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 噂は嘘を思い込みに変え、思い込みは噂を真実に変える。

 悪循環は、まさに残留思念のようにその場へと充満し続け、また新たなる伝説を造り出す。

 死者は決して、この世に何も残さない。

 死者を生かすも殺すも、すべて生者の意思である。




 場所は変わり、僕たちは大学裏門前にある部長の駐車場――じゃなくてファミレスへとやってきた。もちろんご存知の通り、夕食はものの数十分前に済ませた所だ。

 これも部長と夕食を食べた後の恒例行事。緊急会議と称して部長の暇つぶしに終電間際まで付き合わされる。とはいえ、同じ学問を志す者同士のディスカッションは決して無駄な時間ではない。時には議論に熱くなって終電を逃すこともしばしばあるが、その時は遠慮なく部長をタクシー代わりにさせてもらうか、雀荘ブラジルで徹マンだ。

 ただ今日だけは僕もこの恒例行事を心持ち楽しみにしていた。何故なら、依頼の調査に関するミーティングを目的としている以上、緊急会議という名がはじめて現実のものとなったからだ。

 僕たちは店に入ると窓際のテーブル席に陣取り、さっそく三人が三人ともノートパソコンを取り出した。


「ドリンクバーみっつ」


 部長は何の確認もなく勝手に人の分までオーダーを通した。概ね間違っていないので特に文句を言ったりはしない。


「ほな、とりあえずおさらいや。全員、泉の広場の話は知っとるやろけど、共通認識を持たせる意味でも、志信、説明せえ」


 高原さんの説明を拒んだかと思えば、次は僕に説明しろとの命令だ。忙しい人だ。


「はい。ええと、泉の広場の女とは二〇〇二年に……」


「あ、あの、部長……」


 高原さんが僕の言葉を遮って、部長の顔色を伺うように恐る恐る手を挙げた。

 さっき頭ごなしに切り捨てられたリベンジを果たしたいのだろう。


「……ああ、わかったわかった。面倒くさいやっちゃな。ほな高原、お前が説明せえ」


「……はい! ありがとうございます!」


 部長も高原さんの意志を忖度して続きの説明を彼女に委ねた。


「えへん、では……まず、泉の広場の女の話は、二〇〇二年の六月二十一日にオカ板の洒落怖スレに書き込まれたものが初出だと思われます。これは泉の広場にて、赤い服、長い髪、真っ黒な目の女に出会った投稿者が、危なかった所を通りがかった男性によって助けられたという恐怖体験談です。これにはもう一度目撃したという後日談もありますが、今は同じ話として取り扱いましょう。この投稿を皮切りに、目撃談、人づてに聞いた話などが便乗的にレスを増やしていきますが、やはりネットロアとして定着したのは二〇〇五年に単独のスレが立ったことが原因でしょうか。そこでは泉の広場の赤い服の女について色々な情報交換がなされています。もちろん体験談も含めてたくさんありますが、すべてを紹介していたらキリがないので割愛します。しかしそのどれもが、赤い服、長い髪、真っ黒な目、が概ね共通点として挙げられています」


 おおよそ言い終わったのか、高原さんが大きく息を吐いた。


「はい、ごくろうさん」


 部長もそんな彼女の様子を見て労いの言葉で締めくくった。


「赤い服に、真っ黒な目、ねぇ……」


 続けて部長は遠くを眺めながら何かを考えている。


「部長、どうかしましたか?」


 彼女が思考を張り巡らせているのは、頭の中にある程度の仮説が出来上がっていることを意味している。

 聞く側が説明を求めないと彼女は決して語ろうとしない。例えるならば推理小説にありがちな、すべての証拠が揃ってから語り出すやや面倒なタイプの探偵といったところか。

 こちらが黙っていれば半永久的に語ってくれないのはおろか、仮説が間違っていればそのまま永遠の闇に葬られる。

 彼女の仮説だけでも僕にとっては些か拝聴する価値のあるものだと考えている以上、何としてでもそれだけは避けたい。


「いや、その色はなんか関係あるんか考えとるんや」


「色が何か意味しているんですか?」


 〝赤〟と〝黒〟。その二色に全く心当たりのない高原さんはただ話の続きを部長に委ねるしかないのだろう。


「推測に過ぎひんから正しいかどうかはわからんで? ただ、パッと思いついたのは〝忌み〟かな」


「ああ、神道における不浄の概念ですね」


 高原さんが思い出したように口を挟む。さすが神道学部だけあってこの辺は得意分野だ。


「せや。神道の神様には嫌いなもんがみっつある。まずは黒不浄いうて、これは〝死〟を指す。神社で葬儀を行わへんのは、そういうことや。次は赤不浄、これは〝経血〟を指す。ほんでみっつめは白不浄、これは〝出産〟をあらわす」


