第3話 白狼討伐作戦
第3話 白狼討伐作戦
「……というわけで、期限が早まった。今日の目標は深層への到達だ」
集合場所に集まったロイとカンゼに、マイトは昨日の出来事を説明した。仕事の期限が短くなるのはさほど珍しいことではないとはいえ、完了の目処が立っていないところで言われるのは、なかなか辛いものだ。
「望むところだぜ」
深層にたどり着けるかどうかは、このマイペースな男にかかっていた。不敵に笑うロイに、マイトは頼もしさと不信感の入り混じった視線を向ける。
「かなりの強行軍になりそうですね……」
自信満々のロイに対して、不安そうにするのはカンゼだ。戦闘要員であるマイトとロイ、2人の案内や物資の調達はカンゼの役割。最初から深層へ到着するための物資を用意しているとはいえ、状況が変わったのならば余裕を持つ必要もあるかもしれない。
「けど、今日無理するつもりはない。白狼の痕跡を見付けられば最高だけどな、まずは安定して深層に行けるかどうかだ」
森に踏み入りながら、マイトは呟く。確かに評価が落ちるのは怖いが、それも命あってのもの。
マイトの呟きを聞いたカンゼはほっと息を吐き出しながら、周囲を警戒する。マイトもロイも勘は鋭いほうだが、カンゼの警戒は熟練の技だ。目を素早く左右に走らせて魔獣の痕跡を探しつつ、耳はわずかな違和感も聞き逃さないようそばだてる。
「……《突牙猪》がいます。迂回しましょう、こちらへ」
すぐに魔獣を見つけ出したカンゼは、ゆっくりと迂回ルートを進む。ロイは不満げだが、見つけた魔獣全てと戦えば深層に辿り着けないことを理解したのだろう、大人しく指示に従う。
《突牙猪》は突進と牙が脅威の魔獣だが、目が悪い。冒険者たちはセズの実という強い匂いを放つ実をすり潰すことで、嗅覚の強い魔獣の感覚を誤魔化す。カンゼからその話を聞いたロイとマイトはしきりに感心し、ハバギア大森林に入る時は必ず行っていた。
足下を駆け抜ける《灼蜥蜴》に驚き、《騒鳥》の鳴き声に辟易としながら、3人は徐々に徐々に深層へ近づいていく。
「……おそらく、《六眼狼》の縄張りに入りました。警戒を強めてください」
カンゼの言葉に、ロイとマイトは頷く。3人が昨日も戦った《六眼狼》は、広い縄張りを持つ狼である。冒険者は《六眼狼》か《突牙猪》を倒すことで初心者卒業を認められる。
《六眼狼》は連携が巧みで、群れの規模次第では、中級の冒険者すら牙にかかることがある厄介な敵だ。カンゼが右手を挙げると、マイトとロイが左右を警戒する。カンゼが懐から取り出した分厚い羊皮紙を広げ、情報を書き込んだ。
「昨日とは僅かにルートを変えていますが、こちらの方がよさそうですね」
周囲を見回し、木々の密集具合を確認するカンゼ。大きく枝葉を広げた樹木が多く、倒木が少ない。下草の密度もさほど濃くなく、不意打ちされる心配は少なそうだった。
「……確かに戦うには良い場所だ。道もそれなりに広い」
「だからこそ――」
「警戒すべき、ですね。《鎧熊》が出てくるかもしれません」
カンゼの言葉に、警戒を露わにするマイト。自分の腕の匂いを嗅ぎ、セズの実の効力が切れていないことを確認。せわしなく左右に目をやり、安全を確保する。
「少しお待ちを」
カンゼは背負った背嚢をおろし、中からロープを取りだした。先端を束ねて投げ上げると、横に張り出した木の枝に引っかける。そのまま張りを確認すると、ロープで身体を支えながら幹を登っていった。
するすると木を登っていったカンゼは、そのまま周囲を見渡せる程度の高さまで登る。同じ高さの樹木がそれなりにあるせいで、完全に見渡せるわけではないが、少なくとも近づいてはいけない領域――【冬】のエリアに見当をつけた。
「あちらに向かうと【冬】の領域です」
木から下りてきたカンゼの言葉に、マイトは考え込む。
