思いもよらない再会 -異世界転生した祖母と異世界召喚された孫-
※ 祖母と孫の会話は筑後弁と佐賀弁のハイブリッド的な何かで行われています。一つ一つに翻訳は付けておりませんが、何となくフィーリングで読んでいただければ幸いです。
「ばあちゃんっ……‼」
「ひろちゃん、……来てくれたとね。」
「来ん訳なかろうもん‼」
「ひろちゃんが卒業して社会人になるまでは見たかったとばってんが……」
「何ば言いよっと。そげんかこと言わんでよ……。」
「誰にどげん言われたっちゃ良かけんが、幸せにならんねよ……」
「分かった。分かったけん、俺ば一人にせんでばい‼」
「ごめんね、ひろちゃん。ばあちゃんなもうそろそろ行かにゃんごたる……」
「ばあちゃん‼ばあちゃん‼」
「……」
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「姫様。そろそろ城に到着いたします。起きてください。」
正面の無表情な侍女に起された。
「お気持ちはお察しいたしますが、誰かに見られてはなりません。これで拭ってくださいまし。」
ハンカチを渡され、自分が泣いていたことに気づく。
「ごめんなさい。ありがとう。」
私は目元を拭いながら、今までのことを思い出していた。
私の名はオストライヒ王国の王女アウグスタ・ルイーゼ。
私はいま幼馴染だった騎士との逃避行に失敗して王城へと連れ戻されている途中だ。
そして、今の今まで忘れていた前世の記憶を取り戻したところでもある。
前世での私の名は高橋靖子。女手一つで一人息子を育てた甲斐なく、その息子夫婦を逆走事故で亡くし、残された孫を大学に入学するまで育て、そこで力尽きるように死んだのだ。生まれ変わって16年経ったが、まさかこんな時に思い出すなんて。
「カール卿におかれては残念でございました。」
カール卿。私を連れ出してくれた騎士カール・フォン・ナウムブルク侯爵令息のことだ。彼は追っ手の近衛騎士に抵抗したため、その場で斬り殺されてしまった。
私がわがままを言ったせいで殺してしまったようなものだった。
そう。私のわがままで。
オストライヒ王室は五王国で唯一古代帝国帝室の末裔であり、王女のなかから古代皇帝の権威を代行する最高神祇官を輩出する家柄である。
最高神祇官とは、天つ后教における最高聖職者であり、唯一現存する帝国都市エントスにあるパナギア大神殿の大祭司である。五王国の王はみな必ずエントスに自ら赴き大神殿で最高神祇官の手によって戴冠されるのが慣わしであった。
そして、私アウグスタ・ルイーゼが次の最高神祇官に指名されたことで、カール卿は命を落とすことになってしまったのだ。
「私が愚かだったのです……。私が殺してしまった……」
「姫様。そのようなことはございません。カール卿が剣を抜かなければ、このようなことにはならなかったのですから。」
「私たちはあの場で殺されてしまうのだと思ったのよ……」
「そのようなことあろう筈がございません。陛下はただ穏便に王城へと戻すようと。」
「そう……。」
国王は別に私を愛するがゆえにそう命じたのではなく、最高神祇官である大伯母様の不興を買うのを恐れただけだ、ということくらい分かっている。
カール卿とは、物心つく頃からの幼馴染だった。
幼いころはいつも一緒に庭で駆けまわったり、一緒に絵本を読んだりして過ごしていた。
お互いに家庭教師が付くようになってからも、時々会って愚痴を言い合ったりしていた。
カール卿は、自分は侯爵家の次男なので騎士になって私を守りたいと言ってくれた。そして、その言葉を実現してくれた。
私はどこかの国の王室か大貴族に輿入れしても、カール卿と一緒であれば平気だと思っていた。その話をすると、カール卿は決まって苦しそうにしていた。その理由は、私たちが王宮を逃げ出すときまで分からなかったのだけれど。
16歳の誕生日。
私は父である国王に呼ばれた。
「アウグスタ。この度お前にはエントスに入ってもらうことになった。」
