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Five Knives  作者: 直弥
第二章「鏡の中の似肖」
12/47

その2

 ――いっそのことアタシが吸血鬼になれれば。

 アジータにはそう思うことが度々あった。

 ――妻とかなんとか、そこまでは望まない。ただアタシ自身が吸血鬼になれれば、ゼファロたちと一緒に暮らせるかも……いや、それは叶わない夢だ。『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』が邪魔をするから。アタシはどんな吸血鬼に噛まれたって吸血鬼になることはできない。そういう身体。ゼファロたちは「人間のままでもいいから来いよ」と言ってくれるけど、それも出来ない。『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』が邪魔をする。吸血鬼にとってアタシは爆弾みたいなものだから。どんなに気を付けていても、何かの弾みで間違いが起こり得る以上は、彼らとは一緒にいられない。それに、そうでなくたって、アタシはここを離れるわけにはいかない……。

 化身能力『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』は、アジータにとって、選ばれし者に与えられた正義の力などではなく、呪縛と呼ぶべき桎梏であった。でもそれがなければ、自分はあの時に確実に死んでいて。堂々巡る苦悩を抱えたまま、彼女は夜に繰り出していく。キリは夕方前に帰って行ったから、今夜のアジータを制する者はいない。

 ――アタシ、いつまでこんなこと。

 月明かりさえ届き難い鬱蒼としたジャングルを歩きながら、アジータは上の空。彼女は何も夜留に恨みがあってこんなことをしているわけではない。

 ――幾ら酷使したところで、枯渇する力じゃないことは、わかってるはずなのに。

 割り切れぬ思い。これまで幾つもの夜留と戦い、時には葬ってきたアジータ。名前が広まるにつれて、彼女を恐れる者も増えた。正確には、彼女の太陽を。ちょうど昨日の夢魔のように、怯えきった目で自分を見つめる視線に出会った時、ふと彼女の中に湧き起こる邪推。

 ――あの視線は、ゼファロたちの心底にあるものと同じなのかもしれない。

 ゼファロは強い。『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』を行使したアジータを指一本で往なせてしまうほどに。カブもキリも、アジータが太刀打ち出来る相手ではない。だがしかし。恐怖というのは、そういった事情とはまた別で湧き上がってくる感情。お化け屋敷やら幻灯機の幽霊(ファンタスマゴリー)やらを苦手にする人間は、何も作り物のお化けに呪い殺されることを恐れているわけじゃない。それと同じ。分かっていても怖い。殴れば壊せる相手でも怖い。

 考え事をすればするほど暗く落ち窪んでいく心。キリに本音を打ち明けた瞬間は、少しだけ心が軽くなった気もしていた。だが今では言わなければよかったなどと勝手なことを思ってしまっている。身勝手な自分。そんな卑屈な思いが更にアジータを惨めにする。

 ――なんか、駄目だな。もう少しだけしたら、今夜は引き上げよう。

 と考えた矢先。目に映る。

 額には皺。白髪交じり。老年期も後半に差し掛かっているといった感じの、長身で痩せた男が、首から二筋の血を流して気を失っている少女を抱き抱えている光景。

「アルン!」一瞬にして。全身を橙色に輝かせたアジータが、老年男に駆け寄る。見知った少女を奪還すべく、足払いを仕掛ける。が。「っ」

 払い上げたのは足ではなく小石。男の姿はどこへやら。アジータは輝きを帯びた両目で周囲を見渡す。やはり少女を抱いたままの男が、逆さまの恰好で樹にぶら下がっていた。両足の先を枝に引っ掛け、まるでコウモリ。とにもかくにも目標を発見したアジータは掌の中で作り出した橙色の球体を投げつける。彼女の作り出した球に反応した男が、動揺しつつも枝から足を外し、空中で百八十度回転して地上に飛び降りた。目標を失った球は黒い空の彼方へと。

「驚いた。今のは太陽だな? なるほど、君が当代の『太陽の化身ロード・オブ・ヘヴン』保持者か」驚いたとは言いつつも既に冷静になっていると見える男は、淡々とした口調。「久方ぶりに地上へ出てみればいきなり天敵に出会うとは、つくづく呪われている」

