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中山裕介シリーズ第5弾

「さあ始まりました『オクオビ』、今週も宜しくお願いします!」

「お願いします」

スタジオでは大政の一声に飯田が続き、二人がカメラに向かって頭を下げる。

七月中旬の木曜日の十五時。THSのBスタジオでは、『オクオビ』の「収録」が始まった。

この前の放送で二人は本番中に大喧嘩をし、翌日のスポーツ紙を『オクリズ一巻の終わりの瞬間』などの見出しで彩らせていた。

オクリズの二人には、翌週月曜日の番組冒頭で、放送中に見苦しいシーンがあった事、それにより、視聴者、関係者に多大な迷惑が掛かった事を謝罪させ、今後は二度とあのような事がないよう精進すると誓わせた。が、編成局長からは「今度あんな状況になれば即打ち切る!」とイエローカードを出される。

あの一件以来数字もがた落ち。リアルタイムで一%台。タイムシフト(放送七日以内に再生視聴された視聴率)と統合しても二%台と散々だ。しかも、それだけで終わる訳がない。本番三十分前――

「やっぱ局内からは「もう打ち切るべきだ」って声が出たな」

「あんな場面をオンエアしたんだから当然っちゃ当然だろ」

多部は溜息を吐きながら椅子を左右に揺らす。

「その光景を見たのもあの日のオンエア中だったっけか」

「縁起悪いって言いたいのかよ」

含み笑いをする多部の顔には、相変わらず疲れが滲む。

「今日から撮って出し(編集を加えずそのまま放送する)の収録だから」

大石さんはいつも通り艶のある笑顔だが、多部と同じくお疲れ気味。

「心得ております。でも随分急でしたね」

オレ達作家が聞いたのも、先週の会議の席上でだ。

「うちの上層部は「打ち切る打ち切る」って息巻いてたんだけど、あの子達オクリズの事務所の上層部は何とか存続させて欲しいって懇願して来たの。それで私達から最悪編集が利く撮って出しにしましょうって提案した訳。それでも局長達を渋々でも納得させるのがかなり大変だったよ」

「大石プロデューサー、ご苦労様でした」

「どうしたの? 改まって。でもありがとう」

失笑する大石プロデューサーの顔が、一瞬でにっこりに変わる。

「プロデューサーに媚び売るのは良いけど、ツイッターの方は大丈夫なんだろうな?」

多部ディレクターの一言によって、プロデューサーと作家とのハートウォーミングな一時は台無し。

「どうして君は人の好意を偏屈に捉えるかな。さっき田中さん(ディレクター)と打ち込みを遣る学生アルバイトの子を交えて打ち合わせしたから大丈夫だよ」

収録になった事で、今まで画面下に表示されていた視聴者からのツイッターの呟きは、全て作家が思考する事となってしまった。

「急なお願いでごめんね。大変だったでしょう」

「良いんですよ、そんな気を遣わなくて。それくらいの苦労は買って貰っても良くないですか?」

心から労ってくれるプロデューサーと、「当然だ」とばかりに鼻で嗤うディレクター……。

「四人で考えたやつを一つにまとめるのに一時間半掛かりましたけどね。前もって募っても、もう好意的な呟きは少ないでしょうから、オレ達が使われる事は別に良いですけど、そこまでして遣りたい演出ですか? 多部ディレクター殿」

 作家からの鼻で嗤ったお返し。

「長尺な嫌味だな。ディレクターのプライドだよ」

「プライドねえ……」

「付き合ってあげて」

大石さんの懇願する笑み。プロデューサーにそう訴えられたら、もう何も言い返せませぬ。



十五時の本番開始から四時間後の十九時。

「はいオッケーでーす! お疲れ様でした」

甲高い声のフロアディレクターからカットが掛かり、月曜から木曜まで、来週分の収録は終わった。「お疲れ様でした」と、全体の一通りの挨拶が終わり、飯田はやっぱり、そそくさとスタジオを出て行く。

その後は、これまでの流れだと、大政と安藤アナ、オクガール達の雑談が始まるのであるが、八人いるオクガールの中で三人が、飯田の後を追うようにスタジオから出て行ってしまう。

残った五人と大政、安藤アナには全く気に留める様子はなく、自然にしている。

「やっぱ顕著になって来たか」

多部は意味深な笑みを浮かべ、今日の反省会も兼ねたディレクター同士の打ち合わせをする為、サブから出て行く。多部の表情を一目見て何となく推測出来たが、

「八人の中にも派閥、ですか?」

念の為、大石さんに確認する。

「お察しの通り。うちのディレクターと<ワークベース>のプロデューサーが、今残ってる五人の中の二人に手を出しちゃったみたいでね。後の三人は二人と仲良くしとけば仕事が貰えるんじゃないかって思ってくっ付いてるみたい」

大石さんは鼻で笑うしかないだろう。そして、敢えてプロデューサーとディレクターの名前を出さなかった。

出演者やスタッフが番組マスコットガールに手を出す。別に最近になって始まった事ではないし、珍しくはない。只、手を出した者の中に多部が入っていなかった事に、何か安心してしまう。あいつは手が早いから。

「多分それ絡みの事だろうとは思いました。道理で彼女達が前列に座ったり、ロケに出る回数が多い訳ですよね。プロデューサーやディレクターと関係のある子と険悪な仲になろうものなら、途端に後列に回されて、カメラに映るのも少なくなるでしょうから」

「それも然る事ながらさ、読モやコンパニオンだけじゃ食べていけないから、多目に貰うタクシー代なんかが彼女達の臨時収入になってるみたい」

「多目にって、プロデューサーやディレクターだって最近厳しいでしょうに。無理してるんですね」

「男はお金でつながってるって事ぐらい分かってるだろうし、女は男がその事に気付いてるって分かった上で白を切って、利用するだけ利用するんだよ。色目を使ってね」

大石さんは微笑を浮かべてはいるが――

「偽ってるつもりでも看破されてて、だけど、中身は違っても関係を保ちたい思いは同じ。百パー奇麗事を言わせて貰えば、人間ってとことん非合理で、虚しい生物ですね」

「人間同士の駆け引きってそんなものじゃない? でも久しぶりに聞いた、ユースケ君の哲学論」

ニヤリとする大石さん。でも――

「先に切ない笑みを見せたのは大石さんじゃないですか。哲学って言っても、自分なりの答えも出せない場合が殆どですけど。それで、五人は分かりましたけど、後の三人は何なんですか?」

「それが珍しい派閥でさ」

大石さんは吹き出す。珍しい派閥とは一体?



先週木曜日の放送終わりに、大石さんは足早にスタジオを出ようとする三人のリーダー格、杉崎生実に声を掛けたという。

「五人とは仲が悪くなったの」

率直に尋ねる大石さんに対し、

「もう見てらんないんです。プロデューサーさんとかと関係持たなきゃ仕事を貰えないあんた達はどうせ売れないからって、忠告してあげたいんですよ」

杉崎は薄笑いを浮かべて答えた。

「確かにそれは言えなくはないけど、あなた達はどうしてるの? まだ十分な収入は得られてないでしょう」

大石プロデューサーの素朴な疑問。

「私にとってコンパニオンは、実は趣味みたいなものなんです。アフィリエイトの仕事で月に四、五十万円は稼げてますから」

杉崎の顔付は満面の笑みに変わる。

「アフィリエイトってよく知らないんだけど、企業サイトのリンクを貼って報酬を得るってやつだよね?」

「そうです。WEBサイトやブログに広告主とアライアンスしたリンクを貼って、閲覧者がリンクを経由して商品を購入したりすると、広告主から手数料が支払われるんです」

「なるほどね。でも月に四、五十万って結構な額だね?」

「自分で色々研究して、去年一年間で五百万円くらい貯金が出来ました」

「五百万!? プロデューサーやディレクターでも一年でそこまでは貯まんないよ。後の二人もアフィリエイト遣ってるの?」

「玲奈ちゃんはステマで稼いで、恵梨香ちゃんはデートレードを遣ってます。二人も私と同じで、読モは趣味みたく思ってるんじゃないのかな」

「へえ、そうなんだ」

くらいの返事しか、大石さんには出来なかったという。



「ステマって、ステルスマーケティングの事ですよね? 広告であるとは明言しなくて、報酬を支払って良い噂を流して貰ったりする」

「よくご存じで」

「アフィリエイトにステマにデートレード。正に現代の稼ぎ口って感じですけど……」

「派閥同士があからさまに衝突しなきゃ良いんだけどって言いたいんでしょ?」

大石さんはオレの目を凝視して言う。

「看破されましたか」

「口で言わなくても顔がそう言ってるんだもん。本当、正直だよね、ユースケ君って」

何も言葉は出ず、苦笑で返すしかない。

「私だけじゃなくて、内海さんも多部君もそれを心配してるんだけど、今は見守るしかないよ。一服しに行こうか?」

「行きましょう」

大石さんと共にサブを出て、近くの喫煙ルームへ向かった。



「あんた達なんか自分で仕事を勝ち得る力なんてねえじゃねえかよ!!」

「偉そうな事言ってんじゃねえよ成金!!」

「おい、オクガールの楽屋からじゃね?」

「到頭ぶつかりやがったか……」

多部は瞬時にしかめっ面になり、舌打ちした。

八月上旬の木曜日の本番前。オクリズとの打ち合わせを終え、多部と二人でタレントクロークの廊下を歩いている時に耳に入った、女性二人の罵声。

『あからさまに衝突しなきゃ良いんだけど』。二週間前にオレが思い浮かべた言葉。それが現実となった今、改めて言霊の恐ろしさを知る。

オクガールの楽屋は共同、であるから――

「色目使わねえで自分で金稼いでみろよ!!」

「自分に色気がねえからってやっかんでんじゃねえよ!!」

罵声は別の女性に代わった。中を見なくても楽屋内が殺伐としている事は明白。

「ったく、本番前っていうのによ」

苦々しい口振りの多部が、足早に「C3 オクガール様」の楽屋に入って行く。  

そこまで見聞きしたオレも、そのまましらっとして行ってしまう訳にはいかぬ。

「止めとけもう!」

多部は言い争っていた杉崎と、プロデューサーと関係があるとされる夏目聡子の肩に手を置き、対峙する二人を引き離そうとする。

他の六人はオレ達が入って来たからか、傍観しているだけで止めに入ろうとはしない。

「あんたみたいなババアどうせ後少しで捨てられんだよ!」

杉崎は、言ってしまった……。

「あんたに言われたくねえんだよ! 目の周りに小皺作ってるから相手にされねえんじゃねえか!!」

夏目、更にロックオン……。

二人が掴み合いになりそうな気配が現れた為、

「だから止めとけって!」

「もう直ぐ本番だから!」

多部は夏目の眼前に立ちはだかり、オレは杉崎の背後に回って肩と腕を掴み、これ以上は対峙させないようにする。それでも二人は――

「この初老の成金女!!」

夏目――

「あんたは成金にも成れない只のババアじゃねえか!!」

杉崎――

さっきから売り言葉に買い言葉、罵詈雑言を繰り返すだけで、全く不毛の時間。

「もうスタジオに行こう。これ以上ここにいても仕方ないよ」

「そうだな。そうしよう」

多部も同調し、強引に二人を出口の方へ向かわせると、後の六人も黙って付いて来た。Bスタに入ると、八人は当然、誰も口を開く事はなく、忌々しさ満面。

彼女達のピリピリとした雰囲気はスタジオ全体を覆い、それを直観したオクリズ、スタッフも意気消沈してしまう始末。

「ドラマのシリアスなシーンの撮影前みたいだな?」

「この重苦しい雰囲気の中でカメラが回って、何処までテンションを上げてくれるかだよ」

サブのモニターを見詰める多部の口振りからは、期待が全く感じられない。

仮にも全国放送。どうなってんだよこの番組。そう思っていた矢先。

「はい本番十前ー……八、七ー……」

フロアディレクターがカウントを始めると、忌々しさ満面だったオクガール達の顔が柔和になって行き、

「……三、二……」

オンエアのランプとカメラのタリーが点灯すると、八人全員が満面の笑顔。雰囲気はキャピキャピ。

「公に出る人って大体そうだけど、切り替えが早い事」

思わず皮肉っぽい口振りになってしまう。

「ああでなくちゃ困るよ」

多部も然り。

ピリピリとした雰囲気を本番に持ち込まない分、彼女達は偉い。本来は誉める事ではなく、彼女達の姿勢が当然であり基本。だが、この番組はMCが当然の事を出来ていないから。



