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「ほな、松永くん。調査報告を」


 SSIの部室に部長の凜とした声が響き渡る。

 高原さんはその茶番めいた発言がおかしかったのか、くすくすと笑っている。


「はい。あれから色々と調べて回りましたが、梅田周辺、主に泉の広場を中心として、あの辺りには奇妙な噂が色々と蔓延していることが発覚しました。そうですね、例えば、はぎや整形のCM、ホテル関西の幽霊、扇町公園のプールに出る兵隊の霊などがそうです」


「って、なんで真っ先に出てくるのがはぎや整形のCMやねん。ネットで見たことあるけど、うちはあれの何が怖いかわからんな。普通のCMやん」


「あの、いきなりで申し訳ないんだけど……はぎや整形のCMって、何?」


 高原さんがおそるおそる挙手する。本筋にあまり関係のない話だから出来れば割愛したかった。手元にあるノートパソコンで検索すれば一発だよ、と言いたい所だったが、そういうわけにもいかないだろう。


「はぎや整形とは泉の広場をあがった所にあった整形外科医院のことだよ。そのCMが怖いということで、一時期ネットで話題になったことがある」


「それってもしかして……見たら呪われる、とか?」


 自己責任系の怪談が苦手な彼女にとっては死活問題なのだろう。好奇心は猫を殺す。彼女の怖いけど見てみたい、という思いがひしひしと伝わってくるようだ。


「ううん、そういうのは一切ないよ。ただなんとなく不気味なCMってだけ。実はそれ以上でもそれ以下でもない。あ、今検索して見てもらってもいいよ」


 百聞は一見にしかずだ。ようやく、言いたいことを言えた気がした。

 彼女は言った通りにグーグルの検索窓に「はぎや整形」と入れるとエンターキーを押した。「CM」のキーワードはもはや必要ないだろう。

 プレゼンを中断し、画面を見ていると、海岸をバックに「はぎや整形」というエコーのかかったボイスが流れた。ちなみにこのロケに使われた海岸はグアムらしい。


「へぇ~、結構いくつかバージョンがあるんだね。市外局番が十桁になったやつもある」


「うん、CM自体は結構古くからあったみたいなんだけど、一九九九年以降、大阪の06局番における市外局番変更に伴って、電話番号を変更したものも製作されていたらしい。二〇〇〇年以降もちょくちょくCMは放送されていたみたいだよ」


「んで、どうや? 怖いか?」


「いや、何が怖いのかわかんないです」


「せやろ?」


 まあ実際僕自身も怖いかどうかと聞かれたら答えに詰まるのも事実だ。不気味だという前情報があってこそ、それに協調する可能性はなきにしもあらずだが。これもひとつの思い込みだ。


「このCMが怖いと言われる所以については、同じ関西テレビで放映されていたレイプ事件で摘発をくらった日美整形のCMもあったりするから、泉の広場という舞台も相まって、怖いというイメージが出来上がってしまったのかもしれないね」


 脱線しかけた話題を方向転換しようと、話を終わらせにかかった。


「これから志信の着信音は全部はぎや整形の声にしたろかな」


「いや、拾わなくていいですから」


 冷たくあしらったせいか、部長がツンと唇を尖らせてわざと拗ねた表情をする。可愛いけど可愛くない。


「で、高原さん次に行っても大丈夫かな?」


「うん、大丈夫だよ。ええと、次はホテル関西の幽霊だっけ?」


「え?」


 えっと、例にあげた噂を順番に解説していくという意味じゃないんだけど。

 目を爛々とさせて、ホテル関西の話を鶴首している高原さん。


「わかったよ、仕方ないな」


 そんな僕たちのやりとりを見て部長がニヤニヤとしている。こんな時だけ空気を読むのはやめてほしい。


「ホテル関西とは兎我野町にある格安ビジネスホテルのことなんだけど、三○八号室に幽霊が出るためにお札が貼られているというありがちな噂が流布している。元々、建物や内装が古かったため、雰囲気的にもそのような噂が流れるのは仕方がなかったんだけど、現在では改装が施されていて、小綺麗なホテルに生まれ変わっている」


