐだな、って言ったんだよね」

 オバサン、サヨコさんっていうのか。サヨコさんと、頬杖をつきつつどっか向いたままの女の人が、なんとなく、私の口添えをしてくれているような感じだった。

 二人に背中を押されて、口を開く。

「彼女、商店街までは元気だったんです。でも、この店に近づくにつれて、どんどん、具合いが悪くなっちゃって。あの、この店でなにか、あったんじゃないかって、思って」

 最後まで話を聞いた店主が、ひょこ、と首を傾げた。

「なにかって?」

 なにかって、何?そう問われると、困る。だって、店には入ってないし。ココが具合いが悪くなった原因が、絶対にこの店だっては、断言できない。でも。ここで引き下がれない、私。

「……彼女、霊感があって。だから、この店でなにか起きてて、それを無意識にキャッチしたんじゃないかって……思ったんです」

 ココ、ごめん。私の好奇心であんな目に合わせておきながら、秘密にしていることまで、勝手に話しちゃって。

 だって、今まであんなこと、一度もなかった。そして、こんなことになるなんて、思いもしてなかった。どうにかして、助けたい。後で謝る。必ず、謝るから。ごめん、ココ。

「どうして?」

「彼女、あれ以来、眠れなくなって。眠ると、悪夢を見るんだそうです。なんの夢かは覚えてないんだけど、恐怖だけは焼き付いてるって」

 話しているうちに、じっとしていられなくなって、立ち上がる。店主を見上げる。

「ねえ!私、彼女を助けたいの!!この店が原因なら、助けて!」

「お客さん。助けるも助けないも、その日、来店していないんですよね?」

「してないよ!でも!間違いなく、この店に近づくたびに具合い悪そうになったの!この店の前で、動けなくなったの!あの日、この店で何かあったんなら、それが原因だとしか考えられないの!」

「そう言われても」

「お願いします!!彼女を助けて!!」

「どうやって?」

 私の勢いにのけ反っていた店主が、静かに問い返してきた。静かな声だったのに、ドン、と重たくのしかかってきた。

 どうやって。店主は、ココがどのお客さんかも分からなくて。店で具合いが悪くなったならともかく、店の前で具合いが悪くなった子を、どうやって。その日、会っても見てもいないのに。訊かれて分かる。因果関係が成立してない。

「ユミちゃんは、もう平気なんだろ?」

「だってアタシ、あの日、店の前であのサングラスにぶつかるまでは元気だったもん」

「そうだよ。ケガしたのかと思ったんだよ、最初」

「ケガはしなかったよね。ぶつかっただけだし。アイツ、硬くて痛かったけど」

「お客さん」

「帰ります。ご迷惑、おかけしました……。お会計、お願いします」

 何か言いたそうな店主を遮って、支払いをして、私はそのまま店を出た。


 頭を冷やして考えれば、確かにそうだった。店が原因だ、って思いこんでいたけど、店には入ってないし……ココの霊感が原因だとしても、店はどうにもできない、かも。だって、店主に霊感があるとは限らないし。何かあったとしても、霊感がなければ感知できないことかもしれないし。あのサングラスの男が原因?ううん。他にもお客さんはいたかもしれない。それこそ、断言はできない。

 どうしよう……。

 商店街へと戻りながら、ココとの会話を必死に思い出す。

 えっと。なんて言ってたっけ。霊感が作用して……えっと。ハッキリ視えたときは体調崩すけど、中田さんのときは平気だった、って言ってた。

 中田さん……そうだ。中田さん。彼なら、もしかしたら、ココを助けられるかもしれない。

 肩にかけてたトートバッグをぎゅっと握り絞めた。なんとか、できる、かな。いや、やる。だって、少なくとも、具合いが悪いって足を止めたときに引き返していたら、こんなことにはならなかったはずだから。このまま放っておいたら、ココの人生を奪ってしまう。