ハバギア大森林地帯の【冬】――雪が降り続けるその領域は、踏み込めば死が確約されている場所だ。ごくまれに移動することもあり、その中心には未だ人類が確認できていない特異種がいるだろうというのが勇者教の予想だが……【炎】を扱う白狼がいる可能性は低いだろう。
「……じゃあ、こっちだな。深層に向かいつつ、【冬】から離れる」
「そうしましょう」
2人で方針を確認し、マイトが方角を決める。そして1歩を踏み出した瞬間、風向きが変わった。
マイトは剣を引き抜き、ロイが拳を構え、カンゼは邪魔にならないように大きく跳びさがる。風に乗って漂ってきた獣臭。一瞬だけ風向きが変わったせいで、奇襲に失敗したそいつらは、草むらを揺らしながら飛び出してきた。
「《六眼狼》! 数は7!」
マイトが叫び、素早く状況を確認する。7頭の内3頭が前へ、4頭は隙を窺う。ロイに向かっていく3頭の《六眼狼》のうち、2頭は放置。残った1頭の《六眼狼》がわずかに遅れてロイを狙うが、マイトが蹴りを食らわせ、空中に跳ね上げる。
拳を振るったロイによって、飛びかかった2頭の《六眼狼》がまとめて殴り払われた。
「あぶなっ!」
マイトは吹き飛んできた《六眼狼》を屈んで避けながら、自分で蹴り上げた1頭が着地して体勢を整えるのを確認する。ロイをより危険視したのだろう、隙を窺っていた4頭の《六眼狼》のうち、1頭がマイトへ、残り3頭はロイへ。
「シッ!」
ロイを狙う《六眼狼》に、カンゼが投げナイフを放った。狙われた《六眼狼》たちは軽快なステップで投げナイフを躱すが、遠距離攻撃手段を持つカンゼを先に狙うべきか、一瞬迷う。
「【shrumy】!」
マイトが唱えた魔言によって、魔術が組み上がる。周囲の魔力を糧として、マイトの姿が揺らぐ。地を這うように駆けるマイトの影が、ロイを狙う《六眼狼》に迫った。
一瞬の隙に肉薄された《六眼狼》が、慌てて回避行動をとるが、それこそがマイトの狙いだった。
マイトを避けようとする《六眼狼》を無視し、マイトと衝突するルートをロイが突っ切る。物理的な干渉を受けた幻影がかき消え、あとに残るのは隙を晒した3頭の《六眼狼》だけ。
「オラァッ!」
ロイが左手で掴んだ《六眼狼》を投げ飛ばし、返しの裏拳で顎を砕く。マイトは幻影に釣られた《六眼狼》の首を冷静に切り落とした。
残り2頭となった《六眼狼》が、狼狽えたように周囲を見る。動揺した隙をついて飛翔した2本の投げナイフが、骨の隙間を縫ってそれぞれの脇腹に突き刺さった。投げナイフに塗られた即効性の麻痺毒が、《六眼狼》の動きを奪う。
マイトは素早く周囲を見渡すと、最初にロイに吹き飛ばされて、まだ息がある《六眼狼》の心臓に、冷静に剣を突き入れた。
ロイとカンゼが周囲を警戒しているのを確認し、麻痺毒で動けなくなった2頭の《六眼狼》にもトドメを刺しておく。
「……大丈夫そうですかね」
「ああ。地面も砕けてないし」
カンゼの安堵のため息に、ロイが自慢げに答えるが、マイトの鋭い指摘が飛ぶ。
「ロイッ! 《六眼狼》を俺の方に殴り飛ばしたのは許してないからな!」
「記憶にねぇな」
とぼけるロイに舌打ちをしてから、マイトは少しだけ考える。
「毛皮は捨てて移動しよう。ここで時間を使いたくない」
「そうしましょうか」
カンゼの同意を受けて、3人で移動を開始する。うち捨てられた《六眼狼》の死体に、やがて褐色の蝶――《死番蝶》が集まり、周囲には肉を食い破る音が響き始めた。
「ロイと俺の連携には、まだ未熟な部分があるという感じかな」
「そうですなぁ……」
顎髭を撫でながら考え込むカンゼ。この3人の中では一番の年長者で、数多くの冒険者を見てきた男を、マイトはことのほか信用していた。
「連携というよりは、いかにマイト殿がロイ殿に合わせられるか、ですかねぇ」
「……それは本当に連携か……?」