二日後の土曜日。『オクリズ大ピンチ!!』。練馬区内のチハルのマンションのリビングでスポーツ紙を読んでいると、芸能欄にオクリズの他局の冠が、遂に九月で打ち切られるという記事が載っていた。

「オクリズの番組が終わるって?」

出勤前の支度をしていたチハルが、立ったまま新聞を覗き込む。

「みたいだね」

「みたいだねって、六月には決まってたんでしょ?」

「その通り。六月中旬には決定していた事。キャバ嬢は相変わらず事情通だね」

呆れと感心をない交ぜにして言うと、

「最近はテレビ局の人もちょっとずつキャバに戻って来てるから」

チハルは得意げな笑みのままオレの向かいに座り、メイクを始める。

「ちょっとずつって言っても、まだまだ不況な業界なんですが」

カムバック、いざなみ景気……。

「そんな事よりさ、その打ち切りって、テレビ局と事務所との交換条件なんでしょ?」

「そんな事まで知ってんのかよ」

事情通もここまで来ると悍ましい。

チハルの言う通り、某局がオクリズの所属事務所に番組打ち切りを打診すると、事務所側は「テレビ局が番組を打ち切る」とメンツを立てさせる代わりに、次番組はうちの事務所のオクリズ以外の芸人を使った、コント番組を制作してくれと要請して来たという。オクリズの所属事務所は、放送局にあれこれ注文が出せる強豪事務所だ。今回オクリズの番組が終了するという事は、某局は事務所の要請を呑んだ訳である。

まあ作家にとっては、また新たな仕事が貰えてありがたい事なのだが――

「ユウが担当してる番組は大丈夫なの?」

チハルは興味津々と、仕事を一つなくすかもしれないオレへの憂いがない交ぜになっているようだ。

「さあ、うちの番組もどうなる事やら……」

ここは苦笑してお茶を濁すしかない。



八月中旬の木曜日の十六時。来週火曜日に放送する、本日二本目の収録が始まった。

「さっ、今日のメインは『オクナビ』です。どんな口コミ情報が寄せられているのでしょうか」

大政の決め台詞によって始まった、火曜日メインコーナーの『オクナビ』。四月の会議で出された企画である。

視聴者からメールやツイッターによって寄せられた口コミ情報を、記者となったオクガールがVやフリップを使ってリポートするコーナーだ。が、ツイッターは使えなくなり、メールからの情報も乏しい為、我々スタッフがリサーチして来る事が主になってしまった……。

「では続きまして、戸田玲奈記者お願いします!」

「さあド級の情報は出るか」

 飯田は煽るだけ。

「ド級かどうかは分からないんですけども、注目すべき情報だと思います」

苦笑しながら切り出した戸田。この人が、読モよりもステマで生計を立てている人。そんな戸田が紹介する口コミ情報とは――

「日本の芸能界でもマタニティヌードを披露する人は珍しくなくなりましたが、一般女性でもマタニティヌードを含めたヌード撮影を経験した事があるという人が、結構増えているらしいんですよ」

「マタニティヌードはもう有名だよね」

 飯田は顎を撫でる。

「hitomiさんや神田うのさんも披露されてましたよね」

 安藤アナも興味は持っている様子。

「後、「美魔女」って呼ばれている人達がセミヌードを披露してなかったっけ」

 大政の問い掛けに、

「そうなんです。今大政さんが言いましたように、お友達がフォトスタジオでセミヌード写真集を作って貰ったとか、自分がこの前経験したっていう情報が何件か寄せられたんです」

「そうなんだ。随分と気軽になって来てるんだね」

「はい。という事で私は、最近の一般女性のヌード撮影事情に迫って来ました。VTRをご覧ください」

Vが流れる。

あるマーケティング会社が、三十代から四十代の女性三百人に「セミヌード撮影を経験した事はあるか」と尋ねた所、十八人が「ある」と答えたという。

顔を隠したセミヌードの写真を三枚紹介した後、戸田が過去にヌード撮影を経験した女性にインタビューする。

「カメラマン志望だった同性の友達にモデルをお願いされたんですね。若い時の身体はその時しかないんで、良い記念になったと思います」

三十代の女性。

「結婚前に何か記念が欲しいと思って、旅行先で泊まった旅館の貸し切り露天風呂で、彼(夫)と一緒に撮りました」

同じく三十代の女性。

二人共顔出しNGで、後者は声も加工しているが、多部の話では快くにこやかに答えてくれたという。

画面はスタジオに切り替わり、今度はフリップを使った報告に入る。

「最近は渋谷区内にアートやファッションとしてのヌードフォトを専門とするフォトスタジオもあって、撮影後にDVDに焼いて貰えるんだそうです。どんなものなのか、写真を一枚、許可を得てお借りして来ました」

戸田が写真が印刷されたフリップを出す。

「さっきのVTRもそうだったけど、凄いファッショナブルだよね」

「ろうそくに囲まれてて幻想的だね」

飯田も大政も妙に呆気に取られている。エロティックではなく、幻想美を痛切しているのだろう、と思うのだが。

「凄く奇麗!」

安藤アナは幻想美に魅了されている、で間違いない。

「この方の感想は、「これで(撮影は)五回目かな。段々とネタがなくなるかと思いきや、遣る度にアイデアが浮かび上がります。次はどうやろうかな」とコメントしてくださったんですけど、なんか趣味みたいで楽しそうじゃないですか?」

何故か失笑する戸田。

「確かにそうだね」

「五回くらい遣るとこんなファッショナブルなアイデアが浮かんで来るんだろうね」

呆気に取られる飯田と大政の顔にも、戸田の失笑が伝染した。

「安藤さんもいつかセミヌードってどうですか?」

「私はちょっと無理だな」

伝染は安藤アナにも然り。

「フリーになったら遣っちゃうんじゃないの?」

失笑をにやつきに変化させた大政に対し、

「いやいや……」

苦笑のまま首を大きく左右に振る安藤アナ。

「あそこで「遣ってみたいです」って冗談を言ったらどうなっただろうな?」

何気なく多部に向かって言うと、

「囃子立てて終わりじゃね?」

軽い口振りで、それ以外は予測出来ないご様子。もっと出演者を信じてやれや!

いつもは三人が記者となってリポートするのだが、今日は二人だけ。この後に特別企画が用意されているのだ。



「はい、今日のリポートはこれで終了です。ではマスダさん、こちらにどうぞ」

「何か先輩の扱いがぞんざい過ぎるだろう」

満面の笑みの大政に対し、笑みに不安を滲ませながら、マスダがフレームイン。

「そんな事ないですよ。ちゃんと敬ってますから」

 飯田も、今日は大政と同じ心境のようだ。

「嘘付け! お前」

「マスダさんは今日担当曜日ではないんですが、何故態々来て頂いたかというと、先週の『熱血! マスダ塾』を観た方は分かると思います」

「全問正解が出ましたね」

 大政と飯田はこの後が楽しみといった感じ。

「そうなんですね。全部で六問に挑戦して、見事、杉崎生実ちゃんが全問正解を成し遂げまして、賞金二十万円を獲得しました!」

「やりました!」

満面の笑みとガッツポーズで歓喜を表現する杉崎に対し、

「やられちゃったよ、マジで……」

マスダの表情が渋くなって行く。

「手痛い出費だよな。こっちとしては」

内海さんはモニターを見詰めたまま鼻で笑う。

アフィリエイトで月に四、五十万円を稼ぎ出す杉崎にとって、二十万円はほんの臨時収入に過ぎないのだろうけど。

「そこでそれと引き換えに、マスダさんには罰ゲームがあります!」

「何で罰ゲームなんかあるんだよ……」

マスダは「一応」悍ましい顔付に変わる。

「じゃあ時間もないんで移動しましょう。皆行くよ!」

大政の一声でスタジオから出ようとする飯田と安藤アナ、オクガールに対し、

「何処行くんだよ!?」

マスダは怪訝な表情を示す。

「まあ行けば分かりますから。ここで一旦CMを入れて、その間に移動しまーす!」

声を弾ませる大政の後に、神妙な先輩が続く光景を映したままCMへ。そして――

「さあ、罰ゲーム場所となりますTHS地下駐車場に移動しました」

「はい。これから何をするんでしょうかマスダさん?」

 進行は安藤アナと大政。

「大体分かるよ。オレの車じゃねえかこれ」

周回のスペースはがら空きの中に一台だけ、マスダの自家用車である高級外車が駐車されている。

「道理でマネージャーが「今日は僕が駐車しときますから」ってごり押しした訳だよ」

マスダは苦々しくマネージャーを睨む。

「何すんだよ? 落書きか?」

「道具を見れば分かりますよ。持って来てください!」

大政が女性ADに声を掛け、布が掛けられた台車を押して来る。そしてADによって布が剥がされると、そこにはバット、ゴルフのドライバーとステッキが。

「さあ、皆手に取って!」

飯田の合図で安藤アナ以外の全員が、各々に道具を手にして行く。表情は皆、不敵な笑み。

「おい、ちょっと待てよ!」

状況から直感し、制しようとするマスダを遮り、

「遣ってしまえー!!」

「行けー!!」

大政、飯田の号令により、オクガールがバットやドライバー、ステッキで外車をボコボコにして行く。直ぐさまそこにオクリズも加わった。安藤アナは苦笑し、気まずそうに傍観するのみ。

「待てって、止めろ!!」

マスダの叫び声も虚しく、出演者達は殆ど言葉を発せずに車をボコって行く。駐車場に響くのは『バン! バン!! バン!!!』と車体を叩き付ける音と、オクガールの「エイ!」や「キャハハハハッ!」という喚声や高笑いのみ。

「おい、ちょっと聞けって!!」

マスダは顔に脂汗を滲ませ、泣きべそ状態。大政、飯田の身体を交互に押さえるが、二人はマスダを振り切り止めようとしない。

「ちょっと安藤ちゃんも何か言ってやってよ!」

安藤アナに哀願するマスダだが、

「皆さん凄い形相ですから……」

苦笑いで返されるのがオチ。

凹んで行くドアやボンネット。オクリズもオクガールも日頃の鬱憤を晴らすかの如く、バラエティを忘れ、ある者は何かに憑りつかれたかのように、またある者は嬉々として、バットやドライバー、ステッキを車に向かって振り回す。