「……あなた、ヴァンパイアね。分類的には、元人間の次代」

 一撃目も二撃目も外したアジータはそれでむしろ落ち着きを取り戻しかけていた。

「おお、そこまで視えるのか、その〝目〟は。如何にも儂は元々人間だった。血を吸われてヴァンパイアとなった、つまり次代だ。もっとも、血を吸われたのはもう五千年ほど前になるわけで、人間としての人生なぞ全体の百分の一以下だが」

「ご、五千年前ですって? まさかとは思うけど、あなたの血を吸った〝親〟は」

「『異界よりの種(アナザー・シード)』だ」

「そんな……。じゃあつまり、真祖ってこと?」

「そういうことになろう。儂らにとってみれば、随分と大仰な呼ばれ方だと思うがな、真祖だなんて。儂らはただ始祖に咬まれただけなのに」

 男は謙遜しているが、アジータの心にはざわめきの波が立っていた。

『異界よりの種』とは、ヴァンパイアすべての始祖の名。この始祖に直接吸血されてヴァンパイアとなった者たちのことを真祖と呼称する。分類的には次代に当たるから、種としての本来的な能力はすべて純血種――両親ともにヴァンパイアであるが故、生まれついてのヴァンパイアである個体――に劣っている(たとえば真昼でも生身で歩き回れる純血種に対して、何の対策もしていなければ灰になってしまうのが次代である)。しかし。紀元前三千年に外からこの世界へやって来て、たった二十年だけ留まってまた去って行った『異界よりの種』であるから、今日まだ生存している真祖たちは皆、最低でも五〇〇〇歳前後と言うことになる。それだけ生きていれば、経験則の積み重ねで、並みの純血種を上回っている個体もいておかしくはない。

「太陽の娘よ」暫く黙ってみても口を噤んだままのアジータに痺れを切らしたのか、男は自分から語り出す。「こんな真夜中にこんな場所を歩いているところを見ると、何か思うところがあってのことか? この辺りで夜留による事件が発生していたから、その犯人捜しとか、そういうことなのか?」

「い、いいえ」否定の言葉がややまごついてしまったのは、男の推測が、正確でこそなかったものの完全に間違っているとも言えなかったからであろう。アジータが夜留を探して歩いていたという部分は当たっていた。但し、犯人捜し云々という部分は外れていた。それはもう昨日の時点で終わっている。今現在彼女が追っている案件はない。「ちょっとした、巡回みたいなものよ」

「巡回か」含みのある微笑。「なら、この娘も当然助けるべきだよな」

「っ、当然よ!」

 宣言と同時に光り輝く、アジータの瞳と両腕。激しいまでの輝きは橙色を通り越して黄金色となっている。だが彼女の変容は今やそれどころの騒ぎではなかった。髪型は勿論のこと、顔の造形までもが完全な別人となっている。可憐さの残る少女と大人の間といった容姿から、貞淑な女性といった風貌へ。三つ編みは解かれて、ただ長く癖のない髪が腰まで伸びている。

「『化神アヴァターラ』。魂の領域にまで干渉するという、化身能力の神髄か。美しいものだな、女神とは」率直な感想とともに溜息さえ漏らす男。「だがいいのか? その姿になってしまってはもはや加減も何もないだろう。この娘が既に夜留になっていては、まず間違いなく巻き添えを喰らうぞ。君があと二、三歩近付いただけで灰になってしまうかもな」

「うっ」

 正確な忠告を受けてアジータは怯んでしまう。如何に夜留に対して殺傷効果抜群の力を持っているとはいえ、十分な戦闘訓練を積んでいない彼女であるから、化神状態でもなければ、ヴァンパイアの真祖などという相手と碌に戦えるはずもない。かと言ってアルンが既に吸血鬼化しているのなら、化身状態の自分が近くにいるだけでその命どころか魂さえもが脅かされる。追い込まれた状況。詰め寄るどころか、後ずさってしまう、偽りの女神。

 ――どっ、どうすれば……っ。あいつを倒す必要はない、というかそんなの無理。真祖どうこう以前に、もう二度も奇襲を躱されている。正面からだなんて余計に不可能だわ。とにもかくにもアルンさえ奪え返せれば――でも化神のままじゃアルンに触れることすら出来ない!

