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~ 里中 サトシ ~


 つまらない仕事の中にも、なにかしら得るものはあるものだ。

 その日、ランチタイムとディナータイムの間の時間帯は、いつにも増して暇だった。暇なときに店の掃除なんてしない。他の誰かがやればいい。俺がする必要なんて、全然ない。もうすぐ上がる時間だしな。

 店内には、ノートを広げて長っ尻の女性客が二人だけだった。在庫確認などの雑用を頼まれたりしたら、たまったもんじゃない。バックヤードから出て、フロアでテーブルを拭いているフリをしていたら、その二人の会話が、耳に飛び込んできた。

 なんだと?あの居酒屋のオヤジが行く喫茶店?!しかも、店主同士が知り合いだと?!……もしかして、その喫茶店も、お香が置いてあるんじゃないのか。

 ダスターを持っていた手が止まる。きき耳を立てていると、きっとそうだ、と確信じみたものが胸に湧き上がってきた。矢も盾もたまらなくなり、声をかける。

 焦りが表にでないように、落ち着け、落ち着け、と言い聞かせつつ、できるだけ不審がられないように聞く。コーヒーが好きであちこち巡っていると言うと、疑うこともなく、喫茶店の場所を教えてくれた。

 なんてことない会話なんて、俺にかかれば、お手の物だ。満足しつつ、手にした地図をバックヤードで眺める。確かに、分かりにくそうだ。手書きの地図は十数年ぶりだった。ネットの地図と違って、見づらい。が、仕方がない。次の休みに、早速、行くことにしよう。さあ、着替えて帰るか。

「草岡さん、お客さんから、ネイルが料理に刺さってるって苦情がきたんだけど、どうにかしてもらえるかな」

「はあ?」

「そもそも、営業中のネイルは衛生上、禁止されてて」

「はいはいはいはいはーいいいい!」

 ロッカーの扉の向こうから、中年女の覇気のない声と草岡のけたたましい声が聞こえてきたが、今日は許せる気分だった。


「ああ。あの喫茶店ね。肉屋の向かい側の小道を入って行ってさ」

 自力で行こうとして辿りつけず、商店街まで戻って八百屋のオヤジに聞いてみたら、快く教えてくれた。いくつかの目印を聞いて、再びオールドを目指す。

 なんでこんな分かりづらいとこにあるんだ。もっと目立つところで営業しろよ。

 イライラしつつ道を歩く。だが、だからこそ、お香がある可能性も高いかもしれないな。本来、レアアイテムは、分かりづらい場所にあるのがセオリーだ。目立つ場所にある居酒屋よりも、こちらの喫茶店の方が王道な気がしてきた。

 それにしても、失敗だった。俺としたことが、営業時間を聞くのを忘れてしまった。一応、ネット検索してみたが、店の情報は定休日すら分からなかった。直接行くしかない。なるべく店が暇な時間帯がいいし、できれば誰もいないときがいい。他の客がいたら、お香のことは聞きづらい。もしなかったら、変な目で見られてしまう。そんな姿、極力、人に見られたくない。

 だが、喫茶店の混む時間など、日によってまちまちだろう。特に、個人経営の喫茶店だと。あんまり遅く行くと、店仕舞いだと断られそうだし。

 さて、どうするか。悩んだ末に、午後に訪れることにした。

「ここだ」

 人に聞いてまで辿り着いたのは、何の変哲もない、普通の喫茶店だった。早くしなければ、と何かに追い立てられるように、扉に手を伸ばす。

 もうずっと、なにもかもが忌々しくて、苛立たしい。焦燥感も強い。どうにかしなければ。俺は、こんな状態であくせく生活するような存在じゃない。余裕たっぷりで、悠々自適で、優雅な時間を過ごす、それが本来の姿だ。

 焦る気持ちと苛立ちを押さえて、店に入る。間の抜けた店主の、いらっしゃいませ、という声とともに、カウンターの奥に座っている呑気そうな男が視界に入り、ガッカリする。いる。客が。くそ。どうしてこう、上手くいかないんだ。生前はなんでも思う通りになったのに。

「ブレンド」

 短く言う。暇そうなだけあってすみやかにコーヒーは提供されたが、飲む気にもならず、コーヒーカップにじっと視線を固定する。どのタイミングで話そう。先客の男は店主と親しいようだ。会話中だったようだし。常連か。長居されたら面倒だな。それとも、アイツも清算中か?お香が欲しくて来たのか?だが、同じアパートではないな。

 俺が来店したことで、二人の会話は途切れたままだった。店内にはジャズが流れ、サックスのソロパートが響きわたる。不自然にならずに聞くには、どうすればいいだろう。ジワリ、となぜか汗がにじんできたときに、先客の男が席を立った。帰るのか?違った。トイレに入って行った。帰るんじゃないのか、とガッカリしたが、いや、今がチャンスかもしれないと思い直す。

 立ち上がって、カウンターに手をつく。息せき切って、みたいな感じになってしまい、みっともないとは思うが、時間がないから、仕方がない。俺と店主の二人きりの時間は、今だけかもしれないんだ。

 だが、とぼけた感じの店主は、お香はあるが、俺には売れないと言った。

 理由が……生者にしか売れないだと?!そんなバカな!!なら、俺みたいに濡れ衣を着せられたヤツは、どうやってこの生活から抜け出せばいいんだ!?“お迎え”は聞く耳を持たないし、原因に訴えようとしてもダメ。清算が終わるまで、このままっていうことか?!そんなことが、あってたまるか!!

 気が付くと、店主を掴んでいた。それでも店主は、頷かなかった。

 なにかが湧き上がってくる。どこからかは分からない。大きな、負の、感情。ソイツは俺の中で、制御できない凶暴さで、みるみるうちに膨れあがった。

 そのタイミングで、トイレから先客が出てきた。呑気な声が、問いかけてきた。

「どうしたんですか?」

 反射的に振り向いて、その顔を凝視した。改めて正面から見たら、見覚えがあった。体中が沸騰するような感覚に突き動かされ、その男に駆け寄った。


~ 鵜野 サヨコ ~


「ほらほら、行くよ!」

「暇なのかよ、プリババア」

「そうなんだよねえ~、困ったもんだ」

「一人で困ってろよ。アタシは暇じゃないんだよ!」

「何言ってんだい、暇だろ。ブラブラ歩いてたじゃないか。いいから、いいから」

 ふん、とそっぽを向いたユミちゃんの背中を軽く押すと、触るな、と言いつつ、素直に後ろをついてきた。庭いじりしてたら、つまんなそうに散歩してたんだ。ちょうど喉も乾いてたし、い~さんの喫茶店にコーヒーでも飲みに行こうと思って、連れてきた。オールド、いいんだよね。コーヒーは美味いし、たまに出てくるクッキーも美味い。季節のパウンドケーキだって、い~さんが焼いてるっていうじゃないか。あたしゃもう、すっかりファンで。一人でも行ってるくらいだ。

