⑤
~ 草岡 ユミ ~
あはは~。さいこ~!やっぱ、アタシくらいになると人生終わってからもチョロいわあ~。
いわゆるタワマンの高層階の一室。夜景を見下ろしながら、シャンパンを一口。フッカフカのソファに座って、ローテーブルに置いてある生ハムをつまむ。
「おいっし~」
最高だわ。お酒にも強くなったし、若返ったし?丈夫な体っぽいし?べっつに支払いなんてしなくたって、いつまで~も、貢いでもらって豪華な暮らし、してればいいんじゃーん。アタシってやっぱ、頭いいわ~。
“お迎え”が用意したショッボいアパートは嫌過ぎて、すぐに脱出した。ま、最初は住んでやったんだけど。テキトーに働いて、出会った男たちに貢がせて、あっという間に移り住んでやった。仕事も即、辞めてやった。ザマあ!
ブランドの服やバッグ、コスメに、高級レストランでの食事。SNSで、キラキラ生活を投稿~。もう、それだけで笑えるくらいに称賛のコメントが来る。うらやましい、素敵~、って。フォロワーも、うなぎ上り。貢いでもらってる金と収益化された収入ってヤツ?それで潤いまくってる。笑いが止まんない。
「どもども~。調子よくやってんね?」
「今月は金、ないよ~」
「知ってる、知ってる~。ところで、君、ギリギリだったね、って、最初に言ったの、覚えてる?」
「言ってたねー、そんなこと。だから何?こうしてリッチな生活、送らせてもらってるけど?」
「だから、今日は君に、現実見せに来ました!!早速だけど、SNS確認してくださーい!」
「めんどくさ。なんでアンタの言いなりにならないといけないの」
「仕方ないよねえ。俺、君の担当だからさっ」
軽い口調だけれども、圧を感じた。舌打ちをしてスマホを手に取る。
「…………なっ」
手に取った瞬間から通知の音が鳴りやまない。慌てて開く。
「え……炎上してる……?」
「そうでーっす!このマンションの下にも、いっぱーい、君目当ての人が来てるよっ!」
「なんでっ」
「君、ここの資金、何人に出してもらってた?相手、既婚者や有名人もいたでしょ?」
「…………」
いた。店の客に俳優とか、企業の社長とか、いろいろいたから。相手が結婚してたって、貢いでもらえばいいだけだから、そんなん関係ないし。
「スキャンダルでーっす」
「はあ?」
「週刊誌にすっぱ抜かれました!ぜーんぶ、一気に!この生活は終わりでーっす」
すっぱ抜かれた?なんで?食事の写真なんかも、相手は絶対分かんないようにしてたのに。何回も見直して。
「噂なんて、どこからでもでるよねっ。さーらーに!オマケ!ここから自力で引っ越してね!君目当ての動画配信者とか、雑誌記者とか、集まってるけどね」
「は」
「注目浴びるの、大好きでしょ?よかったねえ」
「なに、言って」
「前のアパート、入れるから。自力で行ってね!じゃあねん」
「待てよ!」
「あ、貢がせたお金、こっちで没収しとくね。ちなみに、没収したお金で清算はできないから。男の人たちに、ここの解約金とか引っ越し代、だしてもらえるといいねえ~」
「ふざけんな!」
「ふざけんな、はこっちのセリフだけど?」
それまでの口調と態度が嘘のように、“お迎え”はスン、とした。
「いい?これが最後の忠告だよ。君、自力でここをどうにかして、あのアパートで真面目に働くんだ。そうじゃないと、あの世で強制労働か、もっとひどいことになるよ」
「なんでこんなメに合うわけ?!」
「生前の自分のツケだよん!ちなみに、あの世のルールはこの世とは違うから!泣こうが喚こうが、媚びようが、次は絶対にないよーん!」
再びおちゃらけた後に、“お迎え”は宙に消えた。それと同時に、ピンポンの音が響いて、思わず飛び上がった。
~ 鵜野サヨコ ~
「はあ、まったく。年々暑くなってくね。ヤダヤダ」
買ったばかりのソフトクリームが溶けると嫌だから、出口前の自動ドアの横で食べる。ジロジロみられるけど、知ったことか。この暑さだ。外に出たら一気に溶けてしまう。もったいない。
クーラーが効いているそこでゆったりと食べていると、ドデカイ声が聞こえてきた。オッサンの大声だ。どうしたどうした?
おもしろそうだと首を伸ばして見ると、自動ドアを出てすぐにある駐車禁止区域に車を停めているオッサンがいる。警備員が止めているけれども、なにやら怒鳴り散らして店の中にツッコんできた。
「俺はいつもアソコに停めてんだ!常連だからな!」とブツブツ言いつつ、勢いよく通り過ぎて店内に入っていくオッサンを横目で見る。頑固オヤジの典型だな。言ってもきかないんだよねえ、ああいうオヤジって。常連だろうが、駐車禁止のとこに車停めちゃ~ダメだろ。
「非常識だねえ。駐停車禁止って書いてるし、警備員も困ってんのにねえ」
ソフトクリームのコーンをかみ砕きつつ、独り言を漏らす。すると、目の前を通り過ぎた男が、くるり、と振り向いた。なかなかイイ男だ。つかみどころがなさそうだが。
「オバサン。アンタのやってること、あのオッサンとどう違うんだよ?」
「は?」
あたしの背後を指さしつつそう言った男は、聞いてきたくせに返事も待たずに店の中に入っていった。
背後を確認しなくても分かる。後ろにある掲示板には、「他のお客様の迷惑になるので、ここで飲食はしないでください」と注意書きが張られている。
「外は暑いだろうが!!」
言い返したけど、男はとっくにいなくなっていた。コーヒーの香りが微かに鼻をくすぐった。
腹立つ、あの男。せっかくのソフトクリームが台無しだ。いいじゃないか、暑いんだし、涼しいところで食ったって。なにが悪いんだい?ソフトクリーム食べる時間なんて、ほんのちょっとの時間じゃないか。買い物してる間、ずっと駐車禁止区域に停めてるオッサンとは、全然違う!!