 私は自分で、下世話な好奇心の責任を取らないといけない。


~ 草岡 ユミ ~


 窓の外から店内に視線を戻して、チラリとサヨバアを見る。サヨバアは注文したコーヒーを飲むこともせずに出て行った女の子を、心配そうに目で追いかけてた。ほんと、お人好しだよ。

 それにしても、あの時の子、そのまま調子崩したのか。アタシは、あのサングラスとぶつかるまでは元気だったし、体調を崩すってことはなかった。

 だから、この店であの日になにかがあって、それが原因なんじゃないか、なんてことは断言できない。あの男はコーヒー飲みに来てただけかもしれないしね。

 ただ、なんとなくほっとけなくって、口を挟んじゃったんだよね。アタシも、サヨバアのお節介がうつったかな。

「大丈夫かね、友だち」

「どうだかね。関係ないじゃん」

「そんなこと言ってさ。あの日のこと、話してあげたじゃないか」

「あー、うるっさ」

 ふふふふふ、と含み笑いをしたサヨバアが、なんでかプリンアラモードを二つ、追加した。

「この店、そんなメニューあんの」

「あるんだよ!これがまた、美味しいんだ!あたしは若い頃、食べてみたくってねえ。でも、食べたことがなかったんだよ。この前来た時食べて、感激しちゃってね。一緒に食べておくれ」

「別にいいけど。なんで食べたことなかったの」

「一人で飲食店に入れなかったんだよ。外食の機会も、あんまり多くはなかったねえ」

「はあ?そんなにずうずうしいのに?」

「ずうずうしい!ほんと、ほんと、そうなんだけどさ。今みたいに、女の子が一人で旅行したり、食事したりっていうのは、まだ少ない時代だったんだよね、若い頃」

「へえ。年とってずうずうしくなったんだから、好きにすればいいのに」

「若い頃にしみついた習性ってのは、なかなか抜けないもんさ」

「ふうん」

「お待たせ」

「ありがと、い~さん」

 運ばれてきたプリンアラモードは、レトロっていうんだろうか。白い皿の上に、丸くて縁がレースになってる紙ナプキンが敷かれていて、脚付きの、横に細長いガラスでできた器が、存在感を放ってプリンをのっけてる。プリンの上に絞られた生クリームの上に、赤いサクランボ。両側には、バナナ、メロン、オレンジ、イチゴ、キウイ、リンゴが盛られてる。プリンには、にじんだようにカラメルソースがまとわりついてた。

「これこれ!見た目も完璧だよ」

 サヨバアが嬉しそうにスプーンを手にして食べ始めた。にこにこと満面の笑みを浮かべていて、幸せそうだ。

「サヨバア、美味い?」

「もちろんだよ!」

 その言葉につられるように、アタシもスプーンを手に取った。うん。美味い。


「草岡さん、いきなり悪いんだけど、明後日、三時間だけ入れる?」

「いいよ」

 シフト終わりに着替えていると、石伊がロッカーまできて拝んだ。別に用事があるわけじゃない。だから休みの日に出ることになっても、平気だった。

「ありがと!明後日、仕事終わったら、ご飯ごちそうするよ!」

「いいって。別に。石伊が穴あけるわけじゃないんでしょ」

「そうだけど。でも、急だし。助かるのは私だし。上がる時間、一緒だから」

「分かったよ。おごられてやるよ」

「よし。いいカフェ見つけたんだ。そこに行こ。明日、車で来るから」

「はりきんなよ、あんまり」

 憎まれ口を叩くと、はは、と笑ってロッカーを出て行った。

 あれ以来、石伊とは結構、いい関係を築いている気がしてた。というよりも、もしかしたらアタシ、初めて、まともな人間関係を築いてるかもしれない。サヨバアと、石伊と。

 手の平を広げて、ネイルがすっかり落とされた、素の爪を眺める。

 これはこれで、いいよな。そんな風に思える自分が、意外だった。

 帰り道を歩きながら、今日はどうしよう、と考える。酒はもう、あんまり飲んでない。アパートでちょっと飲むときはある。男とも、全然、会わなくなった。なんか、そんな気持ちになれなくなったんだ。

