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~ 谷津橋 ココ ~ 


 霊感があるの、と小学校四年生のときに幼馴染のさっちゃんに話したら、次の日から怖がられるようになってしまった。仲良しだったさっちゃんは、それ以降は手も繋いでくれなくなったし、他の女の子たちとヒソヒソと何かを話しつつ、遠巻きに私を見ることが多くなった。 

 ああ、言っちゃいけないんだ、と思って、それからどんなに親しくなった友だちにも言わなかった。小さい頃だったから、言葉を知らなかった。霊感があるっていうより、なんか変なモノを感じたり視たりするときがある、っていうのが近かった。

 私は常に視えているわけじゃなくって、気配や音を感じられて、視覚的にはぼんやりとナニカが視える程度だった。気のせいなんじゃないかって何回も思ったけど、ものすごくたまに、ハッキリ視えるから、気のせいじゃなさそうだった。ハッキリ視えた時は、生きてる人と区別がつかないくらいの鮮明さだった。

 どんなタイミングでハッキリ視えるのかは自分でも分からない。視たいとも思っていないので、心霊スポットとか、そういう場所には近寄らないようにしてた。ハッキリ視えた後って、絶対に体調崩して寝込んじゃうし。しんどくって。

 霊感があるなんて、わざわざ言わなければ誰も気付かない。だから私は、時折、急に視えたりしてビックリしたり、それが原因の体調不良に悩まされたり以外は、平々凡々と生きてきた。一般人というカテゴリー。居心地はよかった。

 一人でも楽しく時間を過ごせるし、友だちと一緒にいるのも楽しい。集団で目立つグループにいるわけじゃないけど、どこかのグループにはいて、弾かれることもない、って感じかな。

 大きな感情の波とは割と縁なく、淡々と生きてきたかも。親が言うには、子どもの頃からそういうとこがあったらしい。

 彼氏……はいたことはあったんだけど、ちょっと合わなくて。付き合い始めは優しい人だったんだけど、ネットにはまりだしてから、ちょっとずつズレていった。私と。やたら映えを気にするようになり、他人の目を意識し始めた。ちょっとずつ高価な服飾品が増えたな、なんて思っていたら、お前ももっと着飾ってくれよ、と言い出した。背伸びしたオシャレは無理が出ちゃうし似合わないから、と言うと、しばらく連絡がとれなくなった。このまま自然消滅なんだろうか、なんて思っていたところで連絡がきた。何かと思ったら、借金の申し込みだったから、あきれ果てて、別れてしまった。

 それ以来、誰かと付き合うのが億劫になってしまった。学生時代からの友人のシヅカは活動的なので、合コンも誘われたりしたけど、丁重に断っていた。

 インドアの私とは違って、シヅカはアウトドアもインドアもいける、稀有なる人だ。でもなんだか気が合って、付き合いは続いていた。もしかしたら、一番、親しく長く、無理なく付き合えている友人かも。

「ココ、ほんとに行かない?合コン」

「いい。興味ないし」

「そうなの?ざんねーん。ココ、紹介してよって言われることもあるんだよ」

「……ほんとに」

「ほんと、ほんと!!この前一緒にいた子、紹介してよって、結構、言われる」

「初耳」

「言ったら嫌がるでしょ。何回か会わせたことあるよ。紹介って言ってなかっただけで」

「えー。全然、気付かなかった」

「だよね、分かってた」

 あはは、と笑って白ワインのグラスを傾けるシヅカは酒豪だ。彼女ほどじゃないけど、私もわりと飲むので、家飲みが多い。オツマミを作ったり持ち寄ったりして、お互いの家を行き来して飲むのだ。

「あ、そうだ。これ、お土産」

「わあ。ありがとう」

 東南アジアに行っていたらしい。天然石のブレスレットと、ほどよいサイズの、カゴのバックを渡された。包装されていないところが、それっぽい。ブレスレットは、白にオレンジ色が滲んだような小さな石が、革で行儀よく繋がれている。早速、腕に巻いてみた。うん。落ち着いていて、素敵。どんな服を合わせよう。楽しみだな。

「似合うよ」

「嬉しい。ありがとう。楽しかった?」

「サイコー。スパもよかったし、食べ物も美味しかった」

 そう言いつつ、生ハムをつまんで、白ワインを開けている。今日はシヅカの家だ。ふらりと海外にも一人旅で行ってしまうような彼女の部屋は、いろんな国の雑貨や食器なんかがごちゃ混ぜになっている。まとまりがなさそうなのに、意外にも不思議なまとまりを醸し出しているこの部屋が、私は好きだった。シヅカの多彩で多様な性格を、よく表していて、すごく素敵だ。

「そっか。シヅカ、私、赤ワイン飲んでいい?」

「もちろん」

 ワインセラーを部屋に置いている人は少ないだろう。シヅカの部屋にも、さすがにない。乱暴かもしれないけれど、赤ワインはちょっとだけ冷えるように、買って来てから冷蔵庫に入れた。

 勝手知ったる他人の家。お互いの家の冷蔵庫くらいは、私たちは開ける。もちろん、シヅカ以外の友だちの家ではやらない。シヅカとは、そういう付き合いなだけだ。

「で?なにがあったの?」

 鶏レバーの煮込みを赤ワインで味わった後、心配そうに顔を覗きこまれた。そもそも今日は、私が話をしたくて付き合ってもらったんだ。本題に入る前に話が脱線していってしまって、気付けば二人でビール一リットル、白ワインがほぼ一本、空いていた。

 話しというのは、他でもなかった。淡々としているはずの私が、あることをキッカケに、初めての気持ちをたくさん知ったのだった。


 会社はそこそこの規模なので、オフィスがいくつかある。部署によってオフィスが別なので、同期であっても知らない顔も多い。彼は、その同期の中の一人だった、のを、今回、知った。

 異動で同じ部署になった中田さんという人は、ちょっと変わっていた。同世代のはずなんだけど、落ち着いているのだ。すごく。多少のミスでは、動じない。騒がない。淡々、黙々と処理していく。その処理の仕方が、なんだか手慣れているようにも感じられて、違和感があった。嫌な違和感じゃないんだけど。落ち着き方に違和感っていうか。同世代とは思えない。

 歓迎会で、たまたま、席が近かった。テーブルの上に並んだ、飲み会でよく並ぶ、唐揚げや枝豆、フライドポテトなんかの定番オツマミを前に、好物を聞かれた中田さんは、恥ずかしそうに、スルメです、と答えた。

