一章 1話 記憶の目覚め
「うぅ、頭が痛い、なんか変な夢を見た気が…………いや! それよりも!」
白いベッドに広がる蒼い髪、そして透き通る様な少女の声が部屋に響く。
「あーあー私はクライナ・アナベル、うん大丈夫、頭が少し痛い以外は違和感も異常も無しっと……」
自分以外、誰もいない部屋の中で、起きたばかりなのか、寝ぼけ眼で錯乱した事を言ってる変な少女こと私、【クライナ・アナベル】には前世の記憶がある。
(あるって言うか今思い出したんだけどね……)
寝起きやその他諸々で混乱した頭で、今の私のあまり良くないであろう現状を再確認する。
私は今年で15歳になる普通の女の子だ。
自分で云うのもなんだけれど……客観的に見れば平均以上の恵まれた家庭で生まれ、これまで才能に不自由したことなく、何でもこなせた才色兼備で容姿端麗のいじめっ子だ。
「あー学校行かなきゃだ、休んじゃ駄目だよねぇ……こんな話、信じてくれる訳も無いし」
前世の記憶を今さっき思い出したのに、学校すら休めないのには理由があるが、それは後々嫌でも出てくるだろう。
何はともあれ学校まで時間はあまり無い……まずは状況整理を優先しよう、ここは驚くことに前世の記憶とは違う世界だ。
(いや私が驚くべきなのは前世の世界かな? 比べれば比べる程、凄い世界だよ……)
「それにしても思い返す程、私って悪人だなぁ……あぁ学校行きたくない……」
これまでの学校の私は一人の少女を目の敵にして攻撃する、前世の記憶で云う悪役令嬢の様な酷い人間だったのだ。
「ううん、ちゃんとこれまでの事反省してみんなに謝ろう、特にアリアさんに! 前世の記憶を思い出したのもきっとそのためだろうし!」
前世の記憶がある今の私だからこそわかる……しっかり謝らないと。
「家族に怪しまれないように家では自然に何時も通りに行かないと、うーん、でもどうせこれから学校でやろうとしてる事を考えたら結局は変に思われるし……」
今の私の性格、思考は思いっきり前世の記憶寄りだと自分でも思う。
だからこそ絶対に怪しまれるだろう……今までの私が何にも興味が薄く、空っぽの様な人間だったから……。
本当に申し訳ない話だけど、アリアさんに嫌がらせをするぐらいしか殆ど自主的に行動しない親の言いなりの様な子供だった。
(自分で言っててなんて最悪なんだ……アリアさん、ごめんなさい)
それでも私にとっては今までの私も、今の私もどちらも自分と言う実感がある、だからか記憶に関する混乱や恐怖などは殆どない。
(……それどころか感謝の気持ちで一杯だ!)
何故なら色んな事を知ったからか、今までの抜け殻みたいな私だった頃が信じられないほどに活力って言うのかなんて言うのか、変わろう! って気持ちみたいなのが大きい。
そんな事を考えていた私の耳にゴッソリと、私の気力を削ぐ大きな声が聞こえてくる。
「クライナ! まだなの!? 朝食よ! まさか? 学校を休む気じゃないわよね? 休んじゃダメよ!」
少し起床が遅れただけで、ひっきりなしに飛んでくる大声、その声の主は私の母親だ。
「……わかりました、すぐ行きます」
行きたくないなぁ、いや大丈夫の筈!
今までは家族が嫌で嫌で心が追い詰められて、私が歪んでしまった原因だったけど。
(今の私なら、きっと大丈夫の筈!)
っとこんな考えてる間に母が待ち構える食卓の席に着いてしまった。
(予想通りだけど今日もフルーアは居ない、今日もズル休みか……羨ましい)
食卓には今日も妹の姿は無く母しかいない、そして少し遅れただけで私にあんなにも怒鳴った母は妹へと何も言おうとはしなかった。
「……いただきます」
そんな妹に少しだけ嫉妬しながらも椅子に座り手を合わせる、今日の朝食は卵焼きと硬いパンにスープみたいだ。
(これが記憶が戻った代償とでも云うのかッ!)