モヤモヤを抱えて家に着く。車を車庫に突っ込んで、荷物を持って玄関へと歩いていたら、フラフラと酒臭い女が歩いて行った。
また酒飲んでる。こんな昼間っから。
その女は近所でも有名だった。半年くらい前に、すぐ先のアパートに引っ越してきたんだ。以前にも、ちょっといたっけね。また、戻ってきたみたいだ。こんな新しめの住宅街の中に、一軒だけある、古びたアパート。アパートはそこしかないもんだから、出入りなんてすぐに噂になる。だから、隣近所はみーんな、どんな人があのアパートに住んでるか、知ってんだよ。
まあ、それはいいとして。あの女、これがまあ~、常識がない。いっつも違う男と歩いてる。年齢は様々だね。若い男もいれば、中年、老人に足を突っこんでるのもいる。アパートの部屋からは、たまに、道にまで聞こえるくらいのヒステリックな叫び声が聞こえてくるし、しょっちゅう昼間っから酒を飲んでる。何の仕事をしてるんだか、と思っていたら、町の中のファミレスで働いてるんだと。いっつも酒臭いのに、働けるのかねえ。
「ふん。尻軽が」
呟いて、誰もいない家の中に入った。
一昨年、先に逝っちまった年上の旦那は甲斐性もちで、大きな一軒家を遺してくれた。息子は一人いる。それなりに距離が離れてるとこに住んでるもんだから、滅多に顔を出さない。別にそれはいい。元気でいれば、それでいいんだ。でもさ。
「寂しいもんだよ」
仏壇に買ってきたビールをあげつつ、つい、弱音がこぼれおちた。旦那は穏やかに笑っている。こんなに早く逝ってしまうなんて、思ってもいなかった。旦那は無口でつかみどころがなくて、不仲だった。というか、あたしが一方的に嫌がってただけなんだけど。定年退職してからは、なんだかんだと一緒に出かけるようになった。なんだか楽しいな、なんて思ってた矢先に、いきなり逝ってしまったのだ。
なんだい、これからだったんじゃないのかい。……全部さ。
写真に向かって語りかけても、返事があるはずもない。ため息をついて、庭の手入れをしようと立ち上がる。
年々、膝と腰が痛くはなるが庭の手入れは好きだ。雑草をとりつつ、木々の枝を払ったり、花に栄養剤を与えたりする。
ぼんやりと旦那の顔が思い浮かぶ。
無口な旦那は、誰かの悪口を言うこともなかったが、誉め言葉を口にすることもなかった。いいんだか悪いんだかよく分からないまま、長年、夫婦をやってきた。旦那のことが少しずつ分かったのは、病気が見つかる二年くらい前からだった。
表情は豊かとは言いづらいが、いつでも機嫌が良さそうだ。芯の通った人で、曲がったことは嫌いだ。頑固なところもあって。
「……なんで逝っちまったんだよ」
静かだった旦那は、まだ家の中で好きなビールを飲んでいるような気がしてならなかった。
ドン、とすれ違いざまに肩がぶつかった。当たり方が悪かったらしい。ヨロヨロとよろけて、倒れそうになってしまった。
前に、ソフトクリームを食べていたスーパーの入口だった。
「どこ見てんだ、ババア!!」
ぶつかってきたのはアッチなのに罵声がとんできたが、言い返すどころの騒ぎじゃない。買い物カゴが重ねてあるところに突っ込みそうだったからだ。
体勢は立て直せそうもなかった。大ケガを覚悟して目をつぶり、身を固くしたけれども、さっぱり衝撃が来ない。
「オバサン、立てそうなら立って。俺も限界だよ」
え、と思って目を開けると、この前の、コーヒーの匂いをさせていた男だ。この前よりも、ずっとコーヒーの香りが近い。
その男は、重ねてある買い物カゴに片手をついてバランスをとり、あたしをもう片方の手で支えてくれていた。
おおおおおおおお?!
勢いよく身を起こしたら、前のめりに転んでしまった。
「大丈夫かよ」
そう言って差し出された手に、なんだか妙にドギマギしてしまった。
「……あ、ありがとうよ」
手は借りずに立ち上がり、そそくさとスーパーを出た。車に戻って座り、飲みかけのペットボトルのお茶を飲み干す。
なんだいなんだい。なんだか、ど、ドラマのワンシーンみたいじゃないか。ドギマギしつつ、火照った頬を撫でる。いやいや、化粧が落ちるな。
落ち着かないので、手をすり合わせる。そうやってしばらく、車の前を行き過ぎる人たちを眺めていたら、少しずつ落ち着いてきた。
そうだ。あの、ぶつかってきたヤツ、近所のアパートの女だ。
あんな小娘になめられて、と頭に血が昇りそうになるが、それと同時にコーヒーの香りが蘇ってきてソワソワする。
買い物に行こうか。でもまだ、あの男がいるかもしれないし。いやいやそれなら、あの女だっている。言い返しに行ってやろうか……。
グチャグチャとそんなことを考えていたら、あの女が出てきた。あっ、と前のめりになったけど、出て行くのはやめた。
女が歩きざまに駐輪場の自転車を蹴飛ばして、自転車がドミノ倒しになったのだ。警備員が吹っ飛んできたが、何かを叫びつつ、女は去っていった。警備員が肩を落とした後に、自転車を端から起こし始めた。
ふと、コーヒーの男に言われたことが頭をよぎった。もしかして、あたしは、あの迷惑女とも同じなんだろうか。
一度気になってしまうと、アンテナっていうのは無意識にでもその対象をキャッチしちまうもんらしい。庭の手入れをしているとき、店で見かけたとき、散歩をしているとき。ついつい、あの女を見かけると観察するようになっちまった。
あの女は、いつも不機嫌だった。
男といるときは笑っている。笑い声も華やかだ。ただ、なんていうのかね。どこか幸せそうじゃなかった。ギスギスしてるっていうかさ。スーパーなんかで見かけると、店員に対して偉そうに威張り散らしていた。気が変わったのか、冷蔵の商品をレジ前に常温で放置して行ったのを見かけたこともあった。見て見ぬフリもできず、店員に置いていったよ、と教えた。
最初は分からなかった。あの女とあたしが同じだってことに。
でも、少しずつ分かっていった。
