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Five Knives  作者: 直弥
第二章「鏡の中の似肖」
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その3(乙)

「ゼファロとカブさん、大丈夫なんでしょうか?」

「殺されはしないわ。殺されはね」

 答えつつも。キリの焦燥は痛いほどアジータに伝わってきていた。

 アジータとキリ。二人は今、アジータ宅にて留守番中という状態にあった。アルンを攫った犯人の捜索は始まる前に中断を余儀なくされた。今やそれどころではなくなっていたから。

 ――二人は殺されない。うん。命までは大丈夫。……ワイズネルラだって、弾みで人間以外のものを殺してしまうことはあるけど、あの二人なら大丈夫。ものの弾みで殺されるほどは柔じゃない。

 キリの考えは冷静な推察などではなく、どちらかと言えば願望。そもそもゼファロたちが勝つという可能性を無意識に排除している時点で相当弱気になっていることは明白。

「ねえアジータ、結局、アルンを攫ったのって誰なのかしらね」

「え」

 キリがただ自分の気を紛らわせるためだけにしたような問いかけに、アジータは必要以上に動揺してしまう。彼女もまたゼファロたちのことを思うと気が気ではなく、アルンを攫った犯人のことなど虚空に消し去ってしまっていたのである。

 ――冷静になって考えてみれば、今この地で悪さをする夜留なんて珍しくもない。つい先日も夢魔を一人折檻したところだったし……。アタシがあれほど動揺してしまったのは、アルンがその被害に逢ったからであって、そのアルンさえも無事に帰ってきてるのよね……。

 そういう風に思い返してみれば。アルンの一件が、優先順位としてワイズネルラの下にくるのは当然。だから、

「さあ。誰なんでしょうかね」

 アジータの答えはどこかおざなりになる。極端に言えば、彼女の中でアルンの一件は既に些細なことになっていたのだ。

 ワイズネルラ。魔術社会においてはお伽噺級の存在であるという殺人狂鬼のことをアジータが知ったのはつい数十分前のことである。だが。ゼファロの言すべてを鵜呑みにした上で現在のキリの焦燥感を見れば、それがどれほどの脅威であるかは容易に知れる。そんなモノが実在すると言うだけでぞっとするし、今まさにゼファロたちがそれと戦っているという状況には身震いすら覚える。……ゼファロの言によれば、ワイズネルラは人間しか殺さないという。だから人外の者が彼の狂鬼に戦いを挑んだとしても、叩きのめされるだけで殺されはしないと。

 ――もしかして、いえ、もしかしなくても。アタシの方がよっぽど危険なのかもしれない。

 それはまるで悪い冗談のようであった。現在ワイズネルラと戦っているはずのゼファロやカブよりも、現場から遠く離れた地で留守番をしている自分の方が、そのワイズネルラに殺される可能性が高いとは。しかも自分はその殺人狂鬼のことをついさっきまで知りもしなかった。恨みなど無論買っていない。

 アジータは頭の中で様々なことを考えていて、キリはただカブたちの無事を祈っていて。時間が時間であったから、外から人の声もしない。結果、場はとても静かな空間となっていた。

 だがやがて。その沈黙を破る音が響いた。ノックの音。

「……アジータはここにいて、私が見てくる」

「は、はい。気を付けて」

 来訪者には聞こえないように小声でやり取りをすると、キリがゆらりと立ち上がり足音一つ立てず扉へと近づいて行った。僅かな隙間から、外を覗う。常人であれば到底見通せない真夜中の空間も、ヴァンパイアである彼女にとっては真昼以上に鮮明に映る。

 果たして外には一人の女が立っていた。恰好を見れば特別おかしいところはない。この辺りのどの家にもいそうな、二十歳そこそこの人間の女性に見える。だがしかし。キリは、相手が人間ではないことを一目で見破った。

「夢魔ですって……?」

 夢魔。ヒトの夢の中に侵食し、ヒトと交わり、色欲によって堕落させる淫魔――と言えばまさしく悪魔に聞こえるが、実際問題として彼氏彼女らの多くはただ食事や純粋な繁殖目的としてヒトを誑かしているに過ぎない。吸血鬼が血を吸うように。

 ――どうしてこの家に女の夢魔が。ここがアジータの家だって知ってるのかしら。

「どうしたんですか?」

 不安げに訊ねるアジータに、キリはそのままを告げる。

「外に女の夢魔がいるわ」

「女の、夢魔? それってもしかして」

 先日見逃してやった夢魔ではないかと、アジータが口にしようとしたその時。

「あの!」まさしくその〝先日の夢魔〟の声が、外から入ってくる。「多分、いきなり中に入れてはくれないだろうから、とにかくここから用件を言うわ。ん、ええっと……夕方、あなたの知り合いを攫おうとした犯人のことなんだけど、私、それが誰か知ってるのよね」