 あのサングラスの男が、心底、怖かったというのもある。魂が凍り付く、って、あーいうことだ。そして、あれがキッカケで分かった、他人から見た自分っていうのが、イタイってのを、やっと、飲み込んだ。

 だからって、どうしていいかなんて分かんなかった。相談する相手もいない。近所や職場の人からは、どう思われてるか……初めて、自分に向けられた視線っていうのを意識した。ネットじゃなくて、直に注がれる視線っていうか。「なんのフィルターも通さない自分」っていうか。

 いろんなことを考えちゃって、外出が怖くなりかけたけど、シフトが入ってた。石伊の顔が浮かんだ。あれだけ好き放題してたアタシに、ありがとうって言った。サヨバアの顔が浮かんだ。なんとか、立ち上がって、仕事へ行った。

 その日も、自分ができる仕事だけを、うつむき加減でした。顔を上げて、誰かと視線を合わせるのは怖かった。

 アパートと仕事の往復だけを、何日も繰り返した。サヨバアに会うと、いつも、やかましく話しかけてくるから、うるせえ、とか言いつつ、なんだかんだと無駄話をした。憎まれ口しか出てこない自分はどうなんだ、と思った。自分の間違いを認めて、素直に行動を改めるサヨバアは、結構、マジですごいんじゃないかって、ちょっと思った。やかましいけど。

 黙々と仕事をしていたら、そのうち、シフトがかぶったとき、石伊が話しかけてくるようになった。天気やニュースのこととか。テキトーに相槌打ってる間に、なんか、いつの間にか会話が増えていった。

 はげかけていたマニキュアは、その頃、完全に、落とした。百均で買った除光液で、あっけなくネイルは落ちた。はげかけのネイルがへばりついてるより、素の爪の方がスッキリしてるかも、なんて思ったんだ。


~ 石伊 マスミ ~


 はいはい、どうせ私は中年独身女ですよ。太ってますよ。リストラされてから入ってるから、社員じゃないですよ。

 腹の中で言いたいことは渦巻いていた。マネージャーの中里さんは、一見、すごく優しそうだけど、その実、自分のことしか考えていなかった。そして、人を見下すのだ。態度で、視線で。

 別に慣れっこだったけどね。慣れっこだけど、気分がいいかって言われると、いいわけがない。けど、生活していくには仕方なかった。働く場所がなければ、生きていけない。


 不況によってリストラされてから、年齢の事もあって、なかなか次の仕事が見つからなかった。連戦連敗の中、このままでは食うに困ると思って、ファミレスのバイトに応募したら、あっけなく採用になった。よかった、と胸をなでおろした。

 未だに求人情報も見るけれど、なかなか厳しい。世の中の流れも、なかなかだ。このまま、いろんなことを飲み込んで我慢して、このファミレスでバイトから昇格できるように頑張るしかないかも、と腹を決めた。

 そうなると、少々の職場環境で音を上げるわけにはいかなかった。世の中、なんでも自分の思い通りになんて、なるわけがないんだ。なるんだったら、とっくに私は再就職しているし、ダイエットも成功して痩せてる。 

 なんだって、積み上げなければ身につかない。たいした努力もせずに身につくことなんて、最初からできることなんだ。やーめた、で仕事を辞められるほど、余裕はなかった。

 深夜のシフトが終わった後、アパートの部屋で、泣きながらハンバーガーやポテチやアイスをやけ食いして、自分にそう言い聞かせた。太る。分かってる。だけど、このストレスのぶつけ先が分からなかった。