イライラして、無意味に威張っている。男をとっかえひっかえしているのに、ちっとも幸せそうじゃない、あの女。
それは、見方を変えたら、自分だった。
大きな一軒家に住んで、悠々自適に暮らしてる。近所づきあいだってあるし、数十年来の友人もいる。なんの不満もない。なのに、気付いてしまった。あたしは、その場その場で正義を変える。あのオッサンと同じだ。違うと思っていたけど、禁止されている場所に車を停めるのも、そこでソフトクリームを食べるのも、同じことだ。外は暑いからいいんだ、なんて、自分に都合よく正義を捻じ曲げてただけだ。
そう気づくと、恥ずかしくなった。
ずいぶんと前に、スーパーで桃を押していて若い女に怒られたことがある。あの時も、逆切れして騒いだ。そういえば、商品を手に取ってみて、いらないと思ったら投げて戻していた。
あれもこれもそれも。
数々の出来事が頭の中をかけめぐり、恥ずかしくって、穴を掘って埋まりたくなった。よくよく考えたら、おんなじじゃないか。あの女や、オッサンと。
あまりの恥ずかしさに、いつものスーパーに行くのをやめようかとも思ったけど、いや違う、と思い直した。むしろ、毎日通った。そうしてついに、あの男を見つけた。
「あ、あんた」
「え、俺?」
「そう、あんただよ、あんた」
知らないオバサンに急に声をかけられて、男は戸惑ったように左右を見回した後に、自分を指さした。
「あたしは鵜野サヨコっていうんだ。この前は、助けてくれてありがとう。怪我せずすんだよ」
「ああ、あの時の。なんともなくてよかったな」
「うん。あんたのおかげだよ。礼をしたいんだが」
「礼?いらんいらん」
ほんとうに礼などいらなさそうだ。顔の前で手を振って、じゃあ、と歩き出した背中に追いすがる。
「いやいや、気が済まないんだ。あんたは恩人だよ。ケガをしなくて済んだだけじゃなくて、大事なことに気付かせてくれたんだ」
「そんな大層なことしてねえけど」
「したんだ。あたしの人生が変わるくらいのことに、気付かせてくれたんだよ」
大袈裟だけど、ほんとのことだ。必死に言い募ると、困ったように首を傾ける。その仕草も、なんだか男前でドキリとする。
「ここだと邪魔になるからさ。俺、商店街の裏路地でオールドっていう喫茶店やってんだよ。気が向いたら、来てみてよ。じゃあ」
入口でああだこうだと騒いでいたら、確かに迷惑だ。それ以上は追いすがらずに、頷いて見送る。
オールドだね。行くよ。すぐにでも。
インターネットで調べてみても、オールドの情報はあんまり見つからなかった。商店街へ行って、八百屋や肉屋に聞きつつ、やっとたどり着いた。
一回目の来店では、カウンターに座ることはできなかった。話すのも、ちゃんと話せなかった。幾度か通ううちに、やっとちゃんと会話できるようになった。
きちんと礼を言った。恩人だと言った理由も。
い~さんは照れたように笑っただけで、恩着せがましくもしなかったし、説教臭いことも言わなかった。その様子が、逝ってしまった旦那のことを思い出させた。だから、帰ってすぐに、仏壇に手を合わせた。
チン、という、おりんの音を聞きながら、思い出したことがあった。旦那が珍しく、「悪くないんじゃないか」と言ったときのことだ。あれは……一緒に温泉に行ったんだったね。
あたしは子どもの頃から活発だったし、自分でサバサバしてると思ってたんだ。フリルやカワイイ物なんて、似合わないし、興味がない。骨格も太いし、頑丈で。そう思っていたんだが。
旅館の女将が、「女性は浴衣を選べますよ」といろいろ並べてくれたんだ。これなんかお似合いですよ、と明るい色合いの、大柄の花が描かれた浴衣を選んでくれた。恥ずかしくなっちまって、「いやいや、着ないよ」と答えたら、旦那が「悪くないんじゃないか」ってボソリと言ったんだった。「何言ってんだい」って聞き流して、普通の浴衣を着たんだが。
「もしかしてアレは、似合うよって言ってくれたんだったのかい?」
返事もない遺影に語り掛ける。返事はないが、きっとそうだと思った。なんだい、不器用な人だね。誉め言葉もそんなのかい。
「着ればよかったねえ」
似合わないから。興味ないから。そんな言葉で否定してきたのは、手に取ってみて、身に着けてみて、ほんとうに似合わなかったら恥ずかしいからだ。恥をかきたくなかったんだ。頑なに否定して身に着けてこなかったのは、それだけ自分の中で憧れが強かったんじゃないか。
きっとそうだ。
今からだって、遅くないはずだ。興味がある物に、どんどん接していこう。それに、せっかく今までのことも反省したんだから、これからは身も心も行動も、改めていこう。すぐには直らなくたって、心がけていれば、いつかはマシになるだろう。
チン、チン、とおりんを鳴らす。
「あんた、見てておくれ。あたし、恩人に恩返ししながら、楽しく生きてみせるよ」
そう言って立ち上がり、さて、まずはショッピングだ、と車の鍵を手に取る。そして次は。
「あの女にも恩返ししないとね」
大きく頷いて、玄関のドアを開けた。
~ イト(井頭イツキ) ~
ああ。どうしてこうなったんだ……。
棚にあるコーヒーカップを磨きつつ、俺は長い事時間を過ごしてきて、初めてと言っていいほどの奇妙な悩み事を抱えていた。
「うるっさい!!プリババア!!」
「けっこう、けっこう!!あたしゃ、プリティババアだよ!なかなかのネーミングセンスだね!小娘」
「ヤバいんですけど!」
「アンタほどヤバくないから、安心おしっ!!」
「はあ?!ババアの方が激ヤバですけど?!ほっといてくれる?!」
「いいや!!ほっとけないね!あたしゃ、あんたにも恩があるんだ。黙って恩返しさせな」
「……二人とも、他のお客さん来たら、静かにしてね」
声をかけると、二人は真逆の表情で俺を見た。
「もちろんだよ、い~さん」
「アタシはお客だけど?!」
はあ。これも番人の仕事なんですかねえ?
