星の囁き
プロローグ
「星読み」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
太陽や月、火星、木星。ありとあらゆる惑星や恒星の位置を観測し、人や物事との関係性を調べ占うことである。
西洋占星術、親しみ深い言葉では星占いなんて呼ばれてるだろう。
だがそれは星が話しているのではなく、人間が星の場所を観測しその先の未来を無理矢理決めている胡散臭いやり方でもある。
正解はいざ未来に行かないと誰にも確かめることもできず、そしていつそれが訪れるかは分からない。
中にはそれを生業とし、確かな読みで当てる占い師もいるだろう。
反面事実になるかどうかは本人次第であり、ハッキリ言って曖昧であり漠然としており、何よりいつか起こることを話していればそれは叶ったりする。
例えば貴方は死にます、なんて占い師に言われるとそんなこと分かりきった話であり、それがいつ起こるかが重要である。
大抵の人は縁起でもないことを言うなと占い師に怒鳴り付けてその場を去るだろう。
しかしそれもまた事実であり、遠い未来に老衰死する未来なのか明日事故で死ぬ可能性だってある。
信用に足らない不確定要素だらけというモノだ。
そもそも未来が見えるなんてこれほど退屈なモノは他にあるだろうか?
人間にとってこの先どんな人と出会い、どんな職に付き、どんな人と結婚し、どんな死を遂げるだろうかなんて知りたくは無いはず。
知れば絶望し、落胆し、生き甲斐を失い、達成感も何も無くなる。
スポーツ観戦で試合の結果だけ聞いてしまい、その後熱い気持ちで応援できるだろうか?
そう、未来が分かってしまうなんて下らないことであり、悪い未来を辿るのも回避するのも全て自分の采配で左右されるのが人生の醍醐味でもある。
例えそれが望んだ未来で無くてもだ。
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星の海と言える程鮮明に六等級まで肉眼で見える空を見上げながら、少年は夜空を見上げていた。
玉響 逸星というこの少年は、毎晩星の声が聞こえる。
もちろん人の言葉を話しているわけでもなく、逸星に語りかけてるわけでもない。
何となく雰囲気が伝わってくる占いと同じく曖昧で漠然としたものだ。
しかしひと度目を瞑れば…。
「イッセー、明日は?」
後ろから声を掛けてきた少女は、逸星の真横まで歩き同じく夜空を見上げた。
サイドテールが特徴で黒の艶があるほど綺麗な髪の少女、優乃 月紫。逸星の幼馴染みであり、大親友の女の子である。
彼女の先程の質問に答えることにする。
「明日は午前中は晴れだけど、夕方から本降りかな…買い物終えたおばちゃんたちがみんな走って家に帰るのが見えた」
一見何を言っているのか理解に苦しむ人が多いだろう。そう、これが逸星の特技にして呪いの様な力の正体。
星の話す言霊は逸星の頭に流れ込み、そして目を瞑ればそれが場所も人物も全て分かってしまう。
それだけ聞けば完璧な予言者だが、この力には重大な欠点がある。
いつ起こるか分からないことと、少し先までしか見えないこと。そしてその先を見たくても見れないということ。
だからその未来が来ると分かっていても回避することは困難なのだ。
目の前で人が車に跳ねられて死んだ未来を見たとしても、それがいつ起こるか分からないし、泥棒がいれば犯人の顔を見たくても自分はそれ以上見ることは出来ない。
星が話すその間しか見れないのだ。
実に断片的で肝心な事は教えてくれないとても迷惑な力。
逸星が現在住んでいるここ蛇尾島では、数百年に一人星の声を聞き人を導く使命を受けた子供が生まれるという伝承があった。
前回生まれたのはもう五百年以上昔の話であって、親から島の伝承を聞かされたときは童話のような感覚で聞いていた。
「イッセーは島を出ていかないよね?」
不安そうにこちらを見てくる月紫の頭を撫でて笑い掛ける。
恐らく彼女が気にしているのは逸星の姉の話だろう。
小学校に上がってすぐの頃、つい最近まで逸星には姉がいた。
少し複雑な家庭事情と都会に憧れる姉の意見がぶつかり、そして家を飛び出したまま帰ってこなくなった。
弟の逸星にすら連絡一つ寄越すこと無く、今は本土のどこかで暮らしているらしい。
「行かねーよ。姉貴の事だろ?」
静かに頷く月紫の額にデコピンを当てて驚かせる。
「くたばってなけりゃそれでいいさ」
そうすればいつかお互い理解し合い、きっとまた家族四人で暮らす日がやってくる。
姉は確かに家族を、そして自分を捨てた酷い女だ。だが島が村がと風習に囚われ口うるさく生活を監視され続けるのもうんざりしている。
まるで養殖や飼育している動物の気分を味合わされている気分にも陥り非常に不愉快に感じる事もある。
それが堪らずに姉は故郷を捨て新天地へと旅立っていった。
それを全く羨ましく無いと言えば嘘になる。島の外には行ったことがないし、何より本土なんて大人以外足を踏み入れた子供はそういない。
「俺…いつか姉貴を迎えに行く。で、またみんなで飯食って、昼寝して、泳いで、釣りして…」
生き生きと話す逸星の姿を嬉しそうに見ていた月紫だったが、言葉が詰まると同時に顔色がおかしくなる逸星に月紫も戸惑う。
今まで月紫は顔色を隠せない逸星のこの反応を見てきた。
良くない未来が見えたのだろう。しかしその反応はいつもの比ではなかった。
物々しい様子に月紫は背中を擦りながら声を掛けるが、時間が止まったかのように逸星は動かなくなる。
「イッセー!どうしたの、イッセー!?」
しばらくすると逸星の顔色はみるみる内に土色になり、その場で嘔吐してしまう。
さすがにここまでキツい反応を見せてしまうと、いつものようになんでもない…というわけにはいかない。
気分が優れないので今日は帰ると言って月紫を置いて家へ帰った。
心臓が抉られた様な痛みが押し寄せ、吐いたせいか頭が割れるように頭痛が続く。
姉を連れて帰り、願うなら四人家族団欒で夕飯を食べている想像をしていた。
そんな時見るものではないものだ…さっきも言ったように逸星には未来が何時とその先が全く分からない。
誰がどこで…みたいなのは理解できる。
それだけで自分の行く末が分かってしまった。
見えた未来は自分が制服を着て両親の遺影を抱え、泣いている姿。
今思い返しただけでも吐き気が催してくる。
逸星は家に入ると晩御飯も食べずに部屋に籠り、布団に潜って朝を待った。
何かの間違いだ…そんなはずはないと自分を言い聞かせながら、暗示を掛けるように現実から目を背ける。
「ふざけんな…こんな未来、俺は受け入れねぇぞ」
まだ姉が島にいるほど昔、星詠みの力で近所の漁師のおじさんが溺れ時ぬところを未来で見た。
台風も近く海が大シケの中、最近の凶作も合間って無謀な中船を出した。
逸星の詠みは確定事項の予知夢であり、それを話すと漁師のおじさんは船を出さなかった。
そのお陰で葬式に参加していた未来は見えず、今も元気に暮らしている。
今回も両親の船出を控えさせ、無理な漁はしないように話せば済むが、それは両親には止められていた。
「お前は先の見える人生なんて詰まらないと言ったな。確かにその通りだ。だから人の死も変えちゃいけない。それがその人の宿命で天が還ってこいと告げられた証拠だ。お前は神様になった訳じゃない」
昔父親と母親にこの未来が見えたとき、伝えるべきかそうするべきではないかを聞いたことがある。
父親はその死を受け入れると言った。星詠みは星の声を聞いて未来を見るだけであり、死を回避させ人の寿命を伸ばしてはならない。
それが両親からの言い付けだった。
何のために予め聞いたのだと怒られるのは承知である。
その死が受け入れるしかなくとも、それを回避させたい大切な人がいる。
言い出せばそれで全てを救える。最悪の未来を回避することができる。
逸星の選んだ選択はその全てを話すことだった。
言い付けに背き、今日見た星の囁きの全てを話した。
「それだけか?」
父親から放たれた言葉はあまりにも冷たく残酷な一言だった。
それだけ?それ以外に一体何を言えというのだろうか?
