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Five Knives  作者: 直弥
序章「狂い鬼の冷笑」
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その2

 フィラデルフィア・デリンジャー。銃器を見慣れてない者の目には玩具にさえ映るかもしれないこの小型拳銃が〝大統領殺し〟などという不名誉且つ物騒極まりない名でも呼ばれるように。善しにしろ悪しきにしろ、何かしら大きなことを成し遂げたモノ、もしくは特別なことは何も成していなくとも特異な事情を持つモノには、相応の異称が付けられるものである。それは魔術師やら異形やらが闊歩する人外の社会でも変わらない。二百年に一度現れては人間のみを大量に殺戮する怪物にも、実に様々な異称がある。殺人狂鬼。鬼劇夜叉。すっぴんの道化師。ワイズネルラ。実際問題としては、本名が不明なのだから、異称というのもおかしな話なのだが。 


「はっ、はっ、はっ、はあっ、はっ、ううっ」

 イーストエンド某所の路地裏。縒れたシャツを着た青年が、息を切らせて走っていた。左肩には赤いモノがべったりと付いている。

 ――なんだよ、アイツ! なんなんだよ、あれ!!

 幽霊でも見たのかという具合の蒼白な顔面。上顎の歯と下顎の歯が超高速でぶつかり合って音を立てており、額からは脂汗が滲み出ている。いつぶっ倒れてしまってもおかしくはない程に困憊していることは明らかなのに、青年、すなわちボリス・クーガンは走り続けていた。一刻も早く表通りへ出て、生きている人を見つけ、自分のいる世界がまだ『この世』であることを確かめたくて。あるいは悪夢から目覚めるために。


 ――――時間はやや遡る。

 この日、不良仲間たち三人、つまりはニック、トニー、アントンとともに、ボリス青年はウエストエンド某所からやって来た。

「ふうん。イーストエンドなんて、別に大したことないな」

 とは、アントンの言葉である。アントン。肥満とまではいかなくとも、やや太り気味な少年。歳は十七。

 ボリス、アントンの言に答えて曰く。

「二日だか三日だか前に大量殺人があったばっかりだからな。皆家の中に引き籠ってるんだろ。家のない奴はない奴でどっかで一塊になってんじゃねえか?」

 実際その通りであったのだが。ボリスたちにとってはどうでもいいことでもあった。彼らがわざわざこんな物騒な場所に物騒な時期にやって来た理由は一つ、いや二つである。

 一つは単純明快な度胸試し。たったの二日前まで近くに大量殺人犯がいたことは確かで、しかもそいつがまだ捕まっていないような状況でそこへやって来るというのは度胸試しなんて冗談で済まされる類のものではないのだが。そこはそれ。不良少年たち御得意の考えなしである。だから何が起きても自己責任。たとえ殺人鬼に遭遇して殺される事態になっても、予測して置いて然るべき事態なのである。

 もう一つの理由というのはニック。

 クーガン夫妻とそのどら息子が暮らす屋敷の隣りに住んでいた彼は、仲間内では最年少で、十四歳になるまであと一八〇日も残っていた。背もまだ五フィートと少ししかなく、童貞だった。童貞。これで理由は語ったようなものである。

 渋る娼婦を金で釣り上げて外へ連れ出した彼らは、ロンドン塔がよく見える川の岸辺へやって来た。摂氏七度。そうしていざ事に及ぼうとした彼らの前へ現れたのは一人の殺人鬼であった。

「よう、ヤってるな!」

 まだヤってはいなかったが。ともかく。あまりにも場に即した陽気な声とともに、殺人狂鬼ワイズネルラは現れた。手を伸ばせば五人――ニックと彼の三人の仲間、そして娼婦――の誰もに触れることが出来るような位置。遅れてきた仲間と言うよりは、ハナから彼らの輪の中にいたかの如し。

