その4(乙)
「うっそでした!」
「は?」
唐突な告白に。アジータの口から、間抜けな声が漏れる。
「ぎゃっはははは! なあに神妙な顔しちゃってんだよ? まさか信じちゃったわけ? 俺がお前のお袋の旦那になるはずだった男だって? バーカ、んなわけねえだろうが! てめえの素性を調べてる時に面白い話聞いたから、ちょっとからかってみただけだっての! よいしょっと!」またも踏み潰される、キリの顔。「お前のお袋に恨みがあるんなら、お前が生まれる前にどうにかしてるはずだろ? ちょっと考えたら分かることじゃねえか。回りくどく本人より親戚縁者に、なんて陰湿な趣味はねえからな!」
「~~~~~~っ」
途中でキリの顔を踏みつぶしながらも、止まることなく愉快そうに話し続けるネクロマンサーに、アジータは赤面する。
「あー、おっかしい。涙まで出てきた。いやあ悪い悪い、まさか本当に引っかかるとは思わなくてよ。まあ、その、ぶっちゃけお前には恨みなんか一切ないよ。単にお前の力が欲しいってだけだ」
「あ、アタシの力……?」
「そう。『太陽の化身』」吸血鬼、人狼、夢魔、そしてアンデッドの類といった夜の魔物たちに絶大な効力を発揮する力。「ネクロマンサーなんてやってるとよ、常に十、二十の死体人形抱えてるわけなんだが、処分する時になると結構面倒臭いんだよ。普通に潰しても回復するだけだし。こいつみたいに」またも踏み潰される、半端に復元しかかっていたキリの頭部。目を背けたくはなるが目を離すわけにはいかないアジータは、仕方なく視界に収めながらも肩を震わせている。しかしネクロマンサーはそんなことに構いはしない。「お前の力があれば、アンデッドの処分は一発オッケーだろ。こんな便利なツールは他にない」
彼の目にアジータは、もといアジータの能力は、便利な道具程度にしか映っていない。しかも必需品と言うほどの物ではなく、あったら便利という程度の。その程度で―――。
「アルンを攫おうとしたのも、やっぱりあなたなの?」
「は? 知らねえよ。俺はその一件を勝手に利用させてもらっただけだし。まあ、どっかの人攫いが真犯人なんじゃねえの?」
「そう。それだけ確認できれば、もう会話の意味もないわ」
アジータの身体が、黄金色の輝きを放ちながら変貌した。
「おわっ、それが『化神』かよ! 初めて見たわ、すげえ! つうか、吸血女の回復、完全に止まっちまったけど、いいのか?」
「う、ぐ、し、仕方ないわ」
――大丈夫。この姿になったところで、キリさんなら、直接触らない限り灰になったりしないはず。
「ふうん。じゃあもっと基本的な問題だけどさ、まさか俺と戦うつもりか?」
返答の代わりに、アジータは小さな太陽を投げつける。
すべての夜留にとって恐怖の対象、死の象徴であるそれは、ネクロマンサーの身体に衝突して消滅する。ただ、消滅する。火傷ひとつ、負わせられないままに。
「あのなあ……」心底呆れた調子で、ネクロマンサーは言葉を紡ぐ。「俺は夜留じゃなくて人間だぞ? 生きた人間。生身の人間。てめえの能力が通用するはずねえだろう。アホか? それともお前、他に戦い方知らねえの? ただの能力者ならともかく、化身能力者なら魔術だって幾らか使えるはずだろうが。まあ、訓練していたらの話だが」
「くっ、ううっ」
図星。情けなさに、悔しくて、歯軋りさえ。だがどれだけ悔しがったところで何にもならない。せめてゼファロに戦う術を教わっていれば、少しは戦えたのかもしれなかったものを。
――情けなさここに極まれりって感じだけど、こんなことならあの真祖にも一緒に留守番してもらえばよかったかもね。まだ近くにいるはずだったんだし……。っていうか今からでも駆けつけてくれないかしら。なんてね。
もはや諦観にも似た思いを覚えているからこそ、そんな身勝手な欲求も出てくる。要は彼女お得意の現実逃避が始まっていた。あの時のように。
――五年経っても、アタシは何一つ成長してなかったってことね。
「あはははっ、あはっ、ははっ、うっ……」
自虐的に、乾き切った笑い声を上げるアジータを、ネクロマンサーは気味悪そうに見ている。
「とうとう気が触れたか。じゃ、そろそろ捕まってもらおう。早いとこ済まさねえと、ゼファロが帰ってきちまう。五年間伺ってようやく得られた時宜を無駄には出来ないし」
言って。抵抗の気概を完全に失ってしまったアジータに歩み寄ろうとするネクロマンサーは、
「あ?」「え?」
壁をぶち抜いて現れた突然の侵入者に、反応出来る間もなく切り裂かれた。
「あがっ!? おいおい、マジかよ……ごふっ」背後から回し込まれた侵入者の手の爪で頸動脈を裂かれたネクロマンサーは、痛みなどよりも何より展開の意味不明さに混乱している。とにかく相手の面を拝もうと振り向いた彼は目を見開いて、「お、お前は……まさか……っ。がっ……こりゃ……ツイてねえわ」
その言葉を最期に、第二撃目で首を完全に刎ねられ、床へ倒れ伏した。
侵入者の目は、続いてアジータに焦点を定めていた。
「……っ………っっ」
本当の恐怖を目の前にすると、人は悲鳴すら出せないという。アジータもまた例外ではなかった。彼女は怯えていた。蛇に睨まれた蛙。太陽に相対した夜留。殺人鬼を前にした人間。
「こりゃ珍しい。化身能力者か」
真祖は助けに来なかった。カブはまだ帰ってこない。ゼファロも然り。アジータの敵を瞬殺して見せた侵入者は、しかし彼女の救いなどではなく。絶望そのものであった。