この報告をするのもどれだけ自分と葛藤したか理解しているのだろうか?
それどころか他には見たか、なら跡取りに戻るという考えには至らないのか、など酷な質問が返ってくる。
ここから先はあまり覚えていない。
子供のように泣きじゃくり口喧嘩した記憶はあるが、何を言ったのか、そして何を言われたのか。なんてもうどうでもよかった。
逸星が部屋を飛び出し自分の部屋へ戻って少し経った頃、逸星の父親の星一は妻の夜子に新聞を見ながら話し掛けた。
「彩星に連絡取れ。もう俺たちは長くない」
夜子は静かに頷き電話の方へ。
しばらく聞いてない娘の声だったが、電話を代わる気は起きなかった。
しばらくして話し終えた夜子は星一にVサインで答え、二人は安堵する。
「いいんですか、あの子彩星の顔あまり覚えてないんですよ?」
「あいつにだけは頼りたくなかったが、背に腹は代えられん。逸星を守れるのはあいつだけだ」
過去にも何度も逸星が人の死を伝えてきたことがあったが、そのどれもが回避することができなかった。
死因は必ず当たり、遅かれ早かれ訪れる。
最初は二人も何度も逸星の詠みを信じて防ごうと頑張ったが、どれも無駄に終わった。
「海か…海の男が海で死ねるなら本望よ」
「あら、私は女ですよ?」
俺に惚れたのが運の尽きだと笑い飛ばしてしまう。
違いない、そう言って二人はしばらく談笑していた。
熱燗を一杯のみ、一呼吸置いて星一から話し始める。
「分かるか?十四歳の子供が自分の親の死を宣告するのに、どれだけ自分と戦ったか。あいつは強い、強いが故に人を傷付けてしまう」
最後の最後に気の利いた言葉も掛けられず、突き放すかたちになってしまった。
不器用なのは親によく似ていると夜子に笑われてしまう星一。
人の死がどれだけ辛くとも、それは必ず訪れるもので防ぐことの出来ないこと。
星が話していると言い出したのはまだ逸星が四歳の頃、初めて当てた詠みは次の日の天気だった。
星詠みの子、島の全員から逸星は神の様な扱いを受け、人間国宝として接していた。
「意外と早かったが、これも天啓。本当に良かった。二人ではなく俺たちで」
逸星ではなく二人、と言った言葉に夜子も嬉しそうに頷く。
島を出て都会で暮らす姉を遠くから応援していたのは、実は星一だったのだから。
言葉が足りないところは夜子に任せ、あとは見守ることにした。
残り少ない時間を愛する子供と過ごすために。
宣告から一週間ほど、いつも通り漁に行った星一と夜子は突然の大時化に襲われ、学校から帰る頃には家にいなかった。
そして捜索から一週間、船ごと姿を眩ませた逸星の両親はそのまま帰らぬ人となった。
漁師たちはあの夫婦が死ぬはずがない、海を知り尽くした二人が波にのまれるなど想像も付かないと話していた。
それはあくまで、二人の死を受け入れたくない自分達への嘘と、逸星を悲しませないようにするための配慮だった。
しばらく海の時化りが続き捜索が断念されたのがこの日、手を尽くしたと漁師の人から何度も宥められる。
海岸を去る最中に月紫が後ろから追い掛けてきた。
「逸星…あの…」
言葉を濁しているのが逆にこちらの苛立ちを煽る。
「んだよ…」
ごめん…と何に対してなのか分からない謝罪が飛んできた。
月紫に対して辛辣な態度を取ってもそれはただの八つ当たりでしかない。
心の奥では理解していてもそれが言葉では出なかった。
「きっと大丈夫だよ…おじさんもおばさんも」
確かに父親は素手で鮫を捕まえる猛者で、母親は海と会話が出来るのかと思うほど海を知り尽くしていた。
そんな屈強かつ博識な二人が海で遭難なんて考えたこともない。
だからこそ起こったのかもしれない。
気休めにしかならない言葉に反応を示すことが出来ず、これ以上何を言えばいいのか分からない月紫はすぐ反対を向いて走り去っていった。
「だっせぇ…」
いじけている自分がとても腹立たしい。一体彼女に当たって何が解決出来るというのだろうか。
星から未来を聞いてもそれを変えることは出来はしなかった。いや、変えられたのに変えようとしなかった両親と何より自分が許せなかった。
「俺は…俺って存在は…親父とお袋の生きる理由にはならなかったんだな」
まだ死んだと決まったわけではないが、一週間という長い時間海から姿を現さないということは、漁師でなくても充分察することが出来る。
なぜ踏み止まってくれなかったのか。
例え人の一生を変え寿命を伸ばそうとすると、それに従わなければならない理由とはなんだったのか?
死を受け入れられないのは自分達だけではないということをどうして理解してくれなかったのか?