 どうにかして突破口を模索する。だが見つからない。現状を打破する手など。遂には化神すらも解いて人間に戻ったアジータは、

「その子を返して」言葉を使った。「お願い」

 本来ならこの一声こそが最初であるべきだった。お互いに野獣ではなく、理性あるヒトなのだから。言葉による交渉が基本。初手から殴り合いでは何が何やら分からない。

 わざとらしい思案顔を暫し見せた後、真祖の男が告げる。

「幾ら出せる?」

「は?」予想だにしない提案に、アジータは間の抜けた声を出した。「『幾ら』って何なのよ……。お金で解決しようって言うの?」

「夜っぱらから寝惚けるなって、ああ、人間が夜に寝惚けるのは当たり前か。いやいやそんなことはどうでもよくて。儂が金なんて得てどうする。『幾ら』とはつまり代償としてどれほどのものを差し出せるかということだ。無論、儂にとって意味があるモノで」

 アジータは思わず舌打ちをしそうになる。ふざけるな、と。厚かましいなんてものじゃないと。だが現状、圧倒的不利に立たされているのがどちらかと言うのは明らか。

「あなたにとって意味があるモノって何よ。血?」

「血。それもよかろう。だが太陽の化身たるお前の血だけは願い下げだ。喉に穴が空いてしまう。いや、その前に舌が爛れるか、牙が熔けるか。何にせよ飲めたものじゃない」

「ぐっ」

 ――だったらどうすればいいっていうのよ……っ! そうだ、ゼファロの名前を出せば……っ。

『辛いんです。ただ冷たい目を避けるためだけに、実在もしない夫の振りまでしてもらうっていうのは』

 ――あんなことを言った傍から勝手すぎるっ。だいたい、あの言葉だって身勝手そのものだったのに。だけど。アタシの意地のためにアルンまで巻き込めるわけが……。

「いい齢してこんな悪ふざけは笑えないぞ、ジイさん」今まさにアジータがゼファロの名を口にしようとした瞬間であった。「人をからかうにしたって節度があんだろ。あんたの度を越えた悪戯好きはよく知ってるけどよ」

 そんなことを漏らしつつ、だらだらと歩きながら現れた男は褐色のヴァンパイア。

「ぜ、ゼファロ!? どうして?」

「ゼファロだと?」並みの純血種を凌ぐ力を持つ真祖は、並みではない純血種を目の当たりにして驚愕する。だがそこに恐怖の色はなかった。ただ驚いていた。「かかか……参ったな。『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』の能力者に続き、貴様とまで出会うなんて。しかもお前たち、顔見知りのようだな。悪かった悪かった。若い人間の娘と話すなんて何十年振りかでつい調子に乗ってしまった」

「〝つい〟で済まされてたまるかっての」

「まあまあ。こちとら手も触れてないんだし。理由も聞かずにいきなり太陽を投げつけられたんだぞ? あれぐらいの仕返しは可愛いもんだろ」

「そういうのは第三者が言ってこその意見であって、てめえがてめえで言ってもただの言い訳にしか聞こえねえよ」

「さっきからなんだその真面目な意見の連発は。貴様とも思えんな」

 和やかとは言えずとも親しげに話し続ける二人のヴァンパイア。アジータはただあんぐりと口を開けたまま成り行きを見るしか出来ないでいる。

「だああ、もう! これ以上アンタと言い争いしてたって埒があかねえ。とにかくわけを聞かせてくれ。その子は一体どうしたんだ?」

 言って。ゼファロは、真祖の男が腕に抱く少女アルンを指差した。男、答えて曰く。

「森の中で倒れていたから拾っただけだ。怪我は擦り傷程度だったから、あとは適当な人家に放り投げてこようと思っていたところだよ」

「じゃあこっちに預けろよ。顔見知りなんだ。家も知ってる」

「そいつは助かる。ほら」アルンは真祖の男からゼファロへ。「いきなり本人の家へ届けるのは止した方がいいかもな。先にその子自身から話を聞くべきだ」

「言われなくたって分かってる。それより、そもそもなんだってアンタがこんなところに来てるんだ。地上に出ること自体珍しいアンタが」

「モグラかミミズみたいな言い方は止せよ。儂は、そう、ただの旅行だ」

「……普通なら疑うところだけど、アンタの場合は本当にそうなのかもな」溜息。「ただでさえ今のこの土地は夜留を引き寄せやすくなってるし、アンタが来てもそこまで驚くようなことじゃないか」