しょうもない気分になりつつ、ワカナを思い浮かべた。
「そのうち、お客さんが二人、来るからね。よろしくねっ」
ダラダラとコーヒーを飲んでいたワカナがそう言って帰って行ったから、イヤな予感はしていた。アイツ、面倒事に限って、聞き返せないタイミングで言うんだよ。
客は毎日来る。わざわざそう言ったってことは、ワカナがらみの客が二人来る、ってことだ。
どんな、とか、なんの、とか、俺がどうにかできなかったらどうすんだよって、聞いたところでどうにもならないことは分かっていた。よろしくね、ということは、俺にどうにかしろと言ってるわけじゃない。ただ、どうにかなったらいい、程度のことだ。
どのみち、俺は番人として、できることをやるだけだ。そうして、のべられた手をどうするかは、本人次第なんだ。気付くにしろ、気付かないにしろ。それの手をとるのも、無視するのも。
誰かに助けて欲しいと自分でも気づいていないときにも、意外にも多くの救いの手は差しのべられているものなんだよな。
ワカナの手伝いをするようになって、アイツが時間ないないって騒いでいる理由が、ちょっとずつ分かってきた。
アイツ、自分に許された範囲のギリギリのところで、人の魂を救おうとしている。例えば、俺やおやっさんみたいなのを存在させて、“お迎えさん”の「ある役割」の緩衝材にしている、っぽい。どうして分かったか、というと。
俺が番人になってから、ワカナの同僚であるらしい女性が来るようになった。腰まである漆黒のストレートの髪。ゾクリとするほど色白の顔と相まって、その黒髪と紅い唇が深い印象を与える人だった。
「ブルマン」と短く言ってカウンターに座った女は、ずいぶんのんびりとコーヒーを飲んだ。そうして会計の時に言ったのだ。
「アイツ、まだこんなことしてるんだ。だから笑われるのにね」
「へ?」
流し目のような角度で瞬きを一つしただけで、そのまま彼女は出て行った。
次に来た時に聞いてみた。
「ワカナと仲がいいんっすか」
「別に」
彼女がワカナのからみでオールドに来たのは明白だった。“お迎えさん”同士がどんな関係性なのかは分からんが、仲がいいわけではなくても、悪くはないだろう。
滅多に来ないその黒髪の“お迎えさん”は名乗らなかった。たまーに、気まぐれのように店に現れるのだ。そのたびに、一つずつ、聞いてみた。
「ワカナ、なんで笑われてるんっすか」
「余計なことしてるからよ」
余計なこと。それはなんだろう。
「余計なことってなんっすか」
「強制的に連れて行ったり、狩ればいいだけの魂を、できる限りどうにかしようすることね」
彼女も彼女で、俺の質問を無視するでもなく、欠片の情報をくれる。面倒見が意外にいいのか、それとも退屈なのか。それは分からない。だが、彼女からもらった、そういう情報を繋ぎ合わせて、ワカナのやっていることは稀なんだと分かった。
狩ればいいだけの魂とは、どういう状態のことなんだろう。俺はまだ、その状態の魂に出会ったことはなかった。もしかしてあの状態かな、と頭をよぎった出来事はあったが、その頃は俺は番人じゃなかったし、確認するようなことでもない。そのうち、イヤでも遭遇するだろうし。
聞けば聞くほど、考えれば考えるほど、得たヒントによる疑問は増えていく。だけど、俺はワカナの番人だ。疑問があろうとなかろうと、その手伝いをするのは当たり前のことだ。当たり前、なんだが。
「こんにちは~」
「はい!!今日はここまで。お会計お願いしまっす。ありがとうございます」
プリババアと呼ばれた、大きなリボンをあしらった帽子をかぶり、フリルがついた花柄ワンピースを着ているオバサン……鵜野サヨコと、金切り声を上げている女……草岡ユミに告げる。コーヒーなんて、とっくに飲み終わってんだよ。その後、つかみ合い寸前みたいな状態で言い合ってるだけなんだよ。
「二度と来るか!!」
「い~さん、またねえ」
「はいはーい。丸くん、お待たせ。ごめんね、騒がしくて」
「いえいえ。ブレンドとハムチーズのホットサンドお願いします」
「はいよっ。今日は、モモカさんは」
「地方のマラソン大会です」
「あらら。さみしいね」
「いえいえ。そんなことないですよ」
そう言って、新しく読み始めた割には結構な期間、読み進められていないミステリー小説を掲げる。
ああ。ここでいつまで営業できるか分からんのに。できるだけ静かに営業したいのに。あの二人、どうすっかな。
それはちょっと、いやだいぶ、身勝手な悩みだった。
ミドリさんを見送ってから、オールドを継いだ。俺はオールドの常連にも顔が知られているから、ここで営業できる年数は限られている。年、取らねえから、俺。ギリギリまでここで営業したい。その思いは強くて、たまに息が苦しくなるほどだ。だが、ミドリさんはそんなことは望んでいないことは分かっている。それはただの、俺の願望にすぎない。分かってはいるんだがなあ。移転しても、ミドリさんが遺してくれた店の物は、最大限、使うつもりでいるし。
ま、目下の悩みはあの二人だ。
「ミドリさんなら、どうした?」
店の閉店作業をした後、カウンターに座ってコーヒーを飲みつつ、写真に問いかける。写真の彼女は、はにかんで微笑むばかりだ。
俺があの二人が騒がしくて、なんて悩んでいることは、ミドリさんは笑って済ませるだろう。店の雰囲気が、なんて言いつつ、ミドリさんとの思い出の場所で静かに過ごしたいのは、他ならぬ俺だからだ。
ミドリさんがいなくなってからも、俺はこうして、今まで抱いたことのない感情を抱えることがあった。それは、彼女と過ごした時間があったからこそだ。逝ってしまってからも、彼女は俺に、いろんなことを教えてくれる。
サヨコさんは、出会った時とは別人かと思うくらい、まともになった。彼女とは、ひょんなことから出会って、その後しばらくしてから店に来るようになったのだ。問題は、草岡ユミだ。二度と来ねえよ、と叫んでいたのに来店しているのは、サヨコさんが連れてくるからだ。引っ張ってくる、と言った方が正しいな。
サヨコさんは生者、ユミは清算中だ。サヨコさんはユミが元生者だとは知らんだろう。ワカナが言ってた二人の内の一人は、明らかにユミだ。どういう繋がりができて、サヨコさんがこの店に連れてくるようになったのかは知らん。知る必要もないし。ワカナが仕組んだとしたら、アイツ、どうやってその関係を築かせたんだかなあ。
ワカナに、「よろしくね」と言われている以上、迷惑だから連れてこないでくれとも言えんし。そうはいっても今のところ、俺がユミをどうにか変えられるようなチャンスは欠片も見いだせない。うるさいのより、そっちの方が問題なんだよな。
うるさいのもどうにかせんといかんが。ユミの金切り声が、延々と店中に響き渡るからさあ。迷惑だから、他に客がいる場合はご遠慮願っているくらいだ。アイツ、なーんで、叫んだり偉そうにしねえと話せねえのかな。サヨコさんは一人のときは静かなもんだから、特に問題ないが。
っていうか、ワカナは二人って言ってたけど、もう一人は来ないな。それに、お香は置いてあるけど、全然、出番がない。当たり前だ。置いてます、って謳ってないもんな。……いや。それだと、おやっさんのところもそうだ。なんでおやっさんのところは噂になるんだ?誰かが噂を流しているんだろうか?だとしたら、誰がだ?