大政に至っては、バックミラーに踵落としをし始める始末。

「おい、そういうのはなしだろ!」

マスダが大政の両肩を掴んで車から引き離そうとしたその時……。『バキ!』ミラーは外れ無残な姿に。

「おい!!」

マスダがミラーを手に取って泣き真似を始めた所で、

「よし、皆もう良いだろう」

飯田の号令で罰ゲームは終了。

マスダは茫然自失。後の出演者達は心なしか溜飲が下がり、すっきりとした表情に見える。放送ではこの状態でエンディングとなり、エンドロールが流れる予定だ。

「それでは皆さん、お休みなさーい!」

「お休みなさい」

「失礼します」

大政、飯田、安藤アナはカメラに向かい笑顔で手を振り、それはオクガール達も、同じ。

「お休みなさいじゃねえよ!」

憤然とするマスダ。

「ほら手を振って」

「お休みなさーい!」

大政に促されにこやかに手を振って直ぐさま、

「お前ら全員訴えるからな!!」

「ハハハハハッ!」

マスダの怒声とスタッフの高笑いが駐車場に響いた所で、本番は終了。



そもそもこの罰ゲームは、七月上旬の会議で出された、宮根君の「大爆笑提案」と、お貴さんの「セレブ提案」によるもの。内海チーフプロデューサーも、HRT(放送倫理調査会)の目を気にして難色を示した企画が、何故、実現されるに至ったのか。

あの日、神野さんが悔し涙を流して会議室を飛び出して行った後、

「「修理費用は番組が全額負担します」って字幕を入れたらどうでしょうか?」

お貴さんは得意そうな笑みを見せて切り出す。

「全額負担って言ってもなあ……」

「賞金二十万に修理費用って、更に手痛い出費だね」

内海、大石両プロデューサーは尚も難色満面。

「ボコるって言っても、何でボコらせるつもり?」

この重苦しい雰囲気を少し変える為、態と逸脱させてみる。

「それは、バットとかゴルフのドライバーとかで良いんじゃないですか?」

「本当、お貴さんってにこやかに物騒な事を言うね」

逸脱した甲斐あって、室内に失笑レベルだが笑いが起こった。が――

「それこそHRTを憤然とさせるだろう」

「修理代は出すからって言っても、「正気の沙汰じゃないだろ!」とか言われてね。HRTだけじゃなくて、またスポーツ紙や週刊誌にネタを売る事になるぜ」

内海チーフプロデューサーの「難色の輪」の中に、多部ディレクターも加わってしまう。

「バットやドライバーをウレタン製の物にしたらどうですか?」

「それだったらうちの倉庫に幾つか眠ってるだろうけど、問題は修理費用だよ」

溜息交じりの大石さん。「肝心な点はどうするの?」とでも言いたげな表情。要は予算の問題。

「何も全額じゃなくても良いんじゃないですか。「全額負担します」と字幕で出しといて実は半分出すとか」

「大爆笑提案じゃないけど現実味は出て来るかな。半額出すって言ったらマスダさんも納得してくれるだろうし」

宮根君の提案に、多部が軟化して来た。

「お貴さんが言った案に被せて来たな」

とどのつまりは修理費用を半分負担する。多部の姿を見ている内、

「笑いの為なら何処までも非情になれる」という、先輩から伝聞した大物プロデューサーの演出方法を思い出す。この演出方法は「『電波少年』のT部長」と言えば、お分かりになる世代の方々もいらっしゃるのではないだろうか。よし、この精神にあやかろう。

「僕もさっきHRTを気にしていたんで、前言撤回になりますけど、昔、(ビート)たけしさんがさんまさんの自家用車をブロック塀にぶつけて傷付けるっていう企画ありましたよね?」

「某局の人気大型特番でな……」

内海さんは当時を懐かしんでいるような口振り。

「九○年代前半のバラエティのスリルさとまでは行かなくても、笑いと惨さは表裏一体だと思います。深夜(番組)であるからこそ、あの頃を彷彿とさせるようなテイストの企画が具現化出来る気がするんです」

「まるでリアルタイムで観てきた人みたい。ユースケ君って幾つなの?」

大石さんは吹き出し、

「気付いてないだけで五十過ぎてんじゃね?」

多部はニヤリとする。

「どうせオッサンだけど、アーカイブで観れるだろ!」

苦々しい笑みを取り繕うオレの右隣で、

「笑いと惨さは表と裏。私もそう思います。だからマスダさんの車をボコるってセレブ提案を出したんです」

お貴さんは一見、同調している口振り。飽く迄も一見すれば。

「作家を「ふあー」って気持ちで遣ってる人が……」

「マジでそう思ってたの?」

多部は表情も眼差しも「疑念」でしか表せないくらいだ。

「私だって本気になる時くらいありますよ」

お貴さんはそう言ってにっこり。

「楽しそうにしてる所悪いんだけどさ」

「結論出しても良い?」

内海、大石両プロデューサーは、オレ達が戯言を言っている間に、<ワークベース>の二人のプロデューサーも交えて協議していたようだ。

「結論を言うと、さっきユースケが言った事に、オレ達も相違はない。責任はプロデューサーであるオレ達が全てを負う事にした」

「つまり、遣ってみようって事」

真剣な顔付の内海さんに対し、穏やかな微笑を浮かべる大石さん。

こうして、「過激で正気ではない」罰ゲームにGOサインが出されたのである。

当然、マスダは本番まで罰ゲームの内容を知らない。修理費用は宮根君の案を採用し、半額だけだが番組が負担する事に決定。

ボコるのに使ったバットやドライバーは、オレの提案通り、THSの倉庫に眠っていたウレタン製の物が採用された。

本番終了後、大石さんと多部が事情を説明する為、マスダの楽屋を訪ねる。

多部の伝聞によると――



「勘弁してくださいよ大石さん。あれ幾らしたと思ってるんですか!」

マスダはぐったりしながらも、大石さんに縋り付くような態度。

「ごめんなさいね。でも修理費用は番組が半分負担するから勘弁して」

大石さん言葉に、

「半額? 全額じゃないんですか!?」

マスダはソファにのけ反りうんざり顔。

「番組の制作費もかつかつなんで、半額でどうか勘弁してください」

「それは分からなくもないけど、勘弁してくださいって言われてもねえ……」

「使った道具はウレタン製の物だから、大した傷じゃない筈よ」

「ウレタン製って言っても、あの凹み具合見ました?」

「見たけど、皆ちょっと力が入り過ぎたみたいだね」

大石さんは苦笑で返す。

「笑い事じゃないですよ。ここの出演者もスタッフも怖い!」

マスダはソファにぐったり座ったまま頭を抱え、中々納得してくれる気配がない。  

そこで多部は、

「大政が壊したミラーはこっちで弁償します。だから何とかご理解ください!」

マスダの目を見て力強く訴える。

すると、

「ミラーはそっち持ちで後の修理費用も半額出してくれるのは嘘じゃないんだね?」

マスダも多部の目を見て念押しして来た。

「はい。嘘は言いません」

「なら良いよ。それで行きましょう」

マスダは溜息を吐きながら、渋々だが納得してくれた。

「ありがとうございます」

「マスダ君、少々理不尽な要求を呑んでくれてありがとう」

多部と大石さんは頭を下げた。

こうして罰ゲームの件は一件落着。後は放送を待つのみだ。



そして翌週の火曜日。罰ゲームを織り交ぜた『オクオビ』が放送される。翌日に発表された視聴率表を見て、スタッフ一同は驚く。何と番組スタート以来最高の平均六%を記録し、同日深夜帯のトップとなったのだから。流石はセレブ提案、そして大爆笑提案。

数字に比例して反響も大きく、「昔のバラエティのようで面白かった」という狙い通りの意見もある中、「また人の私物を乱雑に扱って、何を考えているんだ」「あんまりだ」といった内容のクレームが、「シール事件」の六百件、「喧嘩事件」の九百件を上回る千二百件寄せられる。

そしてスポーツ紙も、『オクリズよ……またか!?』などといった赤文字の見出しで、芸能面を彩らせていた。全紙が「喧嘩事件」を引き合いに出し、「最早番組は死に体である」と締め括る新聞もあったが、これらは予測していた事。

「責任は全て持つ」と明言した内海さんだったが、数字が良かった事もあってか、今回は上層部からのお咎めはなかったという。

だが、個人的に驚愕した事が一点。それは放送から二日後に開かれた、THSの山下洋子社長の定例会見での事。

「今週火曜日に放送された『オクオビ』の放送内容が問題になっていますが、社長はどのようにお考えでしょうか」

スポーツ紙の男性記者は挑発的な口振りで訊く。口には出さねど、表情には「どう考えてる訳?」という気持ちが表れていたという。

それに対し山下社長は、

「我が社のバラエティ制作スタッフは、笑いと惨さは表裏一体だと考えています。笑いを作り出すには誰かが犠牲になったようにイジられる場合があるんです」

決然とした態度で答えた。何とキー局の社長が、一介の放送作家の言葉をなぞったのである。

「だから何でもして良いというお考えですか?」

記者はさっきと同じ口振りで食い下がる。

「そうではありません。イジりというのは個性を活かしますが、苛めは個性を殺すものであって似て非なります。只、一九九○年代前半のバラエティ番組のスリルさ、あのテイストを深夜帯の時間を借りて、少しでも彷彿とさせようとしたまでです」

山下社長は決然さを崩さないが、この答えも前言と然り。

「会見を後ろの方で見てたんだけどさ、オレもびっくりしたよ」

内海さんは喫煙ルームの窓から遠くを見詰めて言う。

「それを聞いたオレが一番びっくりですよ」

「社長が代弁してくれるなんて、ユースケ君凄いじゃない」

大石さんはにんまりして、左肘でオレの身体を揺蕩させる。

「光栄というのか心苦しいというのか、呆然とするばかりですよ」

「オレが編成局長に企画の綱領を説明した時、お前の言葉を拝借したんだよ。あの時のユースケには気魄があったからな。それがそっくりそのまま社長に伝聞されたんだろう」

内海さんは他人事だと思って鼻で笑う。

「そういう時の伝言ゲームに限って、どうして上手く行くんでしょうね?」

他の事は履き違えられてばかりなのに。



THS十四階にある編集フロア。エレベーターの扉が開き、迷う事なくオンライン編集(オリジナルテープなどを使用し、番組の完成テープ(完成パッケージ)を作る)室へ向かう。

