第11話 “勇者候補”と聖女の意志
第11話 “勇者候補”と聖女の意志
球体を手に取ったロイが、ふらりと地面に膝をつき、そのまま倒れ込んだ。
「……おい、ロイ? 無理もないか、激戦だったからな……」
マイトが揺さぶったり、血の匂いを漂わせたカンゼが、心配したようにそばに寄ってくるが、ロイが起きる様子はない。
「――Hewin sire qwed tindress」
「っ、誰だ⁉︎」
声が聞こえた方向に振り返ったマイトは、その光景に驚愕する。空中に、人が浮かんでいた。
「特異種白狼の討伐、おめでとう。“勇者候補“マイト・ディンガくん」
くすり、と笑って見せたのは、絶世の美少女だった。
緩やかな風に靡く白金の髪は木漏れ日を受けて煌めき、整った鼻梁は気高さと愛らしさを同時に内包している。笑んで見せれば、男の背筋を泡立たせるような微かな色気が漂う。まるで造られたかのような美貌に、マイトは息を呑む。透明な湖を思わせる翠玉の瞳は、世界の全てを見通すかのように透き通っていた。
「聖女ラニさま……で、お間違いないでしょうか?」
「お、ちゃんと勉強してるんだね。えらいえらい」
ぱちぱち、と気のない様子で拍手をして見せる絶世の美少女––聖女ラニ。稀代の魔術師であると同時に、勇者教の設立者。さらにはラニ・ウェダン聖心国の建国者でもある。聖心国は初代教皇が最初の王として権力を掌握しているが、そこに至るまでの構造を組み立てたのは彼女だ。
当然、はるか昔に死亡している。
「これが勇者教の扱う魔術が『Arebion』と称される理由……」
マイトの呟きに、聖女ラニ––より正確にいうならば、聖女ラニの意識を宿した何者かは、頷いた。
「そういうことです。もちろん開発者は偉大なる私。とはいえ、長時間維持できるものでもないので、サクッと目的を果たしますよ」
聖女ラニは、神々しい見た目に反して軽い口調で話す。だがそこには有無を言わせない圧があった。絶対的な強者として振る舞い、マイトやカンゼの反応を伺うことはしない。
「さて、特異種を倒したことで勇者の力の一部が返還される。“勇者候補“マイト・ディンガ。キミが受け継ぐ力は、シンギュラが自身の子供を想って行使した癒しの力……」
「え……⁉︎」
マイトが動揺するのも気にせずに、聖女ラニは目線をうずくまるロイにむけ、目を細めた。
「魔玉は……そうか、なるほど。ふむ……」
少し考え、聖女ラニは再び口を開いた。
「Raqwen」
聖女ラニが淡々と告げたその言葉は、響きを変え、音を変え、広がっていく。そばで聞いていたマイトは、本能で悟る。目の前にいる少女は、自分では遥か及ばない、魔術の高みにいる。
強い意志と魔力で世界を捻じ曲げる魔術の真髄。
聖女ラニーーたった1人、『魔術師の始祖』を名乗ることを許された女性。
「勇者教より、託宣であるーーエミスフェル勇王国のハバギア大森林地帯に潜む特異種、白狼シンギュラは“勇者候補“マイト・ディンガとその仲間によって討伐された。この功績により、“勇者候補“【偽想】のマイト・ディンガは『第4位』となった」
託宣。それは勇者教がもたらす奇跡だ。
自身が『位階』を得たことに、マイトは思わず拳を握り締める。
“勇者候補“の総数は決まっていないが、位階を持つ勇者候補は最大で7人と決まっている。しかも、今までの勇者教の歴史において3人目となる位階持ちは誕生していない。
『第1位』、【王国の剣】ーー姫勇者の呼び声高き、レジーナ・ハイデンルート。
『第7位』、【魔術狂い】ーー賢人の異名を持つ、カグニ・ヴェルズィ。
