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Five Knives  作者: 直弥
第一章「矜持の一生」
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その5

 朝も早くから、ショーン少年はそわそわしていた。先生が来る前に家の中を暖かくしておこうと、細心の注意を払って暖炉も灯していた。暖炉の火つけ自体、彼にとっては初めての経験だった。やがてコンコンと、ノックの音。

「はーい!」

 元気のよい返事をしながら、ショーンは扉の方へ走っていく。ノブを捻り。扉を開け切る前に。少年は絶命していた。断末魔の悲鳴を上げる間も与えられず。銃弾が、彼の脳幹を貫通していた。恐ろしいまでに精確な軌道。

「警戒もなしとは不用心だな。これがもし誘拐犯だったら攫われているところだぞ」崩れ落ちた少年の遺体には目もくれず、あまつさえそれを跨いで、殺人鬼は家の中へ侵入する。背の低い小太りの男である。見目三十歳前後といったところ。「……他に人間はいないか。お、暖炉に火がついているじゃないか。ちょうどいい、少しここで休憩していくか」


「やれやれ、寝坊なんて何十年振りかな」

 半分徹夜をしたアートが、約束より少し遅れてヘッド家に辿り着いた。ノックをしても返事はないが、半分以上カーテンの閉まった窓からは暖炉に火がついていることが確認できる。已む無く、アートは黙って扉を開こうとした。しかし扉は開け切らず、何かにこつんと当たる。当然として、彼は足元を見る。

 幼い少年の亡骸が横たわっていた。ショーン・ヘッド。ほんの数時間前まで微笑んでいた男の子。

「貴様あああ!!」

 叫んでいた。それこそ反射的に。自分でも、気が付けばという具合に。

「静かにしないか。そんな大きな図体で力いっぱいに叫びおってからに。誰かに聞かれたらどうする気だ」あくまで冷静な様子で。家主の如き態度で椅子に座りながら、殺人鬼は言う。「いやしかし本当に驚くべき巨体だ。まるで熊だな」

 怒りと憎悪で血よりも真赤に染まった面相で殺人鬼を睨み付けているアートは、そのままずんずんと彼に近づいていく。そして。

「は?」殺人鬼の右足を踏み潰した。肉はパイさながらにひしゃげ、血はチェリーソースのよう。骨は石灰の如く砕け散る。「ぎゃあ、ああ、ああ、あああああ!!」椅子から転げ落ち、アートの怒声並みに喧しい音量で悲鳴を上げる殺人鬼。隠し持っていた拳銃も地面に落ちる。「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、嘘だろ? 嘘だ嘘だ!! 鉄板入りの靴だぞ!? 幾らそんな馬鹿でかい図体をしているからって、ただの人間にそんな力があるはずない! 嘘だうそだ嘘だウソだっ! ひ、ああああああがああ、ううっつつ!」

 地獄の底で。生前の罪人たちが、その代償としての鬼の責め苦に耐えあぐねて漏らすような悲鳴が響き渡る。一寸前までの余裕こそが嘘のよう。アートは構わず、殺人鬼の首根っこを掴んで持ち上げる。

「ただの人間ではない。魔術師だ」

 言って。魔術師は、殺人鬼の首を締め上げた。右手で締め上げながら、渾身の左拳を顔面に叩きつける。衝突ともに、男の顔は原型残さず四散した。引火したダイナマイトでも食らったかの如く。頭部を失った屍が床に落ちる。

 殺人鬼の血に塗れた腕で、アートは少年の遺体を抱き抱える。肩を震わせ、今にも涙を流しそうになった矢先、

「おや、先客がいたかな?」

 扉の外から、新客の声を聞いた。一瞬にして顔面を蒼白にさせたアートは振り返ることもせず形振り構わず、少年の遺体を抱えたまま、魔術的な瞬間移動でスノードンの山にまで飛んでいた。対して新客の男は、物理的な瞬間移動で魔術師に追従していた。本当の本当にひとっ跳びで。