「それは理解できるんですが、最初に聞いた時はやはり、死はともかくとして、神様に女性を全否定されているようで寂しいな、と思いました」


 高原さんはやや視線を落として、吐き捨てるように呟いた。

 フォローするなら、女人禁制――所謂、女性を穢れとみなす概念――は中世日本において、仏教、神道、道教などの禁忌が習合したものだ。

 この価値観もそもそも曖昧で、大日本帝国時代などは女性差別の概念が逆転したりする。子を産むことが出来る女性は敬うべき存在であったし、戦争によって流れる血は穢れではなく名誉であった。ちなみにこの時代の神道を国家神道と呼んで区別する。

 高原さんが学んでいる神道学は今でいう神社神道が主流だ。これは国家神道とは逆に終戦後から現代まで続く一般的に言われている神道のことを指す。これも同じく、一度習合したタブー観は簡単に切り離すことは出来ない。よって、連綿と受け継がれてきた不浄の概念は当然のように存在する。

 しかし、神道における神様は特に女性を忌み嫌っていたわけではないし、血を穢れとしていたわけでもない。

 神と対話の出来る巫女を務めるのは本来女の役目であったし、初潮の際に赤飯を炊いて祝う習慣は今でも残っている。

 補足するのであれば〝穢れ〟とは〝ケ(日常)〟〝ハレ(非日常)〟という日本独自の世界観における、ケが枯れた状態にあたる。つまり、日常生活を行う上でのエネルギーが枯れた状態であるとみなすのが現代の民俗学における主流の考え方である。

 ケが枯れると日常生活においてミスを犯しやすくなる。ミスを犯すと怪我をする。怪我をすると人は血を流す。つまり〝穢れ〟るのであり、〝怪我〟の語源ともされる。これは血を流すような状態になってまで参拝する必要はないという神様からの厚い慈悲だ。

 生理は女性にしか起こらないが、怪我をするのに性別は関係ない。元々血の穢れとは、女性にのみ的を絞っているのではなく、男女において平等に訪れるものであった。

 同じく、出産における穢れも流血を伴うことを原因と考えるより、本来は生まれたばかりの赤ん坊の魂が不安定であるという考えが理由にあった。魂の不安定とはいわゆるケが枯れた状態にあたる。これはムラ社会などでも重要な考えのひとつとなっていて、本来子供とは一人前になるまでは神の子とされていた。神の子であるがゆえにいつでも神様に返しても良い。これが貧困層における間引きの免罪符にもなり、所謂、遠野地方における座敷童子や河童の生まれた原因のひとつとも考えられる。特に生後すぐの赤ん坊はケが枯れた状態にあることから、神の元に還りやすいとされ、神域から隔離したのである。これが出産における穢れである。


「元はヒンドゥー教や仏教の男尊女卑の思想が流入しとるんや。実際は神道の穢れと、仏教の不浄の概念は別物やで。明治になり、現代になって――まあ、国家神道は別やけど――実質、差別はあってないようなもんや。山岳信仰ですら、いまだに女人禁制やいうてる所の方が珍しい」


「でも、相撲の土俵とかはいまだに女人禁制ですよね?」


「それは今でも問題になっとるな。実際に元大阪府知事の太田房江が土俵に入ることを大相撲協会が否認した事例がある。土俵への女人禁制も元々は女性差別から生まれたものやないんや。ただ問題なのはその本質を忘れて、女人禁制という慣習だけが残ってしもうとることや。伝統という言葉に守られて形骸だけが残った悪習の代表例やな」


 僕が説明するまでもなく部長が解説を挟んだ。


「なるほど……それで、話を戻しますけど、それと赤い服と黒い目に何の関係があるんですか?」


「まあ今半分言うてもうたけどな。泉の広場に出てくる女には不浄における〝白〟がない。要するに新しく生まれてけえへんのや。血を流して、死んで、それは浄化されることなく、まるで生理前の澱モノみたいに蒸れた股の間で淀んどるだけや。多分、場所が悪いんやろな。こんな所残しとったら、いつかは腐ってまうで」