 店はシフトがなかなか厳しい。学生は試験や長期休みになると、シフトから外れる。子どもがいる家庭の人は土日祝日、早朝と夜は入れない。長期休みも難しい。仕事を覚える気がない人もいるし、いきなり来なくなる人もいる。

 生活もあるし、独身で一人暮らしの私は、急なシフトにも対応しやすかった。可能な限り、穴があいたシフトを埋めつつ、苦情に対応して、なんでこんなに身が細る思いしてんのに痩せないのよ、と甘い缶コーヒーを飲みつつやけ食いをする毎日を過ごしていたら。

 急に、マネージャーが亡くなった。

 は?と思った。会社の業務用アプリに入ってきたのだ。あまりにも急なので、とりあえずは応援が来るけど、対応しきれないから、なんとかしてって。

 できるかあ!!人手不足で、しかも私、バイトなんですけど!?誰か社員の人、対応してよ!!

 さすがにぶち切れそうになったけど、店が休みになるわけじゃない。シフトを確認して、できるかぎりのスタッフに連絡を取る。

 ……まあ、数人だよね、協力してくれるのなんて。急すぎるからさ。みんな、予定あるし。っていうかさ……なんで私がこういうの、やる羽目になんの……。

 ダメ元で、草岡さんにも連絡した。うちの店舗で一番の問題児。接客態度は悪い、派手なマニキュアはしている、仕事は全く覚えない。人の話は全くきかない。

 でもいいの!!それでもいい!!最低限のことをしてくれるだけでいいから、来て欲しい!!

 無断欠勤の最中で、更に、連絡も無視されているけれど、してみた。もう、絶対無理、と思って。

 そうしたら、意外にも、すんなり来てくれて、しかも、それからは真面目に働くようになった……というよりも、自分が覚えた仕事はちゃんとして、シフトに穴もあけなくなった。そして、困っているとシフトに入ってくれるようになった。

 どうしたの。彼女、一体、なにがあったんだろう。口が悪いのは相変わらずだけど、以前みたいなギスギスした感じもないし、攻撃的でもない。マニキュアも落としてる。ただでも、誰とも視線を合わせない。

 目が合うと睨む、どこかソッポを向く、は彼女の日常だったけど、今は、意識して俯いている。なにがあったのかは分からないけど、彼女なりにもがいてるんじゃないかと思って、声をかけるようになった。口は悪い。でも、無視はされない。もしかしたら彼女、人との付き合い方を知らないんじゃない?妹の顔がチラついた。そうだ。妹も、あんまり人付き合い上手くなくて、あんな顔、してた。

 しょうがないな。

「草岡さんって、カフェとか好き?」

「はあ?」

 片眉をひん曲げて私を見た彼女は、いきなりなんだコイツ、という顔をしていて、妹とそっくりだった。思わず吹き出したら、何笑ってんの、と睨まれた。


「石伊、意外に乙女だな」

 お気に入りのカフェで席に着くなり、草岡さんが言った。多分これ、思ったことそのまま言ってるな。悪意なさそう。悪意がないから許されるってわけじゃないけどさ。言葉選びも、あんまり上手じゃなさそうだなあ。

 喜怒哀楽が激しくて、よく泣く、子どもの頃の妹を思い出す。おねえちゃーん、とよく泣きながら帰って来たっけ。ちょっと前までは全然、そんなことなかったのに。今は、あの頃の妹と似すぎていて、笑ってしまう。

「そうそう。かわいいでしょ」

「ふん。悪くないんじゃん」

 二人でメニューをのぞきこむ。ランチがお得でおススメだけど、単品だとこれで……と説明する。頷きはしないけど、ちゃんと聞いてるのが分かる。ランチタイムは、ギリギリ間に合う時間だった。人気店だから、まだまだ店内は混んでいる。

 結局、二人とも、ランチセットにデザートをつけた。私はシーフードグラタンがメイン。草岡さんはすすめたサンドイッチ。それに、飲み物とサラダ。デザートは、私が季節のパフェ。彼女はショートケーキ。