天地が覆るほどの衝撃だった。まさか最高神祇官に選ばれるなど思いもよらなかったのだ。エントスには侍女一人同行させることができず。私は一人で一日中大神殿の奥で祈り続けることになるのだ。とても耐えられない。
「どうして。私なのですか。」
「お前がオストライヒの家の女だからだ。」
「他にも」
そう言いかけると、国王は「大伯母様がお前を望まれたのだ」と言葉を遮り、苦い顔をした。国王は嫌いな王妃の娘である私よりも、寵愛する側妃との子である妹のマルガレーテを最高神祇官にしたかったのだろう。私もその方が良かった。
「しかし、どうして私なのでしょうか。」
「お前は大叔母様と一度お目にかかったことがあるだろう。」
「はい。」
「その時に大叔母様はお前が先々代の最高神祇官と同じ魂の輝きをご覧になったそうだ。それで、お前が16歳になったらエントスに呼ぶつもりでいらしたそうだ。」
「魂の輝き?」
「私にも分からぬ。とにかく特別なことらしい。もう良いか。」
「は、はい……」
「数日中にエントスから迎えが来る。身一つで来るようにとのことだから、特に何も準備することはない。大人しく待っておれ。」
「承知いたしました……。」
「そのような顔をするな‼私とてお前が最高神祇官になるなど不愉快なのだ‼」
「申し訳ございません……」
「もういい。部屋に戻れ……」
明くる日、いつものように護衛に来たカール卿にことの次第を話した。
カール卿はひどく狼狽していた。そして、
「姫様はそれでよろしいのですか?」と聞いてきた。
私が「良くないわ。でも、仕方ないじゃない」と答えると、
カール卿は「良くないのであれば、従うべきではないのではないでしょうか」と言った。
私は驚いて、「カール卿、言葉は慎みなさい」と制し、侍女には「いまのは聞かなかったことにしてちょうだい」と頼んだ。その侍女がいま目の前に座っている。私の頼みは聞いてもらえなかったということだろう。
その日の晩、窓を叩く音がしたのでカーテンを開けると、カール卿がバルコニーに立っていた。
私が「何をしているの‼」と窘めると、口に人差し指を当てて、「静かに、静かに」と言ってきた。
「カール。どういうつもりなの⁉」
「姫。やっぱり、嫌なことはやめた方がいいと思うんだ。」
「だから、何であなたがここに居るの?」
「姫。僕はあなたが好きだ。離れたくない。せめて一緒にいたいと願って騎士になったが、あなたがエントスに入ってしまえば二度とこうして会うこともできない。それが僕にはどうしても耐えられないんだ。」
こんなに苦しそうな顔は見たことがなかった。そして、カール卿が私のことを好きだなんて思ってもみなかった。私にとってカール卿は兄であり弟であるような存在だったから。
「ごめんなさい。カール。あなたの気持ちには答えられないわ。」
「分かっている。姫にとって僕は兄妹みたいなものなのだろう。分かっている。それでも構わない。一緒に居たいんだ。姫。ここから逃げよう。遠くへ逃げてしまおう。」
「でも、そしたらエントスはどうなるの?」
「マルガレーテ様がいらっしゃるじゃないか。オストライヒの家のお方であれば良いのだから。」
「そ、そうね。でも、逃げるってどこへ?」
「とにかくこの国の外へ。」
「うまく行くと思って?」
「分からないよ。でも、やってみなければ始まらない。姫。一緒に来てくれないか?」
私はカール卿が差し伸べてくれた手を払うことはできなかった。そして、私たちは秘かに王宮から逃れたのだ。
そして、逃げ出した次の日の昼までには、王都の北へ八ロイゲ(約32㎞)ほど逃げたところで近衛騎士団の精鋭たちに追いつかれて、結局カール卿は一太刀で斬り捨てられ、私も捕まり馬車で王宮に向かっているのである。
「ナウムブルク侯爵に申し訳が立たないわ……」
「侯爵は陛下にその場で討っていただきたいとお願いされたそうです。」
「えっ……⁉」
「姫様。今回のカール卿のなさったことは、侯爵家からすれば自分たちが王家に反逆したと捉えられかねない一大事なのです。下手に捕まえられて裁判であれこれ話されるのは都合が悪うございましょう。」
