プロローグ
振り下ろしたそれが人の弱さであり
振り下ろしたそれは人の強さだった
死者の群れが、群がる様に此方へ来る。
その度に矢を放ち、的確に急所を潰して彼女を引き寄せる。
苦悶の表情と荒い息を繰り返す彼女に、俺は言葉を続けた。
「諦めるな___」
焼け爛れた腕に苦痛を上げ、今もなお焼こうとする炎に痛みを叫びながら。
あちらこちらに張り巡らされた縄を躱し、彼女の手を取り走る。
追いついた死体がもかみ付こうとする寸前に、自身の片腕で矢を突き刺す。
死体は一呼吸の内に動かなくなり、他の死体が追いすがろうとする。
「____諦めないでくれ!!」
その思いに彼女の意思は関係なかった。
その言葉には。
差し出した手は。
自分自身の祈りが大半だったのだ。
彼女がどうしようもない状態であり、此処で手を汚す以外の選択肢が無い事を自分自身は冷静に理解していたというのに。
私は、彼女を貫かない理由を”それでも探していた”。
「大丈夫」
彼女は、変わっていく自分自身を押さえながら語る。
その眼には少しばかりの恐怖と、痛みと、諦めきれないもどかしさと。……そして。
「君の後悔も、祈りも。私にとって救いだから」
彼女はソレを払拭して、一輪の花のように笑ってた。
こんな状況で、腕もろくに動かず。どんどん自分自身を失っていくような感覚に恐怖を抱きながら。それでも彼女は、胸元に弓を当てる。俺の手を引き、貫けと言わんばかりに。
彼女が燃えた。
火はどんどん彼女の半身を焼こうとする。
「神様、いなかったでしょ?_」
その言葉が続く事は無かった。
声を上げる。その声と共に、力を込めた。
差し出そうとした手が、何時の間にか胸元を貫いていた。
紅い鮮血に片腕が彩られ、鉄の匂いと吐き焦げた肉の香りが充満する。
そうして意味の無くなった死体は、それでも微かに笑っていた。
_____明確に、意味がない。
この祈りも、言葉も、意思も。
全てが、無意味だった。
心臓を限りなくゼロに近づける。
矢を番い、目標を見定め。距離を測らい。
射る。
矢は速度を変えることなく目標へと向かい、その信念を以て目標の心臓部へと突き刺さる。
目標はそれに従い行動を止め、更なる目標はワラワラと集まる。
死肉の匂いが充満し、焼かれたその身を引き釣り、焦がされた匂いに満ちながら。
それでも”彼等”は動き続ける。
見知った顔立ちを含んだ群生が、何処か顔立ちを溶かしながら”彼等”は生きていた。
「主よ」
何十本目かの矢を番い、私は出来る限りの力を込める。
矢はそれに応え、弓はその湾曲を以て力を籠める。
そして、放たれた一撃が敵を貫いていく。
「私の声を」
私達は、善良な村人だった。
唯一の神に祈りを捧げ。
隣町と争いもする事は無く。
他人に優しく、自身らの質素な生活に満足しながら。
それ以上を求める為の研鑽を怠らずに、今を生きる。
他人事とした事実を隠す頃は無く、自分事のように考えられる。そんな人間たちが暮らす村だった。
私も、その善良な村人の一人だった。少し狩猟が得意なだけの。一般的な人間だった。
私は十二の年になる”唯の少年”なのだから。
「私の心臓を」
私は、弓を番え祈りを込めて引いた。
不安定な足場でも姿勢は崩れる事無く、矢は正確無比に的を捉える。
「私の腕を」
火が迫る。
村の中心だった教会から溢れた火が燃え広がり波の様にその手を伸ばし、周囲の家々を飲み込みながら広がっていく。数百人がひっそりと暮らす村が燃え盛る塊と化していく。
「私の血肉を」
倒木に次々と彼等は足元を掬われ、その勢いで頭を打ち絶命する者もいる。知性の欠片も残っていない怪物たちは、それでも足を止めることなく此方へと向かっていく。
かつてない緑葉に守られた避暑地の姿は無く。焼け爛れた怪物が残る地獄へと化していた。
「私の動機を」
なぜこうなったか。
いつも通りの朝だった。何も変わらない筈の朝だった。私はこの村の少しばかり離れた所で一人で暮らしていたが、この光景になる事を想像さえしていなかった。
何が原因か。
何の要因か。
それでも、この化け物たちが人間でありながら、人を喰らい続ける化け物になった事だけは理解した。
「私の祈りを」
私は、書物においてこの化け物の正体を知っていた。
あの炎に焼かれた者が、彼等になる。これが魔法のせいか、別な要因があるのか。今の私には考える余裕が無かったが、私は明確になさなければならない事がある事を知っていた。
私が得意な事を以て、この災害を留める事。
私は、この災害を止める方法を知っているのだから。
「どうか。末永く殺してくれ」
銀製の矢が彼等を殺していく。
祈りを。憎しみを。悲しみを。
感情を含んだ私の矢が、人を殺していく。
私は明確に、自分の意思で他者を殺し続けた。
呼吸を、動作を、心境さえ。
無くし、摺り、消した。
空っぽになるまで、私は矢を示し続けた。
そうして積みあがった死体に意味は無くなっていた。
その村で起きた殺人事件は、公の下にさらされる事無く住民同士の争い事として処理された。
その現象には、魔法が絡んでいた。
私はその日から、信仰を捨て自分の意思で生きることを決めた。
祈りは何も変える事は無く、祈り続けるのに意味は無かった。
だからこそ、私が出来る限りの行動で自分自身に示す必要があった。
地獄を二度と起こさない為に。
その路に、足を勧めたのだ。