山の奥のどらと人のコ。
この作品は牧田紗矢乃さま主催の【第3回・文章×絵企画】の参加作品です。
愛 飢え男さま(http://15398.mitemin.net/)のイラストに文章をつけせていただきました。
ジャンル:指定なし
必須要素:指定なし
山深い場所にその村はある。麓よりも天が近い場所、何かと不便だが不思議がまだ人間の傍らに在り、人間は数名で共存の道を選び、畑を耕しては狩りをして助け合い、身を寄せあって暮らしている。
山で獲れる人形がその村の特産品だ。全長は万歳した状態で人間の膝くらいの大きさで、木に実る。木の為にもぐ時に関節をひねりながらもぐと良い。頬がほんのり赤く染まれば収穫の時期だ。人形の髪で編む『人形織』は特に、星空を織り込んだような、天鵞絨にも似た美しさがあって人気だ。
その村がある地方の諺に『竜が墜ちるほど』と美しさを比喩する言葉がある。夜、竜を狩る際に人形織を山と山の間に張る。すると汚れた現実の空より、美しい煌めく星空に似た人形織に惹かれて飛び込んだ竜が墜ち、それを狩った故事に由来するそうだ。
より美しいものに身を滅ぼされる。
なんて愚かな竜。
可哀想な美味しい竜。
クロはその可哀想な竜を伝統的に狩る村の野蛮な住民だ。
歳や性別はきっとこれから生きていく上で必要ない情報だから、割愛しよう。
その日もクロは竜を狩りに村の男達、数人と山に入った。が、どういうわけかしくしくと泣く声がする。人形ではない、幼い子供の鳴き声だ。人形の鳴き声ならばキキギィ、キキギィとどちらかといえば機械が軋む音がするのだ。山ではぐれたらどんな種族の子供でもただの餌だ。『万物の米』と化す(食物連鎖のピラミッドの底辺の意)。
家畜と野生の違いが悪意となって、他者の命を求める。恐ろしいが自然の摂理だ。
泣いてる。
まだ、しくしくと。
……あ、れ?
どうにも気になる。そんなこんなで周囲をちらちら見渡していたのが悪かった。そうこうするうちにクロまで仲間と距離が出来、大丈夫だと油断していたら完全にはぐれてしまった。茸採りが胞子を吸うとはこの事か。
好奇心か、正義か。ええいとクロは声のする方へ行くことにした。竜狩りに出た村の男達もあれだけ人数がいれば大丈夫だろう。クロは顎の髭を撫でながら、僅かに村の方角を見る。今から戻ってもまた竜狩りから逃げたとどやされる。それも面倒だ。
それにしたって、妖しい獣だとしても泣く児を演じるのも性格が悪い。しかし、泣く児を放っておく大の大人もいただけない。クロの両親は揃って(両親二人とも)、自分をここまで育ててくれた。その二人に顔向けできないことはしたくない。それにクロはそこそこ逃げ足が早く、危機察知は村の誰より広範囲で行動できる自信があった。なかったら死んでいるわけだから、当たり前だが。
バサササッ。
竜だ。
竜が高い上空で浮遊している。
美味しそうだ。
ああ、お腹すいた。
クロは懐から人形飴(人形を搾って煮て固形状にしたもの)を口へ放り込んだ。甘酸っぱい酸味が広がり、空腹を紛らしてくれる。モゴモゴと頬裏で遊ばせ、クロは奥へ奥へ進んでいった。
草や枝をかき分けたり、でこぼこした獣道を歩く。長閑な表情をした山は言うなれば天国。得意の山神を讃える歌でも歌おうか。クロが調子に乗り始めた頃合い、山中に少し開けたところ(原初の神様が降り立ったとされている)が垣間見えた辺りでクロは足を止めた。止めざるをえなかった。崖があるからではない。
いたのだ。
あ――。
寸でのところで声を飲む。
いた。泣いている子供らしき影。
ボブの柔らかそうな髪をふりふりと揺らし、起毛が細かすぎて視界でぼやける程の羽が泣き声に合わせて、震えている。
有翼種だ。
有翼種は獰猛な性格が多く、鋭い爪と牙を持ち、何より雑食だ。歌声は美しいが、クロの種族とは捕食者と餌の関係性にある。
クロ達は幾つかの武器と毒が使えるだけ。空を羽ばたく彼らに比べたら、石の裏にひっそりと張り付く虫達のように生きている。翼も爪も牙もない、か弱い餌なのだ。
あんなに華奢でふわふわの羽を持ったあのこも、いつか大人になる。そして、そうなった有翼種の餌になる……かもしれない。
まだ幼い泣いているあの子。成長すれば、万物の米から神のフォーク(食物連鎖の上位)へ変貌する。
今はまだ、クロの方が強い。今は。
周りに他の有翼種はいない。
狩るなら今だ。
今。狩らなければ、ならない。
……本当にそれはしないといけない?