 渋。スルメ。

 いいな、って思った。はにかんだ笑顔でスルメです、と答えたその声が、酔っ払いの声にまぎれずに耳に残った。心地いい、と思う声のトーンだった。

 でも特には、そこから進展はなかったのだ。部署の飲み会とかで一緒に飲むくらいでね。それが、いつかな。去年の秋くらいかな、二人で飲んだのだ。残業後に。

 仕事が終わったのは夜の八時くらいだった。たまたま、二人だった。お腹空きましたね、なんて言いながら、一緒にオフィスを出た。駅までの道を、お互い一人暮らしで、帰って食事の支度をするのが面倒ですね、と話しつつ歩いていたら、ちょうどよさそうな、小料理屋のような居酒屋があったのだ。縦長の、白い暖簾がさりげない。外に控え目に出されていたメニューを見ると、意外にも財布に優しい価格帯だった。

「入りません?」

「……いいですね」

 いきなり言った私にちょっと驚いた中田さんは、目を細めて頷いた。

 刻みネギがたっぷりのった油揚げ、鰆の西京焼き、里芋の煮っころがし、おぼろ豆腐、地鶏の炭火焼き。瓶ビールを半分こして、日本酒をまずは一合。乾杯、と軽く杯を上げて、黙々と私たちは酒と肴にとりかかった。

 美味しい。お腹が空いていたからだけじゃなくて。どの料理も、火の通り加減と味加減が絶妙だった。大将は愛嬌がある、ツルリとした頭の人で、女将さんは優しさがにじみ出ているような人で。居心地がよくって。

 気が付けば、どんどん杯を重ねていた。テーブルの上には、空になった皿と日本酒の徳利の代わりに、追加のオツマミとお酒が次々に並んだ。

 美味しいですね、そうですね、とお互い独り言みたいに話しながら、ゆったりと飲んで食べた。居心地がよかった。

 ちょっと珍しいな、って思ったけど、シメにはザル蕎麦を食べてみた。居酒屋って、ザル蕎麦を置いてるイメージがあんまりない。蕎麦は、香りがしっかりしていて、なんていうのかな、のど越しもすごくよくって。美味しくて、ビックリした。食後の熱いお茶を飲んでいたら、サービス、と女将さんが栗の甘露煮を出してくれた。小皿にのせられたそれを大切そうに持ち上げ、一口で食べた中田さんが、微笑んだ。言葉はなくても分かった。美味しかったのだ。

 その笑顔に、射抜かれた。思えば、これだけ居心地よくお酒を一緒に飲める相手というのは、私にとってはシヅカくらいだった。中田さんは、私が言われがちな言葉も言わなかった。よく飲むね、とか、すごい食べるね、とか。

 うわあ~。と思った。この人と、また、この店に来たい、一緒に飲みたい、と思った。アパートの最寄り駅から一人で歩きながら、舞い上がるような感情に、足元がフワフワとおぼつかなかった。

 それから、あまり不自然にならないようなタイミングを狙って、あのお店に行きませんか、と声をかけた。断られることはほとんどなかった。テーブル席でもカウンターでも、気持ちよく飲むことができた。少しずつだけど、会話も増えていった。中田さんは不思議な人だった。お父さんが好きな歌手が好きだったり、私からしたら昔のことをよく知っていた。反対に、今どきのことはあんまり詳しくないようだった。ファッションも全然分からなくて、会社はスーツでよかったよ、ネクタイも必須じゃないしね、なんて、はにかむその顔がまた、いいな、と思った。

 もっといろんなこと、知りたいな、って思った。もっと近い距離で、一緒に過ごしてみたい。会社帰りとはいえ、一緒にお酒を飲むのだから、嫌われてはいないはずだって、言い聞かせて、勇気を出して。思い切って、告白した。

「ありがとう。ごめん」

 返事は簡潔だった。告白したとしても、すぐ上手くいくとは思っていなかったけど、考えさせて、という言葉すらなかったことが、ショックだった。考える余地もないくらい、私はナシなんだろうか。どうしよう。どうしてなのか、聞いてみようか。聞いたら、理由を教えてくれるかもしれない。でも……聞いてどうするの?私。

 ぐるぐると、頭の中をいろんなことが駆け巡った。息が詰まって、バッグからお財布を出してお札を取り出し、カウンターにそっと置く。帰りますね、と言った声は届いたのかどうか。確認もせずに、私は店を出た。

 フラれちゃった、と帰り道を一直線に駅まで歩いた。中田さんと飲んだ後の帰り道は、いつも、楽しかったのに。失恋って、こんな気分なんだ、そうなんだ、……きついな。

 そんなことを思って歩いていたら、雨が降ってきた。いきなり、ザーッって。傘も持ってないのに。でも、そのまま歩いた。走らなかった。涙が紛れていいや、ってそれだけ思ってた。


 会社ではいつも通りふるまった。中田さんもそうしてくれたから、気が楽だったとは言い難いけれど、助かった。あの居酒屋には、行かなくなってしまった。店の前を通るだけで、あの時の中田さんの言葉が蘇ってしまって。店が悪いわけじゃないのに、申し訳ない、と思いつつも、行けなかった。

 そうして、ただの同僚として、私たちは過ごした。そしてそれは、ある日、突然だった。急、ともいう。

「中田君が亡くなりました」

 朝のミーティングだった。課長が珍しく全員を集めたから、変だなとは思っていた。オフィスがざわめいた。課長が何かを言っているけれど、全然、耳に届かない。パクパクと口ばかりが動いている。

 亡くなった?昨日まで元気に仕事してたのに?一人暮らしだったのに?どうして朝、亡くなってるのが分かったの?誰が発見したの?連絡してきたのは誰?亡くなった?嘘。

 ミーティングはいつの間にか終わっていた。自分のデスクに座って、座ったのに眩暈がして、机に伏せた。

「谷津田さん、具合い悪いの?」

 隣の席の子が声をかけてくれて、ああ私、具合い悪いんだ、と分かった。

「うん……」

「急ぎの仕事ある?引き継ぐよ。顔、真っ青だし、帰った方がいいかも」

「…………そうします」

 ちょっと悩んだけれど、帰ることにした。急ぎの仕事はなかったので、パソコンで有給申請をした。

「ごめんなさい。後、よろしくお願いします」

「お大事にね」

「はい」

 フラフラと会社を出た。


 駅に向かっていたはずなのに、気が付けば見知らぬ商店街をフラフラしていた。どこを、どう、歩いてきたんだろう。スマホを確認すると、朝だったはずなのに、昼近くになっていた。スマホで位置情報を確認する。知らない駅の、知らない商店街だった。フラリ、と目についた路地に入った。お昼時の商店街は賑やかすぎて、居心地がよくなかった。

 フラリ、フラリ、と誘われるように路地裏へと迷い込む。ふと、中田さんの声が聞こえた気がして、振り向いた。

「!!!!!!」

 亡くなったはずの中田さんが、そこに立っていた。私を真っ直ぐに見てから、丁寧にゆっくりと、頭を下げる。

「中田さん」

 声をかけると、ビクリと肩が大きく動いた。目を見開いて、私を見る。その表情に、ハッとした。亡くなりました、という課長の言葉が耳によみがえる。足元を見た。……影が、なかった。