重い感情に押し潰されそうな逸星に待っていたのは、突然の選択だった。
家に帰ると街の漁師たちが何やら言い争いをしている。
一人が逸星の姿を見つけると、全員が取り囲むようにして本題を投げ掛けられる。
それは家を売ってくれという話だった。
逸星の住むこの場所は海が見える居間を始め、坂を下れば五分も掛からずに着く船着き場に周囲は季節の木で囲まれている。
漁師にとっては、そしてこの島に住む田舎者たちにとってまさに一等地という訳だった。
いつの間にか父親が漁師の仲間に愚痴で話していた家を継がないという話しも持ち出され、漁師にならないならここに住む必要もないだろと言われる始末。
気持ちの整理も付かず、家をどう片付けたものか、自分はどのように生活し捜索しようかと考える間もなく、今度は大人がこの場所を奪い取ろうとしてくる。
「ちょっと待てよ…今それどころじゃ…」
言葉を遮りいくらでも払うなどどうしても譲ってほしいと利かない。
何かが来る前にここを明け渡せと言わんばかりに。
何と汚く浅ましい反応だろうか。
ここまでねだり続ける大人を見ていると最早清々しさすら感じる。
本当に両親を探してくれたのだろうか?ようやくくたばったと腹の中では笑っているのではという腹黒い感情まで芽生えてくる。
子供の声など聞こえはしない。彼らにはもうこの場所を譲ってもらうことしか頭に無いのだから。
「五億!それで買うわ」
一人の女性がサングラスを外して掌をパーにして全員を一喝した。
注目の的はその女性に、そして逸星の元へ歩いてきた女性。
「姉…貴?」
何年も前にこの島を捨てて出ていった姉、彩星だった。
まだ中校生だった姉は家を飛び出し、本土に行って自分の人生を成功させたいと言っていた。
明らかに高そうなプッチ柄のワンピースと白い帽子。キャリーバックを引いていた。
髪の色は金髪に変わっていたが、女性ながら凛々しい顔付きと海のように綺麗な青い瞳はそのままだった。
顔を見合わせる漁師たちは「彩星が戻ってきた」と喜び、彼女の方へ駆け寄るが姉は見向きもしなかった。
「足りるかしら、クライアント」
それをこの家の額だとするなら破格の買い取りである。
こんな田舎の家にそんな大金を叩いて買い取るのは余程金の使い道に困ってる人以外に存在しない。
当然回りは猛反対、すぐに断れと斡旋するが…。
「黙りなさい!」
これも一喝で黙らせる。
「いい?ここはこの子が親と暮らした記憶の最後の思い出なの。本当ならこんな額提示されたって売りたくない場所。それをあんたたちの私利私欲で奪われることがどれほど悔しいか理解できて?そして私の生まれ故郷と大切な場所でもある。これ以上の額を出せて人の思い出を越えられる程の想いの強い人がいるなら、五億なんてはした金のはず。我こそはという者がいるなら名乗り出なさい!」
逸星が言い出せなかった言葉を代弁するように言い放った。
誰にも言い返させず相手を言葉だけで追い返すその威厳は、小さい頃にガキ大将から逸星を救った姉の姿そのままだった。
当時は暴力というかたちでしか解決できなかった事も、今は大人のやり方で全てを解決してしまう。
キャリーバックに見えた鞄は広げると札束の山、アタッシュケースいっぱいの札束を全員の前に出した。
「私たちの思い出を、買えるものなら買ってみろ!」
第一話
『月が応えた』
一日にこれほど悲しい日が存在するだろうか。
両親は行方不明、家を明け渡せと近所にせがまれる…。
「そして何しに来た姉貴…」
「何とは連れないわね。私は恩人よ。ね、つくちゃん?」
月紫は少し俯いて小さく返事をする。
姉は実家を金の暴力で勝ち取り、そして今ここで居間に座り込みテレビを見ていた。缶ビールを片手に…。
すっかり変わってしまった姉に戸惑う二人だったが、それ以上にあの額が出てきたことが何よりの疑問であった。
本土に行って都会で成功させたいという願いが叶っているのは良かったが、少し遅かったようだ。
「今さら…親父もお袋ももう…。どうして今になって!」
「今だから、よ。母さんから連絡があってね。アンタを連れて本土に行けって。って言っても父さんの指示だと思うけど」
缶ビールを片付けテレビを消すと早速家を出る準備を始める。
有無を言わさず逸星も家を出る準備を始めるように言われ、何となく逆らうことが出来ない姉の指示に渋々と部屋から荷造りを始める。
文句を言いながら始める逸星を他所に彩星は月紫の方を向く。
最後に会ったのは小学校の低学年頃、色々成長したと言ってセクハラを始める。
「なんならつくちゃんも来る?あのバカとくっ付くなら義妹になるわけだしね」
「なっ!?変なこと言わないでください!」
顔を真っ赤にして怒り出す月紫をからかう姿は、月紫から見てもまだ島にいた頃の彩星そのものだった。
もちろん彩星はからかい半分だが、断る理由もなかった。
弟にぴったりの幼馴染みがいて、そして今もこうして仲良く遊んで話し相手になっている。
全く変なことを言っているつもりではなかった。
「終わったぞ」
戻ってきた逸星の顔を見れなくなり、俯く月紫。
不思議そうに見つめる逸星の頭を小突いて荷物を持たせる彩星。
「レディーの顔を覗き込まないの。モテないぞそんなことしてたら」
荷物はとても少数だった。何着かの下着と紺色の一張羅のパーカーとジーパン。
それと四人で写っている昔家の前で撮った写真だった。星一が鮫を素手で捕まえ、記念に撮ったのを覚えている。
完全に色抜けはしていないが、古いカメラで撮ったのは分かるほど色褪せてはいた。
少しの間写真を眺めていた彩星だったが、すぐに鞄に入れて出る支度を済ませる。
最後にこれだけでいいのかという質問にも二つ返事で答える逸星。
「俺はまた戻ってくる。そして親父たちをここで待つ」
「そうね、つくちゃんに相応しい立派な男になってから帰るのも悪くないわね」
二人が怒り出すのを更に楽しむ彩星。
騒がしい様子の二人を相手しながらも彩星は抜け目無く火の元と戸締まりを確認して、三人で家を出た。
このままここに逸星だけを残せば、また口車に乗せられるか強引に押されて今度こそ住む場所を失ってしまう。
彩星はそれを恐れて島を出て本土で一緒に暮らそうと提案してきたのだ。
実家を買い取る算段を立てて。
夜が更ける時間となっていた。船着き場に止めてある一台だけ違和感のあるビッグボートが停めてあった。
潮で色落ちし、船底が錆びた船とは別に高級感溢れる白に居住性までありそうな広々とした大型のボート。
そこに一人スーツを着た女性が中から出てきた。
「遅いです専務。凍り付けになるかと思いました。」
「ならないわよ、たったの5℃じゃない」
付き人に何やら姉がとんでもない役職で呼ばれていた気がする。
またしても戸惑う話をされるが、今はそれどころではないのですぐにボートに乗り込む。
この島に残る月紫に振り返り、何か言葉を掛けようと考え込むが思い付かない。
帰り道は三人で遊んでいた頃を思い出したかのように楽しくなり、別れの挨拶など少しも頭に入らなかったが、先に切り出したのは月紫だった。
「元気でね、イッセー」
「月紫も風邪引くなよ」
竹馬の友である月紫に難しい別れの挨拶など不要だった。
物心付いた頃から共に過ごしてきた彼女とはよく夫婦なんて言われてからかわれたものだ。
今となってはそれが良い思い出であり、名残惜しさすら感じる。
永遠の別れでもないのに、次の日彼女に会えないだけで今日長く感じてさえいる。