「夜留を引き寄せやすくなっている? それは一体どういうわけだ。確かに儂も雰囲気やら匂いに惹かれてここへ来たわけだが」

「五年前まで、碌でもないが腕は確かなネクロマンサーが巣食っていたんだ。この近くに。そいつの影響が未だに残っていて、夜留を呼び込みやすい土地になっちまってるんだよ、この辺りは」

「ほう、そういうわけだったのか」頷いて。真祖はアジータを一瞥してから、視線を再びゼファロへ戻す。「合点がいった。偶然の重なり合わせにしては凄まじいと思っていた今宵だが、順々に考えると筋は通っていたのか」

 夜留を引き寄せやすい土地故に、抑制剤として太陽の化身がおり。

 夜留を引き寄せやすい土地故に、真祖の男も誘われてきて。

 夜だから、二人が遭遇し。

「貴様と太陽の娘が知り合いであるということも、まあ、納得できる。監督役みたいなものだろう? あと残る疑問は、貴様がこのタイミングでこの場に現れたことだが、どうせそれにも理由があるのだろう。わけありで、彼女を尾行していたか」

「え」ここにきて、アジータがようやく口を挟む。どこかまだ浮ついた様子ではあったが。はっきりと声に出して訊ねる。「そうなの?」

「……ああ、すまん。理由はあとでちゃんと話す」

「あう、う、うん」

 真正直に言われてしまっては文句など言えない。感謝こそすれ。

「まあ、その子どものことも含め、そっちの問題はそっちで処理してくれ。じゃあな」

「ああ、せいぜい元気でな」

 そうして。ゼファロたちに背を向けて歩き始めた真祖のヴァンパイアは、そのまま闇夜に溶けて行った。夜留は夜へ。

「……知り合いだったの?」

「知り合いというかなんというか……高祖父なんだ。ちょっとばかし、戦闘の術や魔術を教わっていたこともあるが、間違っても師とは呼びたくない相手だな」


「アルン、帰しちゃってよかったのかしら」

「家庭の問題じゃないとすれば、帰す他なかっただろう」

 真祖が去った直後に目を覚ましたアルンを家に帰してから、アジータとゼファロは二人きりでアジータ宅に戻ってきていた。別れ際のアルンの言葉が、アジータの中で引っかかっていた。

『夜中に目が覚めて、用を足そうとして外に出たところまでは覚えているんだけど……』

「どういうことなのかな。やっぱり誰かがアルンを誘拐しようとしたってこと?」

「それ以外に考えられないだろうな」

「なら問題は、本当にどこかへ攫おうとした途中でさっきの真祖に見つかりそうになったから、途中で諦めてあそこに放置したのか」

「もしくは最初からあそこに放置していたのか、だな。前者なら犯人は人間なのか夜留なのか、或いは他の魔物なのか、わかったもんじゃない。後者なら、単なる妖精の悪ふざけなんだろうが」

「真夜中のジャングルに女の子一人残すなんて、悪ふざけの度を越えてるわよ」

「お前の言うとおりだ。何れの可能性にしたって危険なことには変わりない。早急に犯人を見つけないと。ったく……こっちはワイズのことだけで精一杯だってのに、厄介ごとに限って重なりやがる」

「ワイズ? 何それ」

「あっ、つい口が走っちまった。よし、もうついでだから全部話しておこう。昨日今日とお前のことを尾け回していた理由も含めてな。アジータ、お前、『ワイズネルラ』って聞いたことあるか?」