少しだけ考えて、やめたやめた、と首を振る。人の口に戸は立てられぬっていう。噂の出所を掴むなんて、雲をつかむようなもんだ。特に、ああいう都市伝説系の噂の出所なんてな。
「まあ、なるようにしかならねえか」
考えても目の前に答えや正解が転がってくるわけじゃない。それ以上余計なことを考えるのはやめて、俺はミドリさんが好きだった深煎りのコーヒーを飲みほした。
~ 居酒屋 トキ ~
「お香を譲っていただけませんか」
ラストオーダー間際に来たその客は、カウンターで一人静かに飲み食いしていた。店にいた他の客が暖簾をくぐって出て行くと、立ち上がって、そっとそう言った。
メガネをかけた、中肉中背の男だった。パッと見は物静かな印象を受ける。実際、話し方も仕草も落ち着いている。頭も、なかなか切れそうだ。
「すみませんね。ウチは居酒屋なんで」断り文句にかぶせるように、「ありますよね。欲しいんです」と態度に似合わぬ、強い口調で言った。
「あったとしても、売れませんね。申し訳ない」
「どうしてですか」
「お会計、お願いします。ラストオーダーは終わってますんで」
苛立ちを隠しもせずに睨みつけてくる姿は、よほど切羽詰まっているんだろうと思わせるが、こちらも番人として、売ってはいけない相手には売れない。
とぼけた顔で、睨む視線を受け流していたら、妻が「お会計です」と伝票を持ってきた。口を大きく曲げた後に、その男は支払いをして出て行った。
「ありがとうございます」
振り向かない背中に礼を告げる。
「危ないね」
「ああ」
妻の淡々とした声に短く返事をする。
危険な男だ。それは、誰かに危害を加えるとか、そういう意味ではない。番人として見た評価だ。分かりやすく危険な人物よりも、ずっと危うい。
「なんとかなるかな」
「……難しいな」
恐らくはあの男、相当に自分に自信がある。そのせいで、他人の忠告が聞けない。自分は全て上手くやれると思っているから、悪いところをなおす、ということが分からない。というよりも、自分に悪いところがあるとも思っていない。し、考えようともしない。そうして、人生を生き切ったのだろう。
そういう男が人生の清算をしろと言われれば、さぞかし理不尽な思いを抱えているだろう。苛立ちとともに。理由を説明されても、飲み込めないはずだ。
だが、清算しなければあの世には逝けない。どうして、という思いと苛立ちとを抱えたまま、この世に留まっているのだろう。
「まあ、ここにはもう来ないだろう」
プライドの高い男は、誰かに食い下がるのも苦手だ。
頷いた妻とともに、閉店作業を始めた。
~ 里中 サトシ ~
ああ。オレ、寿命がきたんだなあ。いい人生だった。
ふわふわと空中に漂いながら、そう思った。悔いのない人生を送れた。子どもには恵まれなかったけれども、パートナーと共に切磋琢磨して、愛犬を精一杯かわいがって。仕事だって、スキルを磨いて、邁進してきたし。
「はいっ。お迎えでーっす!!」
走馬灯は見なかったけれど、しみじみと人生を思い返していたら、Tシャツジーンズ姿で、腰に鎌をさした男が目の前に現れた。ふざけているとしか思えない。
「“お迎え”?貴方が?」
「そうそう」
あまりにも軽薄な態度に、内心は失礼なヤツ、と面白くはないが、敢えて笑顔を作る。自分の腹の中を相手に悟られるのは、バカのすることだ。
「そう。ご苦労だね。じゃあ、早速、連れていってもらおうかな」
「残念!まだ逝けないんだよねっ。人生の清算をしてもらいまっす。さあ、選択してください~」
なんだと、と口から出そうになって、寸前で飲み込む。“お迎え”と名乗った男が提示した三択をじっくりと読む。
なんだ、これは。まともそうな選択肢は一つしかない。どうして俺が、寿命を迎えた後もこの世であくせく働かなければならないんだ。俺は看護師として生涯、働いてきたんだ。退職後は訪問看護もして、人の為に尽くしてきたはずだ。あの世では、極楽とか天国とかいわれる場所で、悠々と過ごせるんじゃないのか。
「この選択肢はなんだ」
「ええと?里中さん。アナタが人生の清算をするための選択肢ですねえ。ちなみに、この世で働くことを選んだ場合、医療、介護関係の仕事には就けません」
「理由は」
「アナタ、ずいぶん好き勝手してきましたねえ。自分では上手くやっていると思っていたようですが、その裏で、何人が泣いたり、人間不信に陥ったか、想像した事ってありますー?」
思いもよらなかったことを言われ、頭が真っ白になる。
「オレは患者の為に、精一杯してきた」
「はいはい。患者さんの為にはね、勤務時間内だけはね。仕事だけはね。その他は?例えば、同僚は?部下は?関連の仕事をしている人は?」
矢継ぎ早に言いつつ迫ってきたソイツの顔に向けて拳を振る。
「金にもならないタダ働きなんて、誰がするか。当然だろう?やりたくなければやらなければいい。要領が悪いヤツらがそんなものはやればいいんだ」
「おやおや、ずいぶんですねえ~。だから腹黒って言われてたんですねえ」
「腹黒?何が悪い?」
腹黒なんてのは、誉め言葉だろう。要領がよくて腕もある、頭もいい。立ち回りも上手い。そういう人を羨んだバカどもが、そう言うだけだろうが。
「バカだねえ。腹黒の意味、知らないの?さすが、面と向かって腹黒って言われて喜んでただけあるねえ。辞書って、引いたことなかったのかなあ?」
ニヤニヤと挑発するように顔を覗き込んできたので、思い知らせてやることにする。
「今すぐその、ふざけた口調を改めろ。誰に向かって口をきいてるんだ?俺を怒らせたらどうなるか、分かってるのか?」
振り上げた拳は、あっけなく跳ねのけられた。その勢いに、体が揺れた。胸倉を掴まれる。
「里中さーん、お言葉お返ししまーっす。ちなみに、アナタが原因で人間不信に陥った人、一人や二人じゃないですよ?心身を壊した人もいました。というわけで、本来なら生前の資格はサービスで新しい戸籍につけるんですけども、アナタにはつけられませーん。それ以外の方法で、お金稼いでくださいねっ」
「嫌だね」
どうしてスキルがある資格を取り上げられなければいけない。努力して身につけたものだ。積み重ね続けた経験もある。
「いいよん。他の選択肢にする?俺はなんでもいっけど」