 ああ。会いに来てくれたんだ。最期に。

 直感的にそう思った。中田さんは、私が霊感があることを知らない。それでも、来てくれたんだ。

何かを言おうと口を開けたのに、でも、なにも思い浮かばない。

 明らかに動転している中田さんは、けれども、私が見えない誰かに呼ばれたように振り向き、頷いて、背を向けようとした。大急ぎで、声を上げる。それはきっと、私の今の、ほんとうの気持ちだった。

「中田さん!!今でも好きです!!」

 泣き笑いの表情で振り向いた中田さんは、そのまま、すうっと目の前で消えていった。

 

 消えていった中田さんは、もう二度と現れなかった。私の気持ちが実らなかったのは、もしかしたら、人には言えないような深い事情があったのかもしれないな、なんて、自分を慰めて、重たい足を引きずるようにその場を離れた。

 その後は、近くにあった「オールド」っていう名前の喫茶店に、なんとなく入った。店主は年配の女性だった。メニューを選ぶのが困難で、ただ、ブレンドお願いします、というと、はい、と頷き、カウンターへと戻っていった。窓際のテーブル席から、外を見る。天気雨がちょうど、降り始めたところだった。

 お待たせしました、という声とともに、コーヒーがテーブルに置かれた。コーヒーの香りって、独特。美味しそう、と思うけれども、口にすると苦かったりする。けれども香りはものすごく魅惑的だ。

 カップを持ち上げて、一口飲む。濃くて艶のある液体は、やっぱりちょっとだけ苦かった。

「苦」 

 ポツリと呟いたら、涙がこぼれ落ちた。ハッキリと視えた後は必ず体調不良を起こしていたのに、不思議とその時だけは平気だった。


「と、いうことがありました」

 長い長い話しをしているうちに、赤ワインは開いてしまった。話しも胃も重たくなったので、スパークリングワインを出してきて、開けた。

 細かい泡が立ち上るグラスを渡そうとすると、シヅカが音もなくダダ泣きしていた。驚いて、グラスを落とすところだった。

「なに」

「なに、じゃないじゃん」

 ガバっと立ち上がったシヅカがタオルを引っ掴んで戻ってくる。滝のように流れていた涙を、乱暴にガシガシっと拭いた。ああ。肌、荒れちゃう。

 ガシガシしている手を止めようとしたら、勢いよく抱きついてきた。受け止めきれなくて、一緒に後ろに倒れる。

「今度その居酒屋、一緒に行こう」

 抱きとめたシヅカが泣き止まなくて、背中を撫でていたら、私の視界も歪んだ。そうだ。中田さんが好きだった料理を食べよう。残念ながら、スルメはないんだけれども。スルメを食べているところも見たかったな。叶わなかった思いを、楽しい思い出を話すことで手放そう。二人でどんなふうに過ごしたかを、聞いてもらおう。

「一緒に行って、飲んで、話し、聞いてくれる?」

 うんうん、と大きく頷いたシヅカが、ごめん重いね、と体を起こす。涙どころか鼻水まで出ていて、顔がグチャグチャになっている。

 目尻の涙を拭きつつティッシュを差し出すと、シヅカは、ところでさ、と鼻を噛みつつスパークリングワインのグラスに手を伸ばした。

「うん?」

「ココ、霊感あったの?」

「……実はね」

「知らなかったあ~」

 そう言って笑ったシヅカが、献杯、と言ってぐいっとグラスを煽った。


~井頭 イツキ ~


 一体、何度、この顔を拝んできたのか。数えたこともないし、数えたくもねえなあと思いつつ、”お迎えさん“からの小言を聞き流す。いつもはそれで終わりなんだが、今日はちょっと違う。俺が。

 じゃあまた来月、と消えようとした“お迎えさん”を呼び止める。

「なあに?忙しいんだけどっ」

「手短かに言う。俺がお前の手伝いをすると言ったら、誰かの人生に介入してもいいか」

 ふうん?と片眉を上げた“お迎えさん”は笑いも茶化しもしなかった。空気だけが変わる。ピリ、とその場に緊張が走った。

「誰かの人生に介入するのは自由だよ。知ってるでしょ?」

「知ってる。あくまで自己責任でな」

「そうだよ。今までだって、そうしてきたでしょ~?」

 そうだ。意識的にせよ無意識にせよ、この世に存在している限り、誰かの人生に介入しないということは不可能だった。それをわきまえた上で、まあそれなりにはやってきた、んだが。

 五分ね、と腕組みをした“お迎えさん”が、だるそうに俺に向き合った。

「ミドリさんと、一緒にいたいんだ。それだけだ。でも、彼女が了承してくれるなら、あんたの手伝いを一緒にして、過ごしたい。その為には、俺のことも話す必要がある。アンタに許可や確認を取らずに、勝手なことはできない。だから、聞いた」

「もういいわけ?フラフラしてなくて」

「いい。支払いだって、もうすぐ終わるだろう?支払いが先に終わったら、もうミドリさんに会えなくなる。それくらいなら、俺はアンタの手伝いでもなんでもして、この世に留まりたい」

「俺の手伝いするってことは、“人”じゃなくなる“ってことだ。俺たちとも違う。中途半端な存在になる。イツキはまだ、“人”ではあるんだぞ」

「いい」

「イツキが想像してないような役目もあるけど」

「うん」

「ミドリさんに断られたらどうすんの」

「それでもいい。俺が一人で、アンタの手伝いをする。そうなったとしても、彼女のことはきちんと見送りたい。それだけでいい」

「俺の手伝いなんてしなくたって、あの世でミドリさんに会えるかもしれないよ?」

「あの世がどんなもんか知らねえけど、会えるのかどうかは一か八かなんだろ?なら、最期まで彼女といたいし、その思い出と一緒にアンタの手伝いをした方がいい」

「あ、そう。ちなみに、自分の意志だけでは、あの世に逝けなくなるけど?」

「いいんだ」

 ふうん、と呟いた“お迎えさん”は、もう時間だから、と腕組みを解いた。後ろ手でバイバイ、と手を振る。

「準備ができたら、来るよ」

 そう言って、いつも通り虚空に消えた。


 長い事、このクソみたいな世の中に留まってきた。あの町中華の店主みたいな人は少なくて、でも、クソみたいなことばっかりじゃなくって、俺はこの世が面白くはなっていた。

 でもやっぱ、愛情とか、そういう感情は分からなかった。動物の動画を見たらカワイイと思う。テキトーに誰かと付き合ったこともある。テキトーなのは、付き合ったところで必ず別れなきゃいけないから。後腐れがない相手と遊んだ。そうやって、フラフラフラフラ、クラゲよりもフワフワフラフラ、なんとなく漂ってたんだ。

