一章 幕開 美しき迷宮
――どこで間違えたのだろう……?
眼の前で起こる惨劇に少女は後悔するが、今更もう遅い。
抵抗虚しく、次の犠牲者になるであろう者が、周囲の者所か、自分を害そうとしている者にさえ、血に濡れた必死の形相で助けを求める。
「ああぁッ! 踏破までっ、あともう少しなんだッ! い、嫌だッ! 死にたくないッ! 助けてくッ……」
――グシャッ!
そんな命乞いの叫びに、目の前の怪物は少しの感情すらも表さずに、何度も何度も冒涜的に魂を引き裂く。
――嗚呼……舐めていた、魔物と呼ばれる物を舐めていた、迷宮と呼ばれる物を甘く見ていた。
(魔物と言うのはこうっ、ゴブリンやオークとかまだ可愛げのある異世界生物を想像してたのにっ……!)
此処に来てようやく少女はその楽観的な思考を青く染める、回りを見渡し、小さな剣を必死に握り締めながら。
――ジジジジジジッ!!
ソレは魔物と言うより生物、少女だけが知っている……少女だけが知っていた、この世界には居ない筈の蟲! 見渡す限りの悍ましい蟲達。
剥き出しの地面に人の頭蓋はあろう、大きな蟻達が忙しく這いずり回り、人と蟲、両方の亡骸を平等に喰らい。
大の大男程の体躯を誇る悍ましい蟷螂がその体に見合う大きな鎌を朱く染め。
小指ほどの無数の蜂が纏わりつくかの様に群がり、人へ恐ろしい爪痕を残す。
……そんな残酷な蟲達に踏破者達は混乱し、一人また一人と命を失っていく。
だが……そんな血が飛び散り、人の惨劇が支配する混沌の迷宮に、未だに諦めていない声、空気が震える様な怒号が響き渡る。
「慌てるなッ! 陣形を立て直せぇ! 本隊に合流できない者は近くの者と協力しろッ!」
その声の主は立派な装備をした、恐らく立場の高い人間。
この集団のリーダーであろうその男は、蟲達の襲撃に対し周り者よりいち早く我に返り、即座に状況を判断し適切な指示を繰り出す。
(ッ! 逃げなきゃ! 本隊の近くにッ!)
そんな男の声を聞き、少女は短剣を片手に死に物狂いで走り出す。
その身軽さで蟲を躱し、近くの物を利用し、命懸けで蟲達の包囲網を斬り抜ける。
――少女の判断は正しかった、何故なら事切れるのは孤立した者達からだ。
蟲達の襲撃から崩れず耐えているのは本隊と。本隊とは離れた位置で何とか持ち堪えている、赤髪の少年が目立つ若者達だけだった。
(本隊にもう少しで……! っ!? ま、まずいっ!)
本隊まであともう少し……しかし少女は上を見つめながら、何故か立ち止まってしまう。
「そこの餓鬼! そんなところで立ち止まるなっ。死にてぇのかっ! おいっ! 早く来やがれぇッ!」
善意からか……違う、少しでも戦力が欲しいからだろう。
本隊の一員の男が蟲と対峙しながら少女へと必死に叫ぶ。
けれどそんな男に少女は青褪めた顔を向ける。
「上です! 上なんです! 洞窟の天井にっ! あれは岩とかそんな物じゃないんですっ! 大量のカタツムリがっ!」
「はっ? か、かたつむりぃ!? 何を言ってるっ!? 天井にっ、なにか居…るの、か……?」
――本隊に向かって必死に声を上げる少女、しかしもう手遅れだった。
殆どの者が目の前の化物に必死で上を気にする余裕などないのだ。
……つまりこの場所まで追い込まれた時点で本体の壊滅はもはや当然の出来事だった。