ふざけた態度のまま、胸倉を掴んでいた手をヒラヒラさせつつ、目の前に紙をつきつけてくる。
「……この世で働く」
「はいはーい。じゃあ、これねっ。準備できたら迎えにくるね~。あっ、ちなみに、医療や介護関係の資格も面接も、何回受けても落ちるから、無駄だからね~」
「なっ」
密かに考えていたことをピタリと当てられて動揺したのと同時に、“お迎え”はいなくなった。
就けないとは言われても、資格を取得して就職してしまえばいいのだと考えていた。無駄?どういうことだ。
疑問を投げたい相手は、ペタリと赤い印がつけられた紙を残して、すでに消えていた。
「ありがとうございました」
レジ前で頭を下げる。俺に一瞥もせずに、高校生の集団は賑やかに騒ぎながら店を出て行った。散らかし放題に散らかされたテーブルを片付ける。なんで床にまでゴミを散らかすんだ。ドリンクバーで複数のジュースを混ぜて遊んだのか、おかしな色で中途半端に飲み残されているグラスも林立している。食事の皿は汚く食べ残され、テーブルにスペースを取る為に、それが雑に積み重ねてあって、今にも崩れそうだった。
苛立ちは顔には出さず、淡々と片付ける。奥の通路を、料理を乗せたロボが進んでいった。
畜生。なんでオレがこんな仕事を。
どうしようもないイライラと、行き場のない怒りに歯噛みしつつ思うが、選んだのはオレではある。面倒くさくなった。
ふざけた態度の“お迎え”が言った通り、資格試験も面接も、医療と介護関係は何度受けてもダメだった。理由など聞くこともできない。試験なら不合格、面接ならお祈りのメッセージが届くだけだ。
ちくしょう。
ならばと、高収入が狙えそうな資格の勉強をしてみたが……、これが意外にも頭に入らない。おそらくだが、体は若返っても、脳が若返るわけではないのだ。得てきた知識や経験は失われないが、新しい事はなかなか柔軟には入って来なかった。
剥奪されてはいても、人生で得た知識も経験もあるのに、今更、わざわざ金を払って学校に行くのもバカバカしい。なんでオレが、若い連中に混ざって勉強など。やっていられない。
こんなはずじゃない。そんな思いで頭がいっぱいになり、腹立たしさは日ごとに募るばかりだった。
だが、支払いは容赦なく迫られた。苦肉の策で、ファミレスでバイトを始めたら、どいつもこいつもバカばかりのせいか、あっという間に上になってしまった。今は、マネージャーと名がついている。
「あの、すみません」
バックヤードに戻ると、中年の女がおずおずと話しかけてきた。
「はい」
「来月のシフトなんですが。どうして私、ラストの翌日がトップなんでしょうか。里中さん、連休入れてますよね?」
「そうだね。オレ、週に二日、休み取るように本社に決められてるからなあ」
「でも、先月なんて三連休でしたよね。連休じゃなくてもいいですよね?別々にはできないんですか?」
「もう、シフトは確定で出しちゃったからね」
「……それに今日、私、超過勤務になっていて。里中さん、まだはいれますよね?」
「でももう、タイムカードを押してしまったんだよ」
頭が悪いヤツを相手にしていると、ほんとうに疲れる。俺は休みは絶対に決められた日数を取るし、連休がいいんだ。休憩も譲らない。誰が超過勤務になろうと、夜中までディナーをして、早朝のモーニングから入ることになろうと、知ったことか。
「……草岡さん、苦情がいっぱいでてますけど」
「注意はしてるんだけどなあ。困ったね」
のらりくらりと笑顔で交わす。いつもならそれで諦めるんだが、今日は珍しく、いつもよりも食い下がってきた。
「里中さんはどうして彼女とシフトがかぶらないんですか」
「どうしてなんだろうね?不思議だね。あ、ごめん。オレ、そろそろ行くね。あと、よろしく」
無駄な会話をこれ以上続ける気はなかった。にっこり笑ってロッカーへと向かう。手早く着替えて外に出た。原付で帰路についている最中、舌打ちが漏れた。
草岡というのは、同じアパートに住んでいる女だ。清算中の身だろう。あのアパートは、全員、そうだからな。見かけるたび、違う男を連れている。勤務態度は最悪だが、人手不足は否めないので、辞めさせることはできない。アイツがいなくなったら、俺の休みが少なくなってしまう。シフトがかぶらなければ、俺には問題はないし。本部クレームになったとしても、面談して注意すればいいだけの話だ。シフトが同じヤツや客が困ろうと、俺が困るわけじゃない。だから、どうでもいい。
“お迎え”が来て支払いをするたびに、イライラが募る。理不尽さに、忌々しい気持ちで頭も心も塗りつぶされる。顔を見るたびに、「腹黒の意味、調べた?」と笑顔で言われるのも腹が立つ。無視していたら、ある日、わざとらしく持ってきた紙を掲げ、読み上げた。
「腹黒。心根がよくない。心に悪だくみがある。いじわるい」
返事をしないでいると、はい、と紙を渡された。
「有名な辞書で調べたから、安心して!こんなこと正面切って言われて喜んでる、自分の感性を疑った方がいいよ!」
渡された紙をビリビリに破ったら、大笑いして消えた。なんなんだ、アイツは。ああ。腹が立つ。
“お迎え”にバカにされ、不本意な仕事を続ける毎日に嫌気がさしているときに、ネットでたまたま、亡くなった人に会えるお香があるという、眉唾物の話を見かけた。バカバカしい、とそのときは気にもしなかったが、ある日ふと、それが売っているという噂のある居酒屋に、行ってみようと思い立った。
そうだ。なんで俺がこんな理不尽な環境で支払いなどしなければいけないのか。その原因に直接、聞けばいいではないか。“お迎え”に最初に言われたときに、心当たりは、多少、あった。親身になって相談にのりつつ、ソイツの悩みの種である上司に、アイツは実はお前の悪口を言いふらしている、それを会社に告げ口しようとしている、と密告したことがある。人畜無害のような態度で人に接し、わざと同僚を仲違いさせたこともあった。アイツら、人望があって邪魔だったんだよな。シフトなんかも、俺の言いなりにはならなかったし。
似たようなことは何度もあった。目の前からいなくなったヤツらに、直接、文句を言われたことはなかったから、いちいち覚えてはいないが。