 でも、ミドリさんと会って、なんか分かった、気がした。

 心の奥から、じんわりとあったかいナニカが湧いてくる。一緒にいなくても、思い出すだけで気持ちが落ち着く。愛しい、というのはこういう感情なのかと自覚するまでは、ずいぶんかかった。

 彼女は口数多く何かを語るわけじゃない。けれども、その立ち居振る舞いや客への接し方に、誠実に積み重ねてきた時間が垣間見える。芯がある。かといって、それを押しつけがましくもしない。ただ静かに、店を続けている。

 それだけかもしれない。だが、芯の通った生き方は、難しい。それなのに、彼女はしっかりと静かに前を向いてそれを貫いている。

 そのミドリさんの思いが詰まったあの店で、たくさんの人が癒されてきたのが分かる。俺もまた、その一人だからだ。

 “お迎えさん”の手伝いをすれば、長くこの世に留まっていられる。頭をよぎり始めてから決意するまで、また、時間がかかった。色々、見聞きしてきたし、ヤツから冗談半分に誘われたこともあった。ただ、興味なかったから、スルーしてたんだ。俺、“人”をやめようとまでは思ってなかったし。

 支払いのペースをわざと落とす、っていう選択肢は、最初からなかった。わざとそうしたヤツがどうなったか、知ってるからだ。

 あれはもう、ずいぶん前だ。隣に住んでいた、へったくそなギターを弾く若い男がいた。生前はミュージシャンを目指してたらしいんだが、それにしても下手くそ過ぎて、笑っちまうくらいだった。 

 ソイツは人生が終わっているのに、生前の夢をそのまま追いかけた。支払いなどロクにせず、ペナルティを何度もくらって若返り続けて、何度もメジャーデビューを狙った。ペナルティを受けるとはいえ、何度も若返ることができるなんてラッキー、とか言ってたっけ。

 だがある日突然、ソイツは消えた。忽然と。煙みたいだった。魂ごとの存在が消えたわけじゃなく、どうやらあの世で強制労働になっただけらしいが。

 俺は恐らく、その直後の“お迎えさん”に遭遇した。とんでもなく暗い目をしていた。いつもは軽薄で人を食ったような話し方だし、表情も口調に合わせて軽薄なんだが。

 全身が総毛だった。夏だったのに、しばらく寒くて仕方がないくらい。

 人の世で、人生が終わっていないうちは、多少のことは大目にみられたりすることはあるだろう。ゴネ得、なんて言葉、聞いたことあるしな。けど、あの世のルールは絶対なんだ。ゴネ得なんて、絶対にない。だから、俺は正攻法でいくことにした。正攻法、っていうのも変だけどな。それに。

「汚ねえ真似して、ミドリさんの前には立てねえよな」

 誠実でいたかった。俺の人生は終わっているけれども、それでも、できうる限り、精一杯。


「お待たせっ」

 現れたと思ったらそう言いつつ、“お迎えさん”が俺にズタ袋を被せた。その手さばきの鮮やかさと言ったら、人間の動きじゃなかった。やっぱコイツ、人間じゃないんだわ。

「おとなしくしてないと、消えるよー」

 コイツが言ったら、それはマジだ。消えるのはイヤだ。言われた通り大人しくしていると、体が無重力空間みたいな感覚になった。フワフワどこかを漂っている感じだな。無重力、体験したことねえけど。

「とうちゃーく!」

 え、と思うくらいの一瞬でズダ袋を外された。アパートにいたのは昼間だったはずなのに、連れてこられたのは、真っ暗闇もいいところの暗闇だった。外灯どころか、月もないし、星の一つもない。暗すぎて、なんも見えねえ。

「くっら」

「そりゃそうだよねえ。はいっ。時間ないからサクサクいくよ。今から試させてもらうね」

 コイツいつなら時間あんだよ。いっつも時間ないないって。ミドリさんのとこにいる時間は余暇かよ。そうかよ。公私がキッパリしてて、なによりだよ。

「うわあっ!?」

「あ、ごめん。驚かせちゃったか」

「驚きすぎだよねえ」

「あ、いや、すんまっせん」

「いえいえ」

 いきなり手元が明るくなったな、って思ったら、すぐ横に人が立っていた。明かりは小さくて丸い提灯だった。提灯の灯りに照らされて、ツルリとした頭の、人の好さそうな親爺の顔が浮かび上がる。目が合って、ひょこ、と小首を傾げる。

「ほんとうにいいのかい?引き返すなら、今だよ?」

「いいんです」

 何度も考えた。後悔はしない。心は決まっていた。

「よく言った!さ、じゃあ、このつり橋、渡ってね!!」 

 “お迎えさん”が、ぽう、と手の平から明かりをだした。火ではない。どちらかというと、陽の光に似ていた。柔らかい。

 拳くらいの大きさのその光が、俺を案内するように漂う。その先に、ぼうっと吊り橋が浮かび上がった。先が見えない。同時に、ザアザアという川の流れの音が聞こえてくる。

「これね、吊り橋の亡霊。これ渡れたら、俺のお手伝いしてもらうからね」

「渡れなかったら?」

「落ちるよ。でも、拾ったげる。それで、この話は終わりになる。イツキはこのまま、支払いが終わったらあの世へ行くことになる」

「チャンスは?」

「一回だけ!あ、ちなみにこのこと口外したら、その時点でイツキはもう、いろいろエンドだから」

「……分かった」

 親爺が提灯を俺に差し出してきた。川の流れる音と、吊り橋の亡霊の迫力が凄まじい。提灯の灯りなんて風前の灯みたいだ。足が震える。先の見えない暗闇。息が震える。ぎゅっと提灯の持ち手を握りしめた。

 親爺が俺の肩を優しくたたいた。詰まっていた息が、ほんの少しだけ戻る。

「親爺さんも、お手伝いの人っすか」

「そう。君が渡れたら、同僚になるね。よろしくね」

 まるで俺が渡りきるのを確信しているかのように、その親爺は笑った。


「はいっ。オッケーだよーん」

 どれくらい時間がかかったかは分からない。冷や汗を流し、何度も途中で足を止めつつも、俺は……渡り切った。”お迎えさん“の陽気な声が聞こえた途端、足から力が抜けた。膝から崩れ落ちそうになったところを、親爺が提灯とともに支えてくれた。どうして二人とも、橋の向こう側にいるんだ、とは思わなかった。

