その4
「どうなっているんだ、まったく!」
バリアー・マクベインの妨害を受けた直後から。ワイズネルラは様々なる者たちに次々と挑まれ続けていた。それらすべてを返り討ちにしながらも殺すことなく、彼は疲弊しかけていた。今彼を襲っているのは皆、人間に非ざる者たちであったから。
狼が疾風の如くワイズネルラに飛びかかり、その脛に咬み付く。
「こいつっ」
苛立たしげに。ワイズネルラが激しく脚を振るが、狼の牙は離れない。やむなく彼は狼の頭を手で鷲掴み、無理からに引き剥がして放り投げた。宙を飛びながら、狼はヒトへ姿を変じさせ、両手両指十本の爪を膨張させて、ワイズに向かって槍の如く放った。それらはすべて、ワイズネルラによって叩き落される。が、その間隙を縫って、ワイズに突進を仕掛ける別の男。
「おらあっ!」
雄叫びと共にワイズの腹に拳を叩き込んだのはゼン。
「こっ」
一瞬だけ渋い顔を見せたワイズは、しかし同時にゼンの腕を掴んでおり、次の瞬間にはゼンをこれまた宙高く放り投げた。
「げ」「うわ」
狼からヒトに変じた男とゼンは空中で衝突。絡まったまま、どさりと地面へ落下した。
「キバ、お前避けろよ!」「無茶言うんじゃねえ!」
二人の吸血鬼が仲間割れを起こしている最中も、新手。四人の吸血鬼――うち一人がキリで、彼女と対する位置にもう一人女性がいる――が、四方からワイズネルラに向かって爪を投げつけた。飛び上がってそれらを躱そうとしたワイズネルラを、空中で姿を消しながら待ち構えていたカブが殴り付けようとする。が、その拳は手で受け止められた。
「弱えんだよ、もっと筋力をつけろ」
言い捨てたワイズによって反撃――頬を叩かれたのみ――されたカブは、空の彼方にまで吹き飛んでいった。
「あれはリタイアかしらね」
「いやあ、あれぐらいなら、すぐに戻って来るだろ」
雑談終了。吸血鬼たちの攻撃が再開する。遠く退いてみれば、すでにリタイアした吸血鬼たちが六人ほど倒れていた。
ソウ=ソフ・カオスがワイズネルラとの戦いに向けて動き始めるかもしれないという情報は、カオス無二の親友であるクローヴ・アイン……の同胞たるワタリガラスによって、既に『連合』にまで伝えられていた。世界中に、この戦いの協力者として願い出る魔術師たちが溢れ返っていた。事態は一刻を争う。被害者が一人でも少ない内にワイズネルラを討ちたいという想いは皆同じであった。何より、近しい親戚友人をワイズネルラに殺害されたという魔術師たちは。そこにはあの降魔衆の面々もいた。だが特に会の中心にいたのは、ゼファロと青木春竜であった。春竜は唯袈裟ではなく、枯茶色の着流しに黒い帯を巻いている。その帯こそが青木家に伝わる術式兵装『執金天衣』。元来は贋造四神を縛するために造られた布の切れ端であり、巻いたところで装備者自身は攻撃力も防御力も増しはしない。衣服や装飾品に少々の魔術耐性がつくのみであるが、戦闘職の魔術師にとっては必携の品であるそれを装備した春竜が、片手で頭を押さえながら言う。
「痛みを操る絶対能力とか、どうしたらええんや」
『連合』本部に到着して早々、ワイズネルラの能力について知らされた春竜であったが、同時にその対処法が現状として存在しないことも聞かされていた。
「どうせ防ぎようがないなら、気合で耐えるしかねえな」そんな根性論を放った端から。「何にしても、痛みの理由を探る必要がなくなったのは助かる。その分タイムロスがなくなるからな。それに、絶対能力だっていうのは却ってよかったかもしれないぞ。魔術を使えないってことだからな」急に理屈を語り出すゼファロ。「話はもういいだろう。早く行かせてくれ。仲間が先に戦っているんだ」
作戦の一端はこうだった。カオスが来るまでに出来る限りワイズネルラの体力を奪うこと。再生の加護を受けているワイズネルラの体力を奪った状態にし続けるためには、ひっきりなしに彼と戦い続けねばならない。その為に先んじて投入されたのが、殺される心配が限りなく少ない人間以外の者たち。その最後の一隊であるゼファロ派のヴァンパイアたちは既に出陣した。彼らが全滅すれば、次に出るのはゼファロ、続いて人間の魔術師たちとなる。今ここは特攻隊の待合室にも等しかった。そこへ。