……記憶が戻る前は平気だったけど、今は結構キツイかもしれないと、硬いパンを食べてる時気づいた。
そして私と同じ様に黙々と朝食を摂っている母の方を見る。
(変わらなきゃ……)
そう決心すると、私はゴクリとパンを飲み込んでから声を出す。
「母様、フルーアは今日も休みなんですか?」
いつもの私なら黙っている事だけど、今日だからこそ勇気を出して母へとこれまで思っていた事を口に出す。
「知ってるでしょ? フルーアは体が弱いんだから……」
私がそんな事を言うのが珍しいからか、やはり怪訝な目でこちらを見てから呆れ混じりに口を開く。
これまでは疑問を抱きさえせずに従っていたけれど、今思えばあんな凶暴な妹の体が弱いなんて可笑しい、きっと母に言わせればオーガだって病弱なるのだろう……この世界にオーガなんて居ないけれど。
(……私も今日ぐらいは休めないかな)
「母様、私も休みたいです、しんどいので」
いっつもの私らしくなく上目遣いで甘えるように頼んでみる、まぁ結果は分かってるんだけどね……。
「ダメよ! あなたは特別なの! 休むなんて絶対許さないわっ!」
そんなの絶対に許さないと、母は自身の怒りを表すかのように机を叩く。
何が特別だっ! 特別なのはフルーアじゃないか! なんて想いはとても口に出せなかった。
……何故なら、私が色んな事をこなしてたのは母を喜ばせたかったからで、きっと私は未だに母が好きだから。
(今のままでもある意味認められてるけど、それでも少しは甘やかしてほしかった、私だって唯の子供なんだから)
けれどいつも甘やかしてもらえるのは何もしようとしないフルーアだった、だから私は歪んでいたのだろう。
(まぁそれも昨日までの話なんだけどね……!)
「ふふっ冗談です。母様、私、今日から学校でもっともっと頑張るので、どうか応援してください」
冗談です、と私は母の怒りを鎮める為に言葉を選ぶ。
いいんだ、どうせ答えは分かってた事だし……それに学校を休むなんてやっぱり駄目だ、だって今日から変わるんだから私は!
「あらそう、しんどくないのね、よかったわ! ならしっかり頑張りなさい」
私の口から冗談と聞こえた途端に、ケロリと人が変わったかのように落ち着く母。
母は妹だけに甘くて、私には怒りっぽくてスパルタの怖い母親だけど、そんなに悪い人ではないと思う……多分。
「はい……じゃあ、そろそろ出ますね、ごちそうさまでした」
昨日までの物とは言え、長年隠していた本音を少し晒し出した気恥ずかしさからか、私は逃げるように席を立とうとするけれど。
「待ちなさいクライナっ! 嬉しいわぁ……だって頑張るってスピーチの事よねぇ? 知ってると思うけど明日が聖騎士様の門出、もうそろそろ学園スピーチの代表者が選ばれててもおかしくない時期だわ」
席を立ち私の心を傷つける様に母は嗤い言葉を続ける。
「勿論貴方は特別なんだから選ばれるわよね? 優秀なクライナなら有り得ない話だけど……選ばれなかったら、わかってるわよね?」
母様は当然選ばれるわよね? と言わんばかりの、にっこりとした笑顔で私に微笑む。
「えぇ……」
そんな母様の問いに私は、どちらとも言えない曖昧な表情をしながら、忘れ物をしたかのように一旦自分の部屋に逃げる。
……やっぱり母様は悪い人かもしれない、と思いながら。
――代表スピーチと言うのは、私の通っている学校【聖クルア学院】で選ばれた優秀な生徒が、その頃には国外の神聖な場所で信仰の為に命懸けの厳しい修行しているらしい、【王国聖騎士】(通称、聖騎士)の成功を祈って聖書を全生徒やその日に来るお偉い様の前で朗読すると言った物だ。
それは年に一度開催されるかどうかで、尚且、代表者は全生徒の中で一人だけなので、指名されると云うのは国で見てもとても名誉な大規模な学校行事である。
(ちなみに聖騎士は殆ど帰ってこないらしい、つまりそういう事なんだろうな……)
そういえばこの世界、聖騎士なんて物があったな、元々の私は興味なかったから授業程度の知識しかないけど。
……っとそろそろ学校へ行かないと母に怒鳴られそうだ。
◆◆◆◆◆
「……ステータス」
青空の下、学校を目指し歩いている途中でそう小さく呟くけれど、何も出なかった気恥ずかしさから誤魔化す様に周りの風景を見渡す。
私の視線の先、進むべき先には馬車が通れるほどの大きな石畳の道が続き、そして人々が行き交い、そんな大通りに接する様に、煉瓦造り作りの家が広がっていた。
(まだだ、まだ諦めるな……この国の名前はイルオレーネ、うぅ、私って知識なさ過ぎ無い? なんか記憶にポッカリと穴が空いたようにこの国について全然知らないんだけど!)
