第12話 新たなる誕生
第12話 新たなる誕生
「聞きましたか!? 聞きましたか!?」
「そんなに騒がずとも聞こえているわ! 老人扱いするなッ」
せめて、と祈りを捧げていたゼーゲンビルは、ともあれ旧友の息子が生きていることに、安堵の息を吐き出した。勇者教の受付の女性――メリンゼは、不満げに頬を膨らませる。
「ならもっとわかりやすく喜んでくださいよ。マイトさんのことは気に入ってるんでしょう?」
「ああ、お前さんと同じでな」
少し探るつもりで言葉を投げ返したゼーゲンビルに、メリンゼはやれやれと首を横に振る。ゼーゲンビルは、『わかっていませんねぇ……』と呆れた声を出すメリンゼを幻視した。
「マイトさんは事務手続きをきちんとしてくれますからね。報告書も経費書類も伝言も。貴重な相手です」
「ならお相手にどうだ? 今や一気に時の人だぞ」
3番目の『権能持ち“勇者候補”』となったマイト・ディンガ。勇者の第4権能といえば、傷ついた町や人を癒やしたという【快癒の道標】。利権やおこぼれを狙って、多くの人間が関わってくるのは間違いなかった。そこにうまく食い込めば、かなり楽しい生活を送れるだろう。
「嫌ですよ。もっとぼんやりした人の方が好みなんで」
好みは分かれるだろうが美人に分類されるメリンゼに、あっさりとフラれるマイトだった。ゼーゲンビルが心の底に今のやりとりを仕舞ったため、彼がショックを受ける可能性は低い。人生の先達から、せめてもの心遣いだった。
「……そういえば、さっきから何してるんです? 今日は来客の予定はありませんよ」
祈りをやめたゼーゲンビルが、身なりを整え自分で確認している。いつもより念入りに自分の服装を確認している上司に、メリンゼは思わず問いかけた。
「そりゃお前、マイトをハバギアまで迎えに行く。お前も来るか?」
当たり前みたいに聞き返してきた上司に、メリンゼは内心で『なんだよ結局お前が一番喜んでるじゃねーかこのハゲ!』と思ったが。
「行きます!」
それはそれとして勇者教の歴史に残る慶事には違いなく、即答した。2人で勇者教の人間として表に立っても問題がない格好であることを確認し、教会を出る。
「いやぁ、あのマイトくんが特異種を倒すとは……」
「よきかなよきかな。若手の活躍はいつだって心躍るものよの。不審な動きを見逃した甲斐があったというもの……」
「……? あ! 大司教様、まさか……?」
実はマイトが特異種白狼を『本気で討伐する』つもりであったことに気づいていたゼーゲンビルは、不敵な笑みを浮かべるだけで明言を避けた。だが書類業務を一手に担うメリンゼは心当たりがあったのか、やれやれと盛大なため息を吐き出す。
「ほどほどにしてくださいよ?」
「わかっておるわ……すまんの、通してくれるかの?」
「大司教様⁉︎ どうぞどうぞ!」
正装に身を包んだ大司教ゼーゲンビル・スティアードが声をかければ、新たに生まれた『位階持ち勇者候補』を一目見ようと集まった野次馬たちが道を開ける。悠々と歩を進めるゼーゲンビルの後ろで、メリンゼが頭を下げながらさりげなく勇者教の印を見せて関係者であることをアピールしていた。
「さぁて、長丁場になるかもしれんな……今のうちに軽く食べ物でも買っておくか?」
「みんなに見られてる中でもぐもぐやる勇気はないですよ私は……」
気楽な様子のゼーゲンビルの後ろで、疲れた様子で息を整えるメリンゼ。
「大司教さま〜!! おめでとうございます!!」
「白狼を倒してくれてありがとうございます!!」
勇者教関係者に向けられる惜しみない賛辞を、鷹揚に片手を上げて応えるゼーゲンビル。そのまま上げたままにすると、徐々に賛辞の声が収まっていく。
「皆の者……祝福の声、真に嬉しく思う」
静かになったところを見計らって、ゼーゲンビルは深く声を張った。どこか聖女ラニの『託宣』に似た声のトーンで、発表だと察した者たちが耳を傾け、騒ごうとした者を小突いて静かにさせる。メリンゼは、恭しく頭を下げて言葉の続きを待った。普段気安く接してはいるが、大司教ゼーゲンビル・スティアードは老齢にしてグランティアの教会を預かる重鎮なのだ。