 最初に殺されたのはニックであった。子どもから男になったことを自慢した時に友人たちが見せるであろう尊敬と羨望の眼差しを妄想しながら、彼は息絶えた。実際には子どものまま。断末魔の悲鳴を上げる間もなく。自分が殺されたことさえ気付かぬ間に。頭と胴が切り離されるという、極めて分かり易い方法で殺害された。

 次に殺されたのはノッポのトニーである。ボリスと同い歳の十八歳。四人のリーダー的存在であった彼もまた、自覚しないままに命を停止せられた。噴き出たニックの血を両目に浴びて怯んでいる隙に、クリケットの球がすっぽり通り抜けられるほどの孔を額に穿たれたのである。瞼が閉じられている間でもあったということを考えれば、ニックよりはまだ慈悲ある殺され方であったと言えるのかもしれない。

 残された者たちが二人の死に様を知り得たのは、死体が残されているからに他ならなかった。ニックとトニーが殺害されたのはまさしく瞬きの間。ボリスの視点からすれば、わけのわからない男が現れた次の瞬間には二人とも死体となっていた。方法も何も分からない。現象の意味が分からない。

「あまりにも脆いな。浜辺の砂で形作った人型のようだ」

 呟くワイズの左腕は肘まで真っ赤に染まっていた。伸びた爪の間には薄桃色で柔らかそうな何かが挟まっている。実物を見たことなどなかったが、ボリスにはそれが、トニーの脳みそであるとすぐに分かった。

 女の甲高い絶叫が上がった。ワイズが、まだ血に濡れていない方の腕を振り上げる。悲鳴の声を響かせたまま、娼婦の身体は縦真っ二つに裂けた。心臓を始めとする、寸断を免れた無傷の臓器は、未だ緩やかに動いていた。それぞれが別個の生物であるかの如く。

「野郎!!」

 考えもなく。怒号とともに。ポケットからナイフ――普段は柄の中に刃が仕舞われているタイプだ――を取り出したアントンが、そいつを殺人鬼の喉笛目掛けて突き出した。が、銀色の刃がワイズの肉に食い込むことはなかった。悲鳴を上げたのはアントン。ナイフの刃はワイズの喉に触れた瞬間二つに折れ、跳ね返り、アントンの右目に突き刺さった。激痛に叫び声を上げる彼の顔面がワイズの手に掴まれ、そのまま握り潰された。ぐちゃりと。半分血に染まった眼球は視神経と辛うじて繋がっていて、宙ぶらりんになっている。それでもまだ生きていた彼は更に馬鹿でかく情けない声を上げながら仰向けに倒れた。

「危ない奴だな。いきなりヒトに刃物を向けるなんて、非常識じゃないか」澄ました声でそう言ったワイズは、アントンの心臓を踏み潰してからこう続けた。「しかしまあ、魔術も神秘も付与されていないただのナイフなど、防衛の必要もない」

 そして振り返る。ボリスの方へ。目の前で起きた惨劇の意味が理解出来ずに呆然としている、最後の青年の方へ。

「明日には、いや、もう今日か。今日にはイーストエンドどころかロンドンからも出て行くつもりだったのに、運のない奴らだ。そう思わないか?」

「あ、ああ……そうかもな」どういう理屈でそんな風に答えてしまったのか。「そうだと思うよ」

 ボリスは自分でもわけがわからなかった。

 ワイズネルラは満足そうに笑うと、直立不動のままでいるボリスに近寄り、彼の左肩をポンポンと叩いた。

「三十秒」

「え?」

「三十秒やろう。自由時間だ。オマエの好きなように行動しろ」

「三十秒経ったら」生唾を飲み込む音。「どうする気だ?」

「殺す以外に何がある」

 ボリスは半狂乱で駆け出した。

「あ、おい! まだ指を鳴らしてないぞ!」パチン。「はい、鳴らした! 今から三十秒だからなあ!」


 走りながらボリスは「奴こそがかの〝切り裂きジャック〟に違いない」と考え始めていた。

 ――生きていたんだ! ジャックは! ……いや、そもそも人間なんかじゃあなかったんだ! ジャック、あいつは正真正銘の化け物だ。でもそれにしたって、ジャックは娼婦しか殺さないはずなんじゃ……。ああ、そうか。奴の狙いはあの女だったんだ! 俺たちは単なる道連れなんだ! ふざけんな! クソッ、クソッ、クソったれめ!!

