美奈子ちゃんの憂鬱 フラグメント ヒモとマッサージと筋肉痛と
●桜井美奈子の日記より
「暑い~っ!」
未亜が下敷きを団扇代わりにぱたぱたやりながらうめく様に言った。
本当にそう思う。
まだ7月だってのに、何よこの暑さ。
100均の店で扇子買っておいてよかった。
「ねぇ、水瀬君?暑くないの?」
未亜の問いかけに、自分の机に座ったままの水瀬君は涼しい顔で答えた。
「全然」
「ウソだぁ」
「本当だもん」
「……生まれ、長野県だよね?万年雪に囲まれて、猿とお風呂に入るあの長野県の」
「偏見」
「……にゃあ。面白くないなぁ」
「……だねぇ」
私達でさえ暑いのに、水瀬君は本当に一人だけ涼しそう。
何だろう、あそこまで涼しげだと裏がありそうな……。
私は席を立って、水瀬君に近づいてみた。
別に、何もない。
男子生徒はスラックスと半袖シャツ。
何か仕込んでいる様子もないし……。
「どうしたの?」
しげしげと眺めているのがおかしかったのか、不審そうに水瀬君に訊ねられたけど……。
「ううん?涼しそうにしている理由は何かなぁと思って」
「心頭滅却すれば―――だよ」
「ふうん?」
騎士として修行の賜ってやつ?
まさかねぇ……ん?
私が気づいたのは、ほんの少しのきっかけだ。
水瀬君の首筋の産毛がちょっとだけヘンに動いている。
その動きはまるで―――
「水瀬君?」
「何?」
―――よっと。
「にゃぁっ!?」
未亜が素っ頓狂な声を上げた。
「み、美奈子ちゃん?なんて大胆なっ!」
私は、水瀬君に抱きついてみた。
「さ、桜井さんっ!?」
水瀬君は何故か慌てて離れようとする。
いいじゃない。
そう言う態度、ちょっとムカつくよ?
水瀬君の香りを肺一杯に吸い込んで、その華奢なわりに筋肉質な体を楽しんで―――じゃなくて!
やっぱりっ!
「水瀬君?」
「な、何?」
すっごく気まずい。
そんな顔と声の水瀬君に私は訊ねた。
「涼しくなる魔法って、あるんだねぇ」
「あ……あはははっ」
自分だけ涼しくなるような魔法は禁止!
そんなルールが水瀬君用のルールブックに書き加えられた。
一冊30ページのノートがもうこれで3冊終わっちゃった。
明日、買ってこないといけないけど……。
「暑い、あづい、あついよぉ……」
水瀬君、実は相当に暑さが苦手らしい。
ぐったりとしたまま、机の上でうめきだした。
なんだかみっともない。
「ねぇ、水瀬君?」
「何?」
「暑いっていったら、罰金100円ね」
「やだ。お小遣いないもん」
「にゃあ。じゃあ、10回言ったら、今度の日曜日、プールね」
「ああ。それいいかもね」
「あれ?美奈子ちゃん、今回、水着に自信が?」
「ないわよ」
いいつつ、ちょっとだけ自信がある。というのは、春先からコツコツやっていたダイエットが良い感じでおなかをちょっとだけ引き締めてくれたんだ。おかげで毎年買い換える必要のあるスカート、去年のまだ履けるし!
「疑わしいなぁ。私が全部、調べてあげよう。というわけで、今からだよ?何するかわかってる、水瀬君」
「だからぁ。暑いって言ったら罰金100円でしょ?」
「薄いの反対は?」
「厚い」
「はい100円」
「ずるいよ!」
「何が?」
「暑いって言ったら100円でしょ?薄いの反対だからってその厚いじゃないじゃん」
「そんなにヒートアップしなくてもいいじゃん」
「うーっ。こんなに暑いだから、いくら温厚な僕でも腹は立つよ」
「温厚ってどう書くんだっけ?」
「温度に厚い。友情に篤いとか、そっちじゃなくて。冷たいの反対の熱いでもないよ?んとね。気持ちのこもったって意味の方の厚い」
「あれ、区別つきづらいよねぇ」
いいつつ、私は笑いを抑えるのに必死。
未亜は机に突っ伏して肩をふるわせている。
水瀬君、ヘンにまじめでうんちく好きなところあるから。
「うんうん。それでね?」
罰金、3600円。
お昼休みまでに水瀬君に徹底的にうんちくを引きずり出した結果。
市営プールは高校生以上700円。
水瀬君に私に美夜に秋篠君、それとルシフェルさんに葉山君と涼子さんってとこかな?