手を振りながら送り出してくれる彼女に振り返すと、ほんの一瞬。彼女が白いドレスを着ている姿が映った。
時間は夜中0時過ぎ、星の囁き声が逸星に未来を見せる時間だった。
儚げに手を振る彼女が見えなくなるまで逸星は島を眺めていた。
「寂しい?」
それは島に向かってなのか、それとも月紫に会えなくなることに対してなのか。彩星の笑みは意地の悪そうな笑みではなく微笑みかけていた。
寂しさなんて無い。逸星の知らない成長を遂げた姉の場所へ行けるなら、興味本意すら湧く。
ただ、最後の月紫の姿が頭から離れなかった。
一体彼女は誰の元へ嫁ぐのだろうか。逸星が見た最後の未来の彼女が死ではなく、嫁いだ姿だったのは、嬉しさ半分悔しさ半分であり、素直に喜べなかった。
「最低だな…」
戻るとは言ったがそれが一体いつになるのかは星が応えてはくれなかった。
もしかするとこの先十年、二十年経っても戻れないかもしれない。
そうなれば月紫もいつかは出会いが訪れる。それが島の男かそれとも島に来訪した者か。
大親友だと何度も自分を言い聞かせて月紫に特別な感情は抱かないでいた。
だが、いざこうして別れが訪れ彼女の晴れ着を見せられるとくるものがある。
星の囁きは残酷で容赦が無くて、未来が見えることなんて何一ついいと感じたことがない。
「幸せんなれよ…」
儚げに島を眺め、何かを察した逸星の様子を彩星が横から見ていた。
彩星は星詠みの力をほとんど理解していない。逸星が目覚めそれが星詠みだと断定されたときには既に家を飛び出していたから。
この力は誰にも伝えない。例えそれが姉だとしても、この力を使って人を守ったり傷付けたり未来を変えてはいけない。
父親が自分になぜ人の未来を変えないよう厳命していたのか、今では少しだけ分かる気がした。
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島から本土へは約二時間ほどで移動することができ、まだ夜が明けていないにも関わらず本土の船着き場に到着する。
本土へ戻る間姉が暮らしていたこの地の話を聞いていた。
現在は大手化粧品メーカーの重役を勤めている。
この歳で専務に就任出来るなど初めは驚きしかなかったが、私立の高校の間に資格を総なめにして取得しては、就職に繋げたという。
あとは私だし…などと他人が聞けば首を傾げるが、自分の弟に対しては信頼と実績の姉なのでそこは流しておく。
今は一人暮らしをしており、会社から信頼を得るのに必死に努力していると言う。
女性ということや、何より二十一という若さで会社の重役を任せられるほどの実力に周囲からの妬みそねみは絶えなかったそうだ。
その為に周りの協力も惜しまず辛い経験を積みながら今の役職に就いたそうだ。友人と共に。
そして今運転しているのが姉の秘書をしている雛乃 藍。
都会の学生時代からの友人らしく、姉が最も信頼できる人物だそうだ。
藍は軽いお辞儀をするとこちらに話し掛けてきた。
「弟さんも、お姉さんに似て天才肌な感じですね」
謙遜なのかそれとも本当に微塵も思っていないのか、ないないと手を振る。
まぁ確かにそんなものは感じたことはない。ちょっと空から未来教えてもらえるだけだ。
そう、姉は同年代の人から天才と言われるほどの何かを持っているようだ。
段取りのいい彩星は早速逸星をテーブルのある一階に連れていき、書類を前に出してきた。
そこには編入手続きと書いてある書類と誓約書。既に姉の名前と印鑑が押されてある。
「俺…学校なんて」
「アンタまだ中学生でしょ?義務教育の間は勉強するのが仕事。分かったら早く書きなさい」
島育ちの事もあり転入先で上手くいくかも分からない、勉強が追い付くか分からないと理由を付けて通うのを断るが、どれも見透かされて強制させられてしまう。
ようやく書いた紙を持ち、頭を小突かれてしまう。
「中坊のくせに学費の心配なんてすんじゃないの。年収一千万越えのお姉さんに感謝しなさい」
一生ついていきます姉上…。
クルーザーの様な船から降りて車で家に向かう。
船も車も乗りこなす完璧秘書の藍は二人を送り届けると自分の家へ帰っていった。
彩星は仕事の途中だったので会社に戻ると言って夜明け前の道を歩いていった。
家の鍵を受け取り、勝手に寛いでいてくれと言い残して。
さて、一人暮らしとは聞いていたが、どうも想像していたのとは全然違っていた。
当然アパートではなく一戸建ての家であり、家と呼ぶにはあまりにも広い敷地だった。
島にあった寺と似たような広さがあるので、最早家というより豪邸に近い。
大きな門を開けて玄関の扉に近付くと、勝手に扉が開いた。
「未来…?」
田舎暮らしの逸星にとってオートロックなんてお目にかかれず、よく分からないまま家に入る。
見たこともない家具や植木、水槽に窓のように大きなテレビがある。
そして寛いでくれと言われたので遠慮無くソファーに飛び込んだ。
「なんだこれ…布団?柔らかすぎる」
フカフカなソファーに全身を預けて寝っ転がり、天井を眺めていた。
島でいた頃を…いや、ホームシックになるのは早すぎる。
まだ本土に来て数分しか経っていない。
先が思いやられると自己嫌悪しながら、昨日からの疲れで寝落ちしてしまいそうなその時…。
彩星が帰ってきた。
「仕事は?」
「秒で終わらせたわ。早く支度しなさい。学校行く準備しないと」
移動したこの日に登校を強いられるとは完全にブラック家庭である。
よく見ると時刻は七時。日もとっくに昇っていた。
気付かない内に数時間寝ていたので、眠気はどうにかなったが教本も制服も…。
バサッと全て彩星が逸星の近くに置いてくる。
バックは自由なのでエナメルバックを渡される。
これも高級ブランドでプロ野球選手が使ってるほどらしいが、理解できず豚に真珠だった。
会社に遅れるかもと言いながら、別れてすぐの藍を呼び出し二人で通勤通学を行う。
「雛野さん眠く無いですか?」
「専務はもっと過酷で長い時間起きています」
うん、ブラックじゃない?給料は家を見れば一目瞭然で勝ち組なのは分かるけど、あまりにもブラックじゃない?
横に乗ってる彩星はこうしている移動中でも誰かと電話しながら、膝にパソコンを広げて丁寧な言葉で話している。
「はい、はい。では後程伺います」
電話を切るとすぐにお姉さんモード、忘れ物はないかと確認され合鍵も持たされる。
用意周到過ぎて恐ろしくなってくる。
彩星がこの都会生活で学んだことは時は金。一日何事もなく終わらせることが、どれだけ無駄に終わってしまうかを理解しているからだ。
田舎暮らしで学校を終えては月紫と遊び、日が暮れれば帰って夕飯、風呂、そして宿題を終わらせて寝ていた頃が如何に将来無駄が多かったかなど言われてしまう。
「つくちゃんルートを徹底するのは構わないけど、ここではそういうの駄目よ」
「るーと?よく分からん単語を使うな姉貴は。それもさっき言ってたびじねす用語?」
窓の方を向いてスルーされ、藍はクスクスと笑っていた。
途中で高い建物がいくつも並んでいる街を越え、そして学校の前に着く。
豪邸にしか見えなかった。
広すぎるグラウンドに花壇には色とりどりのチューリップ。
漫画でしか見たこと無いような大きな門を同じ制服を着た生徒が潜っていた。
ここ?という顔をするとここ、と頷かれる
学費なんてとてもではないが聞けない。本当に中学校なのだろうか?
