ニ
助手席から猛スピードで流れていく景色を眺めること数分。まもなく、ふくちあんラーメン横枕店。
部長は五台しか止められない駐車スペースに、華麗なるプレジデント駐車をかまして颯爽と店内に入っていった。
しかも入るや否や、席へと案内される前にキムチバーへと駆け込む始末だ。
明らかに付け合わせとは思えない量のキムチを手にしてご満悦の部長は、先に案内された僕たちの後へ続いて席へとついた。
「部長、それサラダ用の皿じゃないんですか?」
生真面目な高原さんが部長の行いを咎める。
「あっはっは! サラダ用の皿て、それシャレのつもりか! はっはっは!」
「店員さんに怒られますよ?」
「別にええやろ、どうせ食うんやから。あ、うち味噌ラーメン大盛り半ちゃんセットな」
オーダー待ちで一度立ち去りかけた店員を呼び止め、部長は自分の発言に悪びれる様子もなく、ナチュラルに注文を通す。
おかげで注文の決まっていなかった僕たちが悪者みたいだ。店員は笑顔で対応してくれたが、それでもすまない気持ちで胸がいっぱいだった。
「で、ここやろ? 首吊り自殺した女の霊が出るっていうテーブルは」
指でテーブルをトントンと叩きながら得意げに微笑んだ。
「あれ、部長知ってるんですか? ここの噂」
「知ってるも何も、席に座った瞬間感じたで。何故なら、この席には……」
ゴクリ、と高原さんの生唾を飲む音が聞こえた気がした。
懐疑主義者の部長が感じるとか言いだした時は大抵くだらないことを思いついた時だ。
「怨念が、おんねん!」
「……は?」
高原さんがキレ気味に返事をする気持ちもわかる。
「あ、高原さん先週の佐藤教授のレジュメだけど……」
「あ、うん」
「おい、無視は酷いやろ、無視は」
「もう、なんなんですか?」
スルーすら許さないとはなんという厚顔無恥さだろうか。高原さんの気持ちを代弁して僕がかわりにツッコミを入れる。
「いや、初っぱな高原にツカミ持っていかれてもうたからな。巻き返そう思って。おもろかったやろ」
この程度のダジャレで場がどっかんどっかん沸き上がるなら、日本全国漏れなくお笑い芸人だ。僕が言うのもなんだけど、関西人だからと言って笑いを舐めてもらっては困る。
「部長も地元の噂の掲示板とか見るんですね。意外です」
話題を元に戻すために無理矢理方向転換をする。これでも引っ張ってくるようならこの人は本物だ。
「んなわけないやろ。お前らが入学する前に一回依頼で来たことがあんねや。うちはつまらん思ってスルーしたけど、お前みたいな部員が調べとったわ」
「え? じゃあもう解決済みなんですか?」
高原さんは真正面の部長に向けて身体を乗り出して食いついた。それとは対照的に僕は自分たち以外に部員がいた事実の方に驚いていた。
部長はしまった、という表情をしたが、僕は高原さんの何にでも興味を持てる姿勢が好きだった。
それが長所か短所か、と問われれば、現に部長の表情を鑑みると答えに窮するのも事実だ。
〝大切なのは疑問を持ち続けることである〟と、どこかの物理学者も言葉を残している。少なくとも僕は長所である、と考えていた。好奇心とは神聖であるべきなのだ。
「まあ解決済みというか、ひとつの結論に至ったことは事実や」
部長もそんな高原さんを決して無下には扱わない。
「それ、聞いてもいいんですか?」
高原さんの顔色を伺うような質問に、多少面倒くさそうな表情でキムチを頬張ると、
「バリボリ……まあ、身も蓋もない言い方したら、でっちあげや」
「……でっちあげ?」
やや脱力気味に鸚鵡返しをする。考察の余地すらない結論を内心認めることができないのだろう。
「ええか? 元は裏の春日神社の林で自殺した女の霊が出るいうことやったな?」
「はい」
「どうやらその部員は、神社にも行って聞き込みしたし、警察にも行って調べたらしい。せやけど、林で女が自殺したなんて事実はなかった。前提条件が間違ってたら結論は破綻する。それの意味することは噂がデマやったってことや。ま、大方どっかの誰かがインターネットに適当なこと書いたんやろ」
「そんな……」
脱力しきってソファーにうなだれる高原さん。
「ええか、高原。無理矢理こじつけて、相手を納得させるに至るまでの結論を導き出すことは可能やで。でもそんな行為に価値を見いだせるかって聞かれたら、うちは無理や」
「そう……ですか……」
高原さんが落ち込んでいる間に店員がオーダーのラーメンを三人分運んできた。
部長は早速それに口をつけると、