ああ、そうだ。俺に、時間外にちょっと手伝ってくれ、もしくは、シフトに入ってくれ、と言われて無視をし続けて、過労で倒れたヤツもいたな。それが何か悪いのか?俺は決められたことはしっかりやっていたし、倒れたヤツは自己管理がなってないだけだ。文句があるなら、俺のようにキッパリして無駄のないようにすればいい。自分の身は自分で守ればいい。
けど、俺がこんな目に合っているのはアイツらのせいだろう。何人かは、覚えている。
一体、どうやって俺をあの世で陥れたのかは知らないが、直接会って文句を言って、俺のせいではないと訂正してもらおう。消息は知らないが、あの世で俺をハメることができるのであれば、亡くなっているヤツもいるはずだ。ソイツを呼び出してもらえばいい。
いい案だ、と向かった居酒屋では、頭を光らせたオヤジが「売れません」とほざいた。どうあっても売らなさそうだったので、その日は引き上げざるを得なかった。
どうにかして、あのオヤジにお香を売らせる方法はないだろうか。だが、一度断られた店に何度も行き、頭を下げるのは業腹だ。そもそも、あるのか?ないのか?断定で聞いてみたが、ある、とはハッキリ言わなかった。それに、どうして、あったとしても、俺に売ることはできないのか。理由を聞いておけばよかった。ああ、ちくしょう。なにもかもが、腹立たしい。
アパートへ戻ると、最近、服装が派手になった近所のオバサンが、草岡をどこかへ引っ張っていくのが見えた。ぎゃあぎゃあと、うるさいな。品がなくて、うんざりする。
~ 宇ノ沢 シヅカ ~
「次はどこへ行く?」
ファミレスで、ココと向き合って、スマホを突き合わせる。以前、東北に一緒に旅行に行ってから、ココとはたまに、一緒に旅行もするようになった。現地でそれぞれ別行動、っていうのもココとはできるのがいい。ココも、気が向いたときに一人で、ちょっと遠出、くらいのミニ旅行をするようになった。
テーブルには、ノートが広げてある。旅行の計画を立てるのは、私はノートが好きだ。見返したり、訂正も簡単だし、修正した形跡から、やっぱりここよくない?とかできるのもいい。パッと見で分かるのがいいんだよね。考えもまとまりやすい気がして。さらに、二人だと、お互いが見やすくて、計画が立てやすかった。
話し込んで長居するときは、ファミレスが便利だ。食事もできるし、ドリンクバーもあるし、テーブルも広い。あ、もちろん、空いてる時間帯だし、ほどほどで切り上げる。混んできたら、すぐに帰るし。
今回はココが、海外旅行もしてみたいってことで、じゃあまずは東南アジアにでも、なーんて話になって、私は内心、ホクホクしていた。東南アジア、何回行っても楽しい。市場もいいし、ちょっと贅沢してリゾート地に行ってもいいし。
「ここのスパ、高いけど、すっごいよかったよ」
「うーん……どうしよう。スパもいいけど、こっちのお寺も気になる」
「ああ。山の中にあるけど、いいよ~。でも、ここに行くなら、現地のガイドさん頼んだ方がいいかも。交通の便もよくないし。ココ、海外、初めてだしね」
「そっか。なら、行くなら頼もう。うーん、それにしても、悩んじゃうね。海側もよさそうだし」
「うん。町中で市場に行くのも楽しいよ」
スマホで検索しつつ、候補地を箇条書きにしていく。今日はまだ初計画の段階なので、ただお互いの希望を羅列していくだけ。
候補地や、そこで行きたいところをリストアップして、次に会う時までそれぞれプランを練る。これがまた、楽しい。ああ。旅行って、どうしてこんなに楽しいんだろう。
「よし。今日はこんなとこかな。私、コーヒー持って来る」
「あ、私も」
ペンとノートを片付けて、ドリンクバーでコーヒーを淹れて、席に戻る。着席すると、「こちらおさげしてよろしいですか」と言いつつ、メガネの店員さんが空いたグラスを下げてくれた。
「そうだ。この前行ったアジアンカフェの料理が、本格的で美味しかったんだ。ええと、これ」
何枚か写真を撮っていたので、ココに見せる。現地から仕入れてるんだって、スパイス。香りも味も、すごくよかった。現地よりも盛り付けは上品だけどね。日本って、盛り付け、繊細だよね。個人店だけじゃなくて、チェーン店も。衛生面も、しっかりしてるし。
「美味しそう。どこ?今度、行ってくる」
「店の情報、送っとく」
「ありがとう」
一緒に行こう、ではなく、行ってくる、っていうところが、ココが付き合いやすいところだ。一人でも、友だちとも、楽しい時間が過ごせるっていう彼女の距離感は、すごくいい。さらっとしてるしね。
中田さんのことは、吹っ切れたんだろうか。東北を旅行した後に、二人の思い出の居酒屋には、たまに一緒に行くようになった。ココ、一人ではツラいんだろうな。でも、故人を偲ぶ気持ちが、足を向けさせるんだろう。細かいことは聞かずに、誘われたら行っている。あそこの店、ちょっと怖いけど。でも、美味しいし、居心地はいいんだよね。余計なことは忘れちゃえばいいんだけど、忘れようとすればするほど、記憶に残るのが不思議だ。……あるのかどうか分からない、故人に会えるというお香。
そういえば、もう一軒、あったな。ココと中田さんを繋ぐ店。いや、繋ぐっていうのとは、ちょっと違うか。
「そういえば、オールドだっけ?ココがたまに行く喫茶店」
「うん、そう」
「そこの写真はないの?」
「あの店は、写真はお断りしてるんだって。だからないんだ。ごめん」
おお。イマドキ珍しい。謝らなくていいよ、と手を振りつつ、思わずそんな感想が浮かんだ。
写真って、誰かに何かを説明するのにすごく便利だし、ついつい気軽に撮っちゃうけど、でも確かに、そんな店があってもいい。
なんだか妙に興味を引かれて、行ってみようかな、と思う。そういえば、喫茶店って、わざわざ行くことはなかったな。フラッと入ることはあったけど。
「行ってみようかな。商店街の中なんだっけ?」
「ううん。商店街からいくつか、路地に入らないといけない。分かりづらいとこにあるから、説明しづらいな。一緒に行ってみる?」
「いいね。じゃあ次回は、そこでコーヒー飲んで、その後、さっきのアジアンカフェ行こっか」
「賛成。で、旅行の計画、また話そう」
よしよし、と二人で頷き合う。オールドという喫茶店は、ココが、中田さんと最後に会った後に、たまたま入ったお店だ。不思議に落ち着く店で、ココはそれ以来、たまに行くようになったんだって。店主は、当時は女性だったけど、今は男性になったらしい。