「いってらっしゃい」
学校へ送り出す彩星は夜子とはまた違う優しい笑顔だった。
「いってきます」
車から降りて早速学校の門を潜るといきなり声を掛けられた。
「君、IDは?」
メガネを掛けた女子生徒が逸星の前に立ち、これ以上進ませないように阻む。
あいでぃーというものが何なのかよく分からないが、周囲を見渡すと自分に無くて周りがあるもの言えば、胸に付けている名札の様なカード。
これを提示しろと言ってきているのだろう。
困ったことがあれば茶封筒に全て詰め込んであると言われていたので、鞄を開けて探す。
しかしあいでぃーらしきカードは入っていなかった。
「まさか今日来る予定の転校生?」
「そう」
もっと早く言えと怒られてしまい、職員室に案内される。
学校というには拵えが立派すぎて場違いという気分しか起きない。
それともこれを異常と感じるから田舎者扱いなのだろうか?
そわそわした雰囲気に何度も心配されながら職員室へ到達、担任の先生に挨拶することとなった。
「君の担任の菊 黎子だ。以後よろしく頼むよ」
茶色のショートカットにネイビースーツを着た女性、化粧も薄過ぎずケバくもなくキャリアウーマンな女性だった。
言葉遣いもどことなく姉に近いものがある。都会に住むとみんなこんな感じになるのだろうか?
歳は…意外と三十路だったり…とかなんとか考えていると、担任の先生は持っていた画板を叩き付け少し大きい音に驚かされる。
「君の考えていること、当ててみようか?」
あ、苦手な人だわこの人…。
教室に入るまでの打ち合わせと今日の授業に必要な教材を確認され、教室の前まで連れていかれる。
今頃教室では「今日転校生来るんだってー」「へ~男の子?女の子?」みたいな会話で盛り上がっているに違いない。
職員室に入るまでやこの教室に向かう最中色々挨拶を考えたが、まぁ自分の皆無な社交性と語彙力の無さに嘆くしか無かった。
無難にいこう…無難に。
緊張で身動きが取れない逸星の姿を見て、黎子笑いながら声を掛けてきた。
「そんなんじゃスベるぞ。もっと楽にしたまえ」
先に先生が入り、教室のホームルームが始まる。
宿題を回収し始める。朝の定番というところだ。点呼を取り始めた。
…まぁ二度手間ではあるが数えるのは最終的に自分だけになるのでそこまで支障は無いだろう。
日直の発表と軽い先生のジョーク混じり話が始まる。生徒の朝のモチベーションを上げるなんていい先生だ。
しかし出番まだかな?このままお蔵入りはしたくないぞ。
「それじゃあ一時間目始めるぞ」
ん?一時間目は確か国語だったな。
古事記の玉響記から始まり「そうだ~偶然にもこの名前の少年が今日転校してくるんだった、入りたまえ」で俺の登場という流れだろう。
そうだ…そうなんだろ?そうだと言ってくれ!
チョークで黒板に黙々と書き、それを写すシャーペンとノートの擦れる音が聞こえる。
うん、始まってるね授業。担任の先生と会話を終えて五分ほどしか経ってないのに人一人覚えられないかあの人…。
そこへ教室内から思わぬ助っ人が。
「先生、今日転校生が来る日では?」
ピタッと黒板の音だけでなく教室全体から人の音が消えた。
一番前の席に座っている黒堂くんという男子が指名され、国語の教科書を150ページほどぶっ飛ばして読み上げた。
「古事記かるた…たまゆ」
「そう!そういえば本日転校生を紹介します!変わった苗字なのでみんな驚くぞ、入ってきたまえ」
想像通りの繋げ方な上忘れていたことを水に流すために猿芝居。
逆にリラックス出来て助かったが、その分ぞんざいな扱いで逆に萎えてしまった。
が、なんて事はない。ここでスベらないためにシンキングタイムは腐るほどあったのだから。
有意義に扱えたか否かはこの挨拶で決まるはずだ。
「初めまして、玉響 逸星といいます。蛇尾島からやってきました。これといって趣味が無いんですけど、みんなと仲良くなれたらと思います」
頭を下げるとパチパチと社交辞令拍手が部屋に響き、席に案内されゆっくりと座る。
しまったぁぁぁぁぁぁ!?
確かにミスは無かった、無かったはずだ!
噛んだり面白い話し方で笑いを取り色物担当になりたかった訳ではない。
スゴく引き締まった様子でも相手に警戒されてしまう。が、キャラとしては成り立つ。少し恐い系キャラみたいな?
あとは博識な感じや聡明に見える知性溢れるキャラを出せば完璧だった。
しかし今の挨拶はこの全ての項目に該当しないザ・普通の残念極まりない挨拶。
スベらないことを意識してスベってしまったし、ミスしてないが逆にそれがミスしかない挨拶だった。
まぁ、クラスで人気者になりたいなんて別に思ってないし、モテるつもりもないし、転校生だからしばらくチヤホヤしてもらえるなんてこれっぽっちも期待して無かったよ。
島でも親友はいたけど友達は少なかったからね。
「みんな、色々教えてやれよ」
なんだか気の無い返事ではないが、逆に元気もない無難な返事。
「向こうが聞いてきたらな」みたいな声すら聞こえてくる。
(こんなにメンタル弱かったっけ俺?)
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何事(人と話す事)もなく放課後を迎え、何も悪いことしてないのに友達ゼロから始まる生活スタートになる。
転校生がやってきた!ってもっとクラスでテンション上がるドキドキワクワクなイベントではないものだろうか?