『俺は俺のやりたいようにやるからお前が気を配れ』と言っているのも同じだ。だが、マイトの感覚とも一致してしまうのだから始末に負えない。ロイに連携を教え込むよりも、自分の動きをロイに合わせたほうが早そうだ。
歩きながら先ほどの戦闘の反省会を行い、慎重に森の奥へ踏み入っていく。それまでは存在した道らしき空間が減り、より濃い緑の葉が目立つようになれば、深層に到着である。
「……この空気感」
「魔力の濃度が桁違いですねぇ……」
「……?」
マイト、カンゼが深層の雰囲気に警戒を露わにする中、ロイは首を傾げている。バカなのか、大物なのか。
「特異種“白狼”は、炎の魔術を扱う。焦げ跡や臭いを警戒」
「これだけ湿度と魔力が濃けりゃあ、やりたい放題ですな……」
なお慎重に、敵影を見逃さないように周囲に目を配る3人。深層ともなれば、危険なのは特異種だけではない。特異種によって魔力濃度があがった領域は、強力な魔獣を生み出す。いずれも領域の王たる特異種ほどではないにせよ――普通の人間に太刀打ちできる敵ではない。
「《蜘蛛蟷螂》ッ!!」
鋭いカンゼの声が飛び、マイトが素早く屈んだ。瞬間、マイトの首が存在した場所を豪風一閃、鎌が駆け抜ける。慌てて距離を取ったマイトは、首筋を撫でた風に慄き、思わず首が残っていることを確認する。
「おいおいおい……倒し甲斐のありそうな相手じゃねーか……!」
奇襲してきた魔獣の姿を視界に入れたロイが、不敵に笑って拳を合わせた。
大木の枝よりぶら下がるのは、2つの鎌を持つカマキリ。奇襲に失敗した《蜘蛛蟷螂》は、腹から出した糸を伸ばして地面に降り立つ。油断なく構える3人を前に、《蜘蛛蟷螂》は素早く逃走に移った。
「は!?」
「逃がすな!」
鮮やかな奇襲、からの撤退。カンゼの投げナイフが退路を断ち、《蜘蛛蟷螂》が苛立たしげに呼気を吐き出す。マイトが振り下ろした剣は、交差させた鎌に受け止められる。
「こいつッ……! ちっちゃいなりして、なんつー馬力!」
押し込めないマイトを見て、《蜘蛛蟷螂》は後退。腹から放たれた糸が背後の木にくっつき、糸を軸にして横に動き回る。ロイが拳を振りかぶり、放つ。が、6本の脚を使って小刻みに動き回る《蜘蛛蟷螂》をとらえきれない。
「糸を切ります!」
変則的な動きの原因はあの糸だ。カンゼは徐々に張り巡らされていく糸を切断する。マイトが逃げ場をなくすように剣を振るい、ロイが必殺の一撃を狙う。
「今!」
「任せろ!」
執拗に腹の部分を狙うマイトの攻撃をうっとうしく思ったのか、《蜘蛛蟷螂》が大きく飛び下がる。着地点めがけて、ロイも跳ぶ。
ロイが繰り出した拳は素早くコンパクトな一撃だったが、空気を裂く音がした。威力は十分にある――が。
「は!?」
「嘘だろ!?」
一瞬だけ広げた片翼が羽ばたき、わずかに《蜘蛛蟷螂》の体が傾く。着地は不格好になったが、ロイの拳が躱された。そのまま距離を取ろうとする《蜘蛛蟷螂》の頭を、カンゼの投げナイフが弾く。
よろめいた《蜘蛛蟷螂》の首を、マイトがなんとか切り落とした。
3人が一斉に距離を取り、《蜘蛛蟷螂》の行動を見守る。少しの間ふらついた《蜘蛛蟷螂》だったが、やがて力なくくずおれた。せいぜい大型犬程度のサイズの魔獣に苦戦させられた3人は、思わず無言で死骸を見つめる。
しばらく死骸を見つめて息を止めていた3人だったが、追加の襲撃がないとわかると、全員が一斉に息を吐き出した。
「……こんなのがいっぱいいるのか、ここ……」
「最初の奇襲、ヤバかったな……」
「運が良かった、以上に言えることはありませんね……」
投げナイフを回収するカンゼに、素材をはぎ取るマイト。《六眼狼》の毛皮は捨てたが、《蜘蛛蟷螂》の素材はあまりにも惜しい。魔石を取り出し、鎌をへし折る。薄暗い森の中でも光を跳ね返す《蜘蛛蟷螂》の鎌は、素材と化してなお不気味な迫力を醸し出していた。
「絶対に無理はしないで帰る。いいな?」
マイトの言葉に、ロイとカンゼは頷いた。