 こんなに恐ろしい思いをしたことはなかった。

 聞いたことがないような獣の声、なにかの気配。無数の視線を感じた。そのすべてが、暗闇に紛れて、視覚ではとらえられない。耳と鼻、皮膚の感覚だけ。何かの吐息を腕に感じたときは、提灯を落としそうになって、慌てたら自分の体も傾いだ。息はしていたのかどうか。なんとか踏みとどまって、大きく息を吸おうとして吸えず、そのままガタガタ震えながら、なんとか前に進んだ。

「お疲れさん」

「よろしくお願いしますっす」

 かすれた声で返事をした。冷や汗と手足の震えが酷い。おさまらない。

「はーい。じゃあ、詳しい話はまた今度ね。俺もう、行かないと」

 もうかよ、と言おうとしたら、またズダ袋をかぶせられた。そうして俺は、アパートの部屋で目が覚めた。気絶したのか、寝たのか。それは分からない。

 寝て起きても、なお、震える両手を握りしめた。

「やった。花火大会、誘おう」

 花火大会は、十日後だった。


~ 喫茶店店主 巨田ミドリ ~


「花火を見に行きませんか」

「え」

「来週、あるんですよ、三つ先の駅の河川敷で。花火大会。定休日だなと思って。どうでしょう」

 自分のことだろうかと店の中を見回す。すると、井頭さんは笑った。

「ミドリさんを誘ってます」

「あ、はい。い、行きます」

「ありがとうございます。当日、ちょっと早めにでましょう。混雑するので。午後三時くらいに迎えにきます」

「あ、はい」

「それでは」

「あ、はい」

 会計の後だったので、井頭さんはそのまま店を出て行った。そそくさ、という言葉がピッタリの動作だった。

「…………え?」

 改めて、店内をくるり、と見回す。お客さんもいないし、私は一人で店をやっているしで、どこからも声なんて上がるわけがない。

 独身生活数十年。初めて花火大会に誘われた。しかも、若い常連さんから。

「え?」

 何かの間違いかと、もう一度声を出すが、どうやら現実だった。


 井頭さんはもう何年も通ってくれている常連さんだった。週に数回、来店してコーヒーを美味しそうに飲んでは帰っていく。なにをきっかけにしてかは思い出せないけれど、誰もお客さんがいないときだけ、カウンター越しに話すようになった。

 井頭さんはフリーターだという。来店の日時がまちまちなのは、そういうことだった。よく来店してくれるお客さんは、ありがたいことに、日常にこの店に来ることを組み込んでくれている人が多い。だから、大体、同じような日時に来店してくれる。例えば、丸野君は週末、とか。

 寝癖をつけて、無精ひげを生やしていることもある井頭さんは、一見、近寄りがたい雰囲気があるけれども、話してみると気さくで面白い人だった。

 散歩中にいつも会う猫や犬の話、桜が満開だよとか、一粒万倍日ってどのくらいの信憑性なのかなあとか、話題はそんなことばかりだ。一度、すぐそこで道を聞かれたんだけど知らなくて、分かりますかって、店に駆け込んできたこともあった。

 最初はしていた煙草の香りがしなくなったな、と思っていた頃に、コーヒーの淹れ方を教えてもらえませんか、と言われた。

 自宅で淹れるコーヒーが思うようにいかなくて、って言うから聞いてみたら、最初から大体、っていう感覚で淹れようとしていた。きちんと豆やお湯の計量をしたり、温度も意識した方がいいですよ、と言ってみた。豆の種類や挽き方、フィルターはどんなものか、とか凝り始めればキリがないけれど、基本はやっぱり計量と温度だと思う。

 井頭さんは素直に私のアドバイスをきいてくれた。次の来店時には上手に淹れられたと、嬉しそうに報告してくれた。

 それからまた、少しずつ会話が増え、そのうちに、閉店後に井頭さんが、「差し入れです。バイトの帰りなんです」なんて言って、テイクアウトみたいな中華料理を持って来てくれるようになった。小さいパックに、青椒肉絲と回鍋肉、餃子に春巻き。一人だと、なかなか中華は作らない。町中華と呼ばれる店の味っぽいそれは、とても美味しかった。そのお礼に、とお店に来た時に焼き菓子をサービスしたりした。

 お礼のお礼のやり取りが、ずっと続いた。たまに、閉店後に二人でコーヒーを飲むこともあった。井頭さんが、お客さんの好みで生豆を焙煎してくれるお店の豆を持って来てくれたのだ。

「ミドリさん、深煎りが好きだって言ってましたよね」

 そう言われて差し出されたコーヒー豆を抱えて、心臓がドキリと音を立てた。ずいぶん前に聞かれて答えたことがあった。覚えていたのか。

「せっかくなので、飲んでいきませんか」

「はい」

 外看板も仕舞い、静かな店の中で飲んだコーヒーのせいか、その日はなんだか寝付きがよくなかった。


 花火大会に誘われた。だからと言って、舞い上がるほどのことではなかった。井頭さんとは勘違いできるような年齢差ではない。

 九月とはいえ、蒸し暑い。帽子をかぶり、半袖のブラウスにジーンズ。混雑するだろうから、バックは肩掛けにした。

「こんにちは」

「はい」

「行きましょうか」

「はい」

 駅までは一列になって歩いた。前を歩いている井頭さんは、私の歩調に合わせてくれているのか、ゆっくりだった。

 早めに出かけてきたけれども、電車はそこそこ混んでいた。最寄り駅につき、吐き出されるように駅構内からでた。

「お茶でもどうでしょう」

「いいですね」

「こっちです」

 大きな背中を眺めながら歩いた。飄々とした雰囲気を漂わせる背中は、年若い井頭さんには不自然なほどに老齢された印象を与えた。どうしてだろう。

 ここです、と案内されたのは紅茶屋さんだった。一階で紅茶を量り売りしていて、二階がティールームになっている。小さなチャイムが付いている扉を開けると、カラン、と古風な音がした。店内は紅茶の良い香りが充満していて、いらっしゃいませ、とスーツのベスト姿の男性が出迎えてくれた。両手で持てるくらいの大きさの紅茶缶が、一つずつ、壁面にしつらえられた棚のなかで行儀よく並んでいる。その前に、カウンター。大きな計量用の量りがあるので、あの大きな缶の紅茶は量り売りなのだ。量りも、店の雰囲気にあっていて、どっしりと主のように構えていて、微笑ましい。

 扉の方へむかっての棚には、茶器が陳列されていた。ピカピカのティースプーン、砂時計、白い陶器に上品な花柄の絵のティーポットに、同じしつらえのティーカップ。まるで、童話の世界に迷い込んだような空間だった。

「二人です。ティールーム、いいですか」

「はい。ご案内します」

 チリンチリン、と手振りベルを鳴らすと、二階から紺色の膝丈のワンピースに、少しだけレースのついた白いエプロンをした女性がおりてきて、微笑んだ。

「どうぞ」

 光沢のある、濃い焦げ茶色の階段を上る。二階はテーブル席だけだった。すべて、二人用。窓際の席に腰掛けると、メニューを渡してくれた。す、とカウンターへと下がっていく。