こうなったら勉強で学年一位を目指してザ・秀才。困ったときのイッセーさんみたいな立ち位置に着くしか無いのだが、困ったことに学力が全く違う。
国語は漢字は知っているが古文が分からず行き詰まる。
数学に関しては相似とか関数とか三平方の定理とか訳が分からない。
特に頭を抱えるのがこの英語とか言う科目だ。
最早日本語ですらなく、先生も当てられた生徒も時折日本語っぽい言葉を使っているが、あくまでそれっぽいのだけで伝わらない。
オッケーとかハローとか分かるのはそのレベルだ。
島で英語という科目が無く、アメリカで使われている言語ぐらいの認識しかなかったので、未曾有の領域である。
まさか話して書けなんて言われるとは夢にも思わなかった。
困ったことにそれが周囲はほとんどが出来てしまっている。
中には苦手なのか答えられない生徒もいたが、全然他人事には思えず困る。何より宿題ができない。
「困った…本当に困ったぞ。助けてくれる優しいクラスメートはいないものか」
チラチラと三文芝居で回りを見るが、嫌な顔されたり鼻で笑われる方がまだ楽な無視が続行される。
親父…お袋。自信無くなってきたよ俺。
帰れば歩く広辞苑彩星姉様に聞けば全て解決すると思うので、今日は諦めて帰ることにする。
今日の収穫はゼロ、さすがに昨日からの疲れで居眠り授業をするほどいい度胸はしていない。
活力剤系のドリンクをキメたが、ノートを写すだけの作業だったので苦行でしかなかった。
徒歩でトホホと歩いていると後ろから声を掛けられる。
「じゃあな田舎っぺ」
「貧乏人がよく入れたな」
「磯臭いな島男」
都会に行くと田舎者は追い出されるというのは本当だったようだ。
なるほど、確かに彩星の様に気が強いならあれぐらい屁でも無いだろう。
逆に追い掛け回しそうだ。
虐めの対象だろうとようやくクラスで認識してもらえる程度にはなったようだ。
初日にしては順調と言えるだろう。
皮肉ぐらいしか思い付かないので暇そうに歩いているとカッパを着ている少年を見つけた。
残念ながら天気は快晴、夕日が綺麗に雲に反射して絶景の都会風景をお楽しみいただけるほど晴れている。
詰まらなそうに空を眺めながらせっかくのカッパを楽しめずにいた。
「雨好きなの?」
何故だろう…心が荒んでいたのかとても純粋そうな少年に話し掛けてしまった。
知らないおじさんに話し掛けられても無視しろと言われているらしく、それだけ伝えると後ろを向いた。
それ無視にはなっていないし逃げなければ逆撫でした代償に言い寄られたり実力行使に入られるのではないか?
子供にそんなことを話しても仕方がないので振り返る。
「でも、姉ちゃんと同じ制服。お兄さん誰?」
学校の近くで見付けたのでそんな気はしていたが、肉親に学校の関係者がいたようだ。
しゃがんで目線を合わせ晴れてるのにカッパを着ても仕方ないことを伝える。
「このカッパ、姉ちゃんが買ってくれたんだ。でも雨最近全然降らないから使ってない。いつ降るの?」
話してみれば喜作な子供で、マセている訳でもなく純粋に明日の天気を聞いてくる。
雨を楽しみにしているのだろう。
何かヒントが無いかと空を見つめると、まだ明るいのに月が出ていた。
それだけで充分、少し目を瞑って明日の天気を伺う。
月の声が、囁きが耳に届き明日の天気を知らせてくれる。
不思議そうに顔を覗いてくる少年の頭を撫で、天気を伝えた。
「明日は午前午後共に晴れますが夕方、正確には五時十三分から突然の通り雨がやってくるでしょう。お出掛けの際は傘やカッパをお持ちになってください」
突然の正確すぎる予報に疑問すら抱くこともなく、大声でお礼を言われてその場を去っていった。
今までこの力を嬉しく思ったことはほんのごく僅か、というより天気ぐらいだったが、初めて人の役に立てたと解釈する。
中には知りたい人だっているはず。初めて島の人間以外のために星詠みを使い、そして喜んでもらえた。
まぁこのぐらいしか威張れる特技が無いが、明日あの少年がカッパを着てびしょ濡れになる事を願っておこう。
「そこまでは見れないもんな…」
肝心なときに使えない詠みだよ全く。
家に帰ると早速彩星に相談…という訳にはいかず、今日は残業で帰る予定はない。
晩御飯と明日の朝御飯は自分で作り登校も自分でという置き手紙があった。
まぁ登校ぐらい自分でするに決まってる。
車通学なんて聞いたことがない。いや、都会は普通なのかもしれない…。
家に帰り始めたのはまず今日の復習と英語だ。とにかくあの科目が厄介で話している言葉すら理解できないのは非常にマズい。
最低限言葉を理解するだけの知識をと、一晩中復習に耽っていた。
が、それが仇となったのだ。
起きた時間は朝九時、朝食どころかものの見事に遅刻をやらかしたので慌てて学園に走る。
まさかこんなに面白いとは思わなかった。気になったことは分かるまでやりきってしまうのが悪い癖で、特に回りが見えなくなるのは本当に自分の欠点だと自覚している。
自覚はしている。…治せないだけで。
転校二日目から遅刻なんて下らない理由で盛大に公開処刑される。
昨日の反応を見るに、これでいよいよ虐めの対象となったことでしょう。
そして席に着くなり昨日の宿題の内容を当てられてしまう。
「玉響、ここの問四だ。宿題はやってきたな?」
連立方程式の問だ。簡単にやってしまったので宿題を終えたことを忘れていたが、ノートを開いて答える。
「y=-9+6、y=-3。代入して3x=6なのでx=2」
「正解だ。勉強ができるのかもしれないが遅刻ではチャラには出来んぞ」
仕方がないが今回は自分に非があるので素直に謝り授業に専念する。
彩星に聞かずに学校に戻ったのは不安しかなかったが、この程度なら全然追い付くことが出来る。
一晩中勉強した甲斐もあり、英語も付いていけなくもなかった。
そんな学校も勉強ぐらいしかやることがなく、友人すらもまだ作れない俺は部屋に残り今日の復習をこの場で終わらせる。
まぁ帰り道にクラスメートに出くわしたくないだけなのだが。
彼らはクラスではその腹黒さを露にする様子はなく、教室にいれば何も触れてくることはない。
帰る時間さえズラしてしまえば何て事の無い奴等だ。
「おっとこんな時間か」
気が付けば五時前になり、昨日予測した天気ならそろそろ通り雨がやってくる。
傘の準備も完璧なので濡れる心配はないが、あの少年がどうしているか気になっていた。
もうスタンバっているだろうか…。
なんて心配をしていると校門で彼は待っていた。スゴい顔で。
「ウソつき…降らないじゃん」
そりゃゲリラだし予定していた時刻まであと少しある。
このまま嘘だと思われるのも癪なのでこの少年を引き連れて公園にでも向かう。
少年は嫌がりも話し掛けてくることもなく、ただ手を引かれていた。
三十分ほど前
「ただいまー」
一人の女子生徒が帰宅を終えた。
彼女の名前は柊木 彗夏。逸星と同じクラスの女子生徒である。
学校から帰り即リビングへ、鞄を横に置いてソファーに座る。
母親が晩御飯の支度をしながら今日の学校について聞いてくる。
何事もなかったので「別に…」なんて愛想の無い返事で返すが、ふと昨日からいる転校生の事が頭に過る。
「そういえば男の子転校してきたんだってね、どんな子?」
考えが読まれたのかと思うほどのタイミングで転校生の話題となった。
「う~ん…よく分かんない。昨日は普通だったんだけど、今日いきなり遅刻してくるし、でも宿題は完璧だし、何なら授業で当てられてもきちんと答えるし」
逸星がクラスにやって来て話したことはなかったが、変わった苗字だったので記憶に残りやすかった。
初日の挨拶なんてもう忘れてしまったが、それなりに明るい性格だったはずだ。
苦労しそうだったが、何とか馴染んでもらえるだろう。
特にそれ以上は考えることもなく、それよりもまだ帰宅していない弟の様子の方が気になった。
「周夜は?」
「一度帰ってきたけどまた出掛けたわよ。雨が何とかって」
雨…。今日は一日中晴れのはず。
数日前にカッパを買ってあげてからは雨が降らず、残念がっている様子は知っていたが、まさか今日もその為に出歩いているのだろうか?