ここでクロの悪いクセが出た。したくないことに直面すると、すぐに言い訳を探して自分を納得させようとするのだ。クロの中の天使と悪魔が囁いては消えていく。藪で身を潜め、様子が伺える場所で悩む。
殺さなければならない?
何故?
誰の為に?
(私が安全である為に)
(私が長く生きる為に)
(私を村で少し誉れる為に)
いつか殺されるから、今殺す。
いつか成長して殺される。それが自分ならまだ良い。子や妻や、両親に友人だったら。見ず知らずの人間が大事な人を殺された時、クロが逃がしたと知ってしまったら。仮定の話。憎悪の予定。予定は未定。
『かもしれない』で、命を奪う。未定の予定だから、あのこを殺す?
クロは嫌だなと思った。そして、いくら種族が違っても……『かもしれないから』で殺したくなかった。クロ自身の子と同じくらいの歳だ。愛らしい子供を殺したくない。『どうして俺の子供を殺した?』『私を殺すかもしれないから』なんて、狂ってる。襲って来たら、殺せば良い。襲われても逃げれるように、育てるから。
――くう くう
有翼種の子供はまだ泣いている。はたはたと翼も動いていて、主体(人間と変わらぬ部分のこと)に怪我はないようだが。はぐれて心細いのか、動かずにひたすらにはらはらと涙を地へ沈めている。
クロは巡らせた結果、子に向かって飴を投げた。お腹が減ったら悲しくなる、でも甘いものを食べたら幸せになる。クロは母親にそう習った。知らない種族から施しを受けるな、とも習ったが……まあ、今は置いておこう。クロの好物の人形飴を投げてみた。
勿論、攻撃と見られるかもしれない。逃げられるかも。襲われるかも。クロはしっかり逃げる準備をした。
こん……ころんっ。
飴が転がる。
有翼種はビクッと震え、投げられた飴を見ている。
が、見ているだけだ。警戒の色が濃い。
……駄目か。
そう思った瞬間、世界が僅かに色褪せた。
否、影だ。
竜の影に入っている。
空の覇者。
竜の、影に。
竜が地上に、こんな近くにいる。
距離感を理解した途端に、クロは歯が合わなくなった。がちちっと悲鳴をあげる。クロは竜を食べる民族ではあるが、竜はなんの準備もなく、一人で勝てる相手ではない。
そんな相手が藪を隔てて、降り立ってくる。死がちらつく。クロは二人の生き餌だ。
竜が有翼種の隣まで移動していく。微かに揺れる大地が竜の重量を想像させる。竜は目が良い。今、餌であるクロがひっそりと逃げても気付かれる。クロの危機察知は空には適応してなかったらしい。クロの思考が徐々に冷静さを欠き、止まっていく。
死。死亡。死ぬ。それしか考えられなくなり、どっと冷や汗が吹き出る。今、出来ること。それはクロにとって気配を殺し、存在を消すこと。でないと永遠に消される。死にたくない。帰りたい。
『我が君』
頭に響く、これは何だ。
『我が君は小さき故、見失いまして候う。お迎えが遅れまして』
有翼種の子供は竜の背に乗り、くう! くう! と甲高い声で背の鱗を叩いている。
背に?
種族が、違うのに。
なんだ。何をしているんだ?
見てはいけないものを見た。瞬間、クロは石像のように息を止めた。瞬きも。気配を殺し、まだ待つ。生きていたい。死にたくない。あとちょっと。いなくなるまで。下半身がなま暖かい。
あとちょっと。
こっちを見た。
どらごんと
めが
あった
無機質な、その相貌。
みている
『我が君への恩義、感謝する』
竜がひょいと投げた人形飴を食べた。
次は俺だ。クロは本能で思った。
竜がどんな意味で、自分に言っているかクロは判別できなかった。ただただ固まり、動けないクロ。ふんっと鼻をならすと竜は目を有翼種へ向け、羽を広げた。クロに対しての興味を刹那でなくした二匹は空へゆっくりと飛び行く。
いった。
い き て る。
クロは二匹が空へ見えなくなってから、もう大丈夫だと意識が身体へ戻れると、へなへなと座り込むことが出来た。座り込んで初めてクロは身体が、溶けた砂糖にくっついてまた戻ったくらい固まっていたと思っていたが。
時計の振り子より震えていた。濡れた下半身が気持ち悪い。村に帰ったら笑われるか。
笑われても良いや。生きてる。美味しそうだなんて思ったからバチが当たったんだ。
有翼種のあの子。地上に見切りをつけて、空と飛んでいく姿。いつかは空を統べる人間。
空を仰いだ。
もう二度と会えない。
今はただ己の小ささを抱きしめ、生への感謝だけがクロの中にあった。