スラム街の家族
5
俺はあの後、アルセリアの質問攻めをなんとかさばききったあと、おとなしく留守番しているよう言い聞かせて家を出た。ホムンクルスの作成を始めたのが深夜で、いろいろと落ち着いたらすでに朝になっていたのだ。
一晩一緒にいていい子なのはわかったけれど、これから彼女をどうするべきか。もともと彼女を作ったのは実験の確認段階的な意味合いが強く、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
しかしこうなってしまったからには、作るだけ作って放置はできないし、したくない。俺が世話を見ることになるだろう。
とりあえずこれからのことはまた考えるとして、今日は外に用事があったので急いで片付けることにした。
そしてその用事というのが、いま行っているこれだ。
「どうも、ケルンさん。これ代金」
俺の前には、ぼろ屋の入り口を背に、硬貨を握った手を差し出す男がいる。
頭の中でアルセリアのことを考えながら、うなずいて硬貨を受け取った。俺はぼろ屋を後にし、一帯に立ち並ぶ似たようなぼろ屋の間を進む。そして次のぼろ屋の崩れそうな扉の前に立つと、軽くノックして訪問を告げる。
俺は自らも居を構えるスラム街で、錬金術を用いて作成した薬を売り歩き金銭を得ていた。事前に注文を受けた者に、定期的に薬を売りにいくのである。
目的を成し遂げるためにも、最低限生きていくためのものを揃えるためにも、金は必要である。ただこの王都で教会から賞金をかけられている俺は、表の世界で金を稼ぎづらい。
そこで、国の目につきにくいこのスラムを拠点に、自前の技術でスラムの住人を相手にして商売をすることにしたのだ。
もちろん正規の店で買うよりも割安で提供している。ただ慈善事業でやっているわけではないから、ここの住人達にすればなかなか手が出しづらい価格なのは間違いない。
それでも、劣悪な環境に身を置くスラムの者たちは体を病んだり怪我をしたりすることが多く、命を失うくらいならと俺から少しでも安く薬を手に入れようとする者がそれなりにいる。
だからこそ成り立つ商売である。
俺はまた薬と硬貨を交換して、次の家へと向かう。家に残してきたアルセリアが気がかりなので、できるだけ早く帰りたい。
俺は今まで訪れた家の中でもひときわ年月を経た家屋を前に、軽く握ったこぶしを木の扉へと近づける。数回叩いたところで、すぐさま中から人が出てくる。十歳かそこらであろう少年と少女である。
二人は息をそろえて口を開く。
「こんにちは、ケルンさん」
「ああ、こんにちは。薬を持ってきたよ」
「はい、ありがとうございます」
この歳にしては大人びた態度の子どもだ。スラムに住む子どもたちは、みな毎日を生きるために自ら行動している者も多く、街の子どもより精神的な成長が早い。
アルセリアとはだいぶ違うなと思いながら、少年――キイトから代金を受け取る。この間に薬を持った少女――ツバサは家の中に戻り、誰かと言葉を交わしている。
この二人には母親がいるのだが、病気がちで床に臥せっていることが多く、彼女のために薬が必要なのだ。今頃母親に薬を飲ませているのだろう。
ほかの客とは違い、ここの家族とはある程度の世間話くらいはする仲なので、これくらいの情報は知っていた。
俺が家の中に意識を向けていることに気づいたらしいキイトが、軽く頭を下げた。
「ケルンさんがここへ来てから、母さんの調子もよくて本当に助かってます。またよろしくお願いします」
本当に礼儀正しい少年である。たしか父親が病死して、食い扶持を稼ぐものがいなくなったことが原因でこのスラムへとやってきたらしいが、病気の母親を抱えてキイトとツバサよくやっていると思う。
多少薬の値段を割引いてあげようと思うくらいには。
家の奥から、二人分の明るい声が聞こえてくる。母親の調子がよさそうでなによりだ。
「母さん、また昔みたいに動けるようになる日も近そうだって言ってます。その時は、ケルンさんに得意の手料理をふるまうって意気込んでますから」
キイトが嬉しそうに言った。それとほとんど同時に、キイトのうしろから人影が現れる。
「ケルンさん、今日もありがとうございます」
「ああ、ツバキさん。礼には及びませんよ。きちんとお金は受け取ってますからね。それより、体調は大丈夫なんですか」
「ええ。ケルンさんのお薬のおかげです」
柔らかく微笑むツバキは、たしかに以前より顔色がいいように思う。初めに会ったときは幽霊のように青白い顔で、まだ三十になる手前だというのに、いつ倒れてもおかしくないような様子だった。
順調に快方へ向かっているようで安心だ。
そんなことを考えていると、ツバキが少し不思議そうに首をかしげる。
「私が言うのもなんですけれど、ケルンさん、今日はずいぶんと顔色がいいんですね。隈もとれてますし」
俺と似たようなことを考えていたらしく、思わず苦笑する。同時に、人から見て明らかに変化がわかるほどのアルセリアの力に今一度感心した。
以前のツバキのように重篤な病人がいればは、今後は俺の薬を売るのでなく、アルセリアに治してもらうのもいいかもしれない。もっとも、あの魔法が病まで癒すような高度なものかはまだわからないけれど。
「……今日は、いつもより少し多めに睡眠をとりましたから。きっとそのおかげですね」
適当にごまかした俺は、それから少し彼女たち家族と言葉を交わし、また別の用事があるからと家をあとにする。最後の家で思ったより時間を使ってしまった。
足を動かしながら、俺は少し物思いにふける。
久しぶりに暖かい家族のやり取りを目にした。彼らはこの過酷なスラムにおいてもお互いを思いやり、強く生き抜いている。うらやましい関係だった。
家族の絆を見て、妻に会いたい気持ちが一層強くなる。早く前に進まなくては。
ただ直近の問題は、作り上げたホムンクルスがよくわからない存在だったということだ……。
俺は頭を悩ませる。理論に穴があったのか、あるいは素材の選択を間違えたか。そもそもアルセリアの魂はどこからやってきたのか。
そうして深く思考をめぐらす俺は、突然耳に飛び込んできた怒声と悲鳴で思考を中断させられた。
声が聞こえたのは先ほどまで俺がいたところ、ツバキたちの家の方向からだった。
いやな予感がした俺はくるりと踵を返し、もといた場所へ足早に向かった。