中央にガラスが嵌められたドアを開け、

「ここだろうと思ったからさ」

編集作業中の男に声を掛けると、

「ああ、どうかしたか?」

多部ディレクター殿はモニターに目を向けたまま、素っ気ない口振りで返す。

今日は八月下旬の土曜日。時計の針は二三時を回っていた。

「とうとう公になっちゃったな」

呆然気味に言いながら、多部の右隣の椅子に腰を降ろす。

「仕方なくね? 先月の中旬には決まってた事だし、発表するのが遅いくらいだろ」

多部はチラッとオレを見ただけで、口振りはやっぱり素っ気ない。

昨日、THSは『オクオビ』の打ち切りを発表し、今日のスポーツ各紙には『『オクオビ』とうとう終了へ』という見出しの記事がやっぱり、彩っていた……。

「お前の中ではもう完結してるんだな」

「いつまでも引きずってる事じゃないだろ。もう既済」

多部は釘を刺すような口振りに変わる。

オレは気持ちの切り替えが遅く、今の言葉は「確りしろよ!」と背中を『バーン!』と叩かれた感じだ。

「決め手は「喧嘩事件」か……」

「らしいな。数字が低いのも然りだけど、あの「事件」は致命的だったよ」

多部は天井を見上げて大きく溜息を吐く。

実は、オクリズの喧嘩を放送した一週間後、THSの中では番組を打ち切る事が決定されていたのだ。よって番組を生から撮って出しに転換して存続させたのは、番組存続を懇願して来たオクリズの所属事務所への配慮と、撮って出し方式の収録に転換してはどうかと提案した内海さんら、身内のメンツを立てる綱領があったという。

が、これらは所詮、九月の改編期まで時間を引き延ばす名目に過ぎない。

「まっ、正式には打ち切りじゃなくてMCを代えたリニューアルだからさ、オレらは引き続き遮二無二遣って行くしかなくね?」

遮二無二と言いながら、多部の顔付には物憂い感じが漂っている。「引きずってる事じゃない」との言葉は、単にオレに対しての強がりなのだ。

「マスダさんだもんな……」

そう、新しいMCは、あのコブマスダ。これもオクリズの事務所から、『オクオビ』を終了させる代わりに、マスダをMCにしてリニューアルをしてくれと要請されたのだ。何処かで聞いたような話、THSも餌食にされたのである。

「まあ取り敢えず、オレ達に関しては十月からも宜しくって事で」

「うん。それより、HRTから意見書が来たって知ってるか?」

多部は手を止めてオレと目を合わせると、意味深な微笑を浮かべた。

「さっき大石さんに会った時に聞いた。「人のコレクションをぞんざいに扱ったかと思えば、MC同士が喧嘩をしている場面をそのまま放送したり、大勢の出演者が嬉々として、人の私物に損害を与える場面を放送する事は、倫理上問題があり、看過する事は出来ない」みたいな内容だったんだろ?」

「はい良く出来ました」

「からかうなよ。この程度なら誰だって覚えられるだろ」

意見書の内容通り、三つの「事件」が悉く槍玉に上げられた。「シール事件」に関しては、番組に出演したコレクターとは別のコレクターが、HRTに審理を申し立てたという。

「ムキになるなって。その意見書に対して、THSは「厳正に対処します」ってコメントを出した。「終了する番組に厳正も対処もあるかってんだよ」っていうのは、編成局長のお言葉」

多部は思い出し笑いを始める。ひねくれた笑い方――

だが、

「それもそうだよな」

オレも釣られて吹き出してしまった。



おっ、夕起さんからのメール。という事は――

九月上旬の月曜日の二二時過ぎ。南青山の事務所に戻り、自分のデスクでノートパソコンをネットにつなぐと、共に仕事をしているディレクターや作家の名前の中に、今日十五時に受信した夕起さんの名前が。クリップの絵が表示されたメールを開いてみると、

『約束したコラムを書いてみたよ。チェックをお願いします』

それ以外は何も書かれていない、端的なメール。頷きながら添付されたファイルを開いてみる。

『放送作家の皆さんは、常にありとあらゆる方面にアンテナを張り、情報収集に努めている。

打ち合わせの時には専門家の先生だったり、大物芸能人の人とお話しする事もあるから、聞きかじりの知識だけではダメ。

ネットに始まり、多種多様の書物に目を通して知識の引き出しを作っていく。

私の友人の作家さんは、「作家は万年、受験勉強をしているようなもの」と言っているくらいだから、知識の量は小説家を上回るかもしれない。

レギュラー番組を何本も抱えている作家さんは、毎日が締切との戦いといっても過言ではない。

しかも、今日の仕事が終われば、翌日からは頭を切り替えて、また新しいアイデアを考える作業が始まる。ディレクターさんや、作家さん同士と力を合わせて綿密な企画が練り上げられていき、やっと番組収録となる。放送作家は、言わばタレントさんを上手くコントロールする操縦士とも言えるだろう。

私も作家さんにお世話になっている一人。リスペクトしております』

以上、抜粋。

初回という事もあり、作家を称賛し、恐縮する内容のコラム。

チェックをお願いと言いながら、きちんと成稿されていて、そのまま掲載しても申し分ない。恐縮から来る笑みを浮かべたまま、夕起さんに向け、お礼の返信を送った。

その後直ぐ、沢矢さんへ電話。

「夕起さんにお願いしといたコラム、今日届いたよ」

『早かったですね。後で私のパソコンにも送ってください』

「了解。夕起さん自分で手直ししたみたいで、もう校正する必要はないよ」

『ありがたいですね。読むの楽しみ』

沢矢さんの弾んだ声、破顔している姿が目に浮かぶ。WEBマガジンの発行は沢矢さんが所属する<vivitto>の曽根社長だけではなく、沢矢さん自身の念願でもあったから。

「所で印税なんだけどさ、やっぱり二ヶ月後?」

最初に支払われるギャランティーや出版物の印税は、放送や発行されてから二ヶ月後に振り込まれるのが相場である。

『そうですけど、何でそんな事訊くんですか?』

「いや、別に何でもないよ。只確認しただけ」

沢矢さんの素朴な声。きょとんとしている姿が目に浮かぶ。

印税の事を訊いたのは、夕起さんから車を買った時から続く計画の為。青のハッチバック二五万だけでは、まだ終われない。



九月中旬の木曜日の十三時過ぎ。『オクオビ』の収録開始前に、THS内のスタッフルームに顔を出すと、内海、大石両プロデューサーと多部ディレクターが、神妙な面持ちで三つ巴に座っている。

「おはようございます」と快活に、は疎か、淡白な口振りでも入って行くのが憚られる殺伐とした雰囲気。だが、入らずにはいられない――

「おはようございます」

淡白に。

「おう……」

「おはよう」

内海さんと大石さんは物憂いな感じに。多部はオレをチラ見しただけ――

いつもなら、この後にオクリズと安藤アナ、マスダとの打ち合わせが入っているのだが、今日はいつも通りには行くまい――

別に訊きたい訳ではないが、

「何があったんですか」

訊かないと仕事が進まない。

「あいつらまたやりやがったんだよ」

と多部。表情も口振りも投げ遣り。なーんとなく推測は出来るが、

「やったって何を」

白々しく訊いてみると、

「喧嘩だよ!」

多部に語気強く返された。

「やっぱりな……」

「分かってて訊いたんだよね?」

大石さんはいつになく素っ気ない口振り。

「済みません。入って来た時から大体分かってました」

「メイク室で二人がやり合っちゃってな。オレらが必死で止めたんだけどさ」

内海さんの声には生気がない。「必死で」という言葉が喧嘩の凄烈さを物語っているし、仕事以外の事でぐったりさせられた様子。

「そうだったんですか。他の人達は?」

「一応、収録の準備に取り掛からせてるけどね」

大石さんも流石にぐったり。どんな時でも笑顔だけは忘れない人が……。

三人の話を集約すると――



「何だかんだ言って、今日で最後の収録だな」

正午過ぎ、内海さんは廊下を歩きながらセンチメンタルっぽく言う。

「一年半ですか。ご苦労様でした」

多部も感慨深げだが、

「二人共、何言ってるの? 私達は次の番組でも一緒なんだからね」

大石さんはいつも通りの笑顔。この時までは――

「まあそうだけどさ、あいつら(オクリズ)とは今日で最後だから」

内海さんが言い終わるか終らないか、その刹那――

「お前のせいじゃねえか!!」

「人に責任押し付けてんじゃねえよ!!」

メイク室から男性二人の怒声が響く。それに交り、

「止めてったら二人共!」

オクリズの女性メイクさんの声も聞こえたという。

「今の声、あの子達よね?」

大石さんは苦々しい表情で言う。嫌な記憶が蘇り、地団太を踏みたい衝動に駆られたそうだ。

「ったく、喧嘩ばっかしやがって!」

多部も然り。

三人がメイク室に入って行くと、オクリズの二人は、番組が終了するのはそっちのせいだと詰り合っていた。番組終了が発表されて三週間近く、二人の中にはフラストレーションが溜まりに溜まり、抑制が利かなくなったようだ。

内海さんと多部が、大政と飯田の間に「止めろ止めろ!!」と割って入り、その場は何とか収拾が着いた。が――

「今のあいつらの状態じゃ、もう収録は無理だな」

「そうね。番組として成立しない」

内海、大石両プロデューサーは溜息を吐きながら、センチメンタルに呟く。

二人の言葉を受け、多部ディレクターは切ない顔付で頷いた。



「収録を中止にするって事ですか?」

「衝突してるあいつらじゃ、ましてバラエティのMCなんか出来ないだろ」

多部は言葉を口にする事さえ、嫌気が差している様子。

「衝突をおくびにも出さないで仕事をするのが大人なんだけどね」

大石さんの言葉に、オレも雰囲気に呑まれてセンチメンタルになってしまう。

本当は「最後なんですから気持ちを切り替えて遣りましょうよ!」と進言したいのだが、出来ない理由――

言わずもがな、バラエティ番組の現場にだって、出演者同士が忌み嫌っていたり衝突する事はある。だがオンエアのランプが点灯すれば、「仕事は仕事」と割り切って仲良さげにこなすか、嫌いだという事をネタにして笑いを取り、番組は成立する。

しかしオクリズの二人は、露骨に啀み合っている姿をカメラの前に晒して来た。その事実を加味して考慮すれば、自然と「二人には無理」という結論が導き出されてしまう。

「ユースケ君が来る前から、来週分の収録はどうしようかって話し合ってたの」

大石さんはやっと微笑を浮かべた。その顔には諦めが滲んでいて翻意は促せない。

「よし、今日の収録は中止だ。来週は総集編にしよう」

内海さんは苦渋に満ちた表情。現場を取り仕切る立場の人は、時に本心とは倒錯した決断をしなければならない。因果なものだが、人情ばかりを重視していては集約に時間が掛かってしまう。例え非情に映っても、腹を決めて速決する機動力が求められるのが、負託された人の任務――

勿論、中には平気で血の通っていない威令を下す人もいるけれど、人の上に立つ人も所詮は人間。心に葛藤が生じない訳がない。

「皆に知らせなきゃね」

大石さんは素早く立ち上がる。

今日の収録は中止とする事、最終週となる来週の放送は、放送開始から一年半の総集編としてつなぐ事が、出演者、スタッフ全員に伝えられた。オクリズの所属事務所には、内海さんが後日、説明に出向くという。

