一章 3話 好奇心のその先に
――目の前の男は独特だ。悪く言うと変人だ。
職員室にこの男が居るのは、なんだか違和感を感じるほどに。
「うぅんと確か君はクライナちゃんだったかな? こんにちは、こんな放課後に何か用かな?」
――目の前の男は【トマス・エルガー】
年齢は20代後半ぐらいの色白細身で、灰色に近い髪色でクルクルとした癖っ毛に、メガネを掛けた教師だ。
聞いてみると、不運にもパトリク先生が今日から数日間の出張で居ないみたいで、本当にたまにしか学校にいないこの先生が居たのは――こう言ったら失礼だけれど運が悪かったみたいだ。
まぁ聞いて見るだけならどの先生でもいいんだけれど、他の先生もスピーチなど聖騎士関連の色々で忙しそうに見える。
(うーん、そう思うとなんだか暇そうなトマス先生が居たのは、逆によかったのかも?)
「先生こんにちは、えっと少し聞きたいことがあるんですけど……」
ここまでだと変人ではなく、普通の感じのいい教師に見える様だけど……。
「いやぁ、ちゃんと挨拶できるなんて偉いねぇ~うんうん、恋の相談か何かかな!? よし!それならここじゃダメだな! 場所を変えようか! ついて来て」
ここまででちょっと気持ちの悪い人だ。しかし不思議と話していて落ち着く雰囲気を持っている。
……さっきまでの色々の余韻が収まる程には。
「いや! 違いますよ! あのーっ! 待ってくださいーっ!」
颯爽と職員室から出ていく先生、仕方なく私はそれを追いかける。
しかし先生が向かっているのは相談室の方向ではないみたいで。
(何処まで行くんだろ、ココらへん準備室とか物置とか、そんな感じの教室ばっかりだよね……?)
そんな事を考えながらも、大人しくついて行くと目的の場所に着いたのか、先生が古ぼけた扉の前で立ち止まった。
「おっと着いたよ、ごめんね? 遠くて、さぁてどうぞ」
言われるがまま部屋に入る。
……うわっ散らばってるなぁ、先生個人の部屋なのかなぁ?
「さぁ、座って座って。それで恋の相談だったかな?」
進められるまま、部屋の中心に対になるようにあるソファーに、先生と机を挟むように座る。
……今更だけど変人呼ばれる先生と人気のない所で居るなんて危険かもしれない。
「だから違いますって! 少し聞きたいことがあるんです」
さっさと教えてもらってさっさと帰りたい、門限もあるしね。
「えっ、そうなの? つまんないなぁ、まぁ良いけどね。でも君も、もう察してるかもだけど、僕って話がすぐ脱線しちゃうから、君からズバズバ聞きたいことを言ってくれないかな」
露骨にガッカリし、途端にやる気のなくした顔になる先生。勝手に勘違いした癖に!
まぁいいや、この喋りたがりの先生にさっさと冒険者学校……。冒険者について聞こう!
べ、別に期待してないけどね! 可能性はあるかもしれないってだけだ!
「わかりました、私が聞きたかった事ですけど。冒険者って何をしている人なんですか? 冒険者学校とかもあるみたいですし?」
本当は魔物について今すぐ聞きたいけど、そんな概念自体あるか怪しいしね。
「おおっと、ズバッときたねぇー、答えざるを得ないじゃないか! というか冒険者を知らないなんて、今まで彼らの事を無職とでも思ってたのかい? いや、冒険者なんて名乗っている奴は無職同然かな? そんな職業なんてないからね。おっと勘違いしないでね冒険者学校、そっちは選ばれしエリートだよ。……まぁ興味がなかったら知らないのも無理もないのかなぁ?」
得意げな顔をし、ペラペラと早口で捲し立てる先生。
……混乱する、冒険者なんて職業は存在しない?
余計わからなくなった、冒険者は何をしているか聞きたいだけなのに、脳裏に浮かぶのは前世の記憶、やっぱりまた私は期待を裏切られるのだろうか。
「じゃあ冒険者学校って一体何なんですかっ? 一般人は入れないんですよねっ? それに冒険者という職業がないとしたら! 冒険者学校を卒業した人は一体何をするんですかっ!?」
考えが纏まらない、思わず私は声を荒げてしまう、何を焦っているんだろう私は。
……分からない 元々あり得なくて当然の夢物語なのに、何を私はこんなにも執着しているのだろう。
「……落ち着いてくれクライナちゃん、君のためだ順序通りに説明させてくれないか?」
この男もこんなに真面目な顔ができるのかと、思わずそう思ってしまう程、先生は真剣に私を見つめる。
けど駄目だ、それじゃあ、とてももどかしい……。
「で、でも「でもじゃない……」
そんな私の言葉を遮り、先生は観念したかの様にフッと息を吐く。
「そうだな……君は冒険者という言葉に何かを求めている、いや冒険者に関係するものにかな?」
眼の前の変人と言われる先生は偶に鋭い、そんな先生の言葉に、ドクンドクンと心臓が音を奏でる。
……今この場の状況と雰囲気に私は酔っている。
前世の記憶が。私が。心が高鳴る。
もしかしたら? いや確実に何かあると……。
ソレを聞いてしまったら、決定的な何かが変わってしまう、そんな気がする。
引き戻れないかもしれない。
(それでもいい! 早く、早く早く聞きたい!)