「な、ああ、あ」

「逃げるにしては中途半端な距離だな」

 ヘッド家からここまでの移動はまさしく一瞬。コンマ一秒の世界。アートにとっては全身全霊を懸けた精一杯の空間移動魔術であった。それを。目の前の男は、事もなげに脚力だけで実現し、あまつさえ半端であると切り捨てた。

「く、うう。あっ」

 寒さのせいなどではなく。絶対的な恐怖で、アートの身体が震え上がる。男の、あまりと言えばあまりにもな規格外加減に、正体を喪いかける。だが懸命の想いで口を開いて、恐る恐る訊ねる。

「ま、まさか……ワイズネルラか?」

「ああ、魔術師オマエたちはそう呼ぶな」

 髪を弄りながら応える殺人狂鬼、ワイズネルラ。

 圧倒的なまでのオーラを否応なしに叩きつけられるアートの震えは止まらない。これは〝死〟だと。死そのものだと、本能が彼に告げていた。勝てる勝てないの問題ではない。逃げる逃げないの問題でもない。予告も遠慮もなくやって来る死が、今こそ目の前に現れたのだと。理解していても、訊ねてしまう。

「な、何をしに、来たんだ」

「おおっと、意外な質問だ。オレの名前を知っているのにそれを訊くか」

 確かに馬鹿げた質問だったと。アートは自戒する。殺人狂のすることなど、ハナから決まりきっている。だが改めてそれを思い出せたことで、彼を支配していた恐怖という感情の中で、少しずつ怒りが鎌首をもたげてくる。

「あの男はなんだ。貴様とあいつ、二人の殺人鬼が同じ日同じ場所に現れたことがまったくの偶然だとは思えない。……貴様の手引きか」

「ああ」即答。「魔術師の平均レベルがここ数世紀で劇的に向上し、『連合』にも骨のある輩が増え始めたからな。あまり派手に動いて奴らを呼び込んでしまっては障害になるんだ。そこで考えたのが、あちらこちらに殺人狂を送り込んで撹乱するという方法。あの男でまだ試験体二号目だったから、不安もあってちょいと様子を見に来たんだが、やっぱり駄目だな。一号目の出来が好かったから期待していたんだが……あれは特別だったようだ。並みの人間を殺人鬼に仕立て上げてもあの程度が関の山。時間稼ぎにもならん。と言ってオレが心まで操れる人間のレベルもたかが知れているしな」

 嬉々として語り続けるワイズに、アートは新たな戦慄を覚え始めていた。人心を掌握して操ることは、魔術師にとって決して難しい業ではない。ましてや神秘の実在を知らない一般人相手ならば。だが、よりにもよって人一人を殺人鬼に仕立て上げるとは。まさしく狂っているとしか表現のしようがない。ふと、自分が激情のままに殺してしまったあの男も、本来はただ操られていただけの善人だったかもしれないことに気付かされる。日々家族のために働いて、休日には子どもと遊んであげる。そんな父親だったのかもしれない。

 ――なら……こいつが殺人鬼に仕立て上げたのは、あの男だけじゃない。

 アート・バーンズもまた、ワイズネルラによって殺人鬼に仕立てられた人間の一人。

 ――なんていうのは、ただの言い訳か。

「ん? 何をさっきから黙りこくっている。オレは別に怒ってなどいないぞ。むしろ作戦の無駄さを早めに教えてくれたお前には感謝したいぐらいだ。傀儡とはいえ、やはりオレに仲間は必要ない」

 ワイズの語調には、成程確かに僅かな怒気も孕まれていなかった。対照的に、アートの心中には沸々とした怒りが湧き起こり始めていた。仲間という言葉が癪に障る。

 ――こいつは確実に人間すべての敵だ……! ショーンを殺したのだって、実質的にはこいつなんだ。事故や災害なら仕方ないだなんて、とんでもない言い草だった! そんなものに肉親や友人を奪われて、納得出来る者などいやしない。たとえ自業自得であっても、自分や身内の死を受け入れがたいのが人間だというのに……!!

