11話 許嫁
平穏な日々は過ぎていき、蓮は学園生活を益々楽しむようになっていた。
頼りになる先輩、仲の良い友達がいて、高校で達成したいと思っていた当初の目標を忘れ、毎日を過ごしていた。
ある日のこと、放課後になり、蓮は学級委員の仕事で職員室に行き、その帰りに来客用の入門口を横切った。
入門口には来賓と思しき人が来ていて、警備員の人と話しているようだった。
蓮は立ち止まり、その人をよく見る。
短い黒髪で長身、クールではあるが優しい素敵な表情をしていた。
黒いスーツの着こなしも大人びていて、蓮が今まであった人にはない魅力を感じた。
蓮がじっと見ていると、その来客者は蓮に見つめられていることに気がついたようで、蓮の方を向く。
蓮は慌てて目を逸らし、教室に戻ろうとした。
「あの、もしかして光里ちゃんの友達じゃないですか?」
後ろからよく通る声で蓮は話しかけられた。
蓮は立ち止まり、振り返る。するとその人は蓮に向かって微笑みながら近づいてくる。
「僕は、悠紀といいます。ちょっといいですか?」
「……はい、なんでしょうか?」
悠紀の名前は光里から聞いたことがなかったので、訝しむところはあったが、蓮は話を聞くことにした。
「今日、光里ちゃんと学校の入り口で待ち合わせしてたんだけど、時間になっても来てくれないから、
迎えに行こうとしてたんです。それで今警備員の方に教室の場所を聞いてたんです。」
「はぁ。」
「ただ、警備員さんが許可を取らないと部外者は身内でも中に入っちゃいけないっていうんです。
それで、申し訳ないのだけど、光里ちゃんを呼んできて欲しいんだけど、ダメかな?」
「すいません、悠紀さんは光里さんとどのようなご関係なんですか?」
蓮がそういうと、悠紀は不思議そうな表情をし、優しく微笑んだ。
「光里ちゃんから、聞いてないかな?僕は、光里さんの許嫁の悠紀です。」
その人はそう言ったのだった。
蓮は表情には出さないようになんとか抑えたが、内心驚くしかなかった。
光里に許嫁、そんな人がいる話は聞いたことがなかったからだ。
それなら、呼んできますと、悠紀に告げ、蓮は教室に向かおうとする。
なんとか歩いてはいたが、胸を強く締め付けられるように苦しかった。
蓮は教室に戻ると、光里は微笑みながら蓮に向かって手を振る。
「遅かったね?何か先生に言われた?」
光里は無邪気にそう言う。
「悠紀さんが来客口に来てたよ。」
吐き出すように蓮は言った。
すると光里は驚いた表情をした。
「悠紀さんが学校に?断ったはずなのに……」
「悠紀さんって、光里ちゃんの……許嫁なの?」
蓮は悠紀から聞いたことではあるが、光里にも尋ねる。
「……うん。」
光里は一言そう言った。
「ふーん、知らなかった。」
「ごめんね。」
光里がぽつり返した。
「悠紀さん、待ってるみたいだから、行ってきたら?」
「……そうする。」
そして、光里はとぼとぼと荷物を持つと、来客口にとほとぼと歩いていいった。
残された蓮は荷物をカバンにつめて、一人帰宅しようとした。
しかし、胸の苦しみは治らず、しばらくは椅子に座っていることしかできなかった。
深呼吸し落ち着きを取り戻すと、急に光里と悠紀のことが気になったので、来客口を見にいく。
光里と悠紀の姿はそこには既になかった。
次の日になった。
蓮は昨夜にあまり眠れなかったこともあり、目をこすりながら登校する。
光里は既に教室にいて、蓮と目が合うと切ない笑顔をした。
そして、蓮も光里もお互いに昨日の話を出しづらく、
微妙な雰囲気のまま、その日の放課後になった。
蓮は光里のそばに向かう。
「光里ちゃん、このあとちょっと時間あるかな?」
「あるけど……。何?」
「昨日のこと。やっぱり気になるから教えて。」
「……。うん、蓮ちゃんならいいよ。」
光里はそう呟くように言った。
二人は帰り道にある公園のベンチに座る。
