第2話 勇者教
第2話 勇者教
勇者教の教会は、一目でわかるように作られている。頑丈な石材を使い、屋根には石剣が突き立てられ、いざというときは立てこもれるように建築されている。遠くからでも、『屋根に突き立った灰色の石剣』を探せば、避難場所がわかるようになっているのだ。
これもすべて、魔王災害に対する備えである。
「ただいま戻りました」
“勇者候補”は決して軽い立場ではない――が、組織において、責任の大きさはあまり関係がない。個々の得手を生かし、より大きな成果をあげることが組織の目的である。
「おかえりなさい、マイトさん。成果は?」
たとえ、教会の入り口を清掃してる若い女性にニッコリと聞かれたとしても、態度に出してはいけないのだ。
「なしです。明日からは方針を変えるので、もう少し奥までいけると思います」
「そうですか、期待していますね」
とはいうものの、女性の目に期待の色は浮かんでいない。嘘と騙しには敏感なマイトは、そのことにとっくに気づいていた。
……まあそもそも、この白狼討伐作戦そのものがあまり周知されているものではない。勇者教の人間なら噂で聞いている程度。だが、蓋を開けてみれば現状動かされているのは勇者候補マイト・ディンガただ1人、成果が出るとは思っていないはずだ。
「報告に行ってきます」
どうぞ、と道を開けてもらったマイトは、教会の重厚な扉を引いて開く。いくつものベンチが並び、奥の一段高いところには教壇が置いてあった。造りだけ見れば平凡な構造だ。
ひやりとした空気がマイトの肌を撫で、汗が引いていく。天井を見上げれば満点の星空が広がり、中空には無数の本が舞っていた。
これぞ、勇者教だけが誇る降臨系魔術のひとつーー【夜天】である。
その効果は、各地にある勇者教の教会間での物質転送である。物質転送を行えるのはこの世界において教会のみであり、その原理は勇者教の中でも秘中の秘とされている。
勇者教において、新たな教会が建つ時ーーここ100年ほどはないがーー術者が、教会に【夜天】を施す。謎の多い降臨系魔術の中でも、極めて特殊な魔術である。
初めて教会に踏み入ったものは、この幻想的な光景に目を奪われるというが、身内であるマイトにとっては見慣れたもの。ちらりと一瞥し、さっさと列に並ぶ。
列の先頭には、1人の老人が手紙を持っており、受付の女性が対応している。
「この往復便をマインセルの靴屋のアミルダに、頼みたいんじゃが」
「はい、承りました。銀貨2枚になります」
手紙を受け取った女性は料金を確認すると、走り書きを施した。
「では、転送は5日後になります。お返事につきましては、20日ほどが目安となりますので、ご都合のよろしいときにお越しください」
老人は頷き、ゆっくりと去っていく。自分の番になったマイトは、軽く右手を挙げて挨拶の代わりにすると、受付の女性は営業用の笑みを浮かべた。
「よ。成果なしだ。明日からは方針変更」
「資金追加のご要望は?」
「まだなしだ。書類も書けてねぇし」
活動資金はまだある。というか、成果を多少あげないと要望も通り辛い。せめて接敵してから要望書をあげるべきだろう。
「今日の報告は終わりだが、何かあるか?」
「お待ちを。ゼーゲンビル様より、顔を出すよう言伝を預かっております」
言われたマイトは顔をしかめる。ゼーゲンビル――ここグランティアの教会を預かる老人であり、マイトの師父との知り合いだ。厄介なことを言いだす可能性の方が高い。
しかし、会わないという選択肢はない。
「……執務室にいらっしゃるか?」
「はい。いつでも通せ、とのことなので、急ぎの案件だと思われます」
ため息をひとつ吐き出し、マイトはカウンターの奥へと向かう。無数に積み重なった手紙を避けながら奥の扉を開けると、急こう配の階段が現れた。不穏な軋み声を上げる階段を登り、執務室の扉をたたく。
「入れ」
「入ります」
威厳に満ちた老人の声で入室を許可されたマイトは、気負わずに扉を開いた。執務室は書類とよくわからない魔道具であふれかえっていたが、よくあることなのでマイトは気にしない。
「よく戻ってきたな、“勇者候補”のマイト・ディンガよ」
白髭、しわくちゃの顔、逆立った白髪――見た目は年寄りに踏み込んでいるくせに、鋭すぎる眼光と鍛えられた筋肉の厚みが、彼が未だ現役であることを示していた。
ゼーゲンビル・スティード……城塞都市グランティアの教会を預かる、大司教である。
「勇者さまの加護があるようです、スティード卿」
ふん、と鼻を鳴らすゼーゲンビル。マイトはこの老人とも10日ほどの付き合いになる。魔獣と小競り合いを続けるこの都市において、『勇者さまの加護』なぞなんの役にも立たないことは、すでにお互いにわかっていた。
マイトの皮肉に気を悪くした様子もなく、ゼーゲンビルは言葉を繋ぐ。