 恐怖は少しも消えていない。ただ怒りによって強引に押し込めているだけ。しかしとにかく。今のアートにはそれで十分だった。手を放す間さえも惜しんだ結果一緒に運んできてしまった少年の遺体を、優しく地面――溶けかけた雪が僅かに残っている――に置き、アートは直立する。狂鬼を直視する。憎悪に満ちた眼差し。

「殺してやる」

「おいそりゃオレの台詞だろう」

 それ以上のやり取りに意味はない。双方がそう感じたから、次の瞬間には戦いが始まっていた。アートが地面を殴りつけると、無数の触手めいたものが地中から飛び出して来てワイズに襲いかかった。

「へえっ、これはなかなか」余裕綽々に感嘆を漏らしたワイズは、動物然とした意思を持っているかの如くとびかかってくるすべての触手もどきを打ち払った。裂かれ、折られ、ぼろぼろになったそれらは、死んだように地に伏して動かなくなる。「樫の木の根だな。どこから引いてきているのかは知らんが、このダメージでは本体の方も死んだんじゃないか? 基本的に殺すのは人間だけと決めているオレだが、この際は仕方ないな」

「っ、黙れ!」

 再び、アートの拳が地面を突く。山が揺れる。轟音が響く。

 ワイズが視線を山頂の方、アートの背方に向ける。吹雪という現象がそのまま塊となったような何かが迫って来ていた。頂上に残っていた雪が、真白い悪魔となって下り落ちてきている。完全な雪山ならばさぞかし豪快な雪崩となっていただろうが、雪山まがいの今のスノードンでは、軽すぎる残雪が風に舞ってしまっている。それでも小さな小屋ぐらいなら押し潰してしまうであろう雪崩もどきを、ワイズは棒立ちで迎え受ける。

 世界そのものが呻り声を挙げているのかと錯覚させる轟音とともに押し寄せる雪の壁は、場を完全に白く染め上げる。並みの人間なら目など到底開けていられない、無理に開けていては失明必死な状況下、ワイズはまるで動じていない。しかし。さすがに視界はある程度以上遮られているのか、目は細められている。そこへ。

「ん?」先ほどと同様の触手もどきたちが迫る。「まだ生きて、いや、別の個体か」分析するほどの冷静さをもって、やはりそのすべてを打ち払い終えた直後のワイズの顔面に拳が打ち当てられる。アート・バーンズ本気の拳をモロに受けたワイズの感想は。

「ひ弱だな。躱すまでもない。魔力で覆ってこの程度か?」

 酷く淡白だった。ワイズネルラの顔には傷一つなく、どころか僅かばかりの痛みすら感じていない様子。口惜しがる間もなく、アートは飛び退く。似非の雪崩は既に通り過ぎていた。ショーンの遺体はどこかに消えている。