きっとこれまで私自身、周りに興味が薄く、勉強の知識程度しか無かったのでこの世界の事は本当に身近なことしかわからないのだろう。
これまではそれでも良かったのだけれど、前世の記憶がある今、1つだけ特にすごく気になる事があるのだ、まず……
(そもそもこの世界は前世で云う、異世界って所なのかな……?)
と言うものである……うん、自分でも変な話だと思う、私からしたら前世側が異世界の筈なのにね。
それでも空っぽなのが影響してなのか、今世より前世の知識が上回ったせいで、物事の判断が前世基準になっているのだ。
そしてまず、そんな私の判断だとここは異世界だろう。
何故ならイルオレーネ王国なんて前世の記憶にないし、文明が中世か近世とかよく分からないがそのレベルだし、人間の髪色がやたらカラフルだし、虫とか鳥とかそう言った小さな生物の種類がそこそこ違ったりするし。
(なんか確固たる証拠になりそうなのが、髪の色ぐらいしかないなぁ……斯く言う私も青色に近い髪色だしね)
まぁ考えても仕方なさそうだが、現状整理すると私は転生輪廻と言うより、前世で云う異世界転生をしたって事だ。
(全く異世界が無いけどねっ! この光景も私にとってはもうとっくに見慣れた物だし!)
あまりの実感の無さに歩きながらガッカリとした溜息をつく。
「まだ記憶が戻ったばっかりだからじゃ?」とか、「それの何がいけないの?」とか、「文明の違いとかは?」とか、「私がこの世界の住人だからじゃ?」なんてと、色々思い浮かべる。
確かにその通りなんだけど、私が言いたいのは、なんだろう。なんと言うか有り体に言えばこの世界はつまらないのだ。
何故なら今までの私の薄い記憶を見るに、異世界要素がない、魔法やスキルやレベルがない、魔物もいない!
魔法は御伽噺などに出てくるけど、魔物的な物にいたっては影も形もない、ないない尽くしだ!
代わりに悪役として出てくるのは、悪い狼やクマみたいな生き物で、不思議生物ですらない前世でもお馴染みの生物と言う始末。
辛うじて聖書や宗教関連などで邪神となる物がいるぐらいか。
邪神だったり魔法だったりが物語に出てくるのなら、もしかしたらどこかで魔物や魔法が存在するんじゃないかもって思うけれど、前世の私が子供の時に物語の悪魔や魔法を信じていて、現実を知って打ちのめされた記憶があるので、期待はしていない。
考えがようやく纏まる、つまり私が言いたかったのは、この世界は唯の異世界であってもファンタジーではないって事だ。
(絶望レベルかもしれない、今までは良かったけど、前世の知識を知ってしまった)
前世と比べたら娯楽が無さ過ぎる世界だ、これじゃ転生なんかじゃなくてタイムスリップだ!
前世の知識を思い出す限り、タイムスリップの場合は未来の科学とやらで頑張るみたいだけれど、私の前世の知識はだいぶ偏っているようで、あまり役に立ちそうな記憶は思い浮かばなかった。
(前世の私って本当に知識が偏ってるなぁ、大半が娯楽……特に異世界転生物ばっかりだ)
その癖、中世と近世とやらの違いすら記憶に無い事に、我ながらと言うには少し違うけれど呆れてしまう。
(はぁ……)
まだ学校まで距離があるので、現実逃避を兼ねて朧気な記憶を頼りに、前世の私が一番好きだっただろう作品の記憶を思い出してみる。
(ふふふ、思い出せば、出すほど夢中になるなぁ……けどますます羨ましいし、ますますガッカリするよ)
記憶を取り戻した一日目の朝の通学路で、私は残された人生を前世の記憶を楽しむ事だけを生き甲斐にしようと決心してしまう。
まだ記憶が戻って一日目なんだし、対して調べてない癖に諦めるなと思う心はあるけれど、この世界じゃ前世の世界みたいにイノシシやクマが危険生物扱いされている事実が希望を摘む。
(まぁ確かにゴブリンやオークより、イノシシとクマのほうがよっぽど強そうだけど。……そうだ脳内で戦わせて見よう!)
――現実逃避をする様に確実に順調に前世の嗜好に染まっていくクライナ、空っぽだった少女には些か刺激が強くとても魅力的な物だったのだろう。
彼女は決してアリアの件なども忘れていなかったが、この通学路を歩いているこの瞬間は彼女の脳内は幻想で塗りつぶされていた。
(取り敢えず商人ギルドな的な物とかないのかなぁ? それならありそうだし、見てみたいなぁ)
あっ! ギルドはないけれど、そういえば……確か!
――この世界【魔物】が居ない筈なのに【冒険者】は居るらしい。