スタッフルームでの協議が終わり、多部は飯田の楽屋へ。オレは大政の楽屋へ向かう。

「ぶっちゃけどの番組が打ち切られるよりもショックでした」

大政は放心状態で呟く。他局の冠も含めて、オクリズが出演するレギュラー番組はこの秋に四本が打ち切られ、残るは一本となってしまう。

「番組が終了する時って、いつも呆気ないからね」

でも『オクオビ』に関しては、自業自得の面があるからさ――口から出そうになる言葉を寸前に呑み込む。憔悴している人を前に止めを刺す言葉は言えない。

この後、飯田の話を聞いた多部と、オクリズの二人の話をつなげてみると――

大政の言い分――



「所で「シール事件」の時にさ、投げ遣りな態度だったのはどうして?」

放心状態の所を申し訳ないが、蟠っている事の真相を知りたかった。

「あの日、本番前に舞台があったんです。陸にネタ合わせもしないで舞台に上がっちゃったから、ウケも今一つで。自業自得の結果ですけど飯田もそれを分かってるから、苛立ちだけが高まってあんな態度になったんです」

「「喧嘩事件」の時もそんな感じだったの?」

この問いも、「シール事件」と同じ気持ちから。

「はい。その通りです」

大政はオレと一切目を合わせようとせず、宙を見詰めたまま。

「それが真相だったんだね……」

蟠りは消えたが、この後、何と答えるかまでは決めていなかった。完全なる見切り発車……。

対する飯田は――



多部も、「シール、喧嘩事件」の真相を確かめていた。

「ここ最近、仕事以外で大政と口利く事ってないですから。オレがネタ合わせしようぜって持ち掛けても、あいつ平気で無視するんですよ」

憎々しげに答える飯田に対し、

「だからって本番中にキレる理由にはならねえだろ」

多部は呆れを蒸し返す。

「本当に申し訳ないって思ってます。でも黒木さんと楽しそうにトークしてるあいつを見ている内に、どうしても我慢出来なくなって」

飯田はあの日の心境を回想し、忌々しい表情を見せたという。

「抱いてた鬱憤を拡散させてしまったってか。気持ちは分からなくはないけど……」

多部は溜息交じりに言う。気持ちは分かる。だが彼が番組を台無しにした事も事実である為、フォローする気にはならなかったそうだ。

再び大政の言い分――



「オレも芸人としての職能を磨きたいっていう向上心は持っていたんです。でも『オクリズ人気凋落』とか書かれてる雑誌の記事を読んでムカついてイライラする事ばっかで。怒りの矛先が飯田にしか向けられなかったんです」

「そんな状態だから素直にネタ作りやネタ合わせをする気にはなれなかった」

大政は満面に無念さを表す。

「相方だから甘えられる点はあるだろうけど、ちょっと行き過ぎちゃったね」

大政は無言で、オレの言葉を噛み締めるかのように頷く。

一方の飯田は――



「大政がMCとかの仕事を器用にこなして行くタレント性の高さに、正直、嫉妬してたんです。だからオレはネタで勝負しようっていう想いを蓄積させて行きました」

飯田の口振りは苦々しげだが、眼光は鋭く、多部には今後の希望を口にしているように見えたという。だが――

「希望を持っても相方はネタ合わせに応じてくれない。そりゃ鬱屈もして行くよな……ハー……」

多部は途方に暮れてしまう。



多部と二人っきりの、吸煙機の音だけが響く喫煙ルーム。

「二人の間に生じた溝は、見解の相違に端を発して、器用、不器用の性質が更に溝を深める結果になったか……」

「それだけじゃないだろうけど、取り敢えずはそう結論を出すしかないよな」

多部は溜息交じりに紫煙を吐き出した。オレも然り。こういう時の口気は溜息にしかならない。

タバコの火を消した多部は、

「じゃあオレ、編集があるから」

うんざりというのか途方に暮れているというのか、何とも微妙な口振りで言うと、来週の総集編をまとめる為、十四階の編集室に向かった。

遠ざかる多部の背中を見ながら、二本目のタバコに火を点ける。ぼんやりと紫煙を吐き出しながら、ふと独白文が浮かぶ。

この世は諸行無常。浮き沈みの激しい芸能界の中、一組のお笑いコンビの絶頂期は終わった。

だが、諸行無常は別に悪い意味の言葉ではない。落ちた状態だって決して不変的なものではない。本人のベクトル次第で、どの方向へも変化して行ける。そう考えないと、人間救いようがないじゃないか……。



九月下旬の火曜日。遂に放送作家を特集したWEBマガジン『TERA』が発行された。雑誌名の由来は、テレビとラジオをローマ字にして頭の二文字をつなげただけで、誠に安易。

だが内容は、夕起さんの他に、実は多部にもコラムの執筆を依頼し、他には数人の作家の仕事現場に密着。人気のテレビ、ラジオ番組の制作裏話を紹介して貰うなど、我ながら大甘な評価ではあるが、バラエティにはとんだものとなっている。

今後も、芸能人やディレクターなどにコラムや、ベテラン作家に密着取材をオファーして行く予定だ。



発行の翌日、赤坂(港区)にある居酒屋の個室を貸し切り、細やかな祝賀会が開かれた。主催者は<vivitto>の曽根社長と、うちの<マウンテンビュー>の坂木社長。

秋の特番の収録や打ち合わせで特に忙しい時期である事を考慮し、開始時刻は二四時(深夜零時)からとし、「参加出来る時間のある人だけお越しください」とお触れ書きを出した。  

それでも十人前後の作家が集まり、その中に夕起さんをゲストとして招いた。

「初めまして、沢矢です」

「初めまして。今回はお話を頂いてありがとうございました」

夕起さんと沢矢さんはお互いにこやかに頭を下げる。

「二人、会った事なかったのか?」

「そうなんですよ。一度お会いしたいとは思っていたんですけど」

沢矢さんは再度、夕起さんの顔を見て会釈した。

「今回のコラムもユウ君を介してだからさ。中々機会がなかったんですよね」

夕起さんはとても嬉しそう。この人も毎日が忙しいので声を掛けようか迷ったが、来て頂いて正解だった。

二人は直ぐに打ち解けて、仕事やプライベートの話で花を咲かせている。

その光景を傍観している内、何故か以前、多部の彼女の桐谷の楽屋で、自分が作家を志した時の頃を語った場面がフラッシュバックした。沢矢さんは「不倫がきっかけ」と言っていたけど、何か引っ掛かる。

「あのさ、沢矢さんが作家を目指したきっかけって、本当に不倫だけ?」

他の人には聞こえないように、そっと彼女の左耳に耳打ちした。

「どうしたんですか急に?」

沢矢さんは笑みの中に怪訝さを滲ませる。

「いや、特に理由はないんだけど、何か気になってたからさ」

「知りたいですか?」

沢矢さんの勿体ぶった顔。さあ、何が出るかな、何が出るかな――

「差し支えなければ」

「私、本当は作家じゃなくてグラドルに成りたかったんです」

「え!? そうなの?」

思わず声が裏返ってしまう程、意外な言葉。

「へえ、表に出る職業から方向転換したんだ」

夕起さんは相槌を打ちながら料理にも舌鼓を打つ。口と耳が別作動なのはお見事。

沢矢さんはオレ達の反応を見て「フフンッ」と鼻で笑う。

「いつ頃からグラドルに憧れてたの?」

「高校に入学した時くらいかな。部屋で一人で過ごしている時に「将来は絶対グラドルに成る!」って、闘志が沸々と沸いて来たんです。何故だか、自分でも分からないんですけどね。でもうちの両親は躾が厳しいんで、反対される事は目に見えてましたけど」

「確か、門限が十九時だったんだよね?」

 彼女は以前そんなことを言っていた。

「よく覚えてますね。そうなんです。しかも地元は長野だから、まずは上京して一人暮らしを始めようと画策して、必死に受験勉強に励みました」

「それで、成城(大学。世田谷区)に受かったと」

「はい」

沢矢さんは当時を述懐し、微笑を浮かべる。彼女の中では、グラドルを目指す為に東京の大学に合格する事が、人生初の「遮二無二」だったのだろう。

「てっきり最初っからマスコミ関係の仕事に就きたいって思っていた人だって認識してたよ」

「それが違うんですよ。大学に入ってミスコンに自薦で応募したり、アイドル事務所のオーディションを受けたりしたんですけど、全然駄目で」

「容姿端麗なのにね」

夕起さんは不可解そうな顔。

「勝気な面が勝っちゃったんじゃないの?」

「ちょっと!」

沢矢さんに拳で左肩を殴られた。でも事実、沢矢加奈という人は勝気な人。その反面、奥ゆかしさも合わせ持ってはいるんだけど。

「ごめんごめん。続けて」

「ミスコンにもオーディションにも落ちて気落ちしている内に就活時期に入って、もう全部諦めて普通に就職しようって、一旦は決断したんです」

「けど、その直後に何かあった」

沢矢さんは微笑を浮かべて頷く。

「一般企業の面接に受かってOLとして働き始めてから、半年くらい経ってからかなあ? ネットサービスのアクセス数ランキングを何気なく見てて、ある人のページを開いたんです。そしたら、アイドル事務所のオーディションに行った時に見た女性審査員のページだったんです。びっくりしてその人のブログを読んでみたら、放送作家だったって分かりました。こういう職業もあるんだあって、作家に対して憧れを持ち始めるきっかけになったんです」

「それで、作家を養成する社会人スクールに通ったんだ?」

「はい。OLの仕事をしながら課題をこなして、それ以外にも、自主的に企画書を書いて提出してましたから、結構ハードな毎日でしたけど」

沢矢さんはしみじみとした口振り。それが当時本当にハードだっただろう生活を物語っている。アイドルを目指し、その後、放送作家を志して養成スクールに通う。彼女は三度の遮二無二の時期を経て今があるのだ。

当然、作家に転身した後も遮二無二の連続だろう。それはオレも同じ。人生は本人が望もうが望むまいが遮二無二の繰り返し――

「不倫はあまり関係なかったんだね?」

またそっと沢矢さんの左耳に耳打ちした。

「社会人スクールに通おうって決めた時に別れて奮起した面もあるんで、多少は関係ありますよ」

沢矢さんは苦笑する。

「人には色んな経験があるね。でもやっと沢矢さんが天岩戸の大岩を開いた」

「何ですかそれ?」

「知らない? 太陽神の天照大神が天岩戸に引き籠って、世界が真っ暗になってしまったっていう伝説」

「知ってますけど、そんな仰々しい事じゃないですよ」

沢矢さんは俯き加減に笑う。それは照れ笑いか、只の苦笑か――

「だって沢矢さん、下ネタについては過激な事言うけど、経歴の事は殆ど口を噤んでるじゃん」

下ネタに関しては、『うちにいる時は彼氏といつでもSEX出来るようにほぼ全裸でいる』とか、『彼氏とカンチョウし合うのが楽しい』などの発言を平然と口にする性質。

隣の夕起さんを見ると、やっぱり口をもぐもぐ。

「どうですか? 刺身の味は」

「あいしい」

「あいしい? 口に物が入ってる時に訊いたオレが悪かったですね」

「別に良いけど。けどさ、ターニングポイントって、案外、気落ちしてたり諦めかけてる時にやって来るんだよね。ユウ君もそうだったでしょ?」

「まあ、確かに……」

当時の記憶が頭を過る。鼻からゆっくり息を吐き、ビールを一口飲んだその時、

「遅くなってごめん。収録押し(時間が長引く)ちゃってさ」

多部ディレクターの登場。



「おう、待ってたぞ。何飲む?」

「まずは生中で良いや」

多部はそう言いながら座布団の上に腰を降ろすと、早速タバコに火を点けた。取り敢えずビールから始めた多部だったが……。

「そろそろ飲み物変えよっかなあ……」

多部はドリンクメニューを吟味している割には、

「梅酒サワーにしよう」

存外、速決。

「生中二杯で次はサワーか」

「どんな思い出があるんでしょうね?」

沢矢さんはにやついてオレの右耳に耳打ちする。

「どうせ結婚したいって想うだけで終わったんだよ」

「お前ら何ニヤニヤしてんだよ。言っとくけど、「梅酒サワーの女」は今までの女と違うからな」

多部は高々な発言でしたり顔。

「女って自分から言っちゃてんじゃねえかよ」

「どうせオレの酒癖の事でニヤニヤしてたんだろ」

その通り。こいつには酔いが回ると、曾て交際していた女性が好きだった酒を飲んでは、述懐をし始める迷惑で不可解な酒癖があるのだ。その述懐が面白ければ良いのだが、大半は、結婚したいと切願していたものの、腹を決められない内に破局してしまった、という内容が殆ど。だから迷惑極まりない。