「あたし探してくる!」
制服のまま家を飛び出し周夜がよく出歩く場所を次々と探す。
学校の近くまで戻り、ようやく見つけたのだが誰かに手を引かれて歩いていくのが見えた。
制服を見ると同じ学校に通う生徒、それもあの転校生だった。
一体どこへ連れていくというのだろうか?
周夜は嫌がる素振りも見せず、転校生に腕を引かれてついていく。
取って食ったりはしないと思うが、やはり真相が気になって密かに後ろからつけることにした。
弟の安否はもちろんだが、これから一体何が起こるのか気になって仕方がなかったのだ。
着いた場所は公園、二人は空を眺めて何か話している。
(何…雨でも降るっていうの?)
昨日予想した時間は完全に一致し、突然鉛色の雲が空を覆っていく。
手に持っていた傘を刺し、これから降るゲリラ豪雨に備える。
少し予想していたよりも強いかもしれない。
少年に寄り添い傘の下に入れる。
キョトンとした表情だったが、突然の豪雨で少年は驚いたようだ。
傘が重くなるほどの大粒の雨が降り注ぎ、子供のカッパでは耐えきれないのを察した逸星は傘に入れたのだ。
「きゃあ!」
突然女性の悲鳴が後ろから聞こえたので振り返る。
公園の入り口で同じ制服を着た女子生徒が大雨に打ち付けられていた。
少年は傘から抜け出して女子生徒の元へ走る。昨日言っていた姉だろうか?
逸星も共に彼女へ駆け寄った。
踞る女子生徒が濡れないように傘を刺して、少年は声を掛ける。
「姉ちゃん、大丈夫?」
どうやら姉で間違いなかったようだ。すぐに雨宿りできる上屋がある倉庫の下へ。
鞄も何も持たない女子は髪を絞りながら下を向いている。
鞄に入れていたハンカチを渡し、後ろを向く。
「見えた?」
見てしまったものは仕方がないので頷く。特に怒ったり罵倒されたりはなかったが、穴に入りたくはなっているだろう。
無言で…というわけにはいかず、少年は自分の姉に心配そうにしていた。
大丈夫か、怪我はしてないか、どうしてここにいるのか、質問攻めの弟に対して突然彼女は怒り始めた。
「あんたを探してたのよ!一人で出掛けるなら母さんかあたしに場所を言うことって何度も言ってるでしょ!」
黙り込んだ少年は涙目になり俯いてしまう。しかしよく考えればあれは雨を言い当てた自分に問題があり、公園まで連れていったことがそもそもの原因であった。
謝ろうと振り返る。
「ごめ…」
「こっち見ないで!」
すぐに回れ右、尻を向けて人に謝るなんて失礼な話だが状況が状況なのでそのまま謝罪し経緯を話す。
「ごめん、俺がその子を公園に連れていったんだ。どうしても雨に降ってほしい様子だったんでつい…悪かった」
しばらく何かを考えていたのか無言の間が続く。一分もあったか分からない時間だったが、何分も経っている様に感じた静寂。
突然彼女は名乗り始めた。
「柊木…柊木 彗夏。こっちは弟の周夜」
そういえば名前を言っていなかった。
女子生徒には知ってると言われ、弟の方からはイッセーと呼ばれる。
その後は当然のように何をしていたのか聞かれたが、星詠みの事を言うわけにはいかないので伏せておく。
「いつまで降るんだろ…」
「心配しなくてもあと五分もす…」
そこで黙り込んだので余計に怪しまれてしまう。
さすがに今のは迂闊すぎた。降るのは誤魔化すにしても止む話までするともう確信に近付く。
「れば止むといいな。五分でも早く俺と離れたいだろ?」
「一刻よそれを言うなら」
島ではこういうことわざだったと他愛もない話で誤魔化しながら返し、暫しの無言が再び訪れる。
五分というのは何か用事をしていればほんの一瞬だが、こうして秒数を数えていると一分一分がとてつもなく長く感じる。
やがて雨は止み始め、空から光芒が射してくる。
とにかくこれ以上詮索されると余計な事を話しそうなので、また明日学校でとだけ伝え急ぎ足でこの場を去った。
「玉響…変わったやつね。まるで天気が分かるみたい」
弟の頭を撫でながら返すのを忘れていたハンカチを見る。
そのまま返すのも失礼なので、洗濯を済ませて返すことにする。
それにしてもなぜ彼は天気をあんなに正確に言い当てることができたのだろうか?
島育ちという話は聞いていたので、雲の流れや風でそれを理解できるのかもしれない。
しかしその方法は思いもよらない手段だった。
弟の周夜に聞いてみると、彼は何やら空を見つめそして明日、つまり今日の天気を見事言い当てたそうだ。
「イッセーお月様が教えてくれたって言ってたよ?」
月…?月から天候を当ててしまうのは予報やネットでよく見たことある。
しかし一番解せないのは…。
キョトンとした表情でこちらを見る弟と、逸星の顔を思い返して考える。
なぜなら彼は降るであろう時間までほとんど当ててしまっていた。
降り止むタイミングまで。ただの偶然にしてはあまりにも出来すぎている。
「何かあるわね、玉響くん」
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今回の件で本当に懲りた。いや、懲りなければならない。
一歩間違えれば星詠みの事を知られても不思議ではない。
既に疑惑を持たれていてもおかしくない。
周夜の姉が同じ学園だということが何よりも誤算で、あの少年に月が教えてくれた…なんてバカ正直に答えたのが失敗だった。
(参ったな…全然身が入らない)
今日の授業も付いていくのが精一杯だというのに、何か良からぬ噂を流されていないかと気が気でならない。
そんな日は勉強ではなくもう寝てしまうことにした。
明日の言い訳や理由も考えずに。
翌朝
転校から三日目、二日連続で遅刻する程大物ではないので重役出勤はそろそろここら辺で打ち止めといきたい。
本土に来て学校に通いだしてからはあれ以来彩星とも会っていない。
仕事が立て込んでいるとかどうとか。本土の暮らしについて知りたいことは山ほどあるが、仕事と言われるとこちらも無理は言えない。
毎晩ご飯代と手紙を置きに来てくれるのが救いか。
不安というほどでもないが、新しい暮らしにまだ体が慣れていないのか妙に疲れるのだ。
と、考え込んでいると学校に到達。
言い忘れていたがこの学校の名前は「私立星晶学園」(しりつせいしょうがくえん)。星のように一人一人が輝ける学園を校訓とする学園らしい。
早速俺は六等星にも満たない程影が薄くなってしまっているのだが…。
というよりむしろ悪目立ちの方には一等星越えている。
田舎育ちの人間が都会に入るのは厳しいとよく聞かされていたが、ここまでとは予想もしなかった。