「はあっ、はあっ、ふう、う、うう、はあっ」

「どうしたんだ。もう息切れか。だらしない。魔力の質は決して悪くないが、量が少なすぎて話にならないな。お前、その歳になるまで何をしていたんだ?」

 容赦ない辛辣な言葉が、アートに突き刺さる。耳が痛くて、彼は強く歯噛みする。まったくもって本当にこれまで自分は何をしていたというのだろう、と。

 ――ああ、何もして来なかったさ。馬鹿みたいに引き籠っていただけだ。まるで自分が世界で一番哀れな人間のように思い込んで。

「感傷に浸っているところ悪いが、痛くないのか?」

「なに……? あ、ああ?」まったく突然に、走る激痛。見れば。アートの右肩から下が、身体から分離して、地面に転がっていた。「つ、うう」

 混乱は当然。だが今は何よりも止血を優先すべきと判断した魔術師は、自らの服を引き千切り、その切れ端に、今まさに流れ落ちている自分の血で何かを書いていく。高速筆記。口頭魔術を専門外とするアートの一族が、少しでも戦闘用に耐え得るよう編み出した技術。言ってみれば魔術文字の速記記号化。その術を以て目当ての呪文を速攻で書き終わったアートは、それを肩の切断面に押し当てた。体内に吸い込まれるように消えていく布きれ。流血は止まる。しかし、痛みはまるで和らがない。痛み留めの術式まで書き記す時間を惜しんでまで、ワイズから視線を外さないまま止血したから。だがその行為に、今や姑息以上の意味を見出せない魔術師だった。

 ――ぐっ、完全に相手にされていない。

 ワイズネルラは攻撃を仕掛けようともせず、アートの治癒を見守っていた。

「舐めているのか」

「舐められているのは誰のせいだ?」他の誰でもない。アート。魔術師アート・バーンズの非力故。「しかしまあ、即座に対応出来たのはさすがだよ。悲鳴も上げなかったしな。魔術師に至ること自体が『第一の壁』とされている所以か。忍耐力はなかなかのものだ。生得的な能力に頼りきりな能力者とは違うか。お前の怠惰は、あくまでも魔術師中では怠け者という程度ってことらしい」

「……ふん、世辞はやめろ」

「世辞? のぼせるな。ただの感想だ。オマエ如き魔術師をいい気分にして何の意味がある。ふうっ…くだらないことを言うから白けてきたじゃないか。仕方ない。盛り上げ直すために、ひとつ手品を見せてやろう」

 直後、ワイズはアートの背後を取っていた。

「っ!?」

 逃げなくてはと思う間もなく。アートの左手がワイズに掴まれる。

「おおう、間近で見ると迫力があるな。何を喰ったらそこまででかくなれるんだ?」

 言ったワイズの右手がアートの身体を貫通する。

「!?」

 背中から下腹部へぶち抜かれたワイズの腕が、アートの眼下に現れる。砕けた背骨とぐちゃぐちゃになった腸がワイズの掌の中で血に溺れている。しかし。

「痛くないだろ?」

 目を覆いたくなる惨状にも関わらず、確かにアートは痛みを一切覚えていなかった。麻酔か何かで誤魔化されているという感覚もない。まさに無痛状態。こそばゆさすらない。

 ――どう、なってる……! この傷自体が幻……というわけではないっ。

 何故なら滴る血が膝や足にかかる感触は確かにあるから。ただ痛みだけが感じられない。より正確に言えば、下腹部の痛みだけが感じられない。右肩の痛みは少しも衰えずに健在である。

「………まだ生きていられるか。だがこれを引き抜けばさすがに終わるだろうな。最期に何か言うことはあるか? ここまで付き合ったからには、遺言くらい聞くぞ」

 遺言。最期に残す言葉。この期に及んでようやくアートは理解する。こんなものは戦いではなかった。ワイズネルラにとっては、いつもと変わらぬ殺人行為に、少々手間をかけただけのこと。同時に気付く。そんなことは始めから分かっていたと。ならば何故、自分は戦おうとした? ショーンのための報復か。殺人鬼に仕立て上げられた名も知らぬ男への贖いか。双方足して、己の死刑を望んだのか。わからない。だが何にせよ自分は、今、死ぬ。それだけは揺るがない。ならば彼の選ぶ最期は。

 ちらりと左方に目配せし、唇を動かすアート――何か言葉を発しているようだが、音声は伴われていない。そんな風にして無声で何かを言い終えた後、大きく息を吐いた彼は毅然とした瞳で空を見つめて。

「貴様に自分の遺言を伝えるなど……〝死〟んでも御免だ!」

 大音量で叫んだ後、最悪の文字を刻んだ歯で、魔術師は自らの舌を噛み切った。

 瞬間、山が咆哮した。

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