13という彼女
数学の授業中に考えていたことを思い出して書きました。気軽に読んでください(=´ー`)ノ
「私ね、素数が好きなんだ」
「そすう?」
「そう、素数」
若干8歳にしてこんなことを言っていたのだから、きっと彼女は天才だったのだと思う。そのとき学校ではまだ割り算を習い始めた程度だったので、僕は「素数」という漢字を想像できないでいた。
「中でもね、13が好き」
「ちょっと待って」
意気揚々と語り出す彼女を制止し、まずは素数について僕は説明させた。
「素数ってのは、1とその数自身でしか割れない数のことを言うんだよ」
一体どこでそんな知識を得てきたのか、鼻を高くして話す彼女は、どこか背伸びをする女の子のようで可愛らしい。
「じゃあ1は? 1も素数?」
「え……、そ、そうだよ。あれ、いや、どうなんだろう? たぶんそう!」
「へぇ、そうなんだ」
結論から言えば、1は素数ではない。それを僕が知ったのは中学校に上がってからだった。
「じゃあ0は? 0もそうじゃない?」
僕は先程の算数の授業で、先生が言っていたことを思い出す。0を割ることはできるが、0で何かを割ることはできないと、そう言っていた。そのときは彼女を除いてほとんどの児童が何を言っているのかさっぱり分かっていなかった。もちろんその中に僕も含まれるが、ふとここでそれを思い出した。
「え……、そ、そうなんじゃないかな?」
背伸びしていた彼女は足先が痺れてきたのか、語勢が無くなり徐々にしぼんでいく。
「君は細かいこと気にしすぎ! とにかく私は素数が好きなの!」
僕がまた新たな疑問をぶつけようとすると、彼女が慌ててそれを遮った。
「なんでそんなに素数が好きなの?」
その言葉に彼女は「待ってました!」とでも言いたげに再び胸を張り出す。
「ふふーん、だって1と自分自身でしか割れないって、ロマンチックじゃない?」
「は?」
心で思うよりも早く疑問符が口に出てしまった。
「自分自身と1だけが知っていることがあるみたいで、なんかすごい素敵」
「素敵な数だから素数なのかもね」なんて笑う彼女。僕は彼女の感性が理解できなかったし、たぶんこの先彼女を理解できるような気はしなかった。
ただ、心のどこかで僕は、彼女を理解しようとする努力をやめられないでいた。
「私が13なら、君は1だね」
分かり得ない彼女を、いったんは頭の端に追いやって僕は応える。
「どうせなら、僕は君より大きい数が良い」
「そんなの、君に似合いっこないよ」
僕より少し背の高い彼女が、ぽんぽんと馬鹿にするようにして僕の頭を撫でる。背が低いことを散々色々な友人にからかわれてきた僕は、ムスッとして彼女の手を振り払った。
「でも1ってすごいんだよ」
そんな言葉を僕に投げかける。
彼女は取り繕っているのか、はたまた自分勝手に話を進めているだけなのか、僕には分からない。
「どんな数でも1で割り切れるんだよ?」
「そのすごさは僕には分からない」
「どんな数とでも仲良しってこと」
指を1つ立てて話す少女。いつも明るい彼女が、何故か少しだけ寂しげに見えた。
「1はどんな数とでも分かり合える。1って何の特徴もない平凡な数だけど、けれどすごく……、大切な数」
「それは僕を特徴がないって馬鹿にしてるの?」
「あはは、そんなんじゃないよ」
軽く笑い飛ばす彼女だったが、その行動が余計に僕を馬鹿にしているようにしか見えない。
「13にとって、1っていうのはかけがえのないただ1つの自分を分かち合える数。だけど1は他の数とも分かち合っている。13にとって1は文字通りたった1つの存在だけど、1にとって13は、無限にある数のうちの1つなんだよ」
「……よく分からない」
こんなことを8歳に言っても理解できないだろう。実際に僕は頭がパンクしそうになり、彼女の言葉の最初の方で既に意識は彼女に向いていなかった。
だが、この訳の分からない言葉を喋っているのも同様に8歳の少女なのだ。やはり彼女は天才だったのだろう。
「素数って、すごく素敵で、悲しい数だねってこと」
儚く笑った彼女が、僕はずっと近くにいると、そう思っていた。また明日も訳分からない話をされて、家も近いからきっと中学校も一緒だ。これからずっと、こんな異次元な話を聞いて、いちいち頭を疲れさせなければならないのだろう。
そう思っていた。
「いつもありがとうね、睦君」
スーツ姿の僕を迎え入れてくれたのは、もうすぐ定年退職を迎える歳の割には随分と若々しく見える女性だった。