とは言うものの新しい場所と義務教育を守ってくれた姉に愚痴を言うわけにもいかず、吐き出せずにいる。
(まぁまぁ精神的にくる…)
昨日貰ったIDという名札を出して難なく通り、靴箱に向かう。
さすがに靴にはイタズラされていなかったので安堵の息が出た。
特に親密な友人を作りたいわけでも彼女を作って青春を謳歌したいわけでもない。
普通に、ただ普通に学校に通えればそれで良かったのだ。
「おはよう」
出口とは反対側の玄関から声を掛けてきたのは昨日の女子、名は確か柊木彗夏。
本土に来てから挨拶されるのは初めてだったので少し動揺して返す。
しかしただ挨拶して終わりという訳では無さそうな様子。
少し何か言いたげな素振りを見せて目線を反らしてくる。
「おはよう、何か用?」
素っ気ない返事だが今の俺の学校での立ち位置を考えると彼女に飛び火が降りかかる。
昨日の今日で話し掛けられるとは思わなかったが、それだけ火急の用でもありそうだ。
ちなみに下着の色は頑張って昨日忘れた。
しかし柊木から出てきた言葉は昨日の下着の件ではなく弟の感謝の言葉だった。
カッパを買ってあげてからはほとんど毎日雨が降らず、もて余していた。
「周夜が言ってたわ。イッセーはお月様とお喋りができる。もしかしたら月のウサギさんかもって」
年相応の可愛らしい意見だ。確かに月のウサギなら会話出来るかもしれない。
少し笑みが溢れて笑って流そうとしたのだが、彼女はこの先が本題だった。
「どうやって天気を当てたの?それもあんなに正確に」
一番触れられたくない部分に疑問を持たれ、立ち止まって黙ってしまう。
こういった事態を回避するために昨日言い訳を考えておくべきだった。
しかし彼女の様子を見たところ、星詠みとかそういう不思議な力よりも単純に疑問を持っているようだった。
出てきたのが実家のこと。
親が元々漁師で海の時化を理解するために天気を読む知識を与えられたと言って誤魔化す。
まぁほとんど嘘ではない。実際もっと小さい頃は一緒に船に乗せられ父親には魚の種類や特徴、母親には雲の流れや海の状態を教わったものだ。
しかし未来が見えるゆえそんな知識も全く必要なく、凶作か豊作、釣り日和か雨降りで出るべきではないかが瞬時に分かってしまう。
あくまでたまたまという意見を貫き、ようやく解放されそうだったのだが、まだ話があるようだった。
「折り入って頼みがあるの」
冗談だろ?また天気を当てろと言うのだろうか?
諸葛亮じゃあるまいし二度も無理と答えても、柊木は引き下がらなかった。
どうしても彼女はある日にちの天気を当ててほしいと言ってきた。
丁度来週の金曜日にサッカー部の他校と交流戦が行われる。
その日の天気をどうしても教えてほしかったそうだ。
「十日も先の天気なんて分かるかよ。来週の天気予報楽しみにしてなって」
「お願い!友達がどうしても知りたがってるの」
しかも本人ではないときた…。これはいよいよ拒否案件だが、柊木は近付いてきて頭を下げ始めた。
この通りと懇願、慌てて頭を上げさせてこの場を去る。
少しぐらい回りの目を気にしてほしかったが、それほど切羽詰まっているということだったのだろう。
場所を変えて話を聞き直す。
階段の踊り場で話を聞き、内容をまとめる。
どうやら柊木の友人に弥生 朱理という人物がおり、サッカー部のエースの男子が好きだという話から始まった。
他校との交流戦だが、これがかなり強豪らしく勝つかどうかは分からない試合だそうだ。
試合の応援に行きたいのだが、雨が降られると見ることは出来ない。
そこで天気予報を予め教えてあげたいということだった。
要するに柊木は自分の友達を応援したくてこんなことを依頼してきたようだ。
「ダメ?」
全然駄目ではないしむしろそんな安いご用で少しでも人間関係を広めれるならこれ以上無い話だが、問題は星詠みを隠してどうやって当てるかだ。
昨日やり過ぎたと反省した矢先こんな天秤にかける用な話を持ってくるとは、神様は何とも嫌らしい方だ。
嫌がらせのつもりはないが、理由が思い付かないので少し考え込んでいると柊木は手を繋いできた。
突然の事で動揺する。
「周夜ね、学校では友達がいないの。あの子もう今年で十二歳になるんだけど、発言が子供でしょ?虐めとかは無いけど友達ができないのよ。でも、玉響くんと出会って、雨が降り始めて、あたしは周夜のあんな顔初めて見たわ」
俯きながら話していた柊木は少し顔を上げ、こちらを見つめる。
恥じらいも裏表も無しに彼女の真摯な思いが目から伝わってくる。
「十年以上周夜と過ごしたあたしより、玉響くんが先に周夜の笑顔を見ることができた。玉響くん、貴方なら何か分かるんじゃない?お願い教えて、あたしに出来ることなら何でも協力する!」
詰め寄ってくる柊木にたじたじになる。
もう少し彼女も意識した方がいい。
人通りの少ない階段の踊り場を狙ったが、これでは逆に告白するから場所を変えたようにしか見えない。
というより端から見ればそうだろう。
それでも引き下がりはしない彼女の意思に感銘を受けた俺は、それを少しだけ考えさせてくれと答えてしまう。
二つ返事とはいかなかったが、それでも柊木は満足気に頷いて教室の方へ帰っていった。
手を振りながら…でも同じクラスなので振られてもすぐに会うのだが。
(あ、一緒に戻ると変な噂立つもんね。その辺しっかりしてていいのか悲しいのか)
先程柊木に握られた手を見返して、必死に訴えてきた表情を思う。
初めて月紫以外の女子と手が触れ合ったので、緊張が収まらなかった。
疚しい気持ちもないし、漫画ではあるまいし出会ってばかりで惚れられたはずもない。
「男って単純だ…」
こうして星詠みという不思議な力を持つ少年の物語は始まった。
父親から直接聞いたわけではなかったが、母親が後に部屋にやって来て聞かせてくれた。
「貴方は強い。強いが故に人を傷付けてしまう」
この星詠みで命を救ったり世界を変えたりするなんて大それた事はできはしない。
ただ目の前の、自分の身近にいる人に幸せを与え続けることができるのなら、もう一度星詠みを使って人の気持ちを導いてみたい。
人の気持ちに応えてみたい。
柊木は初めて弟の笑顔を見たと言っていた。
心を閉ざした人を切り開くことが出来るというのなら…。
自分の手を見つめて柊木の言葉と手の温もりを思い返す。
あんなのでドキドキしてしまう自分がとても恥ずかしく、そして初めて触れた女子の手の温もりが消えたのは、今日の学校の放課後の時だった。