時速60kmの青春
「はい・・・もしもし」
遠藤由佳は無意識のうちに答えた。
携帯電話の画面に表示されている時計は5時20分を指している。
普段の起きる時間よりも2時間以上早い。
「はい、そうです。・・・本当ですか?はい。行きます行きます。
え・・・そんな。はい、はい分かりました。ではすぐ行きます。」
電話の主は警察署からだった。
盗まれていたバイクが見つかった。
ただし事故にあったため、弁償などは当人同士で話し合いをしてほしい。
書類上の手続きが必要なため、一度警察署に来てほしいという内容だった。
急いで着替えを済ませ、自転車を走らせた。
自宅から警察署までなら15分程の距離だ。
「はあ・・・ツイてないなあ」
遠藤由佳が原付バイクを買ったのはほんの一週間前。
車の免許を取ったその日に購入し、初めて味わう風を切る感触に夢中になった。
アクセルを開ければ、一切の労力もないままにスピードが上がる。
今まで自転車しか乗ったことのない由佳にとって、それはとても新鮮で刺激的なものだった。
そのわずか3日後、友人とカラオケに行った帰り、停めてあったはずのバイクが無くなっていた。
ハッ気づきカバンの中を探したが、バイクの鍵はどこにも無い。
どうやら鍵を差しっぱなしにしていて、誰かに盗まれたようだった。
友人に付き添ってもらい、警察に届けを出した帰り道
「必ず出てくる」
と励ましてくれたが、そんなの気休めにすらならないことを由佳自身も承知していた。
そして今日の朝、バイクが見つかったと聞いた瞬間、眠気も忘れて喜んだ。
しかしその直後に事故にあったと聞き、再び落胆した。
事故?弁償?当人同士で話し合い?
じゃあ自分のバイクを盗んだ人と話し合いをしなければならないのか?
「はあ・・・ツイてないなあ」
警察署に着いた由佳は、受付で名前と要件を告げた。
すでに話は伝わっていたらしく、婦人警官が奥の部屋に案内してくれた。
「何か飲みますか?お茶かコーヒーか」
「えっと・・・じゃあコーヒーを」
「砂糖とミルクは?」
「両方お願いします」
「はい。では少し待っていて下さいね。」
なんだろう。このバカ丁寧さは。
警察なんて、おじさんばかりで無愛想で、お役所的なところと思っていたのに。
手持無沙汰になり、携帯電話の画面を見ると5時50分だった。
先ほどの婦人警官が戻ってきた。
お盆にはコーヒーカップが二つ。
一つを由佳の前に、一つを自分の前に置き、由佳の正面に座った。
「遠藤由佳さん。落ち着いて聞いてくれる?」
「はい・・・なんでしょう」
「あなたは3月12日にバイクの紛失届を出しましたね。
そのバイクが今日見つかりました。
すでに電話で聞いてるとは思いますが、その盗んだ人は事故にあい・・・」
婦人警官は少し間をおいてから
「先ほど亡くなりました」
「え・・・」
亡くなった。死んだ。私のバイクでわたしのせいわたしがかぎをぬかなかったからわたしのわたしがころしたいやちがうわたしはぬす
「遠藤さん」
婦人警官の声にハッと我に返った。
「あなたはバイクを盗まれた被害者ですよ。何も悪くはないの。だから気に病む必要はないのよ。」
「はい、あの・・・」
由佳は呆然とする頭で必死に言葉を選んだ。
「ありがとうございます」
それから何枚かの書類にサインをした。
なんかいろいろ説明してくれたが、全然覚えてない。
弁償については、遺族との話し合いになると言われたがそれは断った。
とても「弁償しろ」と言う気にはなれなかったし、
第一バイクに乗る気持ちも無くなっていた。
帰り道、自転車を走らせらがら、先ほどの話をゆっくりと反芻してみる。
「先ほど亡くなりました」
人が死んだ。
私のバイクで。
あの日、私が鍵を抜いていればその人は死ななくてすんだのに。
なんでちゃんと確認しなかったんだろう。
なんでバイクなんて買ったんだろう。
なんで、なんで、なんで
自分を責める気持ちばかりが浮かんでくる。
後悔ばかりが浮かんでくる。
でも
「気に病む必要はないのよ。」
あの言葉に救われた。
あの一言がなければ、私の心は押しつぶされていただろう。
「あなたはバイクを盗まれた被害者ですよ。何も悪くはないの。だから気に病む必要はないのよ。」
何度も何度も、頭の中でその言葉を繰り返した。
自宅に戻り、自転車のスタンドを立てる。
今度はしっかりと鍵の確認をした。
「あっ電源・・・」
私は携帯電話の電源を入れた。
先ほど婦人警官の説明を聞いてるとき、一度電話が鳴ったのだ。
画面には恋人の山村健太の名前が表示されたが、とても出れる状況ではなかったので、そのまま電源を落とした。
携帯電話の画面が明るくなり、着信1件と表示される。
こんな朝早くにどうしたのだろう。
「ただいま」
玄関を開けると、お母さんが出迎えた。
「アンタこんな時間にどこに行ったんだい?電話も通じないし」
「うん。ちょっとね」
とてもじゃないが、先ほどの事を話す気分にはなれなかったので、あいまいな返事でごまかした。
それに関しては特に追求せずに、
「それより順ちゃんの事聞いたの?」
「順ちゃん?健太の妹の?」
恋人の山村健太
その妹が、順ちゃんこと山村順子だ。
私の二つ下で、健太同様仲良くしていた。
私がバイクを買うと話した時に、自分にも乗せてほしいとせがんできた。
「順ちゃんが免許を取ったらね」
そう約束した。
なんだろう、お母さんがこんなに深刻な顔をするのはめずらしい。
「由佳、落ち着いて聞きなさいね。さっき健太君から電話があってね」
お母さんはため息をついて
「順ちゃん、亡くなったんだって。」
えっ・・・?
「バイクで走ってて、事故にあったんだって。
アンタこの前バイク盗まれたんでしょ。ちょうどいいからやめときなさい。
もうだからお母さんは反対だったのよ。
ねえ聞いてるの?由佳!由佳!」