 い~さんには申し訳ないとは思ってるんだ。ユミちゃんを連れて行くたびに、店が騒がしくなるからさ。でもただ、他のお客さんがいないときは大目に見てくれるし、他にはそんな店ないしで、ユミちゃんと一緒に行くのは、もっぱらオールドだ。

 数十年来の友人もいるんだけど、一緒に行ったことはない。彼女も好きだろうなあとは思うんだけど、い~さんとの出会いについて話すのが、なんだか恥ずかしくて。自分が嫌なババアで注意されたんだ、なんて、打ち明けづらい。

 だから、彼女には、い~さんとのことや、ユミちゃんのことは話してない。なんだかタイミングもなくてね。ただ、ビックリはされたなあ。服装が変わっちまったからね。ずーっと、シンプルで落ち着いた色の服やバッグを選んでいたのに、急に、リボンや花柄の物を身につけるようになったからさ。「どうしたの?」って目を丸くしてたっけ。「実は、前から憧れてたんだよ」って正直に話したら、「いいじゃん!」って言ってくれてさ。嬉しかったね。実際、似合うかどうかは二の次で、着てみたかった服を着てたからさ。似合うとか、似合わないじゃなくて、いいじゃん、って、いい誉め言葉じゃないか。

「帰りに、肉屋でメンチカツ買って帰ろうかね」

「美味いの?ってか、プリババア、メンチカツ食うの?」

「揚げ物、好きだよ、あたし。それに、ここのメンチカツは美味いんだよ。デカいし、肉ぎっしりでね!ビールのつまみにもってこいさ」

「ふ~ん……。そんなに美味いなら、アタシも買って帰ろうかな」

「そうしたらいいよ。一緒に買おうよ」

 肉屋から漂ってくる揚げ物の匂いを嗅ぎつつメンチカツの話をしたら、珍しくユミちゃんが反応を示した。あんまり食べ物には反応しない子なんだけどね。フレンチが好きだって言ってた気がするね。ま、でも、ここの肉屋のメンチカツは美味いよ。それに、美味いもんは、一人で食べたって、嬉しくなったりするもんさ。いい気分になれる。

 話しながら角を曲がって小道に入ろうとしたら、はしゃいだ大声を上げつつ走ってきた五歳くらいの男の子が、目の前で転んだ。痛かったんだろう、目に涙を浮かべている。泣くのを我慢しているから、人前で泣くのは嫌だ、と思っているのだろう。なかなか、負けん気が強いじゃないか。

「ケガはないかい」

 抱き上げて起こしてやると、うん、と小さく頷いた。

「痛かっただろう?」

「へいき」

「そうかい。えらいね。気を付けるんだよ。ケガをしたら危ないからね」

「うん」

 素直でいい子だ。元気がありあまっているんだろう。人混みの中から、一歳くらいの女の子を抱っこした母親らしき女性が、顔色を変えて近寄ってきた。

「すみません。なにか……」

「転んじゃったんだよ。ケガはないって」

「ご迷惑おかけして、すみません」

「いやいや、ちっともさ。泣かずにえらかったよ」

「そうですか。ありがとうございます。さ、行くよ。危ないからもう、走っちゃダメだよ」

 母親の差し出した手をおとなしく握り、頷いた後に、男の子は、バイバイ、と手を振ってくれた。

 手を振り返しつつ、数十年前を思い出す。やれやれ。ウチの息子も、あれくらいの頃があったねえ。今はもう、すっかり、でっかくなっちまったけど。小さい頃は口数が多かったのに、いつの間にか、無口になっちまって。ああ、懐かしいねえ。連絡がないから、元気にはしてるんだろうけど、なにしてるかねえ。

「あんなガキ、ほっとけばいいのに。勝手に転んだんだからさ」

 おや。今の間に、待つのめんどくさい、とかって帰ったりしないで、待っていたとは。なんだい、この子、こんな一面もあるのかい。なんだかちょっと、嬉しいね。

「いいじゃないか」

「子どもって、うるさいし言う事聞かないし、めんどうくさい」

「あんまり子どもに接することは、なかったのかい?」

「産んだよ、二人。……あんまりめんどう、見てなかったけど」

「そうかい。待たせたね。行こうか」

「別に。待ってないし」

 素直じゃない返事を聞きつつ、歩き出す。あたしは、自分の意見を他人の人生に押し付けたいわけじゃない。ただ、恩返しがしたいだけだ。だから、今、なにも言うことはなかった。


~ 宇ノ沢 シヅカ ~


「楽しみだな、オールド」

「そんなに?居心地はいいけど、ものすごく特別な喫茶店ってわけじゃないよ?」

「いいの、いいの」

 商店街を並んで歩きながら、ココが笑う。晩ご飯にアジアンカフェに行くことにしたので、オールドにはお茶の時間帯に行くことにした。午後のひととき、ってヤツ。

「この商店街も、ちょっと古めかしくっていいね」

「うん。結構、古くからある商店街なんだよ。八百屋さん、安いよ。果物、美味しかったし。魚屋さんのお惣菜もいいし、お肉屋さんのコロッケもよかった。それから、お団子屋さんやおでん屋さんなんかもあってね。あっちには、花屋さんもあるよ。ミニブーケが部屋に飾るのに、ちょうどいいんだよね」

「結構、ここの商店街、歩いたの?」

「そう。オールドの帰り道に、一軒ずつ、気になったお店に行ってみたんだ」

「うわ~。いいな!私も帰り、なにか買って帰ろうかな」

「アジアンカフェに行くのに?」

「そうだった!!え、でも、団子くらいは買って帰りたいな。バッグに入るし」

「案内するよ」

「やったね!」

 コロッケが美味しいという肉屋さんの角を曲がり、裏道へ入っていく。揚げ物のいい香りが鼻先をよぎる。お肉屋さんって、ものすごくいい匂い、するよね。裏道に入ると、商店街とはまたちょっと雰囲気の違うお店が、ポツリポツリ。それから、民家。道幅もぐっと狭くなるから、自分が埋もれてるみたいに感じちゃう。

「あっちに行くと、シヅカが好きそうな飲み屋がいっぱいあるよ」

「私が好きそうな?」

「うん。立ち飲み屋さんとか」

「それは聞き捨てならないなあ。今度、一人で来て飲み歩いてみようかな」

「そっちは行ったことないから、オススメのお店は分からないけど」

「いいの、いいの。フラッと入ってみるの、好きだし。あ、そろそろ?」

「…………うん」

 更に狭い路地裏へと続く角を曲がった。店はまだ見えないけど、そろそろなのかな、とウロつかせていた視線をココにうつす。なんだか、具合いが悪そうだった。さっきまでは元気だったのに。

