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みちくさ

海軍記念日

作者: 斎木伯彦

 五月二十七日は海軍記念日です。二年前にもこの記念日について執筆しています。


 明治三十八年、日露戦争の大詰めを迎えたこの日、連合艦隊はロシア第二・第三太平洋艦隊(通称バルチック艦隊)を捕捉、撃滅しました。

 東郷平八郎元帥の麾下、戦艦四隻(三笠、敷島、富士、朝日)、装甲巡洋艦八隻、巡洋艦十五隻他、駆逐艦や水雷艇も含めると百隻以上の艦艇が参加したようです。

 対するロシア太平洋艦隊は戦艦八隻、海防戦艦三隻、装甲巡洋艦三隻、巡洋艦六隻他、駆逐艦や輸送船、病院船などを併せて三十八隻が海戦に参加し、病院船以外の艦艇は二十一隻が沈没(自沈含む)しています。

 未曽有の勝利となった日本海海戦は、その後の日露戦争の行方を決定付けました。また、帝國海軍の増強計画をも大艦巨砲へと傾倒させてゆくことになります。

 日露戦争が世界に与えた影響は大きく、我が国が大国のロシアと対等以上の戦争を行い優勢勝ちした事実はロシアの圧迫に苦しめられていた周辺地域を奮起させました。

 特にトルコでは東郷元帥に敬意を表す意味も込めて、子供に「トーゴー」と名付ける親が続出するほどでした。


 我が国が西洋列強と肩を並べた要因の一つが、日本海海戦の勝利の裏で行われていたロシア兵の扱いです。

 海戦が終わり海上を漂流していたロシア兵を救助した帝國海軍と、浜辺に漂着したロシア兵を保護した日本国民の行動に世界中が驚いたとされています。戦争に勝つことを優先し過ぎて非戦闘員の命を奪う軍隊と、美しく勝とうとする軍隊ではどちらが民衆の支持を集めるか論を待たないでしょう。

 我が国の士官は極端でもあります。

 東郷元帥は国際法に明るく、日本海海戦でも白旗を掲げるロシア船に対して部下が「敵は降伏するようです」と報告しても、「本当に降伏するつもりなら停船する」と突っぱねて、非情に徹するよう攻撃を継続しています。

 一方で日本海海戦の前年に行われた旅順港閉塞作戦では、廣瀬武夫中佐が沈没する船内に残る部下を捜索するのに、三度も船内を確認に行った挙げ句の果てに、敵の砲弾を受けて殉職してしまいました。

 参謀本部は廣瀬中佐を軍神として扱い、明治四十五年には尋常小学校唱歌『廣瀬中佐』まで制作しています。この話も以前に紹介しましたので、詳細は割愛します。

 更に、鈴木貫太郎中佐(当時)の考案した「高速近距離射法」は、遠距離攻撃に用いるのが常識とされていた魚雷を肉薄して発射する戦法で、高い戦果を挙げました。しかし訓練があまりにも厳しかったことから「鬼貫」と呼ばれていた逸話が伝わっています。

 日露戦争を契機に、艦隊戦術は大きく様変わりします。我が国が明治維新から五十年足らずで国際社会の列強に加わった記念すべき日として、これからも先人の偉業を讃えられる世の中になって欲しいと願います。


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