 NTTとビジネスホテル関西に挟まれた通りには「手前の辻右」と書かれた怪しいネオンの看板が当時の名残をいまだに残している。


「ちなみに、隣にあるNTTも墓地跡に建てられて幽霊が出るという噂がある。さらに近所の太融寺も、縁結びの寺として風俗嬢などから慕われている寺院なんだけど、ここも千日前プランタンデパートの火災の際に被害者の死体を安置したという噂があるんだ」


「それを聞いて思ったのは、噂がたつ原因としてはホテルの名前も問題やろな。関西のホテルで幽霊が出た、という話が、ホテル関西で幽霊が出た、と歪曲して伝わってもおかしくない名前や。ま、名前つけたやつが悪いっちゃ悪いけど、関西のホテルの幽霊話を一身に受けるかわいそうなホテルであることには違いないな」


「まあ概ねそういうことですね。ちなみにホテル関西、NTT、太融寺、これらがある兎我野町なんですが、そもそもこの町名自体が曰くつきで語られることが多くて〝兎我野〟という字は元々〝咎野〟と書いて刑場であったという噂があるんです。しかし実際はこの兎我野という地名、古くは『古事記』『日本書紀』からその記述がありまして、刑場よりも先だって名前がつけられていることから、この地名に関する噂はデマであると考えていいでしょう」


 僕が話している途中、高原さんはずっと目を爛々とさせて相づちを打っていた。


「で、えっと、次は扇町公園の話だっけ?」


「そうだね。これはさっきの話にも繋がるんだけど、扇町公園の位置には徳川秀忠の時代、実際に刑場があったんだ。それ以降も刑場跡地には堀川監獄が建てられたりもして、比較的近代までは曰くつきの土地柄だった。歴史的な事実として残ってしまってる以上、そういう噂が立つのは避けることができない。元千日前プランタンデパートでもある現ビックカメラや、池袋サンシャインなんかがいい例だね。あ、高原さん、扇町公園の地図を出してくれるかな?」


「あ、うん、わかった」


 「はぎや整形」のキーワードを消し、検索窓にカタカタと「扇町公園」と入力すると、地図の文字をクリックした。扇町公園の地図が表示される。


「これを見てもらってもわかるように、堺筋と阪神高速守口線が本来なら真っ直ぐ扇町公園を抜けていくはずなのに、公園を避けるように曲がってるよね。天満へと抜ける地下道もこれと同じだ」


「ほんとだ。何これ、気持ち悪い……」


「これは噂に過ぎないけれど、空襲の際に防空壕でなくなった人たちが今も公園の地下に眠っているからだと言われている。プールに出る兵隊の霊というのも、きっとこの件に起因しているんじゃないかな。とは言っても、そのプール自体も今では別の場所に移転して、今は別の屋内プールと関西テレビの社屋に変わったんだけどね」


「また、関西テレビ……」


 そこに意味を見出すように高原さんが呟いた。


「というわけでこれらの噂、もちろんそれぞれに原因と考えられる要素はあるんですけど、この地域に集中する理由にはなっていないんです。それを突き詰めていった結果が……これです」


 僕は一度そこで言葉を切ると、プロジェクターに泉の広場近辺の地図を映しだした。


「ファミレスでの議論でも記憶に新しいですが、この北北西に伸び、不自然に途中で切れた通路。部長がヒントを与えてくれたように、この場所を含む泉の広場こそ、赤い服の女の幽霊を含め、それらの噂の根本的原因にあたる場所と言えるでしょう」