「ここ、マジでメッチャ美味しいから」

「分かったって。石伊、張り切りすぎじゃんか」

「そう?」

「そうだよ。アタシ、こことは違う雰囲気の喫茶店、近所のババアとよく行くんだけどさ。ここも、悪くないんじゃん」

「喫茶店、行くんだね、草岡さん。どんなとこなの?」

 喫茶店!カフェも好きだけど、喫茶店も好き!前のめりになると、困ったように斜め上を見た。

「……今度、行く?」

「えっ?!行きたい行きたい!!」

「……今度な」

「やった!で、どんな店?」

「コーヒーが美味いよ。プリンアラモード、おすすめ、かな。店自体は……なんか、ジャズとかクラシックとかが流れてる感じ」

「へえ~。楽しみ~。いつ行く?」

「そんなにすぐに行く気かよ」

「いいじゃん」

 このお店は、古民家を洋風にリメイクした雰囲気の店だから、草岡さんが言ってる店は、タイプが違うっぽいな。でも、レトロな喫茶店も、いい。敷居が高いと、なかなか一人じゃ入れないから、連れて行ってくれるなら、嬉しい。

 店は混んでいて、ランチセットはまだ来なかった。でも、注文を待ってる間も、楽しい。草岡さんとこんな時間を過ごせるなんて、思ってもみなかった。関係性が変わるって、あるんだな。いいな、こんなのも、なんて思ってたら、二つくらい向こう側の席から、大声が聞こえてきた。

「おっそいねえ!料理!まだ来ないのかな」

「ランチタイムだから、仕方ないよ」

「だけど、ランチタイム営業の為に、準備してからオープンするべきじゃん?」

「まあまあ。順番だよ、順番」

「いつまで待たせるんだろうね?!早くしろっつーの」

 その乱暴な言い方に、自分が言われたわけじゃないのに、気持ちがしぼむ。そこまで言うことないのになあ。

 草岡さんはいつもと変わらない顔で天井を眺めてる。気にしてはいないかもしれないけど、せっかく連れてきたのに、なんだか申し訳ない。でも、気まずいのは、私だけかもなあ、なんて思ってたら、料理がきた。今日も、メチャクチャ美味しそうだ。

「お待たせしました」

「いただきま……」

「ねえ、見てみて!!あの子!!何食べたら、あんな体型になれるんだろうね?!すごーい!!」

 スプーンを持った手が、空中に浮いたままピタリと止まった。……私、のこと、だよね。怖くて、顔を動かせなかった。どうしよう。

「食おう。美味そう。うるせえクソババアなんて、相手にしなくていい。あんなババア、誰にも相手にされねえよ」

 え。あ。もしかして、気を遣わせちゃったかな。

「あ、うん。あ。でも、私、慣れて……」

 実は、ああいう扱いを受けるのは初めてではなかった。太っているだけで、聞こえよがしにいろいろ言われることなんて、たくさんある。見知らぬ他人に。だから、気にしないでいいよ、って思った。けど、上手くは言えなかった。

 伝わったのかどうか、視線を合わせないまま、草岡さんが、サンドイッチを両手に持って、口を大きく開けてかぶりつく。

「うん。美味いじゃん。なんだこれ、なに入ってんだろう。石伊。早く食わねえと、グラタン冷めるぞ」

「あ、うん」

 スプーンを持って、黙って口に運ぶ。美味しい物を食べて、元気を出す為に来てるはずなのに、あんなことを言われて、気分がずん、と重くなった。いつも、すごく美味しいグラタンなのに、今日は味がしない。