「で、その彼女とはどんな関係だったの?」

夕起さんは知的好奇心が旺盛というのか、単なる物好きというのか……。

「セフレだったんです」

「ええっ!?」

夕起さんは笑顔のまま目を見開く。

「笑いながら確言する事かよ。でもお前セフレもいたんだ」

「多部さんの遊び方だったら十分あり得るんじゃないですか?」

沢矢さんは泰然としているが、目は獣でも見るように軽蔑。

「ディレクターに昇格したばかりの頃にな。自分の中には出演者には手を出しちゃいけないって不文律があったから、クラブで知り合った子と。何となくお互い、彼氏彼女の関係にはならなかったんだよなあ」

「毎回思うんだけど、そんな低いトーンで言っても何の演出効果もないから」

「自分の世界に陶酔してるだけで徒々しな話ですからね」

沢矢さんも飽く迄、軽蔑。だが――

「それも含めて多部君の個性なんだよ」

夕起さんは飽く迄、好奇心。

「夕起さんも以前は取り合わなかったじゃないですか」

「(多部と)一緒に番組遣ってた時はね。でも番組終わちゃったし、たまに聞く分には面白いかなと思って」

「諸行無常ってやつですか……」

顔を合わせる機会が減れば、観念も変わる――

「レイコちゃんは相性良かったんですよ」

「相性ってSEXでしょ?」

多部は夕起さんに向かって語り出してしまう。

「どんな体位でも良かったんですから。騎乗位だろうがバックだろうが快感で何発でもイケましたよ」

「おいおいおい! ぶっちゃけ過ぎだろ」

さすがは「チャラ男D」。誉める事では全くないけれど……。

「本当。最低だしキモっ!」

「はい、沢矢さんから頂きました。本日最高の「最低キモい賞」!」

「只の不名誉なレッテルじゃねえかよ!」

「お前が話し始めたんだろ?」

多部は「ったく……」と言ってムッとしたが笑みを浮かべていて、当時を懐かしんでいる様子。そして一仕事終わったかの如く、タバコに火を点けて一服。

「今まで相手の名前出した事なかったのに、相当印象深いんだな?」

「マジでレイコちゃんは良かった」

多部は再び当時を回想し、破顔一笑。

その多部に対し、女性二人は蔑みを帯びた苦笑満面。最初こそ面白がっていた夕起さんの好奇心も薄れたようだ。

「それもう聞いたよ。絵に描いたような至福な顔。そんなに相性良かったんなら、何でカップルまで行かなかったの?」

「レイコちゃんはヤンママだったんだよ」

「だから?」

「SEXは良かったけど、子供の事までには責任持てなかった」

多部はグラスを傾けながらしみじみと言う。

「チャラ男、何度も言うけどその雰囲気の作り方には無理があるぞ」

「子供がいるからセフレで止めたって訳?」

「若気の至りってやつですよ。そんな事なくないですか?」

「同意を求められても……」

夕起さんは最早、笑うしかない。

「浅劣な人ですね」

沢矢さんの顔には、はっきりと「最低」の文字が浮き出ている。

「沢矢さんから頂きました。本日の「最低賞」!」

「またレッテルかよ」

「それで何で別れる事になったの」

夕起さんの問いに、

「レイコちゃんには正式な彼氏がいたんです」

多部はあっけらかんと言うが、

「結局、寝取られたんじゃん」

夕起さんの言葉が如実。

「まあ、そうとも取れますね」

多部はばつが悪そうに頭をかく。

「加奈ちゃん、ぼんじり食べる?」

夕起さんが沢矢さんを気に掛け、串焼きを一本差し出す。

「いただきます」

「美味しいよね? それ」

「香ばちくて美味しい」

「香ばちくて? 不機嫌な後は赤ちゃん言葉かい。まあそれはそうと、沢矢さんは最近、彼氏とどうなの?」

「私ですか? もう別れました」

「えっ、マジで!? いつ?」

「去年の十二月だったっけ?」

沢矢さんはとっくに気持ちを切り替え、もう気に留めていない様子。しかし去年の十二月とは……、そんな素振りは一切見せなかった。

「さよならの代わりに、メリークリスマス」

多部は沢矢さんを指差してポーズを決めるが――

「意味分かんねえよ! でも仲良い感じだったのに、今どうしてるの?」

「どうしてるって、自分で処理してますけど」

「!!!……」

訊いといて何の言葉も出ない。沢矢さんの過激な下ネタとはこれ。

「あのさ、君、多部の事を非難出来ないよ」

「じゃあ何て答えれば良いんですか?」

「今はいないとか、募集中とか、その程度の答えで良いよ」

「本当に凄いね。君達」

こればっかりは夕起さんも苦笑。



「加奈ちゃんのギャグが決まった所で、オレからも発表があります」

多部の顔。

「唐突に真顔になってどうしたんだよ?」

「オレ、結婚する事になったから」

真顔の割にはライトに放たれた言葉。

「結婚って、誰と?」

「(桐谷)智衣美とに決まってるだろ」

「やっぱり。お前の事だから、もしかしたら別の人の名前が出て来るかもしれないじゃん?」

多部が余りにも平然としている為、一大決心を聞いてもぴんと来ない。

「偏見で人を見るな!」

「っていうか唐突過ぎるし、今までの話の流れからすれば不釣り合いですよ」

「沢矢さんの言う通り。今一祝福する気にもなれない気持ちの因子はそこにある」

「アハハハハッ!」

夕起さんは大爆笑。

「何だよお前ら。おめでとうくらい言ってくれたって良いじゃねえかよ!」

「だったらさっきみたいな話しないでくれますか」

沢矢さんは尚も渋い表情。

「いつもみたいに遅きに失する事はなかったみたいだけど、どうせ然程好きでもないのに、苦渋の決断の末の結婚だろ?」

「結婚すればクラブや合コンに行き辛くなりますもんね」

「バカかお前ら! 愛してるから結婚するし家庭に落ち着くってんだよ!」

「レイコちゃんの話の時よりも声のトーンが低いぞ」

「そうですよ。それにさっきの方が幸せそうだった」

「ハハハハハッ!」

「夕起さん、笑ってばっかいないでこいつらに何とか言ってやってくださいよ」

夕起さんは完全につぼに嵌った状態。そんな人に助けを求めるだけ無駄。

「もう良いよ! もう一杯梅酒サワー」

「ほら見ろ。やっぱレイコちゃんの事、忘れられないんだろ?」

「思い出を噛み締めたい時もあるじゃねえかよ」

「強引に正当化しないでくださいよ。そんなの時と場合によります。今から桐谷さん呼びましょうか?」

沢矢さんが悪戯っぽく笑う。

「忽ち紅蓮の炎に燃え盛るよ」

そして梅酒サワーが届き――

「どうだ、梅酒サワーの味は?」

多部は一口飲む。

「ああ、良いだあ!」

「良いだあ? しみじみと言ったけど何処の方言?」

今度は夕起さんが突っ込む。

「おたくら今日、日本語が可笑しいよ。夕起さんの「あいしい」に始まって「香ばちい」とか「良いだあ」とかさ」

「そういう日なんだよ、今日は」

夕起さんは言うが、

「どういう事?」

合点は行かぬ……。



二か月後――

「ユウ、そろそろ支度しないと間に合わないよ」

「ああ、そんな時間か……」

練馬のチハルのマンションのリビング。チハルに吹っ掛けられ、読んでいた本にしおりを挟んでテーブルに置く。

リュックから電気シェーバーと電源アダプターを取り出し、充電させようと洗面所へ向かうと、チハルはもうドレスに着替えてメイク中。

「ちょっとコンセントを失礼」

「男は良いよね。髭剃って整髪するだけだから」

マスカラを塗りながら愚痴るチハルの顔。いつものキャバのメイクよりもナチュラルで落ち着いている。個人的にはこっちの方が淑やかで好きなんだけど、口には出すまい。

「でも多部さんも忙しくなる時によく式上げるよね? 親戚に合わせようと思ったら仕方ないんだろうけどさ」

今日、十一月中旬の土曜日の十八時から、多部亮、桐谷智衣美夫妻の結婚披露宴がいよいよ開かれる。

「まあな。もう年末特番の撮りは始まってるし、正月特番の会議も立て込んでるから」

多部は午前中から都内でロケを。オレは会議と打ち合わせを終えてからの披露宴だ。

「だけど世間にとっては昨日から三連休だもんね」

「そういう事です。世間とメディア業界とのずれ」

髭を剃り、ワックスで整髪した後は、滅多にしないネクタイを締めてスーツに袖を通す。

「オレは準備出来たけど!」

「もうちょっと待てて!!」

少し声高に吹っ掛けると、それを上回るボリュームで返って来る。チハルの様子を見に行くと、メイクの次はヘアスタイルを整え中。

ドレスも着てメイクも終われば直ぐに出れるかと思っていたが、ヘアスタイルは眼中にはなかった。

「ご苦労さん」

「だから男は良いよねって言ったの」

それから十分。やっとチハルの支度が終わり、練馬駅から十六時四八分の大江戸線に乗る。十七時二五分に汐留駅に着くと、そこから近くにあるホテルの式場へ向かう。

ホテルの中に入ると、うちの坂木社長や沢矢さんの他に、<ワークベース>の室岡社長と多部の同僚達の姿が見える。

オレが皆さんに挨拶して回っている間、チハルは沢矢さんに挨拶した後、何やら自己紹介している様子。二人に近付いて行くと、

「ユースケさんにこんな可愛い彼女がいたんですね」

沢矢さんはからかうような眼差しを向けて言う。

「腐れ縁が何年も続いてるようなもんだよ」

「芳縁って言った方が良いんじゃないですか? ねえ?」

沢矢さんはもうチハルと打ち解けたか。

「そうだよ。多部さんも結婚するし、私もそろそろかな?」

チハルの欲求する目。

「……考えておきましょう」

本当は「重っ!」と返してやろうかとも思ったが、結婚に対してそんな言葉で逃げる歳ではない。

三人で四一階の式場まで上り、<ワークベース>の事務員の女性と、多部の身内の女性二人、桐谷の後輩女性二人が係りをする受付で、帳簿に記名して祝儀袋を渡し、会場の中へ。