「ワイズネルラ? いいえ、聞いたことない」

「だろうな。よし、説明しよう」言って、家に入った切り立ちっぱなしだったゼファロが腰を下ろして胡坐をかく。「お前も座れ。見上げながら話していると首がだるい」そのの言葉に従ったアジータが腰を下ろしてから、ゼファロは話を続ける。「ワイズ、つまりワイズネルラってのは、簡単に言えば魔術社会においてブギーマンみたいな扱いをされている化物だ。言うことを聞かないとブギーマンが来るよ、っていうアレだな。ところがこっちのブギーマンはただの脅し文句の空想じゃなく、実在しやがる。二百年に一度現れる、ヒトの形をした殺人鬼として。現界そのものは一度につき一年とも二年とも考えられているが、実際に受肉して活動する期間は平均して二か月ほど。その間、人間だけを殺戮して、やがてまた姿を消す。初めて現れた時から、これを繰り返している」

「そんな話初めて聞いたわ。『異界よりの種(アナザー・シード)』だとか『朔夜の狼(ダークナイト)』だとか、有名どころの夜留についてはあなたから散々聞かされて知っていたけど、考えてみればアタシって魔術社会については夜留以外の知識がほとんどないのね」

「まあ、お前は能力者だからな。生まれつき魔力の形がぎちぎちに調節されてるせいで、どうせ魔術は碌に使えないし、学ぶ必要もなかったから。自然、こっちの社会について知ることもなかった」

「そうね。話を戻すけど、ワイズネルラっていう化物の正体は何なの?」

「正体なんかない。分類的には妖怪に当たるんだろうが、それだけだ。ワイズネルラはワイズネルラ。無二の存在だよ」

 無二。それはつまり、種とは呼べないモノ。人間やヴァンパイアなどのように複数の個体がいてそれらが生殖その他の方法によって数を増やす類の物ではない。後にも先にもそれ一個しか居ない、唯一存在。

「ふうん……ワイズネルラか。あなたのその話し方じゃあ、まだそいつは生きてるってことなんでしょ? どうしてそんな危険な怪物が放置されてるのよ」

「放置されているわけじゃない。とうの昔から『連合』は『死名手配』の通達を出している。にも関わらず、奴はまだ生き続けている」

「誰にもどうにも出来ないほど手強いってこと?」

「確かに恐ろしく手強いが、それだけが理由じゃない。さっきも言ったように、ワイズネルラが殺すのは人間だけだからな。妖精たちの大半は無視を決め込んでるんだ」触らぬ鬼に祟りなし。「で、ワイズネルラと対等以上にやり合える力を持つ人間ともなれば、それは『第四の壁』に限りなく近づいている魔術師に限られる。そんな連中はワイズと戦う暇なんかないほどにやることが山積みだ。ただでさえ二百年に数ヶ月限定の殺人鬼なんざわざわざ相手にしてられなかろうし」

「なによ、それ。そんなんじゃいつまで経ってもワイズネルラは倒せないじゃない」

「倒せるさ。相応の力を持つ者がその気になれば」

「相応の力って――あなたは戦わないの?」

「俺は何回も戦ってる。負けっぱなしだが」

「はあ!?」目は見開かれ。昂った感情のまま言葉が迸る。「だってゼファロってヴァンパイアで一番強いんでしょ?」

 最強の称号を冠するヴァンパイアが勝てない相手に、誰が勝てるというのか。信じがたいというよりも信じたくはない事実を提示されたアジータは、それを否定したくて声を荒らげてしまう。当のゼファロは溜息を吐いている。

「お前は少し誤解してるぞ。連合の指定する『種族最強』っていうのは、あくまで現状この世界において種族中最強の個体を指すもんだ。原則、旅立者たちは省かれる。更に言えば『連合』が存在を把握している個体の中では、っていう称号だ。要するに俺はこの世界に留まってるヴァンパイアの中では一番強い――かもしれない、っていうだけだ」

「それでも……あなたでも駄目なら、ワイズネルラと拮抗し得るに相応の力を持つ者っていうのは、どういう者なの?」

「たとえばカオスだな。太古の昔、人間たちに魔術を教え伝えた張本人。奴が腰を上げれば道は開かれるだろうが、そいつは、ワイズを倒す以上に難しいことかもしれんな」

「それほど気難しいヒトってこと……? 難儀ね」

「確かに。しかしあれだな。ワイズを殺せる、若しくは消し去れるとしたらそれは人間じゃないのかもしれないが……ワイズを倒せるほどの者の心を動かせるとすれば人間だけなんだろう。特にカオスなんて、人間以外の何かが説得したところで『お前には関係ないことだろう』と一蹴されるのが目に見えている」