「ああ~。あんなグラタンなんて食べてるから、太るんだよねえ。やだやだ」

「うるせえな!!クソババア!!」

 半分まで食べたサンドイッチをしっかり握ったまま、顔だけをその客に向けて、草岡さんが睨んだ。

「美味い飯食ってんのに、邪魔すんじゃねえよ!!アンタに関係ねえだろ!!鏡見てから、出直してこい!!」

「く、草岡さん……」

 言うだけ言うと、草岡さんはサンドイッチの続きを食べ始めた。見知らぬ客は、「ヤダ、こわーい!言いがかり~」とか大声で言ってる。

「食えって。デザートきちゃうぞ。美味いって」

「……うん」

「ところで石伊、この紫のシャクシャクしたヤツ、なに?」

「紫キャベツだよ」

「へえ。キャベツって黄緑じゃないの」

「紫のもあるよ。店でもサラダに使ってるでしょ」

「へえ」

 どうでもよさそうな返事は、ほんとにどうでもよさそうだった。それにしても、サンドイッチ食べて、「なんだこれ、なに入ってんだ」って感想、初めて聞いたな。

 今日のグラタンは、なんだかいつもより、しょっぱいな、なんて、俯いて滲んだままの視界でグラタンを食べてるうちに、いつの間にか、口元は笑ってた。

「明後日、シフトかぶってんじゃん。終わったら、喫茶店行くか?」

 ぶっきらぼうなその声に、黙って頷いた。


~ イト(井頭 イツキ) ~


「あ、来た。ワカナ」

「なに?顔見るなり。昨日も来たじゃーん」

「いやいや、聞きたいことあんだって」

「なに、もう。ゆっくりさせてよ~」

 ワカナの顔を見るなり、サイフォンにブレンドをセットして、淹れ始めた。いつもは聞いてるけど、今は他の客もいないし、ワカナはミドリさんの頃からブレンド一筋だ。

 急がせないでよねっ、ゆっくりしに来てんのにっとか、ブツブツ言いつつもカウンターに座り、頬杖をついたワカナが、「で?なに?」とすぐに聞いてきた。あんまり俺、こういうことしないから気になったんだな。

「ちょい待って」

 コーヒーを淹れてワカナの前に置いてから、調子を崩したという子の話をする。

「霊感があるっつんだよ、その子。里中の件、関係あるか?」

「うーん」

 コーヒーをゆっくりと飲みつつ、ちょっと疲れたようにワカナが口を開いた。

「ある、かもしれないね」

「店に入ってないのに、関係あるのか?サングラスの男にぶつかったのは、ユミの方だぞ」

「サングラスの男は、体調崩した子とは関係ないよ。里中の方だね」

「里中?アイツとは、なんの接触もしてないけど、その子」

「アイツ、悪霊化しかかってたんだ」

「地縛霊とは違うのか?」

「ちょっと違うね。近いけど。霊感があるっていうなら、悪霊化しかかった里中の影響だろうね」

「どういう?」

「簡単に言うと、生きてる人にとって害になるモノを浴びた、ってことだね。ザバリ、って、全身に。例えば、毒、浴びたら、タダじゃすまないでしょ?プラス、精気を持ってかれちゃったんだよ」

「いや、そりゃ、毒浴びたらな。……でも、悪霊って、そんな生きてる人に影響あんの?」

「霊感あるなら、特にね」

「俺も丸くんも、なんともないけど」

「イトは番人だろ。彼は、言ってないだけかもよ」

「あの後、フツーに店に来てるぞ」

「なら、大きな影響はなかったんだろ。彼、強そうだよね。イトは、生前だったら、影響受けてただろうね」

「俺?生前、霊感なんて、欠片もないぞ」

「なくても、多少は影響あるもんなんだよ」

 そういうもんか。丸くんが強いってのは、精神力じゃないんだよな。魂ってことか?それとも、守護霊とかいう?