「ほう」


 部長がふんぞり返って相づちを打った。


「太融寺にある白龍大社の祠と、野崎町にある龍王大神の祠はご存知でしょうか?」


「龍王大神ってライフの前にある祠やろ? よくある巳さん伝説の残ってる祠やな。中崎西の白龍大神も、谷町七丁目の楠木大神にも全く同じ話が伝わっとる」


 巳さん伝説の巳とは十二支でいう所の蛇をさす。いわゆる古木に白蛇が棲んでいて、区画整理によって木を切り倒そうとすると祟りで死者が出たという類いの言い伝えのことだ。

 それらの祠は不自然に道路の真ん中にあったりすることが多いので、事実が先にあって噂が立ってしまうことが原因だろう。


「そうです。これらは元々太融寺の境内にあり、それが区画整理により分断されてしまいました。二匹の蛇は番であり、東の龍王大神が雄、現在も太融寺境内に残る西の白龍大社が雌の白蛇として、これらは縁結びの神様としても知られていました。本来ならば、この二匹は常に逢引が出来る状態にしておくべきでした。ですが、片方の龍王大神は境内からは離され、今ではそれも叶わなくなってしまいました」


「で、それが泉の広場となんの関係があるんや?」


 部長がほくそ笑む。僕は自分が真実に近づいてることを確信した。


「藤原秀郷の百足退治をはじめとして、蛇は龍神の使いとして描かれます」


 百足退治とは、藤原秀郷が瀬田川の唐橋を渡っている途中、龍神の使いである大蛇から百足退治を頼まれ、矢に唾をつけて百足を退治する話として有名な伝説のことだ。この時、百足退治のお礼として龍神から送られたといわれる「蜈蚣切丸むかできりまる」と呼ばれる太刀が伊勢神宮に奉納されている。

 僕は言葉を続けた。


「泉の広場の北北西に伸びる不自然な行き止まり、ここがもし現在の方向からさらに伸ばす予定があったとしたら、どうして途中でやめたりしたのでしょうか? それこそ、地盤が弱い、戦前の死体がたくさん出てきた、地層が固かった、これにも噂は色々ありました。蛇と龍の関係、太融寺の一件は小さな蛇二匹の問題で済まされていますが、もしこの地域に彼らのボス、つまりもっと大きな蛇、あるいは龍神が関わっているとしたら?」


「龍神……」


 再確認するように高原さんがぼそりと呟く。


「巳さん伝説を原因として道路の真ん中に残る不自然な祠。泉の広場の不自然に行き止まりになった通路。蛇と龍の違いはあれど、このふたつは根本的に同じシステムによって成り立っているんだ」


「つまり、道路の真ん中に残っている祠は、木を切り倒そうとして死人が出たからやめた。それと同じで、この泉の広場の不自然な行き止まりも、工事を行ったことによって何か事件が起こったからここでやめざるを得なかったってこと?」


 高原さんの要約が僕を後押しする。


「うん、その通りだね」


「でも、泉の広場は実際に行って調べたわけだけど、近くに龍を祀った祠や神社はなかったよね? どこか別の所にあるってこと?」


「違うよ。あの泉の広場そのものが、龍の体の一部にあたるんだ」


「え、どういうこと?」


「それはね、龍脈なんだよ」


「龍脈……?」


「龍脈か。確かに、この辺りは豊中の方から南は岸和田にかけて上町断層いうのが通っとるな。オカルティストの間ではそれが龍脈やと言われとる」


「でもそれって、オカルト……なんだよね?」


 高原さんも訝しげに言葉を選びながら僕に質問する。


「ああ、オカルトだよ。でも人間が元来それを信仰の対象としてきたことは周知の事実だ。これをオカルトだと切り捨てるのは構わない。だけど、それを信じた人間の行動が元はオカルトであるからと切り捨てるわけにはいかない。巳さん伝説においては、祟りで変死したというオカルトな論旨であるにも関わらず、実際に木は残したままで区画整理がなされたことを考えてみるんだ」


「それもそうだよね。龍脈を傷つけようとしたことと、白蛇の木を切り倒そうとしたことの相関関係は理解したよ。じゃあ、泉の広場の龍脈を傷つけたことで起こった事件っていうのは何なの?」