 若干イラついた仕草をしながら部長が語った。一見、霊的な概念を肯定するような発言に聞こえるが、きっとそういう意図で言ったのではないのだろう。これは完全に部長の口が滑ったのだと確信した。彼女はきっと、もうすでにある種の結論へと至り始めている。でなければ今みたいに無責任な発言をするはずがない。

 ヒントは今部長が口走った〝場所〟という言葉にある。そこを紐解いていけば、きっとこの都市伝説の真相へと近づけるに違いない。

 とはいえ、今回の依頼を担当することになったのは僕だ。無理矢理、部長の推論を聞き出した所でネタバレに過ぎない。


「そういえば〝腐る〟といえば、ヘルメス主義に対する意識変容の三段階も黒、白、赤ですよね」


 黙って聞いているつもりだったが、同じような概念の存在に思い当たる節があったので口を挟んだ。


「せやな。ニグレド――黒化――は腐敗や死、アルベド――白化――は精神の浄化や魂の再生、ルベド――赤化――は見神、肉体の再生や。これも白化なし、つまり魂を浄化せずして、再生はありえへん」


 賢者の石、といえばその名前を知らない人間はいないだろう。ハリー・ポッターや、多くの漫画、小説で題材にされてきた錬金術における重要アイテムである。

 ただ賢者の石は、古代ギリシャや古代エジプトの初期錬金術においては一切名前が登場しない。

 存在が叫ばれはじめたのは丁度、十字軍遠征以降、イスラム錬金術が西ヨーロッパに伝わりはじめた十二世紀頃だった。時を同じくして、多くの錬金術師たちが金の生成には特殊な触媒が必要であると考えはじめた。

 賢者の〝石〟とはいうものの、その形は決して固定されたものではない。時には液体、時には粉末、生成するものによって三者三様の姿を見せた。

 色においてもそうだ。赤、青、緑、黄色、まさに空に架かる虹のごとき様相で語られていた。

 そんな中でただひとつ、錬金術師たちの中で共通していたものがあった。

 賢者の石の生成過程における黒、白、赤の順で起こる色の変化だ。


「あのぅ……ヘルメス主義って、なんですか?」


「まあ一言で言うたら、錬金術の祖とも呼ばれるヘルメス・トリスメギストスっちゅー人の思想に則った宗教、哲学の神秘主義のことや」


「陰陽道の安倍晴明的な?」


 神道関係の知識からだろうか。高原さんが不安げに確認する。安倍晴明が活躍した平安の頃のような神秘さはなくなってしまったものの、今では陰陽道も天社土御門神道として立派に受け継がれている。


「お、よく知っとるな。そうや、それで大体あっとる」


「まあ、昔に映画でもやってましたし……そのくらいは、はは……」


 僕の予想は大いに外れた。神道繋がりではなく単純に娯楽絡みの知識だった。確かに言われてみれば、映画『陰陽師』に便乗した陰陽師ブーム以降、彼の名前を知らないものはいないだろう。


「とにかく、神道にしろヘルメス主義にしろ、どちらの主義思想に基づこうとも、それが意味するものは〝穢れた魂の再生〟や。〝赤〟と〝黒〟だけではうまいこと循環せえへん。失われた〝白〟を見つけて、その浄化された魂を還すべき所に還さなあかんな」


 穢れた魂の再生。

 その意見を否定する気はなかった。

 とはいえ、僕にはどうしてもそれが死者からの訴えとは思えなかったのも事実だ。おそらく部長も同じ考えだろう。

 伝説を作り出したのは生者である。もっと具体的に言えば、掲示板に書き込んだ人間である。パソコンのキーボードを叩き、送信ボタンをマウスでクリックすることが出来るのは、生身の肉体を持った人間にしか出来ない。