「どうしたの?」

「なんか、急に具合いが悪くなっちゃって……。どうしたんだろう」

 足を止めたココがため息を吐く。顔が青ざめていて、血の気が引いている。

「ごめん。オールドに行っても、私、なにも注文できないかも。案内だけでもいい?」

「え。いいよ、全然。ただ、案内だけはお願いしたいかも」

「ほんとに、ごめんね。アジカンカフェも、楽しみにしてたんだけど」

「それは大丈夫。次の機会に、また行こう」

「ほんと、ごめん。じゃあ、行こうか……」

「よろしく」

「うん。もう少し、先だから」

「じゃあ、お願い」

 辛そうに頷いたココが、ノロノロと足を動かす。あんまりそういう動作をしない子なので、そんなに具合いが悪いなら、案内もしてもらわない方がいいかも、と声をかけようとしたら、急に勢いよく歩き出した。まるで、お化け屋敷を目をつぶって通り抜けてる人みたいだ。

 置いて行かれないように、早足でついていく。ココ、表情も険しいし、大丈夫かな。でもま、いっか。店はまだ見えないし、この辺、見通しもよくないから、迷っちゃいそうだし。案内だけ、してもらおうっと。

 いきなり具合いが悪くなったココのことは心配だけど、せっかくここまで来たから、と自分を優先させる。動けないくらいだったら、ココは正直にそう言うだろうし。オールドも気になるし、メガネの店員さんや居酒屋の店主がいるかもしれないし。

 自分に都合よく、楽観的に状況をとらえた私の、下世話な好奇心は、まだまだ旺盛だった。


~ イト(井頭イツキ) ~


「いらっしゃいませ~」

 カウンターには丸くん一人。どこか急いたように来店したそのお客は、先客がいたことにハッキリと苛立ちを表した。メガネをかけた、中肉中背の男。ワカナが言っていたもう一人の客は、この男だ。間違いない。番人になってから、生者かそうではないかは、すぐに分かるようになった。

「お一人ですか?」

「……ええ。カウンタ―に座っても?」

「どうぞ」

 水とメニューを差し出すと、開きもせずに「ブレンド」と注文された。

「はい」

 はあ、と大きく息を吐き出したその男は、どこか思い詰めたように、カウンターでコーヒーを淹れている俺の動作を追っている。なんだかなあ。俺、清算中の人に、こんな熱視線を浴びせられる心当たりはないんだよな。ワカナがなんか言ったんかな。

 お待たせしました、とコーヒーを運ぶと、頷いたのはいいものの、コーヒーに手をつける気配もない。ただ黙って、カウンターに座っている。

 なんだあ?

 疑問に思っていると、丸くんが立ち上がった。ピクリ、と男の肩が動いた。トイレへと丸くんが入っていくと、ガッカリしていたが、いきなり表情を変えて立ち上がり、カウンターに両手をついて身を乗り出した。

「あのっ、亡くなった人に会えるお香、ありますか?」

 突然で、しかも、番人になってからは初めての質問だった。ああそうか、お香を求める人は、これくらい思い詰めて来るもんなんだな、とさっきまでの態度に合点がいく。

「ありますよ。でも、アナタには売れません」

「どうしてですかっ。居酒屋でも、断られたんです。お金なら、あります」

「どうしてって。お代は金じゃないからね。生者の残りの寿命の半分だよ。アナタは生者ではないだろ?売れない」

「そんなっ……」

 そう。どんな理由があれ、お香は生者にしか売れない。お代を持っているのは、生者だけだからだ。

「なんとか売ってもらえませんか。濡れ衣を着せられて、困っているんです」

「売れないよ。決まりだからね」

「なんでだよっ!!こんなに頼んでんのに!!ふざけんなよっ!!」

 男は顔を真っ赤にしたかと思うと、拳を振り上げてカウンターに振り下ろした。ダアン、と派手な音がした。コーヒーカップがカチャン、と音を立て、表面が波打って零れる。

 急ぎ足でカウンターを回り、フロアへと出る。ミドリさんの店に、と怒りがよぎるが、ここで喧嘩をしても意味がない。ミドリさんは悲しむだけだろう。それに、トイレには丸くんもいる。危険な目には合わせられない。なるべく落ち着いて、意識してゆっくりと話す。

「お客さん。乱暴を働くなら、帰ってくれ。コーヒー代はいらない」

「なあっ!!助けてくれよっ!!濡れ衣なんだよ。人の為に尽くしてきたのに、なんで俺が清算なんてしないといけないんだっ。絶対に、俺を陥れたヤツがいるんだ!!あの世で!!」

 力任せに腕を掴まれ、揺さぶられる。我を失っているようで、力加減ができていない。腕に食い込む手を掴み、メガネの奥の、男の目に映っている俺に向かって言う。

「分かんねえのか。あの世の審判に、濡れ衣なんてない。清算は、アンタ自身が歩んできた人生だ」

 瞳が大きく揺れて、薄く口が開いた。タイミング悪く、そこで、丸くんがトイレから出てきた。

「どうしたんですか?」

 男がすごい勢いで振り向いて、丸くんに向かっていく。手を伸ばしたが、あまりに急な動きに、間に合わなかった。

「お前!!覚えているぞ!!この店にいるってことは、お前が俺を陥れたんだな?!お香を売ってもらえないのも、お前がアイツに頼んだんだろう!!」

「お香?え?ここは喫茶店で……、えっと、どなたですか?」

「とぼけるな!!ずいぶん前に、同じ職場にいただろう!!お前、倒れて辞めたよな?!そのせいで、勤務シフトがぐちゃぐちゃになって、調整が大変だったんだ!!あれくらいで倒れやがって!!俺のせいだとでもいうのか?!お前が要領が悪かっただけだろう?!」

「ええと?」

 とんでもない剣幕でまくしたてられているが、当の丸くんは困り顔で首を傾げている。止めようと肩に手をかけるが、声どころか、俺の存在自体を忘れてしまったかのように騒ぎ立てる。