「やれやれ。かなり大がかりなことになって来てるみたいだな」
などと暢気な口調とともに現れた男に、場はざわめき出す。
「ソフ・カオスっ!?」「まさか本当に……」「え、あれが?」
言葉は多様ながらも、皆動揺していることは一様な反応。そんな中で、ゼファロだけが落ち着いていた。
「重役出勤にもほどがあるんじゃねえか?」
「それは違う。ワシは部外者だからな」
「お前、ここまで来てまでまだそんなことを。人間たちの必死な面を見てみろよ」
鬼気迫る。
「……これで倒せなきゃ、ワシが袋叩きにされそうだな」
肩を竦めるカオス。
「そん時はその前にワイズにやられてるだろ」
もっともな指摘をするゼファロ。
「全員が、っすけどね」
そして春竜。
「はあっ、はあっ……。さすがに手こずらせてくれたな。前に戦ったゼファロともそこまで変わらんヤツが何人もいやがって」息も絶え絶えながら、死屍累々と横たわる吸血鬼たち――但し誰一人死んでいない――に向かって吐き捨てるワイズネルラ。人間に見られないよう移動しつつ戦う内に、彼らは悪霊の山の頂上台地にまでやって来ていた。
悪霊の山。それは、ギアナ高地を形成するテーブルトップマウンテン――気の遠くなるような年月をかけて、雨風によって頂上がテーブルの如く平面に削られた山――の異称。標高は二五六〇メートル。ワイズネルラが崖っぷちから下を覗き込んでも、間に障害物が多すぎて地上は見えなかったが、代わりに、星が見えた。凄まじいまでの勢いをもって飛んできたゼファロのアッパーを顎に喰らったからである。
「がっ」「ぎっ」
不意打ちに怯みながらも反射的に振り上げられたワイズの蹴りがゼファロの頭部に炸裂する。もろに喰らったゼファロの身体が吹き飛ばされる。
「こんな挨拶は流石に初めてだな」顎を擦りながらそんなことを述べるワイズネルラ。彼の背後から現れて手刀で首を狙った春竜は、片手間に殴り飛ばされた。次の瞬間、空から飛んできたサイケデリックな色彩に輝く無数の光弾が、ワイズネルラを襲う。「っっ!!」神がかり的な反応速度で跳躍し、それらを回避したワイズは、砲弾とともに舞い降りた男を見て、頭を抱えた。「今回は色々とイレギュラーが働いたが。これが最高最悪だな。ソフ・カオス」
「ワイズ」
殺人狂鬼の名を呼びつつ、カオスは指を鳴らした。それで、倒れ伏していた吸血鬼たちが砂と入れ替わる。改めて対峙する、殺人狂鬼と魔術の祖。
「何二人の世界作ってんだよ」
口から血を流しながら戦線復帰するゼファロ。
「あかんわこれ、もう死にそう」
頭から口から鼻から耳から肩から腕から両膝から血を流し、既に満身創痍ながら辛うじて戻ってくる春竜。
「……おい、やっぱりお前は帰った方がいいんじゃないか?」
憐れみさえ感じさせる目でゼファロは提案するが、春竜は首を横に振り、断固として答える。
「それは嫌や。ここで帰ったら、俺は一生自分を恥じ続けることになるかもしれへん。邪魔やったら途中で適当に殺すなりなんなりしてもらって構いませんから、もうちょいおらせてください」
「分かった」「分かった」
「物分かり良すぎへんか?」
即答二つは流石にショックであったらしく、露骨な落胆。何はともあれ話は決まった。三人は改めてワイズネルラに向き直った。
――――〈竜巣域〉
「何だか、自分だけ安全な所にいて気が引けます」
「いいんじゃないかい? アンタがいたって何か出来るわけでもなし。それなりに、やることはやったんだからね」
カレンと、せめて〈物質域〉に戻っておきたいという彼女の申し出を拒否したクローヴ・アイン。一人と一頭は、ただ祈っていた。
「カオスさんは大丈夫でしょうか?」
「どうだかね。今、ちょうどワイズネルラの奴と向かい合っているところだ。人間たちと、あとゼファロも一緒だね」
「へ、ゼファロさんが?」
「ああ。こりゃあ、どうなることかね」
期待半分、興奮三割、心配二割で。秩序の竜は、混沌とした闘いを見つめていた。