 ステンドグラス仕立ての小さな照明に見惚れる。なんてキレイなんだろう。視界の隅で井頭さんが動いてハッとした。メニューを手に取る。けれども、分からない。コーヒーの事はある程度は分かるけれど、紅茶は全然、知識がなかった。ちょっとだけ迷って、本日のオススメ、ケーキセットを選ぶ。

「二つで」

「はい」

 静かな店内だった。音楽も流れていなくて、お湯を沸かす音や茶器を準備する微かな音だけが響いてくる。

 こういうお店も、いいな。

 温泉に入っているような、のんびりした気分になって肩の力が抜ける。大きくとられた窓から歩道を覗き込むと、浴衣姿の子がチラホラと見えた。

 不思議な気分だった。

 私の人生はいつも、このウィンドウを隔てて反対側にあった。

 例えば、誰もいない映画館のスクリーンに映し出される、誰かの人生と物語。水族館で、分厚いガラスに隔てられた向こうの魚たち。常に何かの向こう側に、いろんな人の人生があって、私はそれを眺めている。そうして過ごしてきたし、このまま過ごしていくのだと思っていた。でも、今日は違う。あの浴衣姿の人たちと私は、同じところにいる。

 こんなことがあるんだ、と思った。自分が、隔てられているはずの向こう側にいくことがあるなんて、想像したこともなかった。驚きよりも、不思議でならなかった。 

 正面に視線を戻す。

「素敵なお店ですね」

「はい」

 井頭さんが笑った。やっぱり、不思議な人だ。年齢と、纏っている雰囲気が、全然釣り合っていないのだ。大人っぽい、とか、悟っている、とか、落ち着いている、とか、そういう言葉では表せない。以前から感じてはいたけれど、こうして改めて向かい合うと、いよいよその違和感は大きかった。

 でもただ、それを口にするのは躊躇われた。なんと聞いていいのかも分からなかったし。そんな質問をしていいのかも分からなかった。でも、聞いてはみたかった。聞かないけど。

「丸くん、あのミステリー小説、まだ読み切るつもりはないみたいですよ」

「え。もう何年、トリックの手前で止まってるのかしら」

「さあ。でも、それがいいんですって言ってましたよ。醍醐味なんです、って」

「どうしてそれが醍醐味なのかしら。私なら、続きが気になってしまう」

「俺もです。面白い人ですよね、彼」

「ほんとに」

 井頭さんとの会話は常に穏やかだ。時間も会話もゆっくり流れていくし、沈黙が続いても気まずさがない。それはきっと、とても貴重なことだった。


~ 宇ノ沢シヅカ ~


「え」

 友人のココの、複雑な失恋の献杯に訪れた、小料理屋のような居酒屋。控え目なその店の佇まい。

「どうしたの?知ってるお店だった?」

「あ、え、ううん。入ったことはない」

 言葉を濁した。奇妙な噂のあるその店を、私は好奇心にかられて見に来たことがあるだけ。好奇心のみの冷やかしはよくないかも、って、入らなかった。

 わー……偶然にしてはできすぎてる。

 カウンターに腰かけておしぼりで手を拭きつつ、女将さんに瓶ビールを注文するココの横顔を盗み見る。

 知らなそ。どうしよう。話した方がいいかな。複雑。

なんとなく視線を漂わせると、ツルリとした頭に豆絞りを巻いている大将と目が合った。ヘラリ、と愛想笑いをする。

 あ。半端な笑いだった。感じ悪、私。

 それにしても、店内は明るいし清潔感あるし、大将も女将さんも感じいいし。あんな奇妙な噂が立つような店には思えない。

「料理、どうする?」

「ココにまかせるよ」

「いいの?」

「もちろん」

 瓶ビールが届いたタイミングでココが注文をしていく。ハモの湯引き、里芋の煮っころがし、アンコウの唐揚げ、メヒカリの唐揚げ、豆もやしのナムル、おぼろ豆腐。お通しはホウレン草のお浸しだった。

 献杯、とグラスを合わせて、ビールを飲む。ひやりとしたビールが、ちょっと慌てた心を落ち着かせた。

 料理と一緒に頼んだ東北の地酒が運ばれてきた。二合。冷や……は常温か。冷たくしてある。ココの失恋相手……中田さんが好きだった銘柄だ。

 スッキリしてて、飲み口がいい。ヤバいなあ。すすむ、このお酒。

「アンコウもメヒカリも、唐揚げって初めて食べる。ってか、メヒカリ自体、初めて」

「珍しいよね。でも、凄く美味しいよ。アンコウは、ふぐの唐揚げとも似てるかな」

「へえ」

「どっちも、中田さんが好きだったの。中田さん、東北にいたことがあったんだって。だから、詳しかったんだよ」

「住んでたの?」

「うん。でも、オツマミで一番好きなのは、スルメなんだって」

「渋いねえ~」

「でしょ。私もそう思った」

「でも、いいかも」

 うん、と笑ったココが、メヒカリの唐揚げを食べた。見るからに香ばしくって、私も箸を伸ばす。頭からガブリ。うん。内臓のちょっとした苦味と、ほろりとした白身の上品さがいい。

 アンコウは、ほんとうにフグの唐揚げっぽい感じだった。身の部分は。皮の部分かな?そこはちょっと食感が違うから、苦手な人もいるかもな。でも、そんなとこもフグっぽいかも。

 そんなことを考えつつ、ココの、ゆっくりとかみしめるような話に相槌を打つ。

 年齢の割に落ち着いた雰囲気を持つ、東北に住んでいたこともある、会社の同僚であった中田さんは、ココの失恋の相手であり、故人でもある。彼の訃報当日、ココは見知らぬ商店街の裏路地で、彼と不思議な邂逅をしたのだ。

 呆然自失みたいな状態だったらしいし、それが現実なのか幻なのかは、どちらでもいいと思う。その現象が、ココにとって真実なのであれば。

「シヅカ。今日は付き合ってくれて、ありがとう」

 そっとかけられた言葉に頷いた。話しを聞きながら飲むのは、嫌いじゃない。だって、人の話って、おもしろい。いい、とか、悪い、とかのジャッジじゃなくって。だから、今日だって、無理に付き合ったわけじゃない。ココの話しを聞きながら、二人の思い出の居酒屋で飲んでみたかった。なんだけど、それを言うと、クドイなって思って、口にするのはやめた。

 今はそんなことないんだけど、子どもの頃は、私、みんなに馴染めなくって、一人でいることが多かった。一人でいると、協調性がないとか、孤独だとか、ぼっちは寂しいとか、いろいろ言われた。好きな物を聞かれて答えると、変わっているねと言われた。