「これ、良かったら食べてください」
「あら、ありがとう。これ美味しいってパパも嬉しそうに食べてたのよ」
「おじさん、元気にしてますか?」
「もうそりゃあピンピンしてるよ。今も庭掃除やってるから、そろそろ休憩がてらお茶飲みにでも来ると思うよ。睦君も、どうぞ上がって」
「お邪魔します」
僕は「先にリビングに行ってて」というおばさんの言葉通り、この家のリビングに向かう。白を基調とした清潔感のある壁紙や家具は、相変わらず十数年前と同じだったが、ところどころ傷ついていたり塗装が剥がれていたりして、物寂しさを覚える。
「お、睦君来てたのか」
「お邪魔してます、おじさん」
リビングの大窓から上がってきたポロシャツにジーンズ姿の中年男性と挨拶を交わす。白髪が前よりも増えた気がするが、それは口に出さず心の中に留めて置いた。
「あらパパ、泥だらけで失礼じゃない。早く着替えてきて」
「はは、いいじゃないか。睦君なんて家族みたいなもんだろう?」
「そうだけど……」と言葉を詰まらせるおばさんに、「僕のことは気にしなくて大丈夫ですよ」とだけ伝える。
「今年で20歳になるのか、時が経つのは早いもんだな。がはは」
「あはは」
どう返していいか分からず愛想笑いをする僕。
「パパもそんなじじくさいこと言うようになったなんて、歳取ったわねぇ」
おばさんが横やりを入れてくれたことで、僕の感じた気まずさは少し薄れた。
「これ、睦君が持ってきてくれたのよ」
「おお、これ美味いんだよ」
彼女は深皿の上に僕が渡した海老風味の煎餅を持ってきてくれた。「睦君も食べて」と、遠慮していた僕の手にそれを1つ握らせる。
「そうだそうだ、楓にもあげないとな。怒ったら怖いからあいつ」
おじさんが微笑しながら煎餅を1枚つまむ。そしてそれを僕に手渡し、
「睦君が持ってってくれた方が、あいつも喜ぶだろう」
そうにこやかに笑ってくれた。僕は昔と少しも変わらずこみ上げてくるものを押さえながら、それを受け取る。自分よりもずっと苦しい思いをしてきた人たちの前で、それを漏らすわけにはいかない。
「…………」
正座をすると、膝裏が汗ばんでいるのが余計に分かった。少し部屋の暖房が効きすぎているような気がした。
僕はロウソクに火を灯し、線香を1本丸筒から抜き取る。備えられている鐘を1つ鳴らした。この音を聞くと、否が応でも実感せしめる事柄がある。それを僕は未だに受け止めきれていない。
両手を合わせ、僕は静かに念じた。
……久しぶり、楓。
目を開け、仏壇に供えられている写真を眺める。12年前の彼女。イラズラ好きで、明るく活発だった少女。人と少し違った、天才的だった彼女。交通事故でぱっと消えていなくなってしまった彼女。
そんな12年前の彼女の姿が、そこに写っている。そのときを思い出すときの僕の姿も必ず、12年前の姿だった。
きっと僕の時計は、あのときで止まっている。
僕は煎餅を仏壇に供え、彼女の両親のもとへと帰る。
「娘もきっと喜んでるわ」
おばさんが優しく僕の肩を叩いた。
「そうだといいです」
僕はそう返すだけで、精一杯だった。
僕は新幹線に乗り込んだ。発車のベルと共にドアが閉まる。自由席は満席だったため、僕は1時間半近くデッキに立ち続けることになるだろう。そのことを億劫に思いながら、僕はデッキのダークグレーの壁に寄りかかった。
そして、ふと目の前の広告に目を奪われる。
〈13人に1人は、性的マイノリティの問題を抱えています〉
大きな見出しの後に、性的マイノリティの人たちについての話がつらつらと書き連ねられていた。
そう言えば今日は、彼女の13回忌だ。
連想ゲームのようにそれを思い出す。
いつしか僕は、学校で、街で、色々な場所で13という数字を見るたびに、彼女を思い起こすようになっていた。というよりむしろ、13という数そのものを、積極的に探していたのかもしれない。その習慣は、成人した今でもずっと続いている。
車内が揺れた。その拍子に僕は窓に頭を打ち付ける。僕は頭をさすりながら、ぶつけた窓に目を遣ると、少し白く曇っているのが分かった。
僕はそっと息を吐き、白く曇った窓ガラスに数字を書き込む。
「……ふふ」
思わず笑ってしまった。子供みたいな遊びだけれど、だからこそ僕は、何だかすごく楽しかった。
僕はたぶんあのときからずっと、13を好きになっていたのだろう。
最後まで読んでくださりありがとうございます! 今後の活動に役立てたいので、よかったら感想なり批評なりをいただけると幸いですm(._.)m