「そのこともちゃんと裏付けが取れている。龍脈だとわかっていながら工事をはじめたものの、関係者がこれ以上踏み込んではいけないっていう事件が、実際に起きているんだ。高原さんは、この泉の広場が出来たのはいつのことか知ってる?」


「うーん……昔?」


 逡巡するものの、答えは出なかったようだ。


「まあ、昔と言えば昔だ。正確には、泉の広場が出来たのは一九七〇年。この年、この近辺で大事件が起こったんだ」


「大事件……?」


 高原さんは、自分が生まれる前でありながら、そんなことあったっけ? と記憶を遡るような表情で独りごちる。


「それはね、天神橋筋六丁目のガス爆発事故なんだよ」


 一九七〇年四月八日、都市ガスが噴出し、通報で駆けつけた事故処理車がエンスト。エンジンかけ直しの際にセルモーターを回し、火花で引火し爆発炎上を起こした。死者七十九名、重軽傷者四百二十名の大惨事となった。この時の死者は皮肉なことか、太融寺に安置された。


「これを期に泉の広場の北北西に伸びる通路の工事は中断された。しかし実際、泉の広場が新御堂筋の位置にある龍脈を分断し、傷つけてしまったことは事実として残る。赤い服の女の噂や、この近辺に纏わるその他諸々の噂を含めて、そのマイナスイメージが結果として残ってしまった。この時の泉の広場を含めた地下街の名称はまだ〝ウメチカ〟と呼ばれていた。けれど一九八七年、龍神の使いでもある二匹の白蛇にあやかったのか、それとも、ファミレスで部長が言った〝失われた白〟を補おうとしたのか、この地下街の名称が変更された。それが〝ホワイティ〟梅田なんだよ」


「じゃあ、この近辺にそういう噂が集まるのって、龍神や二匹の白蛇の祟りを怖れた中途半端な都市計画の生んだ悲劇だってこと?」


「複合的な要素のひとつではあるけどね。でもね、高原さん、この都市計画で傷ついたのは、龍脈や二匹の白蛇の話だけじゃないんだよ」


「他にもあるの?」


「うん、それはね、風なんだ」


 これも部長があからさまにヒントを残していたことだ。いくら白を補ったところで、浄化された魂を彼岸へと還すことはできない。


「風……?」


「たくさんの死者が出てしまったこの地域、本来は龍脈を通り、北北西から吹いた風によって、その不遇な魂を彼岸へと還すはずだった。しかし都市計画によって龍脈は分断され、無数の高層ビル群が立ち、この地域における風が乱れた。還ることの出来ない霊魂は、この地に留まるしかない。部長がファミレスで言ったアナジ、アナゼ、タマカゼ。その他にも長崎の五島列島に伝わる精霊風など、水木しげる先生のおかげで有名な風があるけれど、これら死者の霊魂を運ぶ風は魔風として怖れられた。日本全国にも魔風信仰は広く膾炙している。もちろん風が病を運んだり、死や不幸を呼ぶのはオカルトに過ぎない。それよりも問題なのは、人間が不快と感じる風を受けることでケが枯れてしまうことなんだ」


 ケが枯れてしまうことの悪影響については、再三にわたって説明した通りだ。


「部長は知ってたんですよね? この風のことを」


「ふふん、ちょっと言い過ぎたなぁ」


 部長が嬉しそうに微笑んだ。


「依頼の調査を僕が担当することになった後、ひとりで考えを巡らせていて、部長が奈良県桜井市に行ったことを思い出してはじめて気がつきました」


 部長は桜井市に行き、この泉の広場に関するヒントを事前に得ていた。だからあのファミレスにおけるディスカッションの時点で、ある程度の仮説を立てることが出来たのだろう。でも部長はその泉の広場の調査を僕に任せた。そこに意図があるかどうかはともかく、それをアンフェアと感じた部長はヒントという形で残すべきだと思ったのだろう。


