第6話 カンゼ
第6話 カンゼ
グランティアの南区は、魔獣素材の加工、販売を行う区画である。と同時に、魔獣と戦う冒険者達が、武器防具の整備、購入を行う区画でもある。職人や冒険者が多い南区は、観光客や商人向けの北区とはまた違った熱気が存在する。
そして『ヘスの防具屋』は、裏道沿いにひっそりと運営されている店だった。
「……じゃあ、明日には死んでるかもしれねぇんだな」
「そうなるな……」
むっつりとした表情で、手渡された革鎧を検分する髭面の男が、店主のヘスだ。そしてその向かいで椅子に座り、ヘスの手つきを観察する白髪の男がカンゼ。
「特異種に挑むなんて、バカのやることだ」
ヘスの言葉に、カンゼは無言で視線を手元から顔に移す。ため息を吐いたヘスは、言葉を続けた。
「だから、バカだ。俺も、お前もだ」
ヘスの腕は良い。その品揃えは、大通りに店を構える防具屋と比較しても遜色ない。今時、素材の仕入れから加工・販売まで1人で行っている店はさほど多くない。せいぜい、工房に作品が展示されている程度だ。カンゼは、店を守りながら職人として防具の作成を続けている場所など、他に知らなかった。
そしてそうせざるを得なかった理由を、カンゼだけは知っている。
「……これを」
カンゼは懐から取り出した革袋を机に置く。軽く、硬い音が店内に響いた。金の音ではない。
「……だからバカだっつってんだ、お前は」
「約束しろ、完成した鎧を売ると。これは予約だ」
カンゼが革袋から手を離すと、緩くなった口から数枚の鱗が崩れてきた。ほのかに光を跳ね返す、赤銅色の鱗。素材として特異な性質を秘めながらも、あまりにも集めるのが困難なために見向きされない素材だ。
《灼蜥蜴》の【熱鱗】。魔力を通すことで、ほのかな熱を灯す。
十分に成長した《灼蜥蜴》が、体表に1枚だけ持つ鱗。《灼蜥蜴》そのものが動きが素早く、仕留めるのも捕獲するのも困難。そもそも発見すら運任せ。
魔力が続く限り熱を発する素材でありながら、その効率の悪さと集める難易度の高さ、さらにはどんなに魔力を込めようと一定以上の温度には上がらない性質から、グランティア広しといえども、ヘスぐらいしか蒐集していない熱鱗。
もちろん、彼がそれを集めるのには理由があったが、2人は黙して語らない。
「……死ぬなよ」
「……当然」
ヘスの言葉に、カンゼが小さな声で返す。それは自信のなさゆえか、それとも覚悟の現れか。店の扉に手をかけようとしたカンゼだが、むこう側に人の気配を感じて動きを止めた。
「ヘスの防具屋か……シンプルな造りだな」
「珍しいな、工房が一緒になってるタイプだ」
聞き慣れた声が響き、扉が開く。果たして、扉から姿を見せたのは、ここ最近ともに行動しているマイトとロイの二人組だった。
「お、カンゼ」
「は? そんな偶然……本当だ」
「ど、どうも。お二人も今日は休日だったはずでは?」
カンゼがなぜ2人で行動しているのか、と問いかけてみれば、2人は口を揃えて『なりゆき』と返した。それでもなお訝しげな視線を向けるカンゼに、マイトが口を開く。
「武器屋見てたんだけど、こいつが全部いらないって言うから防具屋見てるんだ」
マイトがうんざりした様子でロイを指し示せば、ロイは自らの右手を掲げた。
「俺の拳の方が強い」
「雰囲気最悪なんだよ……」
打つ手なし、と肩を竦めるマイトに、気にした様子もなく笑うロイ。カンゼもまとっていた不穏な雰囲気を霧散させ、柔らかく微笑んだ。
「それは……なんとも、楽しそうなものですな」