「お前が何も言わないってことは今日も成果はなし。メリンゼに絞られた様子もないから、打開策は一応あるが、報告しないから画期的な何かではない。このまま行けそうか、ディンガ卿?」
皮肉に満ちた返答に、マイトは思いっきり嫌そうな顔をした。人の態度から思考や状況を読むのはさほど難しいことではないが、この老人はその精度が異様に高い。マイトが苦手な、隠し事や虚偽が通じない相手だ。
「……正直、手詰まり感はありますね。明日、やり方を少し変えてみますが、どこまで行けるかは未知数です。冒険者ギルドの協力は得られないんですか?」
マイトの要望に、ゼーゲンビルも顔をしかめる。
「冒険者ギルドの連中なら、お前が声かけた方がまだ可能性があるだろうよ」
皮張りの椅子に深く腰掛け、挑戦的な目つきでマイトを睨むゼーゲンビル。ここグランティアの教会を掌握してから5年の月日が経つが、ゼーゲンビルとて冒険者ギルドと完璧な協力体制を組めるとは思っていない。
冒険者とは実力主義の無法者たちであり、ギルドの長はその代表だ。防壁の外で魔獣と戦い、命を賭ける人間の必要性を、奴らはよくわかっている。当然、交渉も強かで厄介。癖も強い。
冒険者ギルドの長も、数年で懐柔できるような手合いではない。わかっているからこそ、マイトは舌打ちをひとつして顔を背ける。結局、あの厄介な2人となんとかするしかないということだ。
「大司教殿、手を組んでいる冒険者は、多少常識破りではありますが、無能ではありません。近いうちに、必ず何かしらの成果をあげられると思います」
これはマイトの本心でもあった。厄介な2人ではあるが、実力とやる気は本物だ。癖は使いこなせばよい。だが、そんなマイトの決意とは裏腹に、現実は厳しかった。
「そんなお前に悲しいお知らせだ。これ、なんだと思う?」
ひらり、と手紙をたなびかせるゼーゲンビル。見るだけで威圧されるような真っ白い封筒、真紅で象られた獅子の紋章。やんごとなき身分の方からの手紙だということは理解できたが、マイトの脳裏によぎった高位貴族の紋章とは一致しない。真っ先に思い浮かんだあの女の紋章は違う。
だが、わからないはずもなかった。有名すぎるがゆえに、頭から排除していた選択肢。
「おっ、王家の方々からの……勅命書……?」
声がかすれるのも無理はない。普通は、一生本物を見ることはない紋章だ。エミスフェル勇王国の、王族の勅命書など。
「なんでも、非公式の勅命書なんだと。そんなもんあるのか? まあいい。長々面倒な装飾がついてるからざっくり言うと、お前への依頼は『事前調査』ではなく『偵察任務』になる。白狼討伐作戦のな」
マイトはなんとか白目を剥くのをこらえた。勇者教が内々で進めていた『白狼討伐作戦』……責任者は大司教か教皇か、聖女か巫女か……せいぜい、そのあたりだと予測していたのだ。エミスフェル勇王国に協力要請をしているのだろうと。
だが違った。この作戦の根幹は――
「痺れを切らしたんだろうさ。エミスフェル勇王国は、本格的に特異種を討伐するつもりだ」
マイトは歪む視界を押さえるように、額を揉みこむ。勇者の血筋を保有する大国家、エミスフェル勇王国が主導しているのであれば、その責任の重さは跳ね上がる。
「大国なんて腰が重いものでしょうに、なんだってまた急に……」
「さあな。だが、だからこそあの“勇者候補”、【王国最強の剣】が特異種討伐に出向くことになるんだろうよ」
5日だ、とゼーゲンビルは呟いた。それが期限ということだろう。調査ならば慎重に動いて情報を持ち帰るのも仕事のうちだが、偵察となるとそうもいかない。本隊が到着したときに、『敵がどこにいるのかわかりません』では話にならないからだ。
「わかりました。早急に成果を出します」
「期待している」
マイトが執務室を出ていくのを見送り、ゼーゲンビルはため息を吐き出した。
「『勇者教の方で諸々細かいことはやっておいてくれ』、か……“勇者候補”、【偽想】のマイト・ディンガ。使い勝手が良いというのも考え物だな」
勇王国も勇者教も、そして自分自身も、マイトを便利に使い過ぎている。ゼーゲンビルは嘆息した。マイトは最良の結果を導くために、与えられた役割に縛られずに考え、行動できる“逸材”だ。そういう人材は貴重なものである。
【王国最強の剣】が剣を振り下ろすために、【偽想】が場所と道を整える。だが栄光は剣に与えられ、マイトに光が差すことはない。
ゼーゲンビルはマイトという男の在り方を評価していたが、いつまで経っても世間や勇王国の重鎮が、それに気付くことはないだろう。【王国最強の剣】が特異種を討伐すれば、マイトの実績はなおさら日陰に追いやられる。
エミスフェル勇王国と勇者教の関係性は悪くはない。だがゼーゲンビルの胸中に『いっそマイトが特異種を討伐してしまえば、見返してやることもできるんだがな』という気持ちが湧き上がってくる。
ゼーゲンビルは叶えられることはないだろう妄想に、数秒だけ浸ったあと、白狼討伐作戦のための準備に取りかかるのだった。