 ほっといてよ、って叫びたかった。好きな物は好きで何が悪いの。私はアナタが好きな物を否定しないのに、どうして私の好きな物は否定するの。

 そう思うことも多かった。

 でも、そのうち思った。この人は、どうして私の好きな物を変なのって言うんだろう?って。じっくりゆっくり、話しを聞いてみた。そしたらちゃんと、理由があった。

 へえ、って思った。面白いなって。私が好きでも、苦手な人もいる。それがすごく、おもしろかった。

そうして、人の話しをよくよく聞くようになったら、輪が広がって、周りに人が増えた。それもまた、おもしろ、って思った。楽しい、って。

 気付いたら、陽キャって言われるような感じになってた。中身は変わらないままなんだけどね。

 私、ものすごくラッキーだなって思った。

 でもやっぱ、親密な関係は苦手なままだった。

 もういいや。別に困らないし。楽しいんだし。

 って思ってたら、ココに出会った。

 楽~、だった。ココは、平坦っていうよりも、凪いでるって感じの子だった。

 お互いを押し付け合わない。しかも、一緒にいて楽。自然。べったりではないけど、心地いい距離で付き合いが続いた。ずっと。

 だけど、ちゃんと話、聞けてなかったんだな、私。ダメじゃん、って今回のこと、思った。肝心なことなのに。中田さんのこと、ココが抱えて、自分の中で消化する手助け、したかった。居心地いい関係だけを続けるのもアリだろうけど、それだけじゃなくって、辛いこと抱えたときにも、なにか手助けしたかった。

 知らなかった、なんてダッサイこと言いたくなかった。何で話してくれなかったの、とも。

 時がこなきゃ、言えないことだってある。それは分かってる。だから、話せるようになった今、ちゃんと聞くんだ。

「うん。いい店だね」

「そうでしょ?中田さんも、気に入ってたんだよ。会社よりもずっと、リラックスしてたんだ、表情が」

「へえ」

 そこでココが私を見た。ふわり、と微笑む。

「シヅカと一緒にいるみたいだった。自然体でいられたの」

 なんだか知らないけど、その言葉がぐっときた。手の中のお猪口を握りしめた後に、ぐいっと飲み干す。

「よしっ。もっと聞かせて。中田さんが好きだったお酒、どれ?追加しよ」

「うん」

 ココが追加したお酒は、今度は関西のお酒だった。最初の一口は甘く香って、喉を滑り落ちていくと爽やかさが残るお酒。

「このお酒もいいけど、さっきのお酒、いいよね」

「ね。東北って、美味しいお酒多いんだよ。私も知らなかったんだ」

「今度、一緒に旅行しよっか?」

「でもシヅカ、一人旅が好きでしょ」

「……たまにはいいよ~」

 気付いてたのか。焦ったのを悟られないように、焼きシイタケを頬張る。ちょっと熱い。 

 ココの言う通り、旅は一人が好き。一人が好き、なんじゃなくて、旅は一人がいい。

 大学の頃かな。画面でしか見たことがない景色の実物を、見たくてたまらない衝動にかられた。その衝動に突き動かされて、インターネットや本で情報を集めて、あちこち旅するようになった。現地では思わぬこともたくさんあるけど、運よくいつも、無事だ。

 見たい景色。それは別に、断崖絶壁とか有名な観光地だけじゃなくて、東南アジアの屋台とか、海とか、山とか。名所じゃなくてもいい。ふと目にした画像が気になれば、それを調べて、できるかぎり行って来た。

 画面じゃない景色。それはすごく、魅力的だった。私にとって。

 空気や匂い。聞こえてくる音。風、太陽。大都市だろうと、屋台だろうと、自然だろうと、そこには必ず五感に伝わってくる何かがある。

 生きてるな、って感じた。自分が。

 ただそれだけの為に、私は旅に出る。目的があるわけじゃない。その感覚を全身に浴びたくて。

「どうせだから、東北縦断しちゃう?宿は旅館がいいよね」

「東北縦断するなら、旅館は予算的に厳しいかなあ」

「おっと。確かにそうだね。現実的には」

「電車だと、どうなんだろう?」

「せっかくだから、酒蔵めぐりとかもしたくない?」

「それだと、レンタカーって選択肢は消えるよね」

「うーん……」

 二人でスマホの画面をアレコレ検索する。東北はちょこちょこ行く。秘湯だったり、海岸沿いだったり。遺跡だったり。

「旅館に一泊か二泊はしたい!いい温泉、多いんだよね」

「じゃあ、その日は旅館満喫ってことで……厳選して一泊ね」

「よし。いい料理のコース、頼んじゃおう」

「あ。ねえねえ。町歩きで酒蔵にも行けるとこもあるみたい」

「どれどれ。あ、ほんとだ」

「ね。そしたら、その日はレンタカーじゃなくて、町歩きで酒蔵も行かない?」

「いいね~」

 お酒をたくさん飲んでいい気分になりながら、旅行の計画を立てる。旅行は計画の段階から楽しい。

「あ」

 急にココが手を止めた。瞳が揺れた。

「どしたの」

「ここ、行きたい」

 ココが差し出した画面は、以前行ったことがあった遺跡だった。超有名な、縄文時代の遺跡。

 真剣な表情で画面を見つめるココに、詳しい話しを聞く必要はなかった。中田さんだろう。

「ここちょっと、公共の交通機関だと行きづらいから、その日はレンタカーだね。他にも、周辺のスポット探そう」

「うん」

 休みのすり合わせよりも旅行の計画の方が楽しくて、私たちは頬を寄せ合って話し続けたのだった。


「ありがとうございます」

 無表情なのに、どこか柔らかい雰囲気をたたえる女将が頭を下げた。

「ごちそうさまでした。また、来ます」

「はい」

 ココと二人で店を出て、でもやっぱり気になり過ぎて、私は店に戻った。

「ごめん。忘れ物しちゃった。待ってて」

「うん」

 すぐに引き返したので、女将はまだレジ付近にいた。

「忘れものですか?」

「いえ。あの」

 素早く女将に近づいて、耳打ちのような距離で質問を投げる。

「あの、亡くなった人に会えるお香が、この店にあるって聞いたんですけど。あるんですか」

 すい、と女将の柔らかな雰囲気が消えた。のっぺらぼうみたいな無表情になる。

「ご入用ですか」

「あ、いえ」

 踏み込んではいけなかったことだった。女将の返事を聞いてから分かった。でももう、聞いてしまった。

「そうですか。では、他言無用で」

 人差し指を口元にもってきて言った女将に、カクカクと無言で頷いて、店を出る。心臓の音がうるさい。女将の後ろに、何か大きな影が見えた気がした。あれは……大きな鳥?