「んぐっ……ないもんはない。デマはデマ。でもラーメンは美味い。ずるるッ……たまにはそういう結論も、アリちゃうか? ほら、高原もはよ食べんと伸びてまうで」
「あ、はい。でも、つまんないなぁ……ずるッ」
「あのな、うちらは探偵でもなければ刑事でもない。じゅるるッ……そもそも事件そのものが眉唾でした、なんてザラにあるんや。面白い話が聞きたいんやったら、もっと考察しがいのあるネタを持ってこんかい……もぐもぐ……」
部長が高原さんを諭しているのを横目に、過去にいたという部員のことを考えていた。もう卒業してしまったのならともかく、跡形すらなくなっていることが些か疑問に感じられる。文字通り〝幽霊〟部員だったとか。
「部長。その部員ってもう卒業しちゃったんですか?」
「いや、まだ在学中や。せやけど、その件以来燃え尽きてもうたんか知らんけど、サークルを辞めてからどうしてるんかは全く知らん」
「まあ元から頭おかしい奴やったんやけどな。山本いうて、元はオカルト肯定派やった。せやけど、この世のオカルトなんてほとんどがデマか捏造や。このサークルに入って、そういう現実に突き当たって、なんや冷めてもうたらしい。今では根っからの否定派になってもうてな。こんなサークルは所属してるだけ時間の無駄や言うて辞めていった」
「なんだか、悲しい人ですね……」
高原さんはただ印象を述べただけなのだろうけど、それは全否定とも受け取れた。きっと僕が高原さんから言われたら立ち直れない言葉ワースト3には入るだろう。
「こうと決めたらこうって感情論が先行する狭隘なやつやったわ。うちらだってオカルトを信奉してるどころか、むしろ懐疑派や。せやけど、デマや捏造やいうてそれを不必要とするのではなく、人間社会に必要なシステムやと受け入れた上で考察していくのが民俗学の醍醐味やろ」
「それはその通りです」
高原さんも僕の言葉に続くように首肯してみせた。この場は珍しく部長の意見に満場一致だった。
「お前ら全然箸進んでへんやんか。早よ食べな、山本みたいに冷めてまうで」
少し重くなった空気を慮ってか、ジョークでその場を和ませようとするものの、あまり笑えないのはいつものことだった。
「部長は、食べるの早いですね」
「だから昨日の昼から何も食ってへん言うたやろ」
部長がいつものテンションだったから思わずその事実を忘れていた。
「そういえば部長、奈良県ののっぺらぼうの件、まだ僕たちに報告されてないんですが、結局どうだったんですか?」
奈良県ののっぺらぼうの話とは、今日の朝まで部長が徹夜でまとめていた依頼の件だ。
『こんなん三日もあればうちひとりで終わる』って言って部長ひとりが抱え込んだ依頼だったが、結局一週間もかかる羽目になった。
「のっぺらぼうって、小泉八雲の『怪談』に出てくるむじなのことですよね?」
小泉八雲の『怪談』におけるむじなの話とは、商人が目も鼻も口もない女を見た、と命からがらそば屋へ逃げ込み、その話を店主にした所、「それはこんな顔ですかい?」と店主ものっぺらぼうだった、というものだ。
これは〝再度の怪〟といわれ、一難去ったと思いきや、再び怪異に襲われるという怪談のテンプレートになっている。元は中国の古典にある「夜道の怪」という説話がその嚆矢とされる。この話は青空文庫など、岡本綺堂の『中国怪奇小説集03捜神記(六朝)』の中の「兎怪」という話で読むことが出来る。その冒頭にもあるように、ひとつ前に収録されている「琵琶鬼」も同じく再度の怪タイプの怪談である。
「で、部長的にはその依頼、考察のしがいがあるネタだったんですか?」
「そらそうや。せやからうちがひとりで調べる言うたんや」
僕が皮肉を込めて質問すると部長は満足げに答えた。たまには僕にも面白そうな話を下ろしてきて欲しい。
「奈良県ってそんなにのっぺらぼうと縁が深い土地なんですか?」
「いや、なーんも」
高原さんの質問に対して全否定。
のっぺらぼうは主に大阪府、香川県で語られることの多い妖怪ではあるが、いかんせんメジャーであるせいか全国で類似した話は膾炙している。
しかし彼女が部長に質問したように、奈良県限定と言われてもいまいちピンと来ないのも事実だ。このご時世のっぺらぼうの噂なんて笑い話のタネにくらいしかならないだろう。
僕は彼女たちの話の続きを待った。
「で、それってどんな都市伝説なんですか?」
「都市伝説っていうほどおおげさなもんやない。所詮は噂にしか過ぎん。せやけど、奈良県のとある地域を中心として、のっぺらぼうを見たという噂が集中しとるのも事実なんや。これはそのうちのひとつの話や」