「……」
何も語らない。
「うんうん、偉いね、じゃあ話を続けるよ。君は冒険者にある認識をしているね? それは無知ゆえなのか、或いは何かしらの先入観があるからか」
両方だ、前世の記憶と無知な私。
この記憶が蘇る前は冒険者なんて今の今まで微塵も興味がなかった。
だけど今はその反対だ……。
「……」
何も聞かない。
「君が急にソレに興味を示した事に何も詮索もしない、ただ君のその表情、その感情を放置できないから今から正直に話そう。信じてほしい、君の認識の間違いを放置してたら君と、君以外の命の危険を生む可能性もあるからね」
私は今、一体どんな表情をしているのだろう……?
「……」
聞くに徹する。
貧乏ゆすりが止まらない。
「クライナちゃん……君は地獄の穴を知っているよね?」
恐る恐ると言った様子で、トマスはその言葉を噛みしめる様に口から出す。
それは聖クルア教の聖書や、色々な御伽噺に出てくる闇だ。
迂闊に名前を言ってはいけないぐらいに、宗教的には恐れられてる。
私も前世の記憶が戻るまでは必要以上に恐れていた、そのぐらいこの世界では恐れられている絶望の象徴だ。
地獄の穴とは、クルア神が邪神を封印した時、最後に邪神が世界各地に残した最低最悪の置き土産だ。
――聖書曰く『その穴に入った者は戻らない』
確か最近、ほんの噂程度だが、地獄の穴に財宝があってお偉いさんが独占しているとかしてないとか、そんな眉唾話が流れているらしい。
「……」
私は地獄の穴と言う単語を聞いて、驚いたフリをする。
先生は恐らく会話の節々からこちらがどこまで知っているか探っている、私の反応を探っている。
丁度いい、震えが止まらない。
「……すまない。恐ろしいかもしれないけれど最後まで聞いてほしい。その地獄の穴が本当にあったとしたら? 放置してしまったら、いずれ災厄をばら撒く危険な物が……」
本当にあったとしたら?
つまり……つまりつまりつまりつまりつまり存在する?
「……なんで君はそこで嬉しそうな顔をするんだい?」
思わず感情が顔に出てしまったようだ、先生が呆れた様な顔をする。
けどだってもしそんな物があったら。
「だって私、そこに行きたいんです」
その途端、先生が同情と申し訳なさを浮かべた目で私を見る。
「……ここまでは良いかい? じゃあ話を戻すよ、だからこそ、そんな危険な穴を放置しない為に冒険者学校と言う物あるんだ。選ばれた者達がそこへ入り、お互い競い合い、脱落する者も居るし、命を落とす危険すらある。そうして、そこを卒業してそれでやっと一人前になれるかどうかなんだ。つまりそういった人材を育てる、これが冒険者学校の役目さ」
あえて言葉を濁しながら先生は語る。
どう放置しないのか、何の一人前になれるのか、きっと教えてはいけない情報なのだろう。
先生は本当に私を心配して話をしてくれていると思わさせられる。そんな思いやり、今はかえって邪魔だけれど。
「じゃあ次は冒険者とやらについて答えよう。大きく分けて冒険者を名乗る輩は二種類存在する」
指で数える様に、先生は語り続ける。
「一つは君の様に、冒険者学校をよく知らない学の無い者、例えば田舎者や、ゴロツキ等が自分を大きく見せようとして冒険者と言う名前を騙る。そういった連中を僕らの中じゃ偽冒険者と呼んでいる」
学のない田舎者……。つまり冒険者学校は一定以上の人間には常識と言う事だろう。
(……興味がなかったら知らないのも無理はないかも、って言った癖に)
「そしてもう一つは厳しい内容に耐えられなくなり、冒険者学校から逃げ出した者だ。こいつらは僕らの中じゃさっきと違って、皮肉の意味も込めて冒険者と呼んでるね」
吐き捨てる様に出した先生の言葉には、明確な怒りが篭っていた。
「冒険者の方は我々に手配をされている。そりゃ当然だ、逃げ出した上に完璧ではないが力がある、少しだが情報も持っている。だから碌な職業に付けずに未練がましく冒険者とやらを名乗っているんだ。……そして勝手な推測をして糞みたいな噂をばら撒く、まぁ大抵ホラ吹き扱いされるけどね」
恐らく噂とは財宝が隠されていると言う物だろう。
「けどね、時に君みたいに信じてしまう者も出てしまう。ここまで君に教えたのは申し訳ないと思ったからだよ。すまない、我々の不手際だ……地獄の穴に財宝なんて存在しないんだ、あるのは地獄だけなんだよ」
申し訳無さ、同情、そして僅かな侮り、それらが混ざったかの様な表情を浮かべる先生。
けれどそんな先生の顔とは反対に、私の表情は緩む。
だって財宝なんかより、よっぽどそっちの方がいい、先生は話を続ける。