「お客さん。帰ってください」

「お前が道端で倒れて救急車なんて呼んだせいで、俺が責められたんだ!!出世が遅れて、俺の方が迷惑をこうむったんだ!!」

「あっ!!ああ~。里中さん?お久しぶりです~。それは申し訳なかったですけど、僕もわざと倒れたわけじゃなくって」

「うるさいうるさいうるさい!!」

「あの、僕、あの後は違う職種についたんです。業界から遠ざかってしまったから、里中さんのことも忘れてて。すみません。それに、僕、恨んでもいません」

「うわあああああああ!!」

 マズい。直感的にそう思った。丸くんに危害が加えられないよう、二人の間に体をねじ込んだその時、扉が開いた。

 筋肉と、身にまとっている圧でずっしりとして見える、体幹がガッチリした、短髪の男だった。ソフトモヒカンに刈った髪の毛のてっぺんがヒヨコみたいに柔らかそうで、男の持つ雰囲気とは真逆だった。薄い茶色のサングラスをしていて、腕がやたら太い。必要もなさそうなのに、何故か杖を持っていた。

 店内に、ゾクリとするほど冷たい空気が流れた。こいつ……”お迎えさん“だ。ワカナとはあまりにも雰囲気が違うが、間違いない。

 無言のまま音もせずに近寄って来て、わけの分からないことを叫びつつ掴みかかってきた里中の襟首を、片手でひょいと掴んで持ち上げ、腕を広げた。俺に正面を向けていた里中の顔が、持ち上げられたことで、横顔になる。”お迎えさん“は黙ったまま、空いている片手の親指で杖をぐっと握った。俺の目の前で、カラン、と下の三分の二が外れた。仕込み杖。

 抜かれた刀身はみるみるうちに大きくなって、鎌になった。ギラリ、と重たく刃が光った。

「やめろ!!」

 丸くんを背にしたまま叫ぶと、男は動きを止めた。

「お前、番人だな。知らないのか。狩るときは物理は切れない。魂だけだ」

「そういう問題じゃない!!」

「関係ない」

 鎌が大きく振り上げられ、口の端から泡を吹きつつ喚いている里中へと刃が向かった。その瞬間、真っ白い何かが、“お迎えさん”との間に煙のように入り込み、里中を攫った。

「シロ!!」

 普段は二階にいる、ライオンラビットの姿の使い魔の、シロだった。と同時に、見慣れたヤツが現れた。

「行け!!」

 ワカナが腕を振ってシロに叫ぶと、掻き消えるように、シロは里中と消えた。

「邪魔が入ったな」

 無表情で仕込み杖に鎌を戻し、そう呟くと、サングラスの男は、ワカナに声もかけず、視線も投げることなく、入ってきたときと同じように、扉から出て行った。

 ワカナが、「きい兄」と小さく呟いたのが聞こえた。

「あのさ」

「強制労働だよ。狩られるよりはマシだから」

「そうか」

 立て続けに起きた出来事に驚いている場合じゃない。丸くんにどう説明しようか。俺も状況をすべて把握できているわけじゃないし。狩られたらどうなるのか、とか、強制労働の内容とか。いや、そこまで知らなくてもいいだろうけど。

 どこまで話していいものかを、ワカナに確認しようとしたが、あっという間に姿を消してしまった。

 よし。俺の判断でいいってことだな?


~ 鵜野 サヨコ ~


「あれっ?!あんた、どうしたんだい?」

 オールドの店のすぐ前に、うずくまっている女の子と、その友だちっぽい子が立ち往生していた。駆け寄ってみると、うずくまっている女の子は真っ青で、それなのに脂汗を流していて、息苦しそうにしている。

「途中で具合いを悪くして……、店の前まで来たら、動けなくなっちゃって」

「大変だ」

 意識はある。ガタガタ震えているが。

「あんた、救急車は?呼ぶかい?」

 聞けば、必死で左右に首を振る。様子はおかしいが、どうにも、なにかの病気で動けなくなっているようでもなさそうだ。どちらかというと……恐怖に怯えているような?タクシー呼んで、家で休ませようか。一瞬、息子の顔がよぎる。「おふくろ、今は時代が時代だから、気を付けるんだぞ」と、無口なくせに、そればっかりは、口うるさいくらい言う。視線を女の子たちに戻す。友だちが背中を必死で撫で、具合いが悪い子は、呼びかけに必死に頷いている。ええい。これが演技なら、たいしたもんだ。家に連れて行こう。ここで見捨てたら、帰って、仏壇の旦那に合わせる顔がないよ。

「ユミちゃん、今日はごめん。タクシー……」

 後ろにいたユミちゃんに話しかけている最中に、オールドの扉が開いた気配がした。出てきた男が真っ直ぐ歩いてきて、ユミちゃんに、ドン、とぶつかった。

 デカい男だ。筋肉質っぽいな。そんなタマではないはずなのに、ぶつかられたユミちゃんが、その場に尻餅をついた。

 男がすれ違いざまに、ほんの少しだけ、顔の角度を変えて、ユミちゃんを見下ろした。

「お前も、もうすぐだな?」

 そう言うと、さっさと歩いて行ってしまった。曲がることを知らないように、真っ直ぐそのまま歩いて行った姿は、すぐに見えなくなった。

「なんだい、あの男は。ぶつかっておいて、謝りもしないのかい!」

 なんだい、アイツ。あの態度はないね。知らない人にぶつかっておいて、なに様なんだ。ユミちゃんも、さぞかし腹を立てて、と思ったが、静かなもんだ。いつもだったら、ユミちゃんが、あたしの三倍は騒ぐのに。

 あれ?尻餅をついたままのユミちゃんが、すっかり顔色を失っている。ええー。なんだい、なんでだい?!さっきまで能天気に二人で歩いてたのが、嘘みたいだよ。でも、そんなこと言ってらんないね。どうみたって、ここにいる中では、あたしが一番年長者だ。

 腹をくくる。全員、家に来ればいい。タクシーには、ちょうど四人、乗れる。

「もしもし?一台、お願いします」

 タクシーはこの辺りは迷うかもしれない。商店街からすぐの大通りの、鯛焼き屋の前を指定した。

「さ、歩くよ!ユミちゃん、頑張って立つんだ。そこのあんた、反対側から支えとくれ。あたしがこっち支えるから。いいかい?せえの!」

 具合の悪い人というのは、重たいものだ。必死で女の子を支えて歩きつつ、フラフラと立ち上がったユミちゃんを叱咤激励して、鯛焼き屋を目指した。


「ちょっと待ってておくれ。ユミちゃん、横になるかい?」

 黙って力なく左右に首を振るユミちゃんを確認してから、玄関に三人を置いて、奥にある和室に布団をひく。一組でいいね。悪いね、あんた。ちょっと若い女の子を案内してきたよ。