部長がおそるおそる口を開いた。
「職場の友人と奈良県吉野のダム湖へ釣りに行った時の話です……」
まるで見てきたかのように話し出してくれた所申し訳ないが、部長が釣りをするなんて聞いたことがない。
なにやら怪しげなフラグが立ちはじめていたが、話の腰を折るのも忍びないのでスルーしておいた。
「久しぶりの休みだったこともあり、意気揚々と深夜に出発した私たちは思ったよりも早く目的地へと着きました」
「ふむふむ……」
高原さんは目を爛々とさせて部長の話に聞き入っている。
「夜釣りをする体力は存分にありましたが、市内からそこそこの距離もあります。私たちは帰りのことも考えて、ダム湖のスペースに車を止めて、夜が明けるまで眠ることにしました」
帰りのことを考えるとかそもそも部長のキャラ設定からおかしいことになっている。おそらく体験談として聞かせることで現実味を帯びさせようとしているのだろうけど、根本的な部分に粗があるためリアリティは全くといっていいほど感じられなかった。
だけど部長は僕の思惑とはよそに、もはや体験談ですらなくなっている怪談を真剣に語り……いや、騙り続けている。
「隣で友人は高いびきをはじめ、私もついにうとうとしかけた時でした。車の窓の外に、何やら人影があることに気付きました。しかし、この時間にこんな場所を歩いている人間がいるはずがない。やだなぁ、と思いながらも、微かに視界の端に映った人影を確認するため、気配のする方向へと振り向きました」
「どきどき……」
話すスタイルはそれこそ稲川淳二氏よろしく気合いが入っている。
話術はさておき、高原さんは部長の話に没入していた。
「なんと、窓越しに私たちの車を覗いていたその顔は……目も鼻もないのっぺらぼうだったのです!」
「きゃああああっ!」
高原さんの迫真に満ちた悲鳴が店内に響き渡った。周りの客や店員が一瞬こっちを見たので、僕は軽く頭を下げて謝罪の意思を表明した。
どうせ驚かすなら高原さんを僕に飛びつかせるくらいのことはして欲しかった。本当に使えない部長だ。
「……どや?」
しかも、殴りたくなるような笑顔を僕に向けてくる。
「いや、どやって言われても……」
「ちなみにな、この話を聞くと三日以内に聞いた人の所にのっぺらぼうが現れて殺されるんや。ご愁傷様」
「いやぁッ! 聞きたくない聞きたくない! もえん不動明王、火炎不動王、波切不動王……」
高原さんは自己責任系の話が大嫌いだった。呪われたと自覚した瞬間に、呪詛返しでもある不動王生霊返しを唱えるのはいつもの癖だ。
「高原さん、嘘に決まってるでしょ。大体、殺されるならどうして部長がまだ生きてるんだよ」
「え? あ、それもそっか……」
胸を撫で下ろす高原さん。表情に笑顔が戻った。
「まあ冗談はさておき、奈良県にはこれ以外にも桜井市、高取町、同じく吉野にももうひとつ、いくつかのっぺらぼうに関する噂が伝わっとる」
「のっぺらぼう自体はメジャーな妖怪ですけど、それに関する噂がこの現代、しかも一定の地域で集中しているのは面白いですね。何か原因がありそうです」
僕は当たり障りのない意見を述べた。
「火のない所に煙は立たん。噂が立つ以上、必ず何かしらの原因がある、それは確かや」
「何かそれに関係する事件が昔起きた……とか? でも部長、さっきはこの店に出る幽霊の件については前提から否定してましたよね……?」
「したで。じゃあ逆に聞くけど、あやめ池の一家惨殺の家、熊取の皆殺しの家、ジェイソン村、杉沢村、これ全部大量殺人があったとまことしやかに語られる。けど、それはほんまに起こった事件か? 違うやろ?」
「はい、違います……」
「要するに部長は、原因を伴って語られるタイプの都市伝説は、原因そのものが都市伝説の一部である、と言いたいんですね?」
「その通り、志信はさすがやな。ラーメン屋の奥のテーブルに幽霊が出る、それはこの裏の神社で首を吊った女の霊である。まんま同じタイプや。せやけど、のっぺらぼうに関する話は、幽霊が出た、その顔は目も鼻もないのっぺらぼうやった。原因が語られてないんや。幽霊話を伝えるだけなら幽霊が出た、で完結するものやろ? 現にそんな話はごまんとある。なんでそれが、この一定の地域だけのっぺらぼうに繋がるんや?」
僕たちふたりを相手にまくしたてる部長。