「勇者教とは、始まりの勇者にしてエミスフェル勇王国初代女王、エルシャ・ミーレッドを讃えるために生まれたものである。皆も知っての通り、“勇者候補“とは魔王に備える勇者教最高の戦力……」
静かになった空間に、ゼーゲンビルの声が響く。グランティアの第3防壁前に集った彼らは、ハバギア大森林地帯から帰還する“勇者候補“を心待ちにする。
「その中でも、『位階』をもつ勇者候補は、かつて初代勇者が振るった7つの奇跡の一部を行使できるようになる……」
「七の聖典!」
堪えきれず、といった様子で声を上げた少女に、ゼーゲンビルは目礼して言葉をつなぐ。
「左様。我ら勇者教が発行する【勇者冒険譚】……通称、『七の聖典』には勇者が苦悩しながらも奇跡に目覚める様子が描かれておる。【王国最強の剣】が持つ、第1権能……『銘無の聖剣』。【賢人】が持つ第7権能……『謳う錫杖』。そして、この度“勇者候補“マイト・ディンガが行使を許されたのは、第4権能」
周囲を見渡し、ゼーゲンビルは息を吸い込む。人々の苦悩と、期待と、そこに連なるさまざまな事情を考えて、言葉を紡ぐ。
「『快癒の道標』は……伝承によると、ありとあらゆる外傷を治癒し、病すら退けることがあると伝わるものだ。今この場にも、傷や病に悩む者がいることは、承知している」
興奮した様子の群衆が、少しだけ落ち着きを取り戻し、周囲を窺った。お祭り騒ぎに釣られた健康的な者が多い中、冒険で腕を欠損した者、喘ぐような呼吸で壁に寄りかかる者……絶望の淵に追い詰められながらも、一欠片の希望……勇者としての権能に希望を抱く者たちだ。新たな英雄の誕生に騒いでいた者たちが、顔を伏せる。
「……諸兄らが苦しんでいることは承知している。一刻も早い救済を望み、祈りを捧げてきたことも承知している」
だが、とゼーゲンビルは力強い声を出す。
「“勇者候補“マイト・ディンガは、おそらく特異種白狼と、尋常ならざる戦いをしてきた直後。その状態で彼に権能の行使を願うこと、この大司教ゼーゲンビルの名において禁止させてもらう。もちろんこれは、永遠に続くものではない。然るべき休息をとった後になら、教会にて願い出れば応えられるはずだ」
不満、不平の気配はあった。何せ病状を押してこの場までやってきたのだ。だが、それでいてなお、ゼーゲンビルに対して罵倒が飛ぶことはなかった。それは彼が、ゼーゲンビル・スティアードという男が、今まで約束を違えたことがなかったからだ。ひいては、勇者教という組織に対する信用でもあった。
「……帰ってきたぞ!」
誰かの叫び声が、波紋のように群衆の間に広がった。見つけたのは、どうやら索敵を担う冒険者の1人のようで、陽が陰り始めたハバギア大森林地帯を目を細めて見つめていた。第3防壁の上から降ってきた声に、群衆がゆっくりと覗き穴に集まるが、彼らが見つけるには覗き穴が小さすぎた。
やがて見えないことに気づいた群衆たちは、大人しく彼らを迎え入れるべく門の周囲を取り囲む。この事態を予測して集まっていた衛兵たちに、何人かが絡む。普段は北の地区にばかりいるからやむをえまい。
「うおおおお1番前死守だ!」
「あっ冒険者どもが!」
「どんだけ白狼に仲間殺されたと思ってんだ!」
「……しょうがねぇな!」
怒号が飛び交ってはいたが、それでも周囲に漂う気配はおめでたいことを歓迎する気配だった。気が早すぎる誰かが始めた拍手は、やがて群衆に伝播して壮大な歓迎会の準備となる。
どうにかこうにか門の前のスペースを確保した群衆は、すでにゼーゲンビルのことは見失っていた。混乱の隙にしれっと屋根の上に登ったゼーゲンビルとメリンゼ、他数名の冒険者たちは、気楽な様子で言葉を交わす。
「ありがとよ、爺さん。おかげで仲間も浮かばれる」
「礼なら直接マイトに言ってやっとくれ」
「もちろんそれも言うがよ、とりあえずみんなにありがとうって言いたい気分なんだよ」
「……勝手にせい」
大の大人が潤んだ声を出している意味を察したゼーゲンビルは、口を閉ざし眼下を見下ろした。
(英雄とは……煌びやかなだけではない。重圧と期待、それに応えねばならないこともある。マイト・ディンガよ、我が親友の息子よ。お主の器、計らせてもらうぞ)