いずれも名だたる英雄だ。特異種白狼を討伐したことで、マイトもその英雄たちに名を連ねることとなる。
『第4位』、【偽想】のマイト・ディンガ。
位階を得るということはすなわち、勇者としての権能を得るということだ。
「告知は終わった。今の君ならば、集中することで奇跡に繋がることができるはず」
聖女ラニの言葉に従い、マイトは目を閉じて集中する。今までも存在した魔力に対する感覚を広げ、さらにその奥に存在する『奇跡』の塊を認識する。
(これは……)
魔力に対し、圧倒的な量を誇るその塊。脳裏に浮かぶのは、巨大な光の玉が浮いているイメージ。そこから自身の使う量を想像すれば、ごくわずかな量しか掬い取れないことがわかる。
「それが奇跡。無辜なる人々の祈りの結晶」
ここから先は許可されていない――そう、マイトははっきりと感じ取った。自分に許された量だけの『奇跡』を両手にすくい取り、そっと自分の胸へと当てる。
言葉は、自然に零れた。
「第四権能――【快癒の道標】」
かつて、【始まりの勇者】が持っていたという権能。自身や他者の傷を癒やし、疲労を回復する奇跡の業。マイトの手のひらからほのかに輝く光が浮かび、そっと自分の顔に着地した。火傷や擦り傷がほのかに光り、マイトは緩やかな熱を感じ取った。
白狼が放った猛々しい熱ではなく、緩やかに力を抜くような温もりだ。眩しかった視界を閉じて、しばらく待つと、ひりつくように訴えかけていた顔の痛みが消えていた。
「これが癒やしの力……」
確かにこれだけの力があれば、伝説の偉人となっているのも無理はない。ましてや、まだこれ以外に6つの権能を持っていたというのだから、なおさら。
「では、私はこれにて」
「え……?」
マイトが視線を向けると、聖女ラニは空中で綺麗に一礼をして見せた。その唐突な行いに、一瞬マイトがあっけに取られる。
その瞬間、周囲に風が吹き荒れた。
「その人のこと、よろしく頼みますね」
ラニが視線を向けたのは、魔玉を抱えてうずくまったままのロイ。その視線も、言葉の意味もわからず、マイトの頭が混乱する。
「まっ、待ってください! それってどういう……!?」
「いずれ知ることもあるだろう。キミが真に勇者なら」
意味ありげに笑ってみせた聖女ラニは、右手を一振りする。風が落ち葉を舞いあげ、突風がマイトにおそいかかる。思わず目を閉じてしまったマイトが、風が収まるのを待ってから目を開けるとーー
「は?」
そこには、地面に静かに横たわる金髪の美少女が残されていた。艶やかに煌めく金の髪が地面に広がり、落ち葉をくっつけ、大変なことになっている。穏やかな表情で眠りについていた少女は、うっすらと目を開き、体を起こす。
きょろきょろと周囲を見回した少女は、マイトとばっちり目が合ったあと、状況を理解したようだ。少女の顔から血の気が引いていくのが、はっきりと見えた。
「……ら、ラニ様? 冗談ですよね? 巫女である私をこんな魔境に置いて……ラニ様? ラニ様⁉︎」
何やら上空を見上げて叫び始めた少女を見て、マイトは盛大なため息を吐いた。
「この状況、俺が何とかしなきゃいけないのか……?」
魔玉を抱えて動かなくなったロイ、復讐を果たして茫然自失しているカンゼ、聖女ラニに置いていかれて抗議の叫びを上げる少女。
勇者たる第四の権能、【快癒の道標】。伝承によると、傷を癒すと同時に進むべき道を示すというがーー
「俺の気苦労とかにも効くのかな」
多分効かないだろうな、ということを確信しつつ呟いたマイトは、一度現実逃避をするために空を仰ぐ。
青く澄み渡った空は、何も答えず、ただマイトたちを見下ろしていた。