「そういえば、居酒屋の店主、何度か会ったなあ、オールドで」
何気なく口にしたっぽいココの言葉に、ドキリとする。ココは、あの居酒屋の、お香の噂を知らない。言ってないし。ネットでも、よくよく探さないと、見つけられないし。私はたまたま、旅行先のことを調べてた時に見つけただけなんだ。
「居酒屋って、いつもの?」
「そうそう、あそこ。ちょっと離れてるんだよ、オールドとは。あれ?って思ったんだけど、知り合いみたい」
「え。そうなんだ」
別に誰が誰と知り合いだって、何の不思議もない。でもなんか、気になる。あの居酒屋の店主、偏見かもしれないけど、プライベートが何も想像できなくって。
なんとなく、その人が持ってるイメージってあるものだ。休日はこうしてそう、こういうの、好きそうだな、とか。でも、あの店主って、そういうのが一切、感じられない。
店だって清潔だし、雰囲気もいいけど、店主の好みとかそういうのは、一切、感じない。なんて言ったらいいんだろう。整えられ過ぎてて、精巧に誰かが作った、感じ?機械とか。そんなわけないのに。なんでだろう?飲食店なのに、生活感がないっていうか。なんなら、洗濯物を干してる姿すら想像できない。
「あの店主、コーヒー飲むんだね」
「飲むでしょ。女将さんと一緒だったよ」
「えー?ほんとに?」
「うん」
ますます意外。よし。これはぜひ、行ってみよう。なんか、メッチャ興味湧いてきた。
「いつにする?」
「どうしたの、そんな急に前のめりで」
「いや~。あの店主夫婦が行くなら、美味しい喫茶店なのかなあって。あそこの居酒屋、美味しいし!」
それにしても、あの店主夫婦の知り合いの店。ってことは、オールドにも置いてあるのかな。お香。いやでも、いくら飲食店同士で知り合いだからって、必ず置いてるとは限らないよね。ただの、飲食店繋がりかもしれないし。そうだよ。蓋を開けてみたら、意外にフツーなのかもしれないし。あそこの居酒屋の夫婦。それに、いるとも限らないし、私が行った時に。とは思うものの、好奇心が抑えられない。どんな店かな、って。
てか、失礼か、私。こんなことばっかり考えて。お香の件は、怖い。怖いんだけど。別に、口外しなきゃいいだけの話だし。誰に話をする気もないし。自分の好奇心を満たしてるだけで。
「美味しいよ。店主はかわったけど、味は変わらないし」
「へえ。あれ。ネットに情報、あんまりないね」
スマホで検索してみるけど、情報はほとんど出てこなかった。お断りしているだけあって、写真も。外観がちょっと、あるな、写真。もちろん、都市伝説的なお香の話なんて、全然。そりゃ、そっか。勝手に妄想し過ぎ、私。
「うん。写真もそうだけど、取材とか、断ってるんだって」
「へえ」
「お客様」
しまった、長居し過ぎたか。
急にメガネの店員さんに声をかけられて、ハッとした。気付けば、二時間くらい経っている。慌ててコーヒーを飲み干す。ランチとディナーの合間の、割と空いている時間帯が、もうすぐ終わろうとしていた。
「すみません。そろそろ帰ります」
「あ、いえ。そうではなくて。申し訳ありません。お願いがありまして。今、話されていた、喫茶店の場所を、教えていただけませんか?」
「え?」
メガネの店員さんが、一言一言、区切るように続けた言葉に、ココが戸惑っている。だよね。私もビックリした。もうすぐディナータイムだし、長居したしで、てっきり注意されるのかと思いきや、予想外の質問がきたんだもん。
「実は、俺、喫茶店が大好きで。休みの日は喫茶店巡りをしているんです。テーブルを片付けていたら、お客様の話しが聞こえてしまいまして。失礼かとは思ったのですが、お声をかけてしまいました。ネットに情報が少ない、美味しいコーヒーがある喫茶店に、是非、行ってみたくて。教えていただけないでしょうか?」
頭を下げつつ、申し訳なさそうに言う店員さんに、ココが分かりました、と頷き、丁寧に店の場所を教えた。
「申し訳ありません。もう一度、教えてください」
「はい。分かりづらいから……。あ、ココ、このノート、一枚もらってもいい?」
「もちろん」
そう言って、最後のページを一枚、切り取る。はい、と手渡すと、ココは、最寄り駅からの簡単な地図を、丁寧に書き込んだ。
「もし分からなかったら、商店街のお店で聞くといいですよ」
「ご丁寧に、ありがとうございます。次の休みに、行ってみます」
「はい、ぜひ」
「お邪魔して、申し訳ありませんでした。ごゆっくりどうぞ」
笑顔でココが頷いているが、なんか、胡散臭くない?片付けてたテーブルって、通路挟んで二席は離れてるし。聞こえたとしたって、わざわざお客に声までかけるか?……そこまでする?うーん?でも、聞いちゃうくらい好きなのかも?コーヒー。ネットに情報が少ない、穴場っぽい喫茶店だったら、聞いちゃうかもなあ。
「さ、いこっか」
「うん」
ごゆっくり、とは言われたものの、ディナータイムに向けて、少しずつ店が混み始めてきた。十分、ゆっくりさせてもらったし、ココの笑顔に誘われて、席を立つ。
いやもう、なんっか腑に落ちないけどなあ。メガネの店員さん。コーヒーが好きっていうわりには、表情も落ち着いてたし。そこまで好きなら、もっと嬉しそうにしない?そういう人なのかもしれないけど。ま、いっかあ。……もしかして、会っちゃったりして?オールドに行ったら?それはそれで、おもしろいな。
「はいはいはいはいはーいいいい!」
会計をしていたら、店の奥側から、雑でめんどうくさそうな、大きな返事が聞こえてきた。バックヤードの声がフロアに聞こえるの、珍しいよな、なにかあったのかなあって思って、ついつい首を伸ばしてしまったけど、見えるわけなかった。
「シヅカ」
「ご、ごめん」
ココにそっと注意されて首を引っ込め、扉を開ける。いけない、いけない。好奇心が旺盛なのは悪い事じゃないとは思ってるけど、旺盛過ぎるのもよくないよね。
反省しつつ外に出ようとすると、賑やかな声を上げつつ、小学生くらいの兄弟が走ってきたので、扉を押さえる。そのまま店の中に入っていった二人の後から、慌てたように両親が走って来て、すみません、と会釈をした。