 ワカナから守護霊の話なんて聞いたことないけど、霊が実在するんだから、守護霊だっていたって不思議ではない、な。けど、まあ、今は、違う話だ。

「なんとかしてやれないもんなのか」

「無理だね。それに、里中はもう、あの世にいるし。悪影響はあの日だけだよ。回復は、本人次第」

「そうなのか」

 ケロリと言っているように見えて、ワカナの目元が少し歪んでいるのが分かる。ワカナは口調や態度がふざけていて分かりづらいが、多分、優しいヤツだ。無理だと言っているんだから、これ以上聞くのは、責めるようになっちまって、酷だろうか。

「イト。悪霊に遭遇するのは、ここだけとは限らない。他にもいるんだ。たまたま、里中に当たっただけだ。どうにもできない」

「運が悪かったって思うしかねえのか」

「そういうことになるよね。そんなに影響でるなら、普段からその子、霊がらみで多少のことはあっただろうけど」

「悪霊って、そんなにいるのか」

「残念ながらね。イトの想像よりは、いると思うよ」

 肩をすくめたワカナに、それ以上は聞けなかった。肩をすくめたようで、肩を落としたようにも見えたからだ。

 悪霊か。俺も、番人を続ける限りは、無関係のままではないんだろう。そのうち、対峙することになるだろうな。

 “お迎え”と言えども、誰かの運命を変えることはできない。生者や元生者に対して絶大な影響を与えられるわけじゃない。そういうことなんだろうか。それは……、ある意味、平等ってことになるんだろうか。人生ってヤツが。

 いやでも、加護って言葉があるよなあ。“お迎え”はそういう力はないってことか。役割に必要なければ、能力は備わらないのかもしれない。あの世のことだから、分からんけど。だけど、結局、俺に今できることは、なんにもねえってことだな。

「霊感って、なんで、人によって持ってたりなかったりするんだ」

「体質みたいなもんだよ。イト、アレルギーある?」

「ない」

「そういうこと」

 そうか。体質か。別に納得したわけじゃないが、理不尽というものは、やっぱりこの世にはつきまとうもんなんだな、と苦い思いがにじんだ。


~宇ノ沢 シヅカ ~


「お香を売ってもらえませんか」

 ざわついた居酒屋。ざわついているのをいいことに、ビールを運んできてくれた女将さんに、耳打ちする。すい、と女将さんがこちらを向いて、至近距離で目があった。

「ご入用ですか」

「はい」

 目を逸らさずに、真っ直ぐに見つめながら返事をした。

「閉店後、もう一度、来ていただけますか」

「分かりました」

 まだ早い時間だった。わざとだった。店が賑やかな時間の方が、会話はその中にまぎれる。誰かに盗み聞きされるかも、なんて心配もしなくていい。それに、特殊なお香を営業時間中に売ってくれるわけがない。そこは、想像ができていた。だから、閉店までは、駅前のファストフード店で時間をつぶすつもりだった。

 さっと飲んで食べて、店を出る。わざと遠回りして歩いて、駅前のファストフード店に入った。週末の夜だから、賑やかだ。賑やかな店内の中でも、その一角が、ものすごく盛り上がってる。学生だろうか。五、六人の男の子たちが、楽しそうにしている。

 ホットコーヒーを片手にスマホを取り出す。何回も何回も調べたけど、もう一度、お香のことを検索する。

 お香が売っている店は、ポツリポツリとあった。でも、閉店している店もある。飲食店にあるとは限らないみたいだった。どれがほんとうで、どれが嘘かは、判断できないくらいに、雲をつかむような情報ばかりだった。

 売っている店は、検索すれば、ヒットする。すごく探さないとないけど。ただ、値段に関しての情報は、ほぼなかった。唯一、あったのは、とんでもなく高額で、更に、それは偽物だった、って情報。

 偽物か。ネットにのってる金額は、私には払えないほど高額だった。こんなに支払って、偽物だったら……。詐欺で訴えることができるのかな。いや、そもそも、とぼけられたら。レシートなんてもらえないだろうし。ってか、所持金ないんだから、分割で売ってもらえるように交渉しなきゃいけない。まずは、売ってもらわないと始まらないんだ。