 おりんを鳴らしてから、玄関に向かう。すると、玄関がいきなり開いた。

「うわ?!」

 驚いた男の声がした。

「なんだい、あんた」

「なんだいって、なんだよ。休みが取れたから、来たんだ。オヤジにも手を合わせたいし」

「ちょっとお待ち。さ、こっちにおいで」

 いきなり帰ってきた息子をほったらかしにし、女の子三人を先に和室へと案内する。

「さ、ここに寝て。今、飲み物持って来るからね」

 具合いを悪くしている女の子を布団に寝かせ、他の二人には座布団をすすめる。一人は座ったけど、ユミちゃんは壁際にうずくまってしまった。

 湯呑やカップより、ペットボトルの方が飲みやすいだろうな。倒しても大丈夫だし。

 リビングダイニングへ行くと、息子がソファに座っていた。

「なんなの?」

「ちょっと、待ってて」

 お茶のペットボトルを冷蔵庫から出して、三人に手渡した後にリビングに戻る。息子には缶コーヒーをだす。

「ほら」

「おふくろ。なにかあったのかよ」

「別に。近所の子と喫茶店に行こうとしたら、動けなくなってる女の子がいたから、タクシーで家に連れて来ただけだよ」

 平然と言い放つ。ついでに、あたしも缶コーヒーを開けて飲む。ああ、美味しい。喉、乾いてたんだよ。庭仕事してたしね。

 缶コーヒーを飲むあたしに、息子が唖然としたように口を開いた。

「初対面なの?」

「一人は近所の子だってば」

「なんで救急車呼ばなかったんだよ」

「呼ばなくていいって言ってたしさ。家で休ませればいいかと思うだろ」

 呆れ返ったように盛大にため息を吐いた息子が、ソファに座り直した。

「おふくろ、どうしてそうなんだよ。昔っから、困ってる人ほっとけなくて。お人好し過ぎるとこがあるんだよ。なにかあったら、どうすんだよ。俺、すぐには駆け付けられないんだぞ」

「ほっとけないだろ!お前だって、きっとそうしたさ」

「いーや、俺は家には運ばない。タクシー使うなら、送っていく」

「うるさいね!いいじゃないか。苦しそうだったんだ」

 息子に言い返しつつ、内心、嬉しさを噛み締める。

 なんだい、そうかい。こんなあたしでも、いいところがあったんじゃないか。全然、気付いてなかったよ。実の息子が言うんだ、それは信じていいんじゃないか?……あれ?変だね。なんだか、視界が滲んできたよ。……あんた、これはご褒美なのかい?

 亡き旦那に心の中で語り掛けた。


~ 草岡 ユミ~


 近所のうるせえババアは、なにかといえばアタシにかまってくる。大きなリボンがついた帽子を被って、ワンピースを着ていたりする。デカい家に住んでいて、庭が広くて、やたら植物が茂っている。花も咲いてる。名前なんて、アジサイとひまわりとバラくらいしか知らない。あ、チューリップも知ってるな。とにかく、名前も分からない木や花が、季節が変わっても生い茂ってる。

 恩返しをさせろ、と大声で言い、頼んでもいないのに喫茶店に引っ張っていくこのババアが、最初はわずらわしくって、仕方なかった。

 豪華な暮らしなんて、二度と手に入らなさそうだし。興味もない仕事して、支払いをする毎日。つまんなくって、あちこちの男と関係を持った。簡単だった。飲み屋にいれば、ナンパしてくるヤツもいるし、なんなら自分から声をかければいい。若いし、酒も、前よりも強くなった。食事だって、ある程度とっていれば平気な体だし。

 でも全然、楽しくなかった。ほんの一時だけ。騒いで気がまぎれるのは。……たまのネイルくらいが、ちょっとだけ楽しいっていえば楽しい、気がした。

 ネット関係では、もう、収入も見込めない。炎上しまくったから。顔、出してたしね。アカウントも凍結されちゃったし。マジで、大変だった……、逃げ出すの。なんとかかんとか逃げ切ってアパートについたら、“お迎え”が、「炎上させられた人の気持ち、わかった?有名になりたかったんでしょ?よかったね」とほざいて、頭に血が昇った。ふざけんな。そんな形で有名になりたかったわけじゃない。文句を言おうとしたら、「最後のチャンスだからね」と言い残して消えやがった。

 最後のチャンス。その言葉が耳に妙に残って、ひとまずはおとなしく仕事を始めた。支払いも、なんだかんだとしてる、けど。

「つっまんね」

 仕事もなにも、ぜーんぶ、つまんね。男にチヤホヤされたって、帰るのは結局、あのショッボイ部屋。

「なんなんだよ」

 散らかった部屋に、イライラと一緒にバッグを叩きつけた。かわいいねえ、いいなー、うらやましい、って、羨ましがられてるのが、いんじゃん。豪華な生活して、お金に困んなくってさ。好き勝手なことして、ワガママ言って、それを聞いてもらうのがいんじゃん。それなのに、なんなんだよ。つまんねーな。

 ネイルのストーンが一個、欠けてるのに気付いた。バイトしてるファミレスでは、アタシへの苦情がきてるらしい。接客態度もそうだけど、ネイルにも文句きてんだって。いいじゃん、ネイルくらい。それにアタシは、ワガママな方がかわいいんだ。何の得もない、ウザイ客に、愛想笑いなんて、してられるか。好きにさせろや。

「あ。時間だ」

 今日は、先週、居酒屋でナンパしてきた男と会う予定だった。


「ユミちゃん、ちょうどよかったよ。コーヒー飲みに行こう」

 寝るのにも飽きて、ブラブラ散歩していたら、ブリババアに見つかった。ぐいぐいと腕を引かれ、プリババアの行きつけの喫茶店へと行くことになってしまった。

 最近は、なんだかんだとプリババアのペースにのせられることが増えていた。勢いあるし、有無を言わせないとこがあるんだ、このババア。しかも、アタシが騒いだって、イヤな顔もしないし。

 なんか、アタシに恩があるとかって言ってたけど、なんの恩?心当たり、まーったくないんだけど。

 転んだ子どもを助け起こしたプリババアに文句を言いつつ、喫茶店へと足を向ける。強引だけど、どんなにアタシが冷たくしようがなんだろうが、プリババアは、めげない。いつも、態度も変わらない。あれ?そういえば、プリババアって、アタシにこうるさいこと言わないなあ。ま、当然か。アタシ、かわいいもんねっ。かわいいって、やっぱ、正義だよね。かわいくて、若い女の子と仲良くなりたんだな、プリババア。なら、仕方ない。マジで暇みたいだし、ま、コーヒーくらいつきあってやってもいいかな。

 ふん、と鼻を鳴らして歩いていると、オールドの手前で、女の子二人がうずくまってた。プリババアが素早く駆け寄ってる。ほっとけばいいのに。そんな二人よりも、アタシの方がかわいいじゃん?