 理不尽を通り越した無茶苦茶な呪詛を心の中でほざきながら。脳裏では、トニーやニック、アントンとの日々が走馬灯のように駆け巡っていた。

 トニーはボリスと同い歳であったが、腕っぷしが一番強く、頭もそれほど悪くなかったことから、異論なしに四人の指導者足り得ていた。彼は、ある種の絶対者だった。三人にとっては、彼の言うことは警察署長の言うことよりも正しかった。

 ニックは、ボリスたちからすればまだまだ子どもだった。それがグループに加われたのは、彼の向こう見ずな性格にあった。父親のマスケット銃を持ち出して来て猫の尻尾を射抜いた時、彼は晴れてグループの一員になったのだ。そんな彼も、ただ女にのみ奥手であった。

 アントンはボリスにとって年下の幼なじみである。いや、であった。もう死んだ。どちらかと言えば臆病な少年で、こけおどし兼万が一の時の護身用として常にナイフを持ち歩いていたが、最後の最期まで役に立つことはなかった。

「ううっ」

 ボリスの目から、涙が溢れ出した。

 ボリスは確かに不良だった。トニーもニックもアントンも。素行は最低最悪で、恐喝だってしたし、因縁つけて人を殴ったこともある。それにしても女性を強姦したことはただの一度だってなかったし、殺人なんて以ての外であった。中途半端だった、というわけではない。越えてはいけない一線というものを、足りない頭ながらに理解していたのだ。常に考えもなく無茶をしでかしている彼らであっても、感覚として理解していた。その線を越えてしまえば、もはや不良なんて域ではなくなってしまって、どころか人間ですらなくなってしまうような、そんな一線があることを。だが、突然に現れた狂人は、ソイツをあっさりと飛び越えたのだ。飛ぶというよりかは、跨ぐようにして。

 ……ふと。ボリスは違和感を覚えた。果たしてこれだけ走ってまだ表通りに出られないものなのだろうか。人っ子一人見かけないものだろうか。何故足元には四人分の死体が転がっていて、眼前にあの殺人鬼が突っ立っているのだろうか。

「は、はははははははっっ」笑った。ボリスは、自分で自分を嘲笑った。なんのことはない。彼はただ、ぐるりと路地を一周して元の場所に戻って来ていただけに過ぎなかった。「ははははっ、アハハハハハ! ハ!? ハはハハ!!」

 転げそうなほどに笑い続ける彼に対して。

「残念だ」ワイズの声色はあからさまに不機嫌だった。「オマエの行動は余りにもありきたりだった。これならまだ、オレに飛び掛かって来てくれた方が良かったぐらいだ」

 そう吐き捨てると、ワイズはくるりと踵を返し、まだ笑い続けている青年に背を向けた。

「こうまでありきたりな真似をされると、せめてオレの方だけでも変わったことをしたくなる。つまりオマエは見逃そうというわけなんだが、聞いちゃいないな」

 言い捨てて。ワイズネルラは本当にその場を歩き去って行った。一度「殺す」と口にまで出して宣言した人間の殺害を取り消す。それは、ワイズネルラにとってごく稀な珍しいことであった。

 ワイズネルラが去った後も、ボリスはずっと笑い続けていた。そんな彼の体たらくを、いつから居たのか、ロンドン塔の天辺上から一羽の大きな真黒い鳥が眺めていた。だがやがてその鳥も、大きな翼を広げて夜の空へと飛んで行った。

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