「え? それってどういうこと? のっぺらぼうの話と、泉の広場の話、関係があるの?」


「うん、部長の行った奈良県桜井市には穴師坐兵主神社あなしにますひょうずじんじゃという神社があるんだ」


「あなし? それって、もしかして……」


「そうだよ。穴師、これはアナジ、アナゼを意味する。そしてもうひとつ名前の由来になっている兵主神、これは兵器の神様、つまり製鉄、鍛冶の神を意味するんだ。弥生時代の製鉄においては、まだふいごがなかったために、自然風を利用して木炭を燃焼させなければならなかった。だから、風と製鉄は切っても切れない関係にあったんだ。三重県桑名市では、突然吹く暴風のことを一目連と呼ぶ。これは同市の多度大社では天目一箇神あめのまひとつのかみとして祭神のひとつとなっているけど、この神様は兵主神と同じく、製鉄、鍛冶を司っている」


「補足すると兵主神とは、中国神話における蚩尤しゆうのことを指す。この神を始祖として信仰するのは中国南方系のミャオ族や。これは当時、製鉄技術を持っとった民族が帰化人であることを疑う論旨にもなっとる」


 高原さんがへえーと感心しながら、僕と部長に尊敬の眼差しを送る。


「高原さんも、ひょうすべという妖怪の名前くらい聞いたことあるだろう?」


「うん、小さい頃にちびまる子ちゃんの漫画に出てきた」


「ひょうすべとは、九州地方に伝わる河童の仲間として語られる妖怪だ。これは漢字で〝兵主部〟と書く。この妖怪は『ひょうひょう』と鳴きながら川沿いを歩くという。この『ひょうひょう』という声、風が吹く音ともとらえられないだろうか?」


「ほんとだ……」


「ちなみに、九州には壱岐島を除いて兵主神社は存在しない。これは九州において、ひょうすべが兵主神の零落した姿だからと結論づけることが出来る」


「なるほど……」


「春日大社を建築する際、人手を増やすため、人形に命を吹き込んでそれを労働力にした。そして、不必要になった人形は川に捨てた。捨てられた人形は人間を恨み、川辺にやってきた馬や子供を襲うようになったという。これが河童の起源になったという説もある。この時、川に捨てられた人形というのが、用済みになった兵主神を信仰する兵主部たちのことなんだ。ちなみに河童は相撲が好きだと言われる。穴師坐兵主神社の摂社に祀られているのは、相撲の祖神でもある野見宿禰だ」


「で、それが泉の広場となんの関係があるんや?」


 しびれを切らした部長がまとめにかかった。


「長くなってすいません。要するに、白蛇の神木を切って、龍脈を傷つけて、祟りを受ける人間は末端の工事従事者です。工事さえ進めば、後は彼らがどうなっても構わない。そのような意思に対する彼らからの悲しいメッセージが、泉の広場の都市伝説を生んだのではないでしょうか?」


 無言の部長から、ささやかな拍手が送られる。高原さんも同調するように手を叩いた。


「ありがとうございます。ですが部長、まだ僕の推理はこれで終わりではありません」


「なんや? まだあるんか?」


「ええ、泉の広場に関しての報告はこれ以上ありません。ただ、奈良県ののっぺらぼうの依頼と、泉の広場の依頼、このふたつの依頼にここまで明確な共通点があるのは些か偶然として出来すぎているような気がしました。そこで僕は考えました。依頼者は、元からこのふたつの結論をわかった上で、依頼をしたのではないかと。つまり、同一人物であることを意味します」


「ま、せやろな」


「それでですね、部長。僕たちが泉の広場へ行った時に、変な男の人にあったんです。おそらく、部長のことを言っていたと思うんですが、部長のことを〝あの女〟呼ばわりしていました。あのメガネをかけた陰気な男の人は一体誰なんです?」