「……そうね。」
「こうなってしまったことは致し方ございません。姫様にはとにかく陛下に会っていただきます。」
「ええ。」
前世の記憶が蘇ったところで、この状況はどうしようもない。
大人しく王宮へと連れて行かれるしかなかった。
私とカール卿の逃避行はほとんど誰にも知らされていなかったらしい。
王宮で私を待ち構えていたのは、国王と宰相だけだった。王妃や側妃、マルガレーテにも伝えられていなかったようだ。
国王は「迎えを待たず今日中にお前をエントスに入らせる。すべてを忘れて、これからのことだけを考えよ」とだけ言った。その顔からは何の表情も読み取れなかった。
私は「申し訳ございませんでした」とだけ言って下がった。
本当にその日のうちに、私は一人エントスへ向けて出発し、途中でエントスからの迎えの馬車に乗り換えて大神殿に入った。
最高神祇官である大叔母様はおそらくすべてをご存知のようだったけれど何も仰らなかった。ただ「お前には気の毒なことをしたね」とだけ仰った。
それからは大叔母様のもとで最高神祇官になるための霊斎という修行が始まった。一つ一つ欲望を絶って、それを天つ后への信愛へと転換していくその修行は大変だったが、前世の苦労に比べれば、我が身一つの苦労である分軽く感じた。
そして、20歳の若さで最高神祇官に就任した。これは史上稀に見る若さでの就任だったが、大叔母様は私が転生者であることを知っていたが、まさか中身が自分と同じ世代とは思わなかったようで、「中身はお婆さんなのだから大丈夫でしょう」と言って早々に退任してしまったからである。
それから早50年近く経ってしまった。
天つ后の名代として人々のために祈り、開かれた大神殿にするために貴賤を問わず救いを求める人たちと向き合った。それほど出来ることはなかったけれど、少しは世の中のお役に立てたと自負している。
ただ、ここ数年は頭が痛くなることが多かった。
まず、ノルドライヒ王国が魔王の手に落ちてしまった。これは天つ后教にとっても一大痛恨事だった。天つ后の加護に対する大きな疑いが人々の間に広がってしまったのだ。ただ、ノルドライヒとフレンスヴィヒの間に結界が魔族側から張られると、これは天つ后の威光を魔族が恐れたのだという話になって、天つ后の加護についてあれこれ言う声は自然と収まった。また、魔族たちがどんどんノルドライヒに移住しているらしく、山や森も随分と安全になったようだ。
ミッテルライヒ国王の戴冠式では、途中で国王が女性であることに気づいてしまい、バレないように随分苦労する羽目に陥った。その甲斐あって、国王は私に特別の恩義を感じているようだから良かったとしたい。
また、私の後継者と見込んでいたオストライヒの第一王女がマルク大王国の王太子妃として第二王女の代わりに輿入れさせられ、しかも、それが露見して大王妃の侍女になってしまった。酷い目にあっているどころか厚遇を受けていて、王太子は改めて妃に迎え入れようとしているとも聞くので、もう少し様子を見なければならない。
他にも、各国で不思議なほどにやっかいな出来事が起き、しばしば教会が介入しなければならなかった。しかし、介入すればしたで、教会が世界を支配しようとしているなどと言いがかりを付けて来る者もいて、頭を抱えることもしばしばだった。
そして、最大の難問がやって来た。
その日、教会の政務を担当する聖庁長官がめずらしくやって来た。私は基本的に祭祀以外関わらないようにしているので、聖庁長官が私のところに来ることは基本的にないのだ。
「猊下。お話がございます。人払いをしてもよろしいでしょうか。」
「結構です。皆さん、席を外してください。」
長官は誰もいなくなったことを確認すると、懐から一通の封筒を出した。
「これは?」
「これはフレンスヴィヒ王からの極秘の書簡です。」
「極秘?それで、何が書かれてありましたか?」
「第一に猊下にお見せするようにということでございまして、私が持って参りました。」