 つまり、穢れた魂の存在を訴えたい生者が、人間が、この世の何処かにいるということだ。

 そして、生者の意思に触れた者だけが、穢れた魂の存在を垣間見ることが出来るのだ。


「ほな高原、泉の広場周辺の地図を出してくれ。地上じゃなくて地下な」


「はい!」


 キーボードがカタカタと音を立てる。地図が表示されると、彼女は画面を僕たちに向けた。


「泉の広場ってこんな形になってるんですね……」


 地上の地形はそのままで地下の地図も表示されている。こうして見ると相関関係がわかりやすい。

 西側から伸びた通路が新御堂筋と交差する地点に泉の広場があり、その南と東には通路がない。

 地図を見てまず不自然に感じるのは、広場から北北西に少しだけ伸びている部分だろう。


「戌亥……やな」


「戌亥……ですね」


 僕も部長もその方角が何を意味しているのか心当たりがあった。


「戌亥……ですか?」


 僕たちに合わせて復唱する。しかし、その頭の上には疑問符が浮かび上がっていた。


「戌亥とは戌と亥の間、北西をさす。柳田国男は『風位考資料』の中で、この北西の方角を恐るべき方角と表現したんや」


「恐るべき方角……それってつまり、鬼門ってことですか? でも、鬼門って丑寅の方角、北東じゃないんですか?」


 さすが神道には造詣の深い高原さんだ。北東の方角が鬼門と呼ばれることをちゃんと抑えている。


「まあでも、鬼門というとちょっと語弊があるかもしれない。北東が鬼門とされるのは、仏教が中国の言い伝えをそのまま利用したからなんだ。どちらかというと霊魂などが還る神聖な方角というべきかな。実際、『御伽草子』の一寸法師の話でも、鬼が戌亥の方角へ逃げ去ったという記述があるからあながち間違いというわけでもないけれど」


「日本では古来より西北風のことをアナジ、アナゼ、もしくはタマカゼと呼んで、その風が吹く方角を恐れてきた。さっき志信が言うたように、神も鬼も還ることから善悪という概念ではなく、あくまでも霊的な方角として認識してきたってことやな。まあ鬼と書いてカミとも読む。元が同じなんやとしたら、還る方角が同じでも不思議やないけどな」


 実際、『日本書紀』などでは〝鬼〟の字をカミ、モノ、シコとも読んだ。中国において鬼とは死者の霊魂のことを意味する。閻魔大王に従う獄卒のイメージは仏教との習合によるものだ。鬼と鬼門の概念が同じ仏教との習合による変化であるならば、それ以前の日本では、やはり神と鬼はあくまで霊的な存在を意味する言葉に過ぎず、それらが戌亥の方角に還ることは部長の言った通り特におかしな話ではない。


「で、結局それがどういう結論に繋がるんですか?」


「それを導き出すんは志信の仕事や。ヒントはこのくらいでええやろ」


 部長がヒントを与えていたつもりだったことに僕は目を丸くさせた。


「大体、方向性は見えてきました。まあどっちにしろ、こうなっていたとは思いますが、時間短縮に繋がったことは感謝します。ありがとうございます」


「はん、相変わらず素直やないなぁ、志信は」


 子供をあやすような視線で僕を見つめる。


「はぁ……?」


 相変わらず腑に落ちないといった表情で首を傾げている高原さん。


「おっと、もうこんな時間か」


 わざとらしい物言いで、部長は唐突に席から立ち上がった。


「帰るんですか?」


「まだまだ寝足りんからなー。今日はこのまま部室に泊まるわ。あとは若いもんでうまいことやってや。あ、今回の依頼、志信に任せたいうたけど、別に高原と協力するのはお前の自由やから、その辺も適当に頼むで」


「わかりました」


「部長、お疲れ様でした」


 労いの言葉で高原さんは部長を見送った。颯爽と軽やかな足取りで店内から出て行く。

 取り残された僕たちは顔を見合わせて苦笑いをした。


「で、どうしよっか?」


「そうだね、とりあえず明日、実際に泉の広場へ行ってみよう」


「いいの?」


「いいのって、何が?」


「いや、私が調査に加わってもいいのかってこと……」


 どうやら、質問の意味を捉え違えていたらしい。

 僕が高原さんも調査に加わることを前提として答えたのに対して、彼女はその許可を求めていたのだった。


「どこに拒否する理由があるんだよ?」


「だって、足手まといにならないかなって……」


「そんなことあるわけないだろ。人手は多い方がいいに決まってる」


 表面上そうは言ってみたものの、実際は未だに縮めることの出来ないふたりの距離を、今回の調査でなんとか近づけることが出来ないかと考えていたのも事実だ。

 高原さんとふたりっきりで調査がしたいから、なんて邪な思惑をのたまった日にはなんと軽蔑されるかわかったもんじゃない。


「ありがとう。じゃあ本番は明日だね」


「ああ」


 時計に目を向けると、もう二十二時を回っていた。


「高原さんもありがとう。今日はもう遅いから、この辺にして明日昼頃に梅田で落ち合おう」


「うん、わかった」

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