 果たして。三者三様にも程がある三人は、アジータ宅で〝話〟を始めようとしていた。来客の右脚には火傷の痕らしきものがあったが、とりあえず形だけは整っている。

「さあ、知ってることを洗いざらい話してもらおうかしら。命が惜しかったら下手な真似はしないこと」

 どう聞いても悪人の台詞でしかないような言葉を淡々と口にしながら場を取り仕切るのはキリ。ゼファロたちのいない今、アジータを守る責任は自分にあると、彼女は気を引き締めていた。本当ならば夢魔も追い返してやりたいところであったが、アジータがそれを拒否したのである。

 確かにワイズネルラのことに比べれば、こちらの方が優先順位は下かもしれない。とは言え、のんびり構えていていいというものでもない。

 と。

「まずその、犯人は誰かってことなんだけど……ってその前に。ここ、大丈夫なの?」

「大丈夫って、ああ、声なら外に漏れないから安心なさい」

「よかった」

 言って。客人は、吸血鬼の横っ面を手の甲で弾いた。

「ぶぉっ!?」

 声にならぬ声を上げて。キリの頭部は弾け飛んだ。ショットガンを撃ち込まれたスイカのように。ぐしゃぐしゃに。原型残さず。残った身体はどさりと倒れる。

「はっはあ! てめえ程度の警戒なんざザルなんだよ! コンマ一秒も隙を残すんじゃそりゃお前、プレゼントにリボン巻いてくれてんのと一緒だぜ? 俺のバースデイは二か月も先なんだけどな!」女夢魔の姿かたち声のまま、しかし明らかに〝中身〟が違うとしか考えられない口調で。何者かが捲し立てる。「よう、太陽ガール! ガールって歳でもねえか?」

「あ、あなた……っ! なんてことをっ!!」

「怒んな怒んな。今はまだただ殴っただけなんだから、直に回復するって。もちろん、後で完全に殺すが」震えるアジータに対し、何者かは至極冷静。だが確かに、完全に潰れたはずのキリの顔は元に戻り始めていた。しかし。「やけに遅いな。ああ、お前が近くにいるせいか。やっぱ能力だけはすげえな、お前。ん? ってことは、この身体のままってのはちょいとやべえか」何者かがそう言うと。夢魔の身体は風船のように膨らみ、破裂し、中から、臓腑の破片と体液に塗れた男が現れた。「いやあ、すっげえ窮屈だったわ。やっぱ自分よりちっさい奴の中に隠れるのは無理あんな。人間の中に隠れるよりはよっぽど騙くらかし易いから、しゃあねえけど。ああ、ほいっと」

 現れるや否や、再び回復しかかっていたキリの頭を踏み潰してから、視線をアジータに移す男。

「な、なによ、なんなのよ! あなた!」

「ああん? ああ、こっちはお前のことをよく知ってるが、お前は俺の顔も知らなかったんだな。お前の祖母さんにゾンビパウダーを売りつけてた奴だって言えば、わかるか?」

「なあっ!?」

 驚愕のあまり膝から崩れ落ちそうになったアジータは、寸でのところで踏み止まった。だが動揺の余り高速で鼓動する心臓の勢いは些かも止まらせられないでいる。

 そう。アジータはこの瞬間まですっかり失念していた。自分の祖母にゾンビパウダーを売りつけ、結果的に両親を死なせることになったあの一件――ゼファロたちとの出会いにも繋がった事件。その元凶となっていたネクロマンサーが、未だ捕まっていなかったことを。

「そ、そう、あなたが……。で、一体どういう用件なのよ。こっちはあなたに幾らでも恨みはあるけど、そっちはアタシたちに何の用があるって言うのよ」

「吸血鬼どもに用はない。目的はお前一人だ。お前が俺に恨みを抱いているように、俺もお前に恨みがあるからな」

「な、なんですって? あ、あなたの足を焼いたこと……?」

「はあ? 混乱しすぎて頭がごっちゃごちゃになってんじゃねえか? 俺がさっきまで入ってた夢魔はただの拾い物だぞ。そいつとお前の因縁なんか知ったこっちゃねえっつの。俺は俺として、お前に用事があるんだよ。おおっと」

 再び。右目と鼻の回復がほぼ完了していたキリの顔面を、ネクロマンサーが踏み潰す。

「……ぐっ、よ、用事ってなによ」

 躊躇なく。何度もキリの頭部を潰すネクロマンサーに喩えようのない憤りと憎悪を覚えながらも、アジータは先を促した。

「ああ、まあ、あれだ。正確に言えばお前本人に恨みはない。問題はお前の親だよ。ちょっとぐらい気になったことねえか? お前のお袋が、本来結婚するはずだった相手のこと」

「え、あ、ええ? う……嘘でしょ、まさか」

 アジータの唇が震える。

 ネクロマンサーの口角が、にいっと持ち上がった。


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