 私は霊感はない。見間違いかもしれないと、瞬きを繰り返す。

「あった?」

「あ、うん」

「どうしたの?酔っちゃった?」

「だ、大丈夫」

 ちょっと足がもつれてしまった。ココが心配そうにする。

 ドキドキと早鐘を打つ心臓に合わせて、呼吸が苦しい。けど、どうしても黙っていられなかった。

「ココ。亡くなった人に会える方法があるとしたら、どうする?」

「えっ」

 帰路につきながら、聞いてみる。これくらいなら他言したことにならないだろう。それに、ココがその方法を試したいって言えば、入用、ってことになる。

 しばらく沈黙が続いた。心臓の音が、ココに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいだった。

「……使わない」

「そっか」

 小さな返事は、力強かった。

 旅行の計画を立てていたときとは打って変わって、無言のまま歩いた。

 ココは霊感があるって言ってた。

 あの居酒屋は中田さんとの思い出の店とは言っていたけど、それ以外の話しはしていなかった。ってことは。

 あの店は、ココから見て、あくまでもフツーの店、ってことだ。

 霊感があっても、感じ取れない、もしくは、霊感では感知できない存在が関わっているんだろうか。

 怖くなって、それ以上、考えるのはやめた。 


~ 喫茶店店主 巨田ミドリ ~


 ティールームを出た後、井頭さんは近くの商店街でいくつかのオツマミを調達した。焼き鳥、鰻の肝の串、枝豆、串カツ、焼きそば。花火大会なので河川敷へ行くのかと思っていたら、ビル街の方へと歩いて行った。

 ビルとビルの隙間を、独特のリズムで歩いて行く。途中のコンビニに寄ったときに、お酒はビールでいいですかと聞かれたので頷いた。ビールと一緒に、お茶も買っていた。

 辿り着いたのは、ビル街の隙間にポツンとある、小さな小さな公園だった。高い高いビルに囲まれて、肩身が狭そうに木々が立ち並んでいて、ベンチがいくつかあるだけの、小さな公園。オフィス街なので、昼食時は賑わっていそうだった。今は、誰もいない。

「ここ、穴場なんですよ」

 ベンチに並んで座る。ちょっと汗をかいている缶ビールが、指先にひんやりする。軽く缶を上げる乾杯をして、ゴクリと飲む。美味しい。並べたオツマミを挟んで座っているんだけど、その距離がなんだか落ち着かない。店だとカウンター越しが多いし、閉店後にコーヒーを飲むときも、カウンターで横並びにはならないからだ。

 落ち着かない気持ちを誤魔化す為に缶ビールに口をつけていたら、あっという間になくなってしまった。

「どうぞ」

 次の缶ビールを受け取ると、鰻の肝の串をパックごと差し出された。

「好物ですよね」

「はい」

 よく覚えているな。鰻の身よりも肝が好きだ。それも、タレがからんでいる串焼きが。一口食べたところで、ドン、と大きな音と共に花火が夜空へ舞った。

「すごい」

「でしょ」

「ほんとに穴場なのね」

「です」

 秘密の場所です、とニヤリと笑った井頭さんは嬉しそうだ。

 花火はビルとビルの隙間から、思ったよりも大きく見えた。両方の端っこがビルに隠れてしまうのも、注目されている花火が照れているように思えて、よりキレイに見えた。

 ドン、ドン、と次々に打ち上がる花火。響いてくる音が、うっすらとビル街にこだまする。

 こんな花火は初めてだった。

 異性と肩を並べて、ビールを飲みつつ眺める花火。特別な関係ではないのに、そうして並んで眺める花火は、とてもとても特別に感じられた。

「花火、キレイです」

「はい」

 花火と花火の、ちょっとした休憩のときに、ぬるくなりつつある缶ビールと一緒におつまみをつまむ。ああ、いいな。こういう時間。もったいないくらい、素敵な時間だ。井頭さんに、感謝だな。

 缶ビールじゃなくて、花火とこの時間に酔ってしまいそうになりつつ、惜しむように上がった最後の大花火の連発を眺めた。

 余韻の音と光がまだ空を彩っているときに、井頭さんが私を真っ直ぐに見た。

「ミドリさん。この後の人生、俺と過ごしてもらえませんか」

「え」

 花火のドン、という音が耳の奥に残っていて、ほどよい酔いも手伝って、夢でもみたのかと思った。都合のいい、夜に見る白昼夢。

 そうではないとハッとしたのは、じっと私を真摯に見つめてくる井頭さんと視線が合ったからだった。

 それは今まで向けられたこともないような、優しくて穏やかで、真摯な目だった。目が離せない。

「わ、私、井頭さんよりずっと年上です」

 声は上ずっていた。自分の声じゃないみたいだった。頭が真っ白で、そんな言葉しか出てこなかった。

 返事になっていない私の言葉に、井頭さんは頷いた。

「俺の方が、年上ですよ」

 海や空を思い浮かべるような、その静かな声。ああ、と思った。外見と持っている雰囲気が噛み合わないと感じていたのは、きっと、間違いじゃなかったのだろう。

 人ではない常連の顔が浮かんだ。でも、井頭さんは影がある。関係はあるかもしれないけど、全く一緒ではないのだろう。

「一緒に、過ごせるだけでいいんです」

 重ねられた言葉と真摯な瞳にさらされて、心は千々に乱れた。いや、逆に凪いでいたのかもしれない。

 私。私は。

「はい」

「……ありがとう」

 井頭さんの声が震えていた。その声に、私は瞬きも忘れていたことに気付いた。パチパチ、と瞬きすると、乾いた目がしょぼしょぼした。

「今まで通りでいいんです。ただもう少し、特別な距離でいたいんです」

「はい」

 ふう、と吐息が漏れて、ビルに視線をうつす。花火が終わった後のビルたちは、静かに私たちを取り囲んで立っている。

「人生以上に一緒にいられるなら、一緒にいてくれますか」

 続いた井頭さんの震える声には、視線を合わせなかった。見下ろして囲んでいるビルたちに目を向けたまま、答えた。

「いいえ」

 それはきっと、人ではなくなるということだろう。私は人でありたい。尊敬するオバのように生き抜きたいのだ。

 年齢をある程度重ねると、こんなときでさえ、頭のどこかは冷静に動く。そのことを虚しいとは思わない。それはきっと、私が時間をかけて積み上げてきたものがそうさせているのだと思うからだ。

「はい」

 井頭さんは、最初から私の返事など分かっていたようだった。ほんのちょっとだけ寂しさをにじませたその声は、私の選択をきちんと受け入れてくれていた。

 ビルから視線を外して、井頭さんに向き直る。

「よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 差し出された手を握り返す。大きな手は、ちょっとだけ汗ばんでいた。

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