「そうですか。では、拝見いたしましょう。」
封を開け、書簡を読むと信じられないことが書いてあった。
よほど私の表情が変化したのだろう。長官が慌てている。
「長官。あなたも読んでごらんなさい。」
「では、失礼して……、えっ⁉」
「どうしたものかしら……」
「これはどうも……」
フレンスヴィヒ王からの書簡には、魔王から極秘のルートで人間と魔族との間の相互不可侵条約を結べないか打診してきた、人間や亜人などの側の代表者として最高神祇官を指名しているとあった。最高神祇官を指名したのは、各国とそれぞれ締結するよりも、各国の王を越えた権威を有する最高神祇官と締結した方が早いと考えたかららしい。
また、魔王は直接一度会って話がしたいと言っているともあった。フレンスヴィヒ王によれば、魔王はこちらから何か仕掛けない限り危険な存在ではないとあり、それは確かな筋から情報であるとのことだった。
「猊下。さすがに魔王と会見するのは危険かと存じます。」
「そうですね。ただ、人魔相互不可侵条約という案は魅力的です。」
「もちろん、本当に実現すれば教会の権威は更に高まることでしょう。」
「それよりも、人々が安心して暮らせるでしょう?今はまだいつノルドライヒから魔王軍が侵攻してくるかと恐れているでしょうから。」
「仰る通りかと存じます。」
「フレンスヴィヒ王も魔王の策略であれば協力しない筈ですから、一度会ってみましょう。」
「宜しいのですか?」
「ただし、このことを知る人は最小限にしましょう。早速私は返事を書きますので、もろもろお任せしてもいいかしら?」
「承知いたしました。」
フレンスヴィヒ王に返事を出して一週間後、魔王は竜に乗ってエントスに来た。
隠身魔法で姿は事情を知る人間にしか見えないそうだ。逆に、事情を知る人間には姿を見せるようにしているということから信用できそうな気がした。
最高神祇官宮殿の謁見の間で私は魔王を待った。
そして、謁見の間の扉が開き魔王が入って来たのだけれど、その顔を見て私は驚愕した。
魔王がどう見ても私の孫だったからだ。
「ひ、ひろちゃん……?」
「えっ……⁉」
「し、失礼しました。お気になさらず。」
「いま、何と仰ったか教えてくれないか。」
「……ひろちゃん、と申しました。」
魔王は神官や自分の部下たちを見て、「最高神祇官だけと話がしたい。お前たちはこの部屋から出て行ってくれ」と言った。
悪魔たちは魔王に従って出て行こうとするが、神官たちが躊躇していたので「魔王の言う通りにしてください。私は大丈夫です」と言って出て行ってもらった。
部屋に私たち二人だけになったことを確認すると、魔王は目を潤ませながら「猊下……、どこでその言葉を知ったか教えて貰えないか……」と聞いてきた。
「私の世界の言葉です……」
「ありえない。私をひろちゃんと呼んでくれる人はただ一人だけだ。そして、その人がいなくなって六年しか経っていない。」
「分かりませんが、私の世界とこの世界の時間が対応していないかも知れません……」
「猊下。あなたの元の名前を教えてほしい。」
「高橋靖子です……。」
「そうか……」と言うとその両目がギラリと光った。「私の、私の祖母をどうした⁉」
「どういうことですか?」
「貴様は私の祖母の記憶を奪ったのだろう。私の祖母をどこにやったのだ⁉」
「奪ってなどいません。私の記憶です。」
魔王はまだ信じられないようだった。しかし、間違いない、この子は私の孫だ。よりにもよって異世界から召喚されたのが、しかも、人間を裏切って魔王となったのが自分の孫だなんて。
しばらく沈黙が続いた。
私は耐えられなくなって呼びかけてしまった。
「ひろちゃん、ひろちゃんやろ?」
「……気安くその名で呼ぶな。」
「ばあちゃんな、もう何十年も会うとらんとよ。」
「……まだ六年だ。」
「ばあちゃんにはもう五十年ちゃ言わん経っとると。何でかは分からんばってん。」