「ん? なんや、お前ら山本に会うたんか?」


 普通に答えが返ってきたことに拍子抜けした。


「え? 山本? 山本さんって、サークルを辞めたっていう?」


「せやで。なんやあいつうちのことは避けるくせに、お前らにはちょっかいかけてきよんのか」


 そう言った部長の表情はどこか寂しそうだった。今では辞めてしまったとはいえ、元々は同じ釜の飯を食った仲間だ。それが今となっては自分を避けていることにやるせなさを感じているのだろう。


「まあそれは定かではありませんが、彼は僕たちに、依頼の件は頼むよ、と言ったんです。依頼のことを知っているのは僕たち以外では依頼者本人しかいない。泉の広場の依頼が彼であるのなら、奈良県ののっぺらぼうの依頼も彼が出したということになります」


「は? そんなわけあれへんやろ。だって、そのふたつの依頼は南方教授が出したんやから」


 とんでもない答えが返ってくる。まさか最後の最後で推理が食い違うなんて思ってもいなかった。


「は? 部長、何言ってるんですか?」


「何って、だからその依頼は南方教授が出したって言うたんや」


 だから、南方教授が依頼を出すなんて、あり得ない。


「いや、だから南方教授は先月――んぐッ!」


「松永くん、ダメ」


 言い切るよりも先に高原さんが咄嗟に僕の口を塞いだ。

 そして、部長には聞こえないよう、僕だけに耳打ちをした。


「南方教授が亡くなられたことは、今は部長に言わないで」


 耳を疑いたくなった。

 部長はまさか、教授の死を忘却の彼方に追いやったとでも言うのか。

 教授の死の知らせを受けて、僕たちの前で流したあの涙を、彼女は忘れてしまったとでも言うのか。




 死者を生かすも殺すも、すべては生者の意思である。




「ほな、ひとまずこの報告書と論文は教授に渡しておくわな」


 書類をとんとんと机で叩いてクリアファイルにまとめると、部長は立ち上がった。


「部長、どちらへ?」


「ん、研究室や」


 まさか民俗学研究室のことを言っているのだろうか。

 あそこは今、後任の教授が来るまではもぬけの殻になっているはずだ。

 気付けば部長は部室からいなくなっていた。


「松永くん。部長のことは、私がなんとかする。だから、今は……今だけは、そっとしておいてあげて」


 悲哀に満ちたその表情は、どこかやるせなさを物語っていた。


「高原さん、このこと……前から知ってたの?」


「ごめん、知ってた。けど、言い出せなくて……」


 部長に教授が死んだことを教えるのは簡単だ。簡単なのに彼女がそうしないのは、それが今は最善ではないと考えているからだろうか。


「部長の中で教授はまだ生きてるの。泉の広場での松永くんの時みたいに祓って終わらせることは簡単だよ。でもそれは、部長の中の教授をもう一度殺すことになる。今の私には、まだそんな残酷なことは出来ない。いつかはそうしなきゃならない日が来るかもしれないけど、何かきっかけが掴めるまで、今はまだ、待ってて欲しいの。お願い」


 その披瀝が意味するのは、死が悲しいことだと、死が怖いことだと、死は尊ぶべきことであると、彼女が誰よりも知っているということなのだろう。


「ごめんね。山本さんの前ではあんな風に大口叩いておいて、説得力ないよね……」


「そんなもんだよ。僕だって、こんなことおかしいって思ってるけど、部長が悲しむ姿を見たいとまでは考えちゃいない」


「そう言ってくれると助かる」


 泉の広場の一件から、死者を生者の都合で生かしておくことは良くないことだと学んだ。

 死者は本来いるべき場所、つまり無へと還すべきである。すでに死んでいるのだから、それを殺すことに躊躇いなどはないつもりだった。

 だが実際にそれを目の当たりにして、死者を殺すことが生者を殺すことと同様に残酷であることを知った。

 今はただ、部長が死と向き合えるその機会を伺うしかないのだろう。

 そのチャンスがこなければ、僕たちは、教授を、死者を、殺さなければならないのだ。

 だから……。


「僕は、高原さんを信じるよ」

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