 しょうがねえな、プリババア、と思いつつ待っていたら、喫茶店から男が一人、出てきた。ものすごい硬いイメージで、動作が人間っぽくない。機械みたいだけど、機械じゃない。真っ直ぐに、歩いてくる。あれ、“お迎え”?いつものヤツじゃなくて?

 わけわかんなかった。その男を見た途端、いきなり、金縛りにあったみたいに動けなくなった。棒立ちになっていたら、ドン、とその男とぶつかった。体がいうことをきかなくて、そのまま、尻餅をついた。

 男が、サングラスの隙間から、アタシを見下ろした。視線が合った。

「お前も、もうすぐだな?」

 ……狩られる。その言葉を聞いた瞬間、なぜかそう思った。恐怖に身がすくんで、一気に体温が下がる。

 男はそのまま去って行った。ブリババアが何か、一生懸命言ってるけど、認識できない。

「立つんだよ!頑張れ!!」

 腕を引かれて、ガクガクする膝に手をついて、なんとか立ち上がる。プリババアに必死についていくと、タクシーに乗せられた。

 着いたのは、プリババアの家だった。和室に通されて、三人になる。横になった女の子は、眠ったみたいだった。友だちの子は、プリババアが渡したペットボトルのお茶を握りしめたまんまだ。

 話しかける気になんて、ならなかった。立てた膝の上に腕を置き、顔をうずめていたら、アタシもいつの間にか眠ってしまっていた。

「ユミちゃん、起きられるかい?アパートまで送って行こうか?」

 プリババアの声に起こされて、眠っていたことに気が付いた。顔を上げると、もう、二人の女の子はいなかった。

「……自分で帰れる」

「そうかい。ちゃんと帰るんだよ」

 いつものように返す元気もなくて、ただ頷くと、プリババアは心配そうな顔はしたけれど、それ以上は深追いしてこなかった。

 ……仏壇。旦那さんかな。亡くなってたんだな。

 ぼんやりとそんなことを思いつつ、アパートまで歩いた。


 一体、なんだったんだろう。あの男。目が合ったあの瞬間、”お迎え“の鎌を思い出したんだ。首にあてられた、あの、鎌。狩られる。だから、そう思ったのかな。

 カーテンを閉め切ったアパートの部屋でうずくまっているうちに、何日か経過していた。スマホの画面には、バイト先からの連絡があったことを告げる通知がたまっていた。そうだった。シフト、入ってたんだ。忘れてた。

 いつもなら、まあいいか、めんどくさいし、このまま辞めてやるって、メッセージも見ないでほっとくんだけど、なんだか、それじゃいけない気がして、スマホを手に取った。

 すみません、とメッセージを送ると、人がいなくて大変だから、来られたら来て欲しいと入った。ダルい。行きたくない。でも、行かないといけない、気がした。なんでだよ、と思うけど、脳裏にサングラスの男がチラついた。

 行きます、と返して立ち上がり、最速で身支度をしてアパートを出る。ファミレスへ行くと、いつもこうるさく説教してくる中年女の……なんて言ったっけ?が、助かった、と言った。

「来てくれて、ありがとう」

 助かった?ありがとう?アタシが来て?いつも、あんなにこうるさいし、アタシ、この人にまともに返事したこともないのに? 

 急いで着替えて、混んでいるフロアへと出る。片っ端から、客が帰った後の、テーブルの上を片付ける。他のアルバイトが、待っていた人を次々に案内していた。

 テキトーに仕事してたから、アタシが一人で出来る仕事は少ない。とにかく、テーブルを片付けて、ドリンクバーの補充をして、料理を運ぶ。黙々と作業をしているうちに、ピークは終わった。

「ありがとう~。助かったよ」

 中年女は無断欠勤していたアタシを責めもせず、小太りの体を揺らしてそう言った。

「名前、なんだっけ?」

「……石伊だよ」

 石伊。そんな名前だっけか。覚えようかな。必要ないって、覚えてなかった。呆れたように、それでも答えた石伊に、ふと聞いてみた。どうしてこんなに手が足りてないんだろう。マネージャーはどうした。メガネの。人手が足りないときは、マネージャーとかが急遽、シフトに入ったりする。……そういえばアイツ、同じアパートに住んでたな。もしかして、清算中なのか。

「ああそう。……メガネはどうしたの?」

「……亡くなったんだよ。知らなかった?」

「い、いつ」

「先週末かな」

 ゾッとした。きっと、あの日だ。プリババアに連れられて喫茶店に行った日。あの、サングラスの男とぶつかった日。なんだか分かんないけど、そう思った。

「どうしたの?最近休んでたのって、体調が悪かったの?顔色、悪いよ?大丈夫?」

 頷いたものの、体がうすら寒くて仕方なかった。


 ひとまず、明日以降のシフトを確認して、バイト先を出た。「まだ本調子じゃなさそうだし、ピーク過ぎたし、いいよ。明日からまた、よろしくね」と、石伊は言った。……考えてみると、アイツはこうるさいけど、アタシのことシカトしなかったな。あの、メガネのマネージャーみたいに。

「あー、ユミちゃん!体調どうだい?」

「プリババア」

「お茶でも飲んでいくかい?」

 プリババアは今日も、庭の手入れをしている。元気なババアだな。

 お茶を飲んでいくかと聞かれたが、別にお茶なんて出なくてもいいし、と突っ立っていたら、腕を引かれた。

「おいでおいで。家に上がりにくいなら、庭に椅子あるからさ」

 腕を引かれるままに庭に入る。庭の中央に、ガーデン用の椅子とテーブルがあった。

「プリババア、こじゃれてるよね」

「いいだろう~。好きなんだよね、庭仕事した後に、ここでお茶飲むの」

 嬉しそうにしつつ、台所につながっているらしい勝手口から、ペットボトルのお茶を持って来る。庭はこんなに凝ってんのに、ペットボトルのお茶って、なんかウケる。そこはティーセットじゃないのかよ。

 思ったけど、いつもみたいな憎まれ口も出てこなくて、座って黙ってお茶を飲んだ。

「ねえ」

「なんだい」

「アタシに恩があるって、なんの恩?」

「ああ」

 額の汗をタオルで拭いつつ、プリババアは笑った。

「あたしゃ、イヤなババアだったんだよ。自分勝手でね。それを、ある人に指摘されたんだ。憤慨してたんだよ、あたしのどこが、ってね。最初はさ」

「……うん」

「そしたら、アンタと出会ったわけだ。これがまた、幸せそうじゃない女でさ。いっつも、つまんなさそうにしてて、誰かを罵倒してて、イライラしてるわけだよ」

 プリババアが愉快そうに言う、その、他人から見たアタシは、自分が思い描いていたのとは……ずいぶん違った。そうだったのか……アタシ、ほんとは、そんな風に見えてんだ。かわいいな、モテていいな、じゃ……ない、んだ。あれは……ネットだったから、か?現実は、違ってたってこと、か。