中に入ると、多部の身内や桐谷が所属する<オフィスリトライ>のスタッフやタレント、そして内海さんと大石さん、お貴さんに神野さんと宮根君が着席していた。

「おはようございます」

「おはよう。この子がユースケ君の彼女?」

大石さんはにこやかな表情でチハルを見る。

「ええ、そうです」

いつかは彼女の顔を職場の人に見せる運命になっていたのだろう。

「初めまして。チハルといいます。いつもユースケがお世話になっています」

チハルもにこやかにオレの為に深々と頭を下げてくれた。

「いえ、こちらこそ。ユースケ君、大事にしてあげなさいよ」

「そうだぞ。良く出来た子じゃないか」

大石さんと内海さんの微笑ましい眼差しを見れば、

「はい。分かってます」

快活に答えるしかあるまい。

挨拶を終え、自分達のテーブルに座る。同席者は、沢矢さん、お貴さんに神野さんと宮根君なのだが、チハルを含めた女性四人の内、二人のドレスときたら……。

「お貴さんも彩子ちゃんもゴージャスだよね」

宮根君はにっこり。彼は只単に誉めているだけだ。この言葉に対し、

「そうかな?」

お貴さんはきょとんとし、神野さんは、

「別に普通じゃない?」

と言って微笑を浮かべるのみ。

「それより、さっき多部さん達に会ったんですけど、新郎の方が随分と緊張してる様子でしたよ」

悪戯っぽく笑うお貴さん、純白なシルクのドレスは肩全開で、頭には白い花が付けられている。

「こういう時って男の方が浮き足立ったりするからね」

薄笑いを浮かべる神野さんも肩全開で、真紅のシルクのドレスに頭には金のカチューシャ……二人共、これから出て来る新婦に引けを取らないくらいの豪奢な姿。

二人に対し、チハルと沢矢さんは黒とグレーのドレスで控えめであり、自動的に節度があるのだと再認識させられる。

「そりゃ一世一代のイベントだと思えば緊張もするよ。飽く迄、一世一代だと思えばの話だけど」

「またそんな皮肉を言う」

チハルは子供を諌めるような口振り。

「だって人間、先の事は分からないだろ」

「そうだけど、今言う事じゃない!」

と、戯言を言っている内に、

「ああ良かった。間に合って」

夕起さんが小走りで登場。

「慌てなくても大丈夫ですよ」

「だって遅刻したらばつが悪いじゃん」

夕起さんは安堵の表情を浮かべ、内海さんと大石さんがいるテーブルに座る。

腕時計を見ると開式五分前だ。

「皆様、そろそろ開式のお時間となりました。本日はお忙しい中、多部亮、智衣美夫妻の為にお集まり頂き、誠にありがとうございます」

にこやかに進行を担当するのは、桐谷と同期の宮瀬仁美。

「それでは、新郎新婦の入場です。盛大な拍手をお願い致します」

スモークが焚かれる中、二人は木村カエラの『Butterfly』に合わせて会場入り。純白のタキシードとウェディングドレスを身に纏った二人。桐谷は自然な微笑みだが、多部の笑顔は強張っている事が明白。さっきお貴さんが言った通りだ。

「こんな近くで東京タワーが見れるんだね」

チハルはフレンチに舌鼓を打ちつつ、目下の東京タワーを見詰める。

「夜景が奇麗だって評判のレストランだからな」

何気ない口振りで答えたが、全面ガラス張りの四一階からの眺望から見る、煌々とライトアップされた東京タワーに、改めて見惚れている自分がいる。東京タワーは昼も夜も何度も見て来たし珍しくはないけど、やっぱりスカイツリーとは一味違う壮麗さを感じてしまう。そんなオレの心理は単純か。

と思いきや、

「東京タワーも近くで見ると絢爛ですね」

とお貴さん。ライトアップに美を感じる心理を持つ人は少なくないのだろう。

式はこの後、室岡社長や内海プロデューサーらの挨拶へと続き、多部が担当する番組の出演者達からのお祝いのVTRが流された。

「所で君達、この後の出しもの、完璧だろうね?」

少々真面目に念を押すと、

「心配しなくても大丈夫ですよ」

沢矢さんを筆頭に、

「任せてください」

「確り練習しましたよ」

「二人を泣かせて見せますから」

お貴さん、神野さん、宮根君は自信を持って明言した。

「何遣るの?」

チハルは好奇心から来る微笑み。

「見れば一目瞭然だよ」

「そう言うユースケさんは大丈夫なんですか?」

神野さんはオレより強い口振りで念を押す。

「オレも練習しまくったから大丈夫だよ」

多分ね……。なーんて言ったら、高ビー神野に辛辣な一撃を食らうだろう。



「それでは続きまして、新郎、亮さんのご友人から歌の贈りものでございます」

宮瀬と目が合った。

「さあ、いよいよだぞ!」

皆に吹っ掛けているようで、実はオレが一番緊張しているのかもしれない。

「トップバッターは亮さんの旧交、放送作家の中山裕介様、お願い致します」

「頑張って!」

チハルはオレと目を合わせてガッツポーズを贈り、沢矢さんとお貴さん、宮根君は徐に頷く。高ビー神野は知らん顔――

オレは皆に頷き返し、拍手に包まれながらマイクスタンドへとまっしぐら。

「多部亮さん、智衣美さん、この度はご結婚おめでとうございます。亮さんと僕はメディア業界に入って直ぐからのお付き合いで、その縁で智衣美さんともお知り合いになり、現在もお二方とはお仕事をさえて頂いております。お二方がご結婚すると知ってから、日増しに歓喜が高揚して来ました」

今の所、多部と桐谷は照れ笑いを浮かべている。が、数分後にその顔はどうなるのかな?

「ではお二方に拙いながらも、この歌を贈りたいと思います」

そして歌い始めた曲は、ゴールデンボンバーの『女々しくて』。曲調が早く、歌詞が表示されるモニターを見たまま、多部と桐谷の表情を窺う余裕はないが、会場中が瞬時に「結婚披露宴でこの曲?」という雰囲気に変換された事は感じる。

けど、それがオレ達の狙い。沢矢さんと相談した結果、オレ達は敢えて披露宴にそぐわない選曲をする事で決定し、割り当てた。

すると、流石多部は「チャラ男D」と呼ばれているだけあって、皆はオレが理由を言説すると直ぐに承諾してくれた。

と、内々にはまとまったが、

「本当にこの曲で行くんですか?」

宮瀬との打ち合わせ中、彼女は如実に怪訝な表情を見せる。

だが、

「良いんですよ。これがオレ達にとってあいつへの餞ですから」

ここは強引に押し通す。

「中山様、ありがとうございました。それでは続きまして、こちらも亮さんとは旧交の、小説家の夕起様、お願い致します」

宮瀬に紹介され、夕起さんが拍手に包まれながらこちらへ向かう。

「夕起様には中山様とのデュエットをご披露して頂きます」

「小説家の夕起と申します。亮さん、智衣美さん、ご結婚おめでとうございます」

ここでやっと二人の顔を見る事が出来た。桐谷は満面で微笑んでオレの歌には全く動じていない様子だが、多部は心做しか色を失っている。真っ青になるのはまだ早い。

「亮さんとは私の番組のディレクターを担当して頂いてからのお付き合いなのですが、あなたが結婚するなんて、正しく青天の霹靂でした」

この言葉には多部をよく知る業界人から笑いが起こる。

「これからは家庭に収まって、幸せな家庭を築いて行ってください」

夕起さんの釘を刺す挨拶が終わると同時に流れ始めた曲は、ロス・インディオス&シルヴィアの『別れても好きな人』。石井竜也と剛力彩芽がカバーした事でも話題になった曲だ。が――

この曲で会場は「何故この曲なの!?」という雰囲気に包まれ、オレ達に怪訝な目が向けられる。だが、構わずに歌い続ける夕起さんとオレ。

夕起さんは初め、

「私はいいよ。歌下手だから」

こう言って渋っていたのだが、

「じゃあオレも一緒に歌いますよ。だからお願いします」

心を込めて懇願する。

すると、

「本当、ユウ君は相変わらず悪知恵が働くね」

「まあね」

夕起さんは失笑する事でOKサインを示した。

「わあかれても……」

サビの部分をオーバーに歌ってみると、やっと会場内に「苦」が付くが笑いが起こった。

曲調がさっきよりも緩やかな為、序に二人の顔を見る余裕がある。桐谷はオレのオーバーな歌い方に吹き出しているようだが、多部はオレを睨み付けて「カッ!」と一瞬、鬼の形相を見せた。「旧交」なのであいつには直感で分かるのだろう。この選曲がオレの差し金である事を。

「夕起様、中山様、心が籠った熱唱、ありがとうございました」

宮瀬の言葉に会場がウケる。彼女も多部がチャラ男である事を知らない人ではない。多部の反応を見ている内に面白くなって来たようだ。

オレ達は二人に会釈をして席へと戻る。夕起さん顔を一瞥すると、結構、満足げ。

「ねえ、大丈夫なのあんな曲で? 披露宴で別れの曲はご法度だよ」

チハルが心配そうに声を落として訊く。

「構わないよ。あいつはこれくらいの事で動じるタマじゃないから」

「ではお次の方は、現在、新郎新婦とお仕事を共にされております、放送作家の沢矢加奈様、お願い致します」

オレ達と立ち代りに沢矢さんが席を立ち、彼女はニヤリとしてマイクスタンドへと向かう。

簡単な挨拶を済ませた彼女が歌い始めた曲は、SILVAの『ヴァージンキラー』。この曲は彼氏に浮気されている彼女の気持ちを綴ったもの――とオレは解釈しているのですが、SILVAさん、間違っていたらごめんなさい――

沢矢さんは多部と桐谷の顔を一切見ず、歌詞によって桐谷にエールを贈り、熱唱の内に曲は終わった。

「沢矢様、ありがとうございました。さあ、歌の贈りものはまだまだ続きます」

宮瀬の言葉に、多部は「もう勘弁してくれよ」と言わんばかりのうんざりとした面持ちで、頭を抱える。その姿を見た桐谷はオレ達に向けて破顔一笑。

「あの様子だと、オレ達が遣ってる事は間違ってなかったね」

隣の沢矢さんに呟くと、

「そうですね。喜んでくれているみたいだし」

彼女は桐谷に向け微笑み返す。

「ではお次は、放送作家の膳所貴子様、お願い致します」

お貴さんが歌う曲、それはMISIAの『BELIEVE』。普通、MISIAの曲で披露宴といえば『Everything』の方をイメージされるだろうが、ここは敢えて「さよなら」の曲で。お貴さんは『BELIEVE』を完璧に歌い上げてくれている。

「ちょっと君達、遣り過ぎじゃない?」

大石さんはオレ達の席に近付き、小声で言う。笑みの中に「おいおい!」と突っ込む気持ちが滲んでいる。

「心配いりませんよ。多部はともかく、桐谷さんは楽しんでくれてるみたいだから」

「まあね。私もそうは思うけど……多部君だけじゃなくて、智衣美ちゃんのご両親もいらっしゃるんだからさ」

「ああ、そこはノーマークでした」

「ちょっと!」

大石さんは笑いながらオレの右腕を軽く小突く。

「でも、次の神野さんから手法が変わりますから、安心してください」

「お願いよ」

大石さんはそう言って自分の席へと戻って行く。

ここまでの曲、どれも別れや浮気の歌詞ばかり。それもこれも多部亮、色んなとこで三擦り半で終わらせて来た過去の女の気持ちを代弁した、あんたに対する餞だよ! by 夕起、沢矢、膳所――