それからあれこれと思い出を語った。生れた時のこと、息子夫婦が亡くなった時のこと、二人で暮らしていた時のこと、高校・大学にスポーツ推薦で入学出来て助かったこと、病気になってからのこと、覚えていることを思い出せる限り話した。
段々と魔王の目が潤み肩が震えだして、遂に私を認めてくれた。
「……。ほんなて、ほんなてばあちゃんね?」
魔王、いや、ひろちゃんはあの頃と同じ目で私を見てくれた。
「そうよ。ばあちゃんよ。ごめんね。一人にしてしもうてから。ごめんね……」
もうお互いに流れる涙を止めることができない。
「ばあちゃん、ばあちゃん!!」
ひろちゃんが駆け寄って来た。抱きしめる力が強すぎる。
「ひろちゃん、あんた、ちょっとは加減ばせんね。うちはばあちゃんばい。」
「ごめん。嬉しかけんが。しょうがなかやんね。」
「ばあちゃんも嬉しかよ。元気そうで安心した。」
「俺も安心した。」
私にとっては54年ぶり、ひろちゃんにとっては6年ぶりの再会をしばらく喜び合ったあと、改めて今後どうするかを話し合うことにした。
「ひろちゃんはどげんしたかとね?」
「俺はとにかく今の国で魔族たちが良かごと暮らせるなら後はどげんでんよか。」
「なら、ひろちゃんが言うて来た相互不可侵条約ば、人間・亜人・獣人代表として最高神祇官と魔族代表として魔王が締結することで良かとね?」
「良か。」
「魔族はひろちゃんの国でみんな世話してもらえると?」
「世話はしきらんばってん、来てもらうとは良かばい。」
「そいなら、ばあちゃんがあとは王様たちば説得せんばでけんたいね。」
「そげんなんね。大変やろばってんが。」
「ま、ばあちゃんが頑張ろうだい。」
改めて神官と悪魔を交えて、人魔相互不可侵条約についての協議を行った。
神官も悪魔も私と魔王が完全に打ち解けていることに信じられないという顔をしていた。
それか数日掛けて協議を行い、おおよその案がまとまった。
簡単に言えば、大陸中の魔族はノルドライヒで受け容れ、ノルドライヒが他の国々に攻め入ることはしないこと、逆に、人間は魔族のノルドライヒへの移動を妨害せず、ノルドライヒに攻め入らないこと、人間と魔族との平和的な交流を妨げないこと、この五つを主な条項とすることにしたのだ。
協議が一段落すると、魔王たちは竜に乗ってノルドライヒへ帰った。魔王とは今後相互に行き来することを約束した。やっと再会できたのだから誰にも邪魔はさせないつもりだ。
魔王が帰った後、私は教会を通じて王たちをエントスに招いた。
私が魔王と協議していることは各国の王も知っていたが拒否するものは居なかった。マルクの大王がやっかいだと思っていたけれど、二つ返事だったのは意外だった。あとから聞けば、ノルドライヒとの間で何かあったらしい。
エントス大神殿での諸王との会議は、ノルドライヒに王妃を輿入れさせていたヴェストライヒ、ノルドライヒから王妃が輿入れして来たズュードライヒ、もともと保守的なエルツラントの王が強硬な意見を主張し条約締結に反対したものの、ノルドライヒと境を接するフレンスヴィヒの王やノルドライヒとすでに何らかの関わりがあるらしいマルクの大王、そして、先日の戴冠式で私に恩義を感じているらしいミッテルライヒの王が締結に賛成し、私の甥であるオストライヒの王も反対しなかったことから、他の王たちも消極的ながら条約締結に賛成したことで、最高神祇官と魔王の間で人魔相互不可侵条約を締結することで決した。
ヴェストライヒ、ズュードライヒの王たちには、両国出身の神官を増やすことで納得してもらい、エルツラント王の説得はマルクの大王に任せたところ無事納得してくれたらしい。何があったかは聞かないことにした。
エントスの諸王会議から半月後、魔王たちが再び竜に乗ってエントスに入った。
そして、諸王国代表者(フレンスヴィヒ王とマルク大王以外は国王代理)臨席のもと、私と、人間であることがバレないように変化魔法をかけた魔王が人魔相互不可侵条約に調印し、即日発効することとなった。