「噂の発端となった人物が原因を知らなかった。しかし、のっぺらぼうという存在が無意識的に、この地域に住む人間に強く植え付けられていた。もしくは、原因を語りたくなかった。考えられる理由としては、原因を語ることで噂を全否定してしまう」
「そうや、原因が語られてない場合、語りたくない原因が必ずそこにある。うちが噂を調べるに値するかどうかは、まずここで決める」
「で、部長はその原因、突き止めたってことですよね?」
「もちろんや。うちひとりで奈良までいってフィールドワークしてきた。で、その原因やけど、時代は戦時中まで遡る」
「戦時中……?」
そこまで時代を遡るのならフィールドワークのしがいもあるだろう。
「終戦間際、米軍が硫黄島にまで侵攻し、日本の陸軍は本土決戦を覚悟して浅間山の碓氷峠に大本営を設置した。妙義山、赤城山、榛名山、この辺りを最終決戦の場として想定しとったわけや。でも海軍は違った。米軍の海軍や海兵隊は和歌山の田辺湾から上陸してくると考えた。実際、戦後の占領軍は関西進駐の際に田辺湾から上陸しとる。十津川渓谷を含めた山岳地帯を攻略すれば、そこには大阪平野が広がる。そうなったらもう関西は落ちたも同然や。せやから海軍は吉野を中心とした大和の地に基地を作ることにした」
「それがのっぺらぼうと一体何の関係が?」
「ほんでや、桜井市に住むご老人から当時の話も聞いた。ちょうどその頃、近くで道路工事が始まったんやと。それらの徴用工がいなくなった頃、憲兵が各戸をまわってこういうことを触れ回ったそうや」
「ゴクリ……」
高原さんの唾を飲み込む音が聞こえた。
「『のっぺらぼうが出るから、夜は外に出てはいけない』と」
「憲兵が、のっぺらぼうを……?」
夜になったら色々と見られてはまずいものもあるのだろう。しかし、それをのっぺらぼうでごまかすなんて、あまりにもバカげている。
「大人は脅せば口を噤む、せやけど子供はそういうわけにはいかんからな。だから子供向けにそういう話を軍が作ったんやろな。実際、深夜になると、もの凄い音と振動で何度も目を覚ましたことがあるそうや。その度に両親は『のっぺらぼうが来たから寝とれ』って言うたそうや。で、そのご老人はある夜、両親が起きなかったのをええことにこっそりと外を見てみたことがあるそうや。そしたら、逆さ向いた戦車が何台も連なって行ったのを見たんやと。おそらくは三輪山か巻向山辺りに拠点をつくろうとしたんやろな」
逆さを向いた戦車とは、要するに移動時の戦車のことだろう。戦車が砲身を前に向けているのは射撃体勢に入っている時だけだ。
「要するに、当時に憲兵の流したのっぺらぼうの噂が、現在でもまだ誰かしらに語り継がれて生きている、ということなんですね」
「そういうこっちゃな」
「そういう面白そうな依頼、たまには僕にも回してくださいよ……」
「面白そうやから、回さへんのや」
部長は満面の笑みでそう答えた。殴りたい。
店を出て、駐車場へと向かう途中、部長は満足げに腹鼓を打っていた。
「あー、腹一杯や」
「部長、よくあれだけ食べてそのスタイル維持できますよね……うらやましい……」
自分の体型と見比べながら、部長の食べても太らない体質を嫉む高原さん。
「なんやそれ嫌味か? うちは逆にラーメン小盛りで足りるお前の腹の方がうらやましいわ。金かからんで済むからなー」
「食べたら食べた分だけ太りますから……」
「何言うてんねん。高原はもっと肉付けた方がええわ。見てみその腕、幽霊みたいにガリガリやないか。男はお前が思ってる以上に肉ついてた方が好きなんやで。な、志信?」
「な、なんで僕に振るんですか……!」
唐突に矛先を向けられてうろたえる僕を救済するかのように部長のスマホが鳴った。『着信アリ』の死の着信メロディだ。
「お、依頼か」
「どんな依頼ですか?」
高原さんが部長の携帯をのぞき込むように身を乗り出した。
「今読んどるから、まあ待ちや」
スマホを高原さんから遠ざける。
「また犬探しですか?」
僕は皮肉を込めて言った。
「猫ってキーワードが本文に入ってたら即刻ゴミ箱に行くようになっとる」
そんな部長は犬派だった。
「ほら、見てみ。まともな依頼や。『梅田の泉の広場に現れる女の霊を調査してください』やって」
「あ、それ私知ってます! 泉の広場に赤い服……」
「大丈夫や、いちいち説明してくれんでもお前の知っとることはうちらも大抵知っとる」
「う……」
ドヤ顔から一転泣きそうな表情になって沈み込む。
「部長、この話って……」
「そうや、原因が語られてないタイプの都市伝説や」