夕方頃ということもあり、人気は少なく、静かだった。
「……。」
二人ともなかなか口に出せず、じっと座る。
耐えきれず、蓮が光里の方を見ると、光里はぎゅっと口を結び悲しそうな表情をしていた。
「光里ちゃん、ごめんね、なんか。別に光里ちゃんを攻めたいわけじゃないから。」
「ううん、それはわかってるの。ただ、私の方から話すべきだったかなって。
昨日に悠紀さんにも、友達に話していないことを驚かれたんだ。」
「……。許嫁のこと教えてくれる?」
蓮がそう言うと、光里はうなづいて、小さい声でポツリポツリ話した。
光里の家は古くから続く家で、光里は本家の子であること。
小さい頃から家を継ぐために、同じく格式高い家柄の出である悠紀が許嫁になったこと。
中学校二年生までは大きな休みの時にしか悠紀とは合わなかったこと。
中学生の三年生になると会う回数が増えてきたこと。
「悠紀さんは優しい人で、私も好きかなって思ってたんだ。
でもね、中学三年生の頃にちょっとね……」
光里はそういうと体を抱き抱える。
蓮が光里の顔を覗き込むように見ると光里は辛そうにしていた。
気づけば、蓮は何も言わず光里を暖かく抱きしめていた。
光里は体を起こし、蓮の手を握りながら、息を大きく吐く。
しばらくすると落ち着いてきたように見えた。
「蓮ちゃん、手ちょっと痛いよ。」
「あ、ごめん。」
気づけば話に聞き入り、悠紀に対して怒りを覚えていた蓮は、
光里の手を強く握り締めていたのだった。
「光里ちゃんは、悠紀さんのこと好きじゃないの?」
「……わからないよ。でも許嫁だから。」
光里は諦めたように言った。
「……今まで本当に好きになった人はいた?」
「本当に好きなんて、そんなの知らないよ。」
光里は他人事のように吐き捨てるように言った。
蓮は光里から冷たい言葉が出るのを初めて聞いた気がした。
「何で今まで話してくれなかったの?」
「話せないよ。」
「どうして?」
「わからないよ。けど、蓮ちゃんに話せなかったし、話したくなかったの。」
光里は泣きそうな声をして言った。
蓮は胸の中を突き動かされる気がした。
「ごめん。光里ちゃんのこと、考えないでそんなこと言ったりして。」
「ううん。本当は私もいつか話さないといけないと思ってた。」
蓮も光里も話すだけ話すと、落ち着いてきたようで、いつもの仲の良い二人の雰囲気に戻り始めていた。
「でも、悠紀さんって、このまえ学校で見た時、ルックス良いし、優しそうで、仕事出来るって感じが伝わってくる
良い人だと思ったけどね。」
と蓮は少し茶化しながら言った。
「うん、実際優しいし、面白くて良い人だと思うよ。仕事も若いのにもう責任ある立場にいるって話も聞いたよ。」
「……。へー、それなら恋人として合格点なんじゃない?」
蓮はにこやかにではあるが、言いたくない気持ちを抑え、絞り出しながら言った。
「そうだね……。ただ、私は、悠紀さんのことが怖い。」
光里は小さな声で泣きそうにいうのを、蓮は聞き逃さなかった。
「何かあったの?」
「お願い、これ以上、聞かないで。」
強く拒絶するよに、光里に言われ蓮はそれ以上の追求はできなかった。
「……わかった。ありがとう、話してくれて。」
蓮はそう言うと、光里の手を優しく取り、真剣に見つめる。
「私は絶対に光里ちゃんの味方だから、困ったり、悲しいことがあったら何でも話して。」
「蓮ちゃん」
蓮が優しくそう言うと、光里は蓮に抱きつき、蓮の胸に顔を埋める。
蓮は優しくではあるが強く光里を抱きしめた。
光里の体は柔らかく暖かかった。
蓮は帰宅してからも、光里の話が頭から消えず、ずっと困惑し苛立っていた。
学校で見た悠紀のことはカッコ良いと思ったが、光里から話を聞いた後はそうは思えなくなっていた。
そして、その夜も寝付けなかったのだった。