その日の晩は、エントス大神殿に隣接する旧皇帝宮殿でアルコール抜きの晩餐会が行われた。人間側は非常に緊張していたけれど、マルク大王やフレンスヴィヒ王が積極的に魔王と会話しているのを見て、話が分かる相手であると理解してからは穏やかに済んだと思う。
晩餐会の後、魔王がお忍びで私のもとを訪れた。ただ、お付きが悪魔ではなく人間、それも異世界人のようだった。
「ばあちゃん、いまいい?」
魔王がちらりと顔を覗かせる。小さい頃からちっとも変わらない。
「良かよ。入らんね」
「ごめんね。遅なって。」
「良かよ。そいより、元気にしとったね?」
「元気、元気。」
「お隣はどなた?この方も日本の人やろ?」
「そうそう。こん人は俺の命の恩人の鈴木太郎さん。」
「最高神祇官猊下におかれましてはお初にお目にかかります。私日本から参りました鈴木太郎と申します。命の恩人などとんでもありません。」
「そんなに畏まらないでください。うちの弘人がお世話になったようで、ありがとうございました。」
「とんでもないです。私の方がお世話になってます。」
「太郎さん、そんなことないですって。紹介が遅れましたけど、こちらの最高神祇官、ええと、日本では高橋靖子という名だった僕の祖母です。」
「召喚されたわけではないんですね。」
「私は一度死んで生まれ変わりました。ですから、見た目は日本人じゃありませんし、記憶が蘇った16歳までは完全に別人として生きていました。」
「そうでしたか。しかし、高橋さんはお祖母ちゃん子だったようですね。」
「太郎さん。恥ずかしいよ。」
「何が恥ずかしかとね?」
「ばあちゃんもやめてばい。」
その晩は、同じ日本からやって来た三人で話が尽きなかった。鈴木さんが良い人で良かった。鈴木さんが居たからこそ、私の孫は魔王に成り切らずに済んだのだと思った。
明くる日には、魔王たちはノルドライヒへと帰り、鈴木さんもフレンスヴィヒ王の一行とともに帰った。
「やれやれ。」
「猊下。この度は大変でございましたでしょうが、無事に済んでようございました。」
魔王たちを見送った後、ようやく人心地つくと、長く近侍してきた女神官が声を掛けてきた。
「そうですね。あとは次の代を探さないといけないわね。」
「今はとりあえず少しお休みになってください。」
「そうします。でも、自分がされて嫌だったことを誰かにしなければいけないのは気が進まないわ。」
「そのためには根回しと本人への丁寧な説明が必要でしょうね。」
「そうね。あなたもまた何十年ぶりに追いかけるのは嫌でしょう。」
「それはそうです。もうあんな辛い仕事は遠慮したいですね。」
女神官はかつて私を連れ戻しに来た侍女だ。私がエントスに入ると王宮侍女の職を辞して追いかけて来てくれた。
そして、女神官はふとこう言った。
「ところで、猊下はあの時思い出した御方とお会いできたのではありませんか?」
「あら。どうして?」
「だって、やっと自然な笑顔をなさるようになったじゃありませんか。」
「あら、そう。」
「ええ、そのお顔を見て、私も少し肩の荷が下りた気がいたします。」
「まだ気が早いわ。私の跡継ぎ探しがあるもの。」
「はあ。今日は考えないようにいたしましょう。」
「そうね。そうしましょう。」
まさか生まれ変わった世界で孫と再会できるなんて思いもよらなかった。
よりにもよって神の代理人と魔王としてではあったけれど、何とかこれからも会えそうだから十分幸せとしなければ罰が当たるだろう。
そうでないと、カール卿と最後に交わした約束を果たせない。
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あの時、侍女が止めるのも聞かず、私は斬り捨てられたカール卿のもとに駆け寄り、血まみれになりながら抱きしめた。
「カール様、なぜ剣を……」
「せめて最後まであなたの騎士でいたかったんだ……」
「どうして……」
「姫。私と一つ約束してくれないか?」
「はい……」
「絶対に幸せになってくれ……、幸せに……」
「はい。なりますから、死なないで……、お願い……、一人にしないで……」
「……」
(完)