「そこで気付いたのさ。あたしも、ああいう風に見えるんだ、って。他人から見たら、ああなんだって。ユミちゃんは、あたしの鏡だったんだ。おかげで、あたしゃ、いろいろ考えなおすことができたんだよ。感謝してるんだ」

「……そんなの、アタシ、関係なくない?ただ単に、イヤな女ってだけだし。恩なんか、ないじゃん」

 弱々しい声がプリババアに向かった。現実をつきつけられて、お腹に力が入らなかった。だってもう、ネットはアタシには優しくしてくれない。残ってるのは、現実だけなのに。その現実ですら、だいぶヤバい。もしかして、アタシ、生前から、そんな風に見られてたわけ?周りから。

 “お迎え”の声が聞こえてくる。「最後のチャンスだよ」、「お前も、もうすぐだな」……ああ、アタシ、今、ガチで崖っぷち?

「いいや。ユミちゃんがいなかったら、あたしは自分の姿に気付かなかった。いつまでも、自分勝手なババアだったよ。だから、恩返しがしたいと思ったのさ」

「……恩返しって言うわりに、コーヒー飲みに行くだけなのはなんでなんだよ」

 説教臭いことも、ああしろこうしろも、なーんにも言われたことない。プリババアとはいつも、ただコーヒー飲んで、騒いでただけだ。説教しないといけないだろ、自分の姿が分かってないヤツには。分からせないといけないだろ、ちゃんとさ。

「誰かが押し付けてくる説教なんて意味ない事、あたしが一番よく知ってるさ」

「だからって、なんでコーヒーなんだよ」

「あたしが、い~さんのファンなのと、あんた、よーく、酒飲んでるだろ。しょっちゅう、酒の臭いがする」

「うん」

「酒飲んでも、さっぱりウサが晴れてなさそうだからさ!なら、美味いコーヒー飲んで言いたいこと言った方が、ウサも晴れるだろうと思ったのさ」

 なんだよ、その恩返しは。アタシのウサ晴らしに勝手に付き合ってたのかよ。なんにも言わずにさ。

 でも確かに、プリババアと大声で言い合った後は、気分がスッキリしていることも多かった。言いたいことを、ただ、ぎゃあぎゃあと喚いていただけなのに。それに、プリババアはいつも、態度は同じだった。アタシが何を言おうと、どんな態度とってようと。

 なんだか、まんまとプリババアの目論見通り、ウサ晴らしになってたみたいじゃねえか。ふん、ババアは人の話を聞かないともいうんじゃねえかよ、と悔し紛れに思ってみる。

「年の功かよ、プリババア」

「そりゃそうだよ!ユミちゃんより長生きしてるからね!」

 石伊のホッとした顔や、プリババアの話で、頭の中がグチャグチャだった。部屋で、ゆっくり考えたかった。

 立ち上がった。

「帰るのかい?」

「……プリババア。また、コーヒー飲みに行こう」

「あいよ!」

 歯切れのいいその返事を、初めて、心強く感じた。プリババアはきっと、約束を守ってくれるだろう。


~ イト(井頭 イツキ) ~


 ワカナが消えた後、店内に残ったのは静寂だった。が、俺が呆然としているわけにはいかない。俺は番人であるけれども、オールドの店主でもある。急いで扉へと向かい、出してある外看板をしまい、「開店」となっている札を「閉店」にひっくり返して、店に戻る。

 カウンターに入って、サイフォンにブレンドを二つ、準備する。コーヒーがコポコポと音を立てている間に、飲まれなかったコーヒーと、丸くんの前の、空いたコーヒーカップを下げる。「あ」と小さく言った丸くんが、瞬きを何回かした後に、落ち着かない様子で俺を見た。いいタイミングだった。ブレンドを差し出す。

「よかったら、一杯、付き合って。俺も飲むし」

「あ、はい」

 カウンター越しに向かい合って、カップに口をつける。静かに目を閉じると、コーヒーの香りとともに、ミドリさんの笑顔が浮かぶ。うん。しっかりしろ、俺。落ち着け。考えても答えが出ないなら、なるようにしかならない。とにかく、落ち着くんだ。

「映画とかドラマの……ロケ、……ではない、んですよね」

 店内の静寂を破ったのは、丸くんだった。もう、ほんの少しだけ、時間が欲しかった。でも、ダメだ。店主として、客である丸くんに対して、俺は責任がある。返事をしなければ。

「うん。ではない」

「です、よね……」

 丸くんは歯切れも悪かったし、いつもよりもずっと、声も弱々しかった。はは、と力のない、笑っているんだか泣いているんだか、分からないような声を漏らした。そこに恐怖は混ざってなくて、あれ、と思う。

「ごめ」

「僕、知らない間に、誰かを追い詰めたりしてたんですかね……。さっきの、里中さんみたいに……」

「え」

 謝罪の言葉にかぶさるように話しだした丸くんの言葉が意外過ぎて、瞬きをする。

 力なくカップを持ち上げた丸くんが、ほんの少しだけコーヒーを口に含む。あれ?なんか、俺が想像してたのと、違うこと言ってるな。どうするか。まずは、あんなことがあったことを謝罪しようと思ったんだが。今、噛み合ってなかったよな?

「いや、あの……」

「里中さんって、あんな人じゃなかったと思うんです。みんなに腹黒っては言われてたけど。あんな、感情のままに怒鳴り散らしたり、まして、暴力を振るうなんて、しない人でした。なのに。僕、一体、何をしてしまったんでしょう」

 なんてこった。丸くん、どこまで人がいいんだ。あのメガネ……里中は、自分がしてきたことを受け入れられずに、ああなっただけだ。自滅だ。里中が他者に責任転嫁して、お香を買い求めてきたところに、たまたま、丸くんが居合わせただけだ。丸くんはなにも悪くないし、話を聞いていた分には、里中自身に問題があったんじゃないのか。周囲の人に、腹黒って言われてたのなら、尚更だ。

 ……いや。因果。因縁。ほんとうに、丸くんと里中がここで鉢合わせしたのは、偶然なのか?こんな偶然、あり得るものなのか?