カンゼが見るに、先日猫の額亭を去った時にマイトが見せていた思い詰めた空気感が消えている。心の奥底に引っ込んだだけではあろうが、明日に向けて息抜きをするという意味では有効だろう。マイトが準備を怠るはずもなし。
「カンゼのおっちゃんも一緒に行こうぜ。この店で何見てたの?」
「なに、ここの店主のヘスとは古い知り合いでしてな。今日はあとひとつだけ用事があるのですが……」
ロイの誘いに迷う素振りを見せるカンゼ。だが、傍若無人なロイはマイトの意見を聞くこともなく話を進めていく。
「じゃあ一緒におっちゃんの用事も済ませちゃおうぜ。場所はどこに行けばいいんだ?」
「おい、ロイ……」
気遣いの視線を向けるマイトに、カンゼは軽く頷きを返した。
「……では、第2防壁と第3防壁の間。行きましょうか――」
知らず、カンゼの目が遠くを見る。
「――“英雄の碑”へ」
皮肉げに口元を歪めたカンゼに、マイトは顔を逸らし、ロイは首を傾げた。
† † † †
冒険者は過酷な職業だ。
自らの命を担保に、武器を持ち防具を着込み、死地である魔境に挑む愚か者たち。秘境で死ねば身体も魂も魔境に取り込まれ、そこに人としての尊厳など残るはずもない。
それでも、冒険者たちは夢を見る。
自らの武で、知で、心で――世界に傷跡を遺す瞬間を。この世界に反抗する手段が、それしかないと知っているから。
中には金目当てで冒険者を志す者もいる。一攫千金もあり得るのが、冒険者の夢でもある。だが、それは運だけではどうしようもない現実だ。実力を兼ね備え、装備と仲間に恵まれ、その上でなお幸運な者だけがつかみ取れる夢。
「他都市では、冒険者は死に触れる職として墓地に入れない、なんて話を聞きますが、グランティアは違います」
グランティアは、城塞都市だ。ごく初期の頃は国軍が砦を維持していたと聞くが、そのあまりにも過酷な損耗率に、やがて中心を担うのは冒険者や傭兵たちになっていく。ただ、食うに困ってやってきた人間たちをすり潰して維持される、地獄のような場所。勇者教に残る記録では、十数人の“勇者候補”が亡くなっている。
「グランティアの市民たちは、冒険者をきちんと敬い、理解しています。だから死ねば、北区にある共同墓所に入れる。しかし、それは墓に納める骨があればの話」
魔境に飲み込まれて生死不明、なんて冒険者の中ではありふれた話だ。生死がわかればまだマシで、遺骨や遺髪があるなんて死に方としては上々。グランティアの冒険者ギルドの依頼板には、ひっきりなしに捜索依頼が並ぶ。
「骨もなく、死んだかすら定かではなく、ただ見当たらない。3日がやがて10日になり、10日がやがて1年になる」
冒険者の死とは、そんなものです。
独り言のように呟かれた言葉たち。それはマイトとロイに聞かせるためというよりは、自分を納得させるために何度も考えた言葉のようだった。
「……グランティアがかつて、『始まりの勇者』と【最古の魔王】との激戦の地であったことを?」
「『候補地』だ。大陸中にある」
カンゼの言葉に、マイトは捕捉をいれる。特異種と魔境に囲まれたこの地を、魔王と勇者ゆかりの地だと考える者は多い。だが、魔王に関する文献が多数残っている『ラニ・ウェダン聖心国』、勇者の血筋を遺し続ける『エミスフェル勇王国』……いずれも、交戦の地と主張する場所は多い。
そのことをカンゼも知っていたのか、軽く頷いて行く先にそびえる石を示す。
「グランティアの中州砦から、南のハバギア大森林地帯を開拓したものたちが見付けた岩です。魔術を使った干渉を弾き、堂々とそびえ立つこの岩に、人々は想いを託しました」