暖かな目線の裏には、冷徹な品定めをする意図があった。せめてもの助け舟は出したが、狂乱の群衆相手にどこまで何ができるか。彼の本質がどこにあるのか。今日ここで、ゼーゲンビルは見極めるつもりだった。
「開門!!」
いつもより声の大きい門番に苦笑いしつつ、ゆっくりと開いた門から彼らが入ってくる。1人は疲れた様子で足を引き摺る冒険者、カンゼ。その少し後ろで何かを考え込む様子の、黒いグローブ装備のロイ。そして最後尾に姿を見せたマイトは、なぜか金髪の少女を背中におぶりーー絶賛口喧嘩の真っ最中だった。
「歓声でさっぱり聞こえんが……あの少女は誰だ? というか、あの服……」
白の法衣に装飾が施されたその服は、勇者教の人間でもごく一部にしか着用が許されていないはず。大司教であるゼーゲンビルですら、本国ラニ・ウェダン聖心国でしか見たことがない。
交差する剣と杖が示す勇者の印……さらにそれを囲う、二重の円。
「聖巫女の1人か? まさか、降臨からそのまま残っておられるのか……?」
呆然と呟くゼーゲンビルのことなど知らず、眼下では『マイト』コールが始まっていた。流石にその空気の中で言い争いを続けることはできなかったらしく、マイトは歓声に応えて右手を挙げる。
「あー……白狼は確かに討伐しました……」
『トドメを刺したのは……』と続けるつもりだったマイトの声は、瞬間的にあがった爆発的な歓声にかき消された。ともすればマイトたちへ向かいかねない歓喜の爆発は、幸いにして周囲の人間と分かち合う程度で終わる。居心地悪そうに周囲を見回すマイト、我関せずと考え込むロイ、目を閉じて歓声を受け止めるカンゼ、そっぽを向く少女……しばらくその状態は続くように思えたが、何かに気付いたマイトが恐る恐る手をあげた。
「あ、あのー……」
マイトの控えめな声では全体に響かず、少し時間はかかったが……それでも英雄の行動に気付いた数人によって、やがて人の話を聞く環境が整う。逆に静かになりすぎた空間に、マイトは若干怯んだが、それでも口を開いた。
「ご存知でしょうが、私が授かった権能は『快癒の道標』。傷を癒やす権能です」
慎重に言葉を選んで語るマイトに、群衆は耳を傾ける。
「とりあえず今、この場にいる人の中にも体調悪そうな人がいるんで……あ、そうそう。貴女のことです」
目が合った老齢の女性は、マイトに手招きされてゆっくりと前に進む。かっ、と硬質な音が響く。足を引きずりながら杖を突いて歩く老女は、静まりかえった道を歩き、マイトの前までたどり着いた。
「治るかはわかりませんが……第4権能――【快癒の道標】」
ほのかに光ったマイトの右手から、光が浮かび上がる。光が老女の左足に宿ると、老女は僅かに身動ぎをした。群衆が見守る中、かなり長い間老女の左足に宿っていた光は、やがてゆっくりと光量を弱めて消えた。
「あ、……」
「どうですか?」
杖を地面から離した状態で、老女は数歩前に歩む。左足を引きずってはいたが、それでも先ほどよりは足が上がっている。
「な、なんとか……あ、歩けそうですッ……! ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
マイトのところまでたどり着いて、老女は崩れ落ちる。地面に膝を突く寸前、マイトが腕を取り支えると、カンゼが気を遣って老女の身体を支える。マイトは安堵の息を吐き出し、群衆に向き直った。
「私に与えられた第4権能、【快癒の道標】に何ができるかはまだ詳しくわかっていません。けれど、人を癒す力があることは今わかってもらえたと思います。人々を救うため、検証のためにも、皆様の力をお貸しください」
頭を下げるマイトを呆然と見るゼーゲンビル。必然、背中におぶられた少女が憮然とした表情でいることが衆目に晒されることになるが、少女は何も言わずに目を閉じた。
「……へぇ、大したやつだな。“勇者候補”ってのは精神性まで審査してんのか?」
屋根から一部始終を見ていた冒険者が、冗談めかした口調でゼーゲンビルに尋ねる。当然、ゼーゲンビルは首を横に振る。
「いや、これは予想外……まさか『全てを受け入れる』選択をするとは。朋友アルフィンよ……お前の息子は、本当に勇者に相応しいかもしれんな……」
眼下に起きた狂騒を眺めながら、ゼーゲンビルはこぼれ落ちる涙を拭った。