「カオスって、そんなに冷たいの?」

「色々と理由もあるが、あのヒトが特別冷たいわけじゃない。むしろ普通の反応なんだ。さっきも言ったようにワイズが殺すのは人間だけで、他の者たちは基本的に関係ないんだから」

「さっきから聞いてれば関係ない、関係ないって――」アジータの腕がふるふると。肩がわなわなと。「その言い草が冷たいって言ってるの! 自分に被害がないから関係ないだとか、自分とは違う生き物だから関係ないとか! 人間だって、他の動物や植物に病気が広まったりしたら、救おうとして行動を起こすのに」

「人間がそういう行動を起こし始めたのなんて、ごく最近の話だぞ。いや今でもむしろ滅ぼしている生物の方が多いぐらいじゃないか、人間は」

「……だって、それは、言ってみれば今は、人間の、自然への認識の過渡期だもの」

「勝手だな」苦笑。「まあいい。百歩譲ってお前の言い分を受け入れるとしよう。だがな。人間が救おうとする生物たちはみな、人間と同じ系統樹の中にいる同胞、家族だろう。無関係な種とは言えんぞ」

「遺伝子とかなんとか、そういうのだけで家族が決まるの? 違うでしょ。人間も妖精もヴァンパイアも、同じ世界で暮らす仲間じゃない! 家族って、血縁だけで決まるものじゃないでしょ!?」

「っ」

 金槌で頭蓋をぶっ叩かれたような衝撃がゼファロを見舞う。

 ――よりにもよって、お前がそれを言うのか。

 哀れみ。だがその哀れみは、決して性質の悪いものではなくて。

 ――父とも母とも血の繋がりはあった。でもその父と母どうしまでも血がつながっていた。全員が血縁者で、それ故に偽りだらけだった。そんな家庭で生きてきたお前が。 

 アジータが過去に居た家庭環境を思いつつ、自分自身たちの今にも思いを馳せる。血の繋がり、眷属同士の結びつきを重視するヴァンパイアという種の中にあって、血ではなく個同士の結びつきによって派を形成する変わり者。それがゼファロたち。

「俺は、もう一度ワイズと戦おうと思う。昨日今日とお前を尾行していた理由もそこにあるんだよ。今はまさに奴の活動期なんだ。だから、万が一を考えてお前の周りを見張っていた。カブやキリたちと交替交替に」

「話を聞いている途中で、そういうことなんだろうとは思っていたわ。だけど、今はワイズネルラだけじゃなくて」

「アルンを攫った奴の犯人捜しだろ。分かってる。そっちの捜索とワイズの捜索、並行することにしよう」

「うん……ごめんなさい、ありがとう」

「あ? 何だ急に。『ありがとう』はともかく『ごめん』って」

「アタシ、ゼファロたちには助けられっぱなしなのに、そのこと、ちょっと迷惑かなって思っちゃってたんだ」

「なんだそりゃ、ショックだな」とてもショックを受けているとは思えないさばさばとした調子でゼファロが笑う。「確かに俺の押しつけがましさはキリやカブにもよく忠告されることだからな……。でも『普段助けてやってるんだから』なんて考え方は誰より俺が一番嫌いなんだからよ、あんまり鬱陶しい時は遠慮なく言えよ」

「うん」

「そこ即答されると複雑なんだが」

 などと冗談を言い合って。笑い合っているところへ。

「失礼するぞ!」

 挨拶もそこそこに。勢い良く扉を開いて一人の男が突撃してきた。見た目の年齢としてはゼファロと同程度。ただし肌はゼファロと対照的に青白く、如何にもな吸血鬼然とした男。

「どおい!? な、なんだよカブ?」

「か、カブさん?」

「よう、アジータ。久しぶり、でもないか。いやそんなことよりも!」カブ。ゼファロと最も付き合いの長いヴァンパイアは、そのゼファロの目を見ながら報告する。「ワイズネルラが見つかった」

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