「ははは、つい喋りすぎてしまったよ、君の雰囲気が僕の昔の知り合いと似ていたからかな? 本当は適当に誤魔化すつもりだったのに、ここまで教えるなんて僕も冒険者と対して変わらないな……。これで話は終わりさ、世の中美味しい話なんて無いって事だよ? さぁ、帰るんだ、平穏の日々にね」
先生はやりきったと言わんばかりの顔で、ふぅ、と満足げに話を切り上げようとする。
(…………)
けれど満足しているのは先生一人だけだ。
先生は善意で情報を教えたのだろうか? もしそうならば適当に誤魔化して放置してくれればよかった。
けど私はもう戻れない、引き返せない、無いと思って居た物の存在を確信したから。
「正直に話すって言った。お願いします。全部教えてください!」
喋り方が少しおかしくなる、鼓動が激しくなる。
期待が止まらない。
「はぁ~……ダメだよ、これでも話しすぎた方さ、君の疑問にも答えて上げたじゃないか、世の中には知らないほうが良いこともあるんだよ?」
相手にしてられないと言わんばかりの表情で、私を睨む先生。
「先生は善意で、私が騙されてると思って教えてくれたんですよね? ならお願いします! 私は最初から財宝なんて物に興味は無いんです! ただ知りたいだけなんです!」
息を整えて頼む様に私は先生に訴えかける。
けれど……
「――――――はぁ。」
帰って来たのはそんな長い溜め息だった。
「……もしかしてまだ財宝の存在を疑っているのかい? ならもう僕にはどうしようもないね、じゃあ好きにしたらいいんじゃないか? もっとも君みたいな学生風情が、地獄の穴に入れるなんて思わない事だ」
やれやれ相手をして損をしたと、失望を表すトマス……。
(……ふざけるなっ!)
正直に話すと嘘をつき、勝手に私が騙された被害者と勘違いし、自己満足の為に中途半端に知識を教え、やりきった表情をしている先生。
――この男が無性に腹立たしい。
こいつは油断している、完全に私を舐めきっている、何もできない唯の学生だと、だからこそ自己満足で情報を与えたのだろう。
つまり、この男は自分勝手に私を焚き付けた元凶だ。
「……まだ居座る気かい? 正直気分を害したよ、さっさと帰ってくれないかな?」
ソファーから微動だにしない私を見て、トマスはうんざりした声を出す。
そんな声を無視して、私は考えを巡らせる。
(君程度が地獄の穴に入れるなんて思わないだね、だって? きっとこの言葉で通じる筈!)
なら目の前の、この男を骨の髄まで利用してやるだけだ!
「――【魔物】」
そんな言葉が口から漏れる、御伽噺にも物語にも存在しない存在、不自然だ。
思えば居ないのでは無く、意図的に隠されて居たのかもしれない。
そしてこの言葉を聞いた目の前の男は、私が想像していた通りの反応をする。
笑みが止まらない、やっぱり居るんだ。
「……ッ嘘だろっ! なんで? なんで、そこまで知っている!? 地獄の穴については、何も知らないかの様に怯えていたじゃないかっ!? 」
ついさっきまで、罪を償う為に記憶が戻ったと思っていた。だけど私は確信したんだ。
きっと、違う、確実に今日、この為に記憶が戻ったんだ。
それどころか私は今日、こんな日を迎える為に生まれたのかもしれない。
前世の娯楽を知ってしまった。
前世の渇望を知ってしまった。
ソレを達成できる世界にいるのを知ってしまった。
【魔物】が居るのを知ってしまった。
「やっぱり居るんだね、全部教えて? じゃないと先生の名前を出しながら、言いふらすよ?」
もっと色々良いやり方があるかもしれない、けれどすぐに知りたい。
考えが、行動が短絡的になってしまう。
「そんな事をして君は何がしたい!? 過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ! いや、君の目的は……」
過ぎた好奇心は身を滅ぼす……。きっとこの男の言葉は正しいのだろう。
だけどこの事を忘れて、知らないまま生きるなんて、もうあまりにも遅かった。
そんなのはきっと死ぬより辛い、なら知って死んだほうが上等だ!
「あなたが最初から私の相手をしなかったら、中途半端に教えなければ、もしかしたら、私はまだ諦められたかもしれない。先生も最初はきっと善意で私に教えてくれたんですよね? なら優しい優しい嘘つきの先生、最後まで教えてください、今度は正直に」
――脅された男、トマス・エルガーは長く長く沈黙した。
クライナ・アナベルはその間ずっと待っていた、興奮に身を任せながら……。
そしてトマスは聞こえない程度に静かに呟く。
「まさか最初から財宝の噂なんて信じちゃいなかったのかい? あの嬉しそうな表情も、行きたいと言ったのも、あんなに興奮していたのも、まさかそれが目的で……」