高さは、およそ7m。青みがかった光沢を放つ巨岩は、何重にも張られたロープに囲まれ、行き交う人々を見下ろしていた。近づくほど、ノミと金槌で石を叩く音が聞こえてくる。
「最初は、シンボルとして。やがて北区に共同墓地ができてからは、当時の冒険者ギルド支部長がこの碑の周辺を購入。生死不明の冒険者たちの名を刻む……“英雄の碑”となりました」
立て掛けられた脚立の上で、1人の作業員がノミと金槌を振るう。巨岩の足下には、ボロボロに錆びた剣や短剣が突き刺さっていた。
「娘は冒険者でした」
ぽつりと呟いたカンゼが、突き立てられた短剣のひとつを撫でる。風に晒され、錆びに覆われた短剣の刃を、愛おしいもののように。剥がれ落ちた赤黒い塊を指ですり潰すと、細かい粒子になって風に流れていく。
「名はセルマ。親馬鹿ながら、優秀なレンジャーでした。私の持っている技術・知識を全て叩き込んで――母を早くに亡くしたせいで、少し達観した部分のある娘でしたが……純銀級に昇格した時は、泣きながら喜んでいました」
ロイとマイトは、黙って続きを待つ。
「所属していたパーティが、白狼と接敵した。それを聞いたのは、娘が20歳になったばかりの時です。冒険者として、ベテランと言ってもいい領域に達したセルマは、ギルド所属調査員になるのを断って、気の良い仲間たちと魔境に挑む日々を続けて――行方不明になった」
カンゼの口調は平坦で、感情の色を窺わせない。
「生き残ったパーティの1人は錯乱状態で、その時の様子を詳しく聞くことはできませんでした。わかったことは、白狼と接敵した時、リーダーの判断で全員が散り散りに逃げ……生き残ったのはその男だけだったこと」
しゃがみこんだカンゼは、もう一度短剣を撫で、ゆっくりと腰を上げる。視線は遠く、“英雄の碑”に刻まれた娘の名に向けられていた。
「マイトさん、『白狼と戦う』英断に感謝を。ロイくん、君の力に期待と願いを。身の回りは整理してきました。奴を倒せるのなら、この命をいくらでも使ってほしい。そして、これは明日言うつもりでしたが……」
懐をまさぐったカンゼは、鞘に収められた1本の短剣を取り出す。重厚な金の装飾を施されたソレは、陽光を跳ね返して鈍い光を放つ。
わずかに鞘から引き抜かれた短剣は、周囲に凄まじいほどの重圧を解き放つ。その存在感を認識したマイトとロイを見たカンゼは、再び短剣を鞘に収める。それだけで、放たれていた重圧は霧散した。
「《遺志の短剣》……ここまで強いのは初めて見た」
「なんだそれ……?」
ロイの疑念に、マイトが答える。
「勇者教の聖地、ラニ・ウェダン聖心国でしか手に入らない奇跡の短剣だ。制作できる者が限られていて、原材料も謎。存在を知ってる人もそもそも少ない。『強い意志を持ち続けた者のみに真の威力を示す』、って言われてる」
マイトも見たことはあるが、制作された直後はただ華美な装飾が施された短剣である。強い意志を持つ者が、この短剣を常時持ち運ぶことによって、その意志が短剣に宿り、一撃の威力を増幅させる――と言われている。だが存在自体がごく少数、かつ使用したところを見たものなどほぼゼロ。
その威力のほどをマイトは知らないが――今、実感した。先ほどの重圧は、十分白狼に対抗し得る切り札となる。
「この一撃なら、私でも有効打を撃てると思います。戦略に組み込んでもらいたい」
「……わかった」
《遺志の短剣》に込められた想いがなんなのか、マイトは聞かなかった。カンゼの瞳から放たれるのは、憎悪や怨恨ではない。
ただ、理不尽に娘を奪われたことに対する――絶望的なまでに深い怒りだけが、彼を突き動かしていた。