「僕、ちょっと、人の心の機微に疎いところがあるんですよね。気を付けてるんですけど、直らなくて」

 いやいやいやいや。丸くん、道で倒れたんでしょ?それの原因でしょ?恨みもせずに、むしろ、忘れて生きてきた丸くんがすごいでしょ。

「丸くん、ちょっと待った」

「あ。……ごめんなさい。愚痴を言っちゃって。もしかして、イツキさん、里中さんから何か話を聞いたのかなって思ってしまって。聞いてたら、教えてほしくて」

 たいしたもんだ。丸くん。図太いのとは違う。他者の痛みだって、慮れるくらいの懐の大きい男だ。この状況であっても、こんなことが言える人間は、一体、世の中にどれくらいいるだろう。

「愚痴というか。俺は里中からは、丸くんの話は何も聞いてないよ。でもただ、これは断言できる。丸くんは、悪くない」

「でも、僕がなにかをイツキさんに頼んだせいだって、里中さん言ってたから」

「丸くん、よーく考えるんだ。俺になにか、頼み事したことあったか?」

「ええと?」

 喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、いきなり、昔の知り合いに絡まれて怒鳴られて、挙句の果てに超常現象に等しい、不可思議な騒動を目撃した。混乱しているだろうし、気も動転しているだろうに、丸くんは、俺の問いかけに答えるべく考え始めた。

「ない、ですよ、ね?」

「ない」

 たっぷり十分は悩んだ後にそう言った丸くんに、力強く頷く。ミドリさんの代から常連で、その頃から俺とは面識があった。年月を、律儀に思い返してくれたんだろう。

 丸くんは、オールドでコーヒーを楽しんでいただけだ。俺の正体も知らないし、頼み事なんて、されたこともない。

「誤解だってこと」

「ああ。よかったです」

 ぎこちない笑顔で、丸くんが胸をなでおろした。よかった。丸くんこそ、本物の濡れ衣を着せられたわけだからな。

 で、俺だ。どこまで話したもんか。

「改めて、丸くん、ごめん。怖かっただろう?」

「はい。怖かったです。里中さん」

「いやあの、里中さんっていうか」

「どこに消えたんですか?」

 は、と意識が止まった。丸くんの質問は、今回の出来事の核心をついていた。だが、俺はその質問の答えを知らなかった。知らなくていいのか、知った方がいいのか。それは判断できないから、ワカナに聞くしかない。

「それは、俺も知らないんだ」

 そうですか、と頷く丸くんは、真っ直ぐに俺を見ていた。なんていうかな、丸くんはきっと、人を疑うことをしないな。例えば、嘘を吐いていると分かったとしても、それがその人にとって必要な嘘なら、それがほんとうなんだ、それでいいって、受け入れるんだろうな。誰かを、丸ごと受け入れる。これほど難しいことは、なかなかない。

 人は、嘘を吐きたくて吐くんじゃないときもある。人は複雑だ。「真実」ではなくても、それが本人にとって「本当」のことがある。だが、それが分かっていても、なかなか、受け入れがたい時だってあるもんだ。

 丸くんのすごさは、それを受け入れて、受け止められる。そこにある。

「ただ、里中がここに来たのは、俺を訪ねてきたんだ。いや、正確には、ここにある品物だな。この店には、お香があるんだ」

「お香?あ。里中さんが言ってましたね」

「そう。亡くなった人に会えるっていう、お香だ。彼はそれを求めて来た。だけど、事情があって売れなかった。そのやり取りをしていたら、丸くんがトイレから出てきたんだ」

「そうですか。そんなお香があるんですね」

「信じられないか?」

 斜めにカウンターに視線を落とした後、丸くんは、いいえ、と首を左右に振った。

「不思議なことって、あるんですよね。モモカさんが、以前、話してくれたことがあるんです。彼女は三回、似た人に出会ったことがあるそうです。名前も年齢も違うけど、同一人物じゃないとは思えないくらい、三人とも、そっくりだったって。……ノリさんのことです」

 視線を上げ、ちょっとだけ口元に笑みを浮かべる。ああ、と思った。ノリっていうのは、俺のアパートの隣人だった女の子だ。清算が終わって、逝った。

「何度も、ノリさんに問い質そうかと悩んだって。でも、そんなことは意味がないことだって、あるとき、吹っ切れたそうです」

 そこで一口、ブレンドを飲んだ。へへ、と照れくさそうに笑う。

「僕のおかげなんですって。なんでか、分かんないんですけど」

 惚気ちゃった、と言いつつ、頭をかく。顔がほんのり赤くなっている。

「そういう不思議なことって、誰にでも起こりうることなのかもしれないなって、僕、そのとき思ったんですよ。だから、そのお香も、イツキさんがあるっていうなら、あるんだと思います」

「……あるんだ。ただ、オールドにそれがあるっていうことは、口外しないで欲しいんだ。勝手なお願いなんだが、きいてくれるか?」

「分かりました。それで、僕からもお願いがあるんです」

 二つ返事で頷いた丸くんが、神妙な顔をして座り直した。

「なんだい?」

「オールド、なくなったりしませんよね?ここがなくなったら、僕、困っちゃいます。今日のことは、絶対に、他言しないって約束します」

「……ありがとう」

 なんてこったよ。俺はここの店主で、ワカナの番人で、丸くんよりもずっとずっと長く、この世に存在しているはずなのに。丸くんの方が、ずっとずっと、懐が深くて人間ができてるじゃないか。

 でもただ、俺は番人だ。誰よりもこの場所でオールドを続けたいけれども、ワカナの判断によっては、移転しなければならなくなる。丸くんが、いろんなことを飲み込んで、こうして言ってくれているんだ。俺だって、正直に話さなければいけない。

「でも、丸くん、ごめん。俺の一存では、そのことは決められないんだ。でも俺は、できる限り、ここで店を続けたいとは思ってる」

 分かりました、と立ち上がった丸くんが財布を出したが、会計はしなかった。

「また、コーヒー飲みに来てくれ」

「はい。また、すぐ来ますね。次は、モモカさんも一緒に」

 じゃあ、と扉に手をかけた丸くんが、思い詰めたように振り向いた。

「あの」

「里中は、最悪よりはマシみたいだから」

 そんな気がして、先回りして言った。里中がどうなったかは、具体的には俺も分からないけれど、ワカナがそう言っていたから、最悪ではない。それは確かだ。

「はい。それじゃ、また。ごちそうさまでした」

「ありがとう」

 丸くんが聞こうとしていたことは、当たっていた。ちょっとホッとした表情になった後、お決まりのやり取りをして、その日の営業は終わった。

 二階に戻ると、シロは何事もなかったように眠っていた。さて。ワカナはいつ、俺の呼びかけに答えてくれるんだろうか。

「いつでも、店に来てくれ」

 シロに向かって言うと、承知したよ、というように、シロが耳を動かした。ああ、そうだ。ワカナに頼まれてたのに、里中をどうにもできなかったなあ。

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