 スマホを両手で持って画面を凝視していたら、ドン、となにかが背中にぶつかった。油断してて、前のめりになったその肘が、コーヒーをひっかけた。紙コップのコーヒーは、呆気なく倒れた。

「おわっ!」

 思わず変な声が出た。反射的に手を伸ばして紙コップを戻す。ホットコーヒーだったから、蓋をしてたのが幸いで、被害は最小限だった。

「うわあっ!!すみません!」

 慌てた男の子の声が響き、「なにやってんだよ、お前」「すみません」「拭くもん、拭くもん!」と、うわっと一気に数人の声が重なった。と、思ったら、瞬く間に、紙ナプキンやタオルがテーブルにもさもさと盛られ、デイバッグを背負った男の子が必死で拭き出した。

「お姉さん、火傷してないっすか」

「すみません」

「あっ!服!ちょっと汚れてる!おい!キレイなタオルかなんか、誰か持ってねえ?!」

「ちょい待ち」

「あっ!俺、あった!」

「お姉さん、これで袖拭いてください」

 賑やかな声に囲まれて、ちょっと面食らう。こぼれたコーヒーの代わりを、誰かが買って来てくれて、目の前に置かれた。張り詰めていた気持ちがほどけて、笑ってしまう。

 あはは、と突然笑い出した私に、男の子たちはきょとんとした。

「大丈夫。そんなに心配してくれなくっても、大丈夫だよ。ごめんね、新しいコーヒーまで。ありがとう。払うよ」

「いえ、ぶつかった俺が悪いんすから。それより、服の袖が」

「ああ、このくらいなら平気だよ。気にしないで」

「でも」

「じゃあ、この新しいコーヒーで十分ってことで!」

「……すみません」

 ぶつかったのは一人だけだったのに、最後は全員で頭を下げて帰って行った。ゾロゾロと頭を下げられて、周りの客に好奇の目で見られたけど、別に気にならなかった。

 ウジウジしてた気分が、彼らのおかげで、一気に晴れた。気持ちのいい子たちだった。スッキリして、スマホを置いて、まだ温かいホットコーヒーを両手で持って、飲み始めた。スマホの画面を睨んでいても、これ以上の情報はない。これ以上を知りたいなら、実際に行動するしかないんだ。

 旅行だって、そうじゃん。どんなに情報集めたって、現地の出来事は予想できない。どんなに写真や動画を眺めたって、現地で五感にうったえかけてくるモノは感じられない。

 ここまできたら、行動あるのみ。グズグズ考えてたって、仕方ない。なるようにしかならないし、覚悟は決めたじゃん。

 私は、自分の下世話な好奇心の責任を取る。ココの人生を、ココに取り戻すんだ。絶対に。

 そうだ。ココが元気になったら、ちょっと旅に出よう。一人旅。どこがいいかな。動画でも流し見してみようかな。

 時間を確認する。居酒屋の閉店までは、まだ一時間程度あった。コーヒーだけで、更に居座るのもどうかなと思って、追加でデッカいドーナツを頼んだ。

 顎が外れそうなくらいデカいドーナツを、わざと口いっぱいに頬張りながら動画を見ていたら、なんだか無性に、満天の星空を見たくなった。

 よし。次は星空を見に行こう。どこがいいかな。

 星空の画像を検索し、あれこれ迷っているうちに、あっという間に居酒屋の閉店時間になった。星空は、季節によっても、場所によっても違う表情を見せる。まずは、ココがよくなってからじっくり選んで、行くことにしよう。

 よっし。まずは、居酒屋だ。行くかあ!!

 気合いを入れて立ち上がる。後悔ばっかしたって、時間は戻せない。なら、今、どうするか。できることがあるなら、やる。精一杯、そこに向かって行動することで、少なくとも、悔いは残らない。そう信じてる。だって、それしかできないのを、知ってるから。

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