スラム街の家族2
6
ツバキたちの家の程近くまできて、異変が起きていることがはっきりする。数人の男の怒声と一家の悲鳴に近い声が聞こえてきた。
いったいどうしたのだろうか。たしかにスラムは柄の悪い男たちも多いが、このあたりはまだ平和なところでそういった男たちも普段はあまり近寄らない。
というのも、この王都のスラム内には二つの派閥があり、それぞれ違う方針で二人の指導者がそれぞれの領域を治めている。このあたりはその二つの派閥のうち穏健派の領域で、いかにスラムの荒くれたちといえその指導者を恐れて手を出してくることはめったにないはずだった。
とはいえ実際に何者かが一家に手を出そうとしているのは事実。俺はいちおう国のお尋ね者なので面倒ごとにはかかわりたくないけれども、被害にあおうとしているのが彼女たち一家ならば聞かなかったふりはできない。
急ぐ俺の視界にツバキの家が入ってくる。玄関の前には二人の子どもをかばうように立つツバキと、彼女に凄む三人の男がいた。
「だから、こっちだって謝られてもどうしようもねえんだよ」
「借りた本人がもう死んでるなら、身内がきっちり耳そろえて返すのが常識ってもんだ。そうだろう、ええ?」
「すみません、すみません、本当に借金のことは知らなかったんです。お金はいつか返しますから、どうか返済を待ってくださいませんか……」
「借金抱えてとんずらこいたおたくら探すのにずいぶんと時間かかってるんだよ。それに加えて返済を待ってくれたあ道理にあわねえ。いいからとっとと金出しな。それができないなら……」
先頭の男が嘗め回すようにツバキを見る。その視線の意味するところは明白だった。
「どうか、どうか……」
ツバキが半ばあきらめたような表情で繰り返しつぶやく。ただでさえ体がよくない彼女はいまにも倒れそうなほど顔色を悪くしている。
見ていられなかった。
「すみません、ちょっといいですか」
ツバキたちの間に割って入った俺に、男たちが鋭い視線を向ける。
「あん? 誰だお前」
「こっちは借金の取り立て中なんだ。関係ないやつが出しゃばってくるんじゃねえよ」
「け、ケルンさん? どうして……」
脅かすようにこちら睨みつけてくる男たちにも、戸惑いを見せるツバキたちにも構わず俺は口を開く。
「そのことなんですけれど。どうもツバキさんのなくなった旦那さんが借金を抱えていたと。そこで、それを奥さんだったツバキから取り立てようとしている」
「そうだよ。これは正式な法に則った取り立てだ。邪魔が入るいわれはこれっぽっちもないんだよ」
勝ち誇ったようにそう言って、男が俺の肩に手を置く。そのままぐっと力を込めて握ってきた。
「わかったらとっととどこかへ行け」
思い切り突き飛ばされ、後ずさってたたらを踏む。男たちの視線からはこれ以上かかわるなら暴力も辞さないという意思がうかがえる。
俺だって関係ない人のことなら、気の毒には思えど、少しでも目的に影響が出る可能性を避けて無視していたかもしれない。けれど、家族の幸せを取り戻すために知り合いの善良な家族の不幸を見過ごしているようでは、妻をよみがえらせても顔向けできない。
一歩踏み出しまた彼らの間に立った俺は、できるだけ堂々と見えるようしっかり前を見据える。正当性を主張されているのならその方面から攻める。この手の輩はたいていそのあたりをきっちりしていない。
「さきほど正式な取り立てだとか言ってましたが、その根拠を見せてほしいです」
「は?」
「取り立ての正当性を保証するものです。そこまで強気に出るくらいなら、借用書を見せてもらってもかまわないでしょう」
「……い、いまは手元になくてだな」
「なら、取りに帰って持ってきてください。それができないのなら、ツバキさんが借金の返済をする必要はないはずです」
「な……」
本当に借用書を持っていたら問題だったけれど、やはりそうではなかったのだろう。男たちは俺の言葉にたじろぎ、いっとき言葉を失う。
その隙にツバキの後ろからでてきたキイトとツバサが俺の横に並ぶ。
「父さんは借金なんかしてません! この人たちは嘘ついてます」
「お父さん、一生懸命はたらいてたもの。商売だってうまくいってて、お母さんに話さずに借金をするなんておかしい」
二人はそう言って、男たちを睨む。
「くそっ、餓鬼が大人の話にはいってくんじゃねえよ」
「おい、こうなったらもう」
「ああ、手荒なことはしたくなかったがここまでこけにされちゃあな」
男たちはなにやらお互い言葉を交わしていたかと思うと、揃って懐から短剣を取り出した。鈍く輝く刀身をこちらに突きつける。
「女はおとなしくこっちへ来い。金目のものも一つ残らず持ってこい」
「素直に言うことを聞くなら、この餓鬼とうぜえ男には手を出さないでいてやるよ」
刃物まで出してくるとはあてが外れた。俺は少し焦りながら急いで横に並ぶ子どもたちを後ろに追いやる。
「ここでそんな真似してただですむと思いますか。タタラさんはあなたたちのことをけして許さないですよ」
気休めにはなるかと穏健派の長の名を出す。ここまで彼らが手を出してこなかったのは、多少なりともタタラを気にしていたからだろう。争いなく手を引いてくれるならそれに越したことはない。
もしこれでも退いてくれないのなら、その時は――
俺は素材集めに危険なダンジョンへ潜る際のように、いつでも攻撃に対応できる態勢へと移行した。全身の回路にマナを通せるよう準備する。
「け、ケルンさん。いいんです、止めてください。関係のないあなたにまで迷惑はかけられません! 薬師のあなたが無理をしたら、きっと取り返しのつかないことに!」
ここまできてしまえばこうするよりほかにない。俺はツバキに大丈夫という意思を込めて一瞬視線を向ける。一触即発の空気に、キイトとツバサも固唾を飲む。
俺と男たち、どちらかが先に動けば、その瞬間この場に暴力が飛び交うことになる。
そんな緊張感の中、先に動いたのは――
――視界の端に、銀色が躍った。
「おとうさん!」
張り詰めた場に、闖入者がひとり。