その7
ワイズネルラと青木春との死闘から三十分後、九条邸。
「どういうことですか」つい先ほどまで、嘘の手紙によって呼び出され監禁されていた真壁幸守が、怒りに打ち震えながら九条と向かい合っていた。降魔衆を束ねる九条は、真壁幸守にとっても上司と呼ぶべき存在であったが、今や幸守は遠慮などしない。「大量発生した瘴気を祓うだけの仕事だと聞いていたのに、全部嘘だったんですね。ワイズネルラとの戦いで邪魔になるからって騙していたんだ。春まで一緒になって……っ!」
「仕方がなかった。お前があの場に居れば、青木が死ぬ前に飛び出して行ったろう?」
「当たり前じゃないですか! だって、死ぬまで待つ必要があったんですか? その前に助け出したって、作戦は完遂出来たんじゃないんですか!?」
「そうだったのかもしれない。だがワイズネルラ相手に、どこまで念を押してもやり過ぎということはなかった。分かるだろう?」
「分かりたくありませんよ」
九条に背を向けて、幸守は歩き出す。
「おい、どこへ行く?」
「決まってるじゃないですか。帰るんですよ。それから。今日限り、真壁は降魔衆を抜けさせてもらいます」
言い捨てて。部屋を出て行こうとする幸守に。
「待て!」
九条は尚も声を掛ける。足を止め振り返った幸守が、彼を激しく睨み付けながら告げる。
「何を言っても無駄ですよ」
「分かってる。『降魔衆』に引き留めたりはしないが、出て行くのならこれは君が持って行ってくれ」
そんなことを言いながら九条が取り出したのは、枯茶色の着流しと黒い帯、そして、鞘に刃を収めた短刀。
「春が着ていた服と、これは、もしかして『鬼一刀』ですか?」
「そうだ。出来ればすべて、君が青木家に返しておいてくれ」
「ええ、そうさせてもらいますよ」
言って。着流しと帯、鬼一刀を引っ手繰くった幸守は、今度こそ部屋を出て行った。歯肉から血が滲むほどに歯噛みしながら、長い長い廊下を進む。そのまま玄関までやって来て、下駄を履き、乱暴に扉を開けると、外では彼に仕える式神、代が待っていた。
「幸守様……」
不安を湛えた表情を浮かべ、今にも泣き出しそうにしている代に、幸守は怒りを隠さずに訊ねる。
「お前も知っていたんだな。そうだろう?」
「はい。幸守様が出掛けた後、春様に聞かされました。『幸守は甘すぎて、俺が痛めつけられてる途中に飛び出してしまうかもしれないから』と」
「そうか」
――じゃあ、時間的にそれを俺に知らせられる機会はなかったのか。
ならば代を責めることは出来まいと、幸守はそれ以上の言葉を噤んだ。春を説得もしなかったのか、とまでは言えない。どの道、式神は陰陽師に逆らえない。となれば、むしろ悔やむべきは自分自身の未熟さ。今朝会った時点で、春はもう死ぬつもりでいた。それに気付けなかったのが悔しくて堪らなく、幸守の目頭が熱くなる。しかし。
――泣いてもどうにもならない。去ったことを悔やむよりも、これからすべきことがある。
その思いでなんとか涙を踏み止まらせた幸守は、鬼一刀を強く握り締めながら、毅然として代に向き直り、命じる。
「今すぐ、青木の実家に行くぞ」