「膳所様、ありがとうございました。ではどんどん参ります。放送作家の神野彩子様、お願い致します」

宮瀬の呼び掛けに神野さんは立ち上がり、拍手に包まれながらエレガントにマイクスタンドへと向かう。彼女が歌う曲は、miletの『inside you』。この曲も披露宴にはどうかな、とは思うけどまあ良いだろう。

そして最後の宮根慎太郎君が歌う曲が、ヒルクライムの『春夏秋冬』。取りを務める二人がやっと披露宴に符合する曲を歌う事で、それまでの多部に対する当て付けを帳消しにしようという演出だったのだが……。

高ビー神野も然る事ながら、実は宮根君もかなりのナルシスト。二人共、上手く歌うのだけれど、マイクを持たない片手を大きく広げるその歌い方が、此れ見よがしで鼻に付くやら鬱陶しいやら。

「二人に取りを任せるんじゃなかったね」

隣の沢矢さんに耳打ちすると、彼女は頷きながらオレの左耳に口を近付け、

「涙を誘う演出も台無しですね」

こう言って苦笑した。

沢矢さんの言葉通り、多部も桐谷も感涙するどころか苦笑している始末。だが二人は何食わぬ顔で自分に陶酔し、立派に歌い上げてくれた。

「宮根様、感動的な歌をありがとうございました」

宮瀬よ、それ百パー皮肉だろ。笑顔に裏打ちされている感情は呆れ。

宮根君の歌が終わって間もなく、最後に桐谷が両親に宛てた手紙を読み、約二時間半に亘った披露宴は閉式となった。

その後、列席者全員が出口に向かって二列に並列し、多部と桐谷はライスシャワーならぬフラワーシャワーを浴びながら、にこやか退場。

周りの余韻が落ち着いた頃、

「ねえ、控え室に行ってみない?」

チハルが意味深な笑みを浮かべて言う。

「多部は怒りをぶちまけるぞ……」

「分かり切ってた事じゃないですか。別に濡れ衣を着せた訳じゃないんだし」

沢矢さんもチハルと同様の笑み。

「そりゃそうだけどさ、ちょっとほとぼりが冷めてから……とも思ったけど、時間が経っても同じか。行ってみよう」

三人で新郎新婦の元へと向かう。



控え室の中に入り、多部と桐谷の両親に挨拶を済ませた刹那、多部はオレと沢矢さんの腕を掴んで周囲から引き離す。その光景を見ているチハルは楽しそうな笑みな事。

「何だよ?」

「どうしたんですか?」

オレと沢矢さんの言葉に対し、

「白々しいんだよお前ら! オレが言いたい事は分かってんだろ」

多部は案の定、ご立腹。

「でも最後はあの二人がビシッと締めたんだから良いじゃねえか」

「そうそう」

「加奈ちゃんそれ思い出し笑いじゃね? あんな二人の歌で締まる訳がねえだろ!」

「私はすっきりしたし楽しかったけど」

後ろから桐谷の声がし、振り返ると破顔して立っている。

「智衣美は満ち足りてるだろうよ……」

「その先何も言えないね?」

オレと沢矢さんも破顔すると、多部はばつが悪そうに顔を背ける。

「せっかく来てくれたんだけど、これから私達、記念撮影があるの。ごめんね」

「いや良いんだよ桐谷さん。こっちから押し掛けたんだから」

「そうですよ。こちらこそお邪魔しました」

チハルは丁寧に頭を下げた。

「チハルさんでしたよね?」

「はい。いつもユウがお世話になっています」

桐谷とチハルは一度だけ面識がある。桐谷はオレとチハルを微笑を浮かべて見詰めた後、

「今度は私達が(披露宴に)呼ばれる番だね」

予想通りのお言葉。

「嫌な予感がしたよ。あんまり急かさないでください」

「何で嫌な予感なの?」

「照れてるだけなんですよ」

チハルの笑みを浮かべつつ欲求する目。本日二回目……。

「お前の披露宴の時は覚えてろよ!」

多部はそう言ってニヤリ。

「はっきり披露宴って言うな!」

「智衣美、そろそろ行かないと」

「うん。それじゃあ」

「また」

オレ達は二人に会釈して背中を見送る。

「何だかんだ言って幸せそうですね」

沢矢さんは小声でしみじみと言う。

「結婚しちゃったんだね……」

「どうしたんですか急に?」

「いや、式中は歌の事で頭が一杯だったけど、改めて二人の背中を見てると感慨深くてさ」

「でも桐谷さんはこれからが大変かもしれませんね。チャラ男って呼ばれている人を夫に持って」

失笑する沢矢さんにつられ、

「それもそうだね」

「チャラ男Dは未来永劫だよ」

オレとチハルも笑ってしまう。

幾らチャラ男とはいえ、子供が出来れば変化するとは思うんだけど。諸行無常を祈りつつ、デパーチャーを迎えた多部亮、智衣美夫妻に栄光あれ――



「所で話変わるけど、『TERA』の印税が振り込まれるのって、来週の月曜日だったよね?」

「そうですよ。低額ですけど」

「沢矢さん悪いんだけど、オレの分を全額、夕起さんの印税に上乗せしといてくれないかな」

「えっ? それは良いですけど、どうして?」

沢矢さんは素朴に目を丸くする。

「うーん。端的に言えば恩返し。オレが作家に成れたのはあの人のおかげなんだよ。だからその一環として」

「夕起さんから中古の車を買い取ったのも恩返しなんだって」

チハルの淡々とした口振り。思わず照れ笑いしてしまう。

「ああ、あの車。律儀な人なんですね、ユースケさんって」

沢矢さんの口振りも淡々。

「金で受けた恩を全部返せるとは思えないけどさ、そろそろ少しづつでも、何かしらの形で返して行かなきゃいけない気がしたから」

言いながら顔から火が出そうな程、血液が頭部に集まって来る感覚を覚えた。



その月曜日――

私の銀行口座に、『TERA』の印税が振り込まれた。午前中、少し時間があったので、銀行のホームページにつなぎ、金額を確認する。『TERA』編集部からの振り込み、二万五千円……あり得ない。

雑誌によって違うけど、記事やコラム約五百字で印税は約一万円が相場の筈。

「何でこんなに入ってるんだろう。特別扱い?」

携帯を手に取り、沢矢加奈ちゃんに確認の電話をする。

「もしもし。今大丈夫?」

『少しだけでしたら。どうかしたんですか?』

「『TERA』の印税なんだけど、二万五千円ってちょっと多くない?」

『ああ、その事ですか。その印税、ユースケさんの分が上乗せされてるんですよ』

「ユウ君の印税が? どうして?」

『恩返しなんですって。「オレが作家に成れたのはあの人のおかげなんだよ」って言ってましたから』

「そうなんだ……」

ははーん、ユースケ、中々遣ってくれるじゃない。

「でもこのお金は遣わない事にする」

『どうしてですか?』

「放送作家って、いつ仕事がなくなるか分からないじゃない? ユウ君の事だから、これからも恩返しと称して色々貢いでくれると思うの。幾ら貯まるか分からないけど、その時になったら、この貯金で面倒を看てあげようかなってね」

車代の二五万円もまだ手付かずだし。

『幸せな人ですね、ユースケさんって』

加奈ちゃんは溜息を吐きながら「フフンッ」と笑った。

電話を終え、改めてパソコン画面を観ると、私も自然と溜息を吐きながら「フフンッ」と笑ってしまう。中山裕介、私にとって掛け替えのない友人であり、かわいい弟のような存在。

そういえば、私の処女作『DEPARTURE』が映画化される話があるものの、まだ脚本を誰が書くかは決まっていない。

ユウ君、そんなに恩返しがしたいのなら、もっと大きな買い物をして貰おうかな。自然な笑みが不敵な笑みへと変わって行った。



十一月下旬の水曜日。某キー局での会議が終わり廊下を歩いていると、眼前から迫って来るのは大政。

「おはようございます。ユースケさん」

「おはよう。久しぶりだね」

彼と会うのは『オクオビ』終了以来だ。

「最近また忙しそうじゃん」

「その話の前に腹空きません?」

「それもそうだね。もう二二時だし」

社屋内には二二時を知らせる音楽が流れていた。この局には、二二時になると社屋内に音楽が流れる慣例がある。

「社食に行ってみません? オレ行った事ないんですよ」

奢らされるな……。

「小腹も空いたし行ってみようか」

二人で十七階の社食へ向かう。ここの社食は、十六階と十七階の2フロアになっていて、螺旋階段でつながっている。十七階は定食がメインのレストラン。十六階はカフェだ。

オレは秋刀魚定食を。大政は鯖の味噌煮定食とラーメンを注文。凄い食欲。若いって素晴らしい……。

社食はIDカードで料金が引き落とされる仕組み。全部奢らされた……。まあ、食事くらいは良いんだけど。

「最近ピン(一人)の仕事も増えて来てるね」

大政はトーク番組などで。飯田はクイズ番組にピンで出演するなど、活躍の場を広げつつある。

「ありがたい事ですけど、冠が終わってから暫くは、レギュラー一本と舞台くらいしか仕事がなかったんですよ」

口をもぐもぐさせる大政。『オクオビ』の時よりも顔が柔和になっている。

「この前、テレビで自虐ネタを観たよ」

「あのネタでまた注目して貰えるようになって。何パターンかあるんですけどね」

その一つが、

『♪ ズンチ! ズンズンチ! 冠番組たくさん貰ったよ。でも一年で潰すオレ達ってどうなの!?』

みたいな。

「最近、コンビ仲はどうなの?」

「それが、あいつとメアドを交換したんです。別々の仕事で会えない時はメールで連絡取り合ってるんですけど、あいつ絵文字使わなくて。それがちょっと不満ですね」

「男同士はね。でも仲良くやってるんだ」

「前よりかは。とにかく、今は与えられた仕事を頻く頻くと遣って行くだけですね」

大政は目を輝かせた。この世は諸行無常。彼らの努力で良い方向へ進んで、本当に良かったと思う。



暮れも押し迫った十二月中旬の月曜日。坂木社長から『話がある』と連絡が入り、会議と収録が終わってから南青山の事務所へ向かう。また仕事の話か何かトラブったな。あれこれ推測する。社長から連絡が入るのはそういう時にしかないから。

二十時過ぎに到着し入り口のドアを開けると、休憩エリアのテーブルに女性が背を向けて座っていた。

「お疲れ様です」

女性は振り返って挨拶してくれたが、

「お疲れ様です」

同僚の作家か事務スタッフだと思い、女性の顔をチラ見しただけで足早にオフィスエリアに入る。が、そこに社長の姿はなし。休憩エリアにもデスクにもいないとなれば、トイレかあそこ。

ベランダの喫煙スペースの方へ行くと、やっぱり一人で一服中。サッシを開けて「社長」と声を掛けると、

「おう。待ってたぞ」

火を消して中に入って来た。

 坂木社長の表情から察するに、別にトラブった話ではなさそうだ。仕事だな。直感。

 今宵も放送作家は頭を二四時間フル回転。それが放送作家の、宿命……Let's Nonstop――

                                 

                                  了


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