唖然とした挙げ句、「暑い」と「熱い」と「厚い」、それから「篤い」の違いについて延々と抗議する水瀬君は、その後、先生に授業の邪魔だと怒鳴られるまで喋り続けた。
ホント、水瀬君ってちょっとバカなところがある。
罰金がそれで6500円まで増えたってのに。
まぁ、これでお昼もゴチだね。
……そういうとこもまぁ、好きだけどさ。
放課後、水着を買いに行く。
去年まで戦争戦争で自粛ムードが強かった分、今年の水着は派手なのが多い。
さすがにスクール水着ってのもどうかと思うから。
うーん。どうしようかなぁ。
とりあえず、カワイイ系と……あ、これもいいかな。
ちょっと大胆かなとおもったけど、ワンピースとセパレートの二つを選んでみた。
どっちにするかは、一緒に行く女の子達によって分ける。
ナイスバディのルシフェルさんや涼子さん達がビキニならワンピース。逆ならセパレートだ。
絶対、絶対に!女の子として惨めになるのは近くにいるだけでたくさんだ!
その日の夜。
「美奈子?」
明日の準備を終えてリビングでテレビを見ていたら、お母さんから言われた。
「明日、暇よね?」
「……決定事項?」
「問答無用。明日、葉子をプールに連れて行ってあげて。水着買うお金、出してあげたでしょう?」
「うん……ってあれって」
「一回だけで1万円も使わせるなんて贅沢、ウチじゃ認めません!葉子、楽しみにしているから、絶対に連れて行ってあげてね?」
「はぁい」
ま、いいか。試着だけじゃわかんないこともあるし。
とりあえず、ワンピースの方着て、葉子と遊ぼう。
●翌々日 桜井美奈子の日記より
プールは楽しかった。
本当に楽しかった。
葉子と一緒に浮き輪で遊んだり、波の出るプールに挑戦したり。
葉子は一日はしゃぎっぱなし。
珍しく、パタッと倒れて寝るという子供特有の寝方をしたくらい。
よく面倒見てくれたとお母さんからも褒められた。
水着もちょっとよかった。
結構、男子からも声かけられちゃったりして……うふふっ♪
……年頃の女の娘として、いろいろ、今年の夏は楽しもう。
まず、明日もプールだから水着を乾かして……と。
昨日、そうやって寝たのは覚えている。
でもって、朝になったら普通に起きて、ご飯食べて身支度して、プールに行って、
みんなではしゃぎつつ、水着姿を意識する水瀬君にときめくなんて……そんな算段が私にもあった。
サンオイルなんて水瀬君に塗ってもらって……ちょっとしたスキンシップが互いの感情を高めつつ、ほんの少しのエッチなことも許してあげる気になっやったりして……。
それでこそ、女の娘の夏なんだけど。
それが……。
私は今、セパレート水着を着て、バスタオルの上で横になっている。
水瀬君が私の背中に触れている。
オイルが塗られた手が触れるたびに、ひんやりとした冷たさを感じる。
すぐにその冷たさがくすぐったいほどの暖かさになって、私はしみいるような幸福感につつまれて……。
「痛い痛いっ!」
「我慢して」
水瀬君がマッサージを始める。
あまりの痛さに私は思わず悲鳴を上げてしまった。
「ホントに力入れないんだよ?」
「でも痛いよぉっ!」
「何やってんの」
場所は私の部屋。
お茶を持ってきてくれたお母さんがあきれ顔で言った。
「一日プールに行ったら全身筋肉痛で動けなくなったなんて、15歳の娘の話じゃないわよ。みっともない」
「ううっ……」
泣くしかない。
干してあるワンピースが情けなく見える。
だって、仕方ないじゃない。
朝、起きたら体中が痛くてしかたないんだもんっ!
「痛み止めの薬塗って、マッサージしておけば違うから」
水瀬君はそう言ってマッサージを続けてくれる。
痛いけど、これ我慢しないとダメなんだよね。
「ご、ごめんね?」
本当、ごめん。
罰ゲームなんてバカなことやった天罰だな。
「みんなとプール行けなくて」
水瀬君は、私が筋肉痛で寝込んでいると聞いて、プール代だけルシフェルさんに託して自分は見舞いに来てくれた。
本当に優しい。
うれしさに、心底、惚れ直しちゃったよぉ(涙)
「ううん?だって、友達が困ってるんだもん」
「水瀬君……」
「もうちょっとだからね?我慢してね?」
「うんっ♪」
●水瀬悠理の日記より
桜井さん、そのまま寝ちゃったから部屋から出て、次はリビングでおばさんのマッサージ。
こういう方面で食べていけるっておばさんは太鼓判。
腰が楽になったと喜んでくれて嬉しかった。
その後、お茶をもらっていたら、葉子ちゃんが困った顔をして僕の袖を引っ張った。
どうしたの?
そう聞いたら、葉子ちゃん、ひもが結べなくて困っているという。
いいよ。三歳児でひも結びは難しいから、僕が結んであげるよ。
そう言ったら、自分でやりたいという。
だから、ひも結びをおばさんと一緒に教えてあげることに。
葉子ちゃん、ちょっと指先は不器用らしいけど、一生懸命な姿はとってもかわいらしい。
桜井さんが自慢の妹と呼ぶのがわかる。
ピンポーン
もうちょっとで蝶結びが出来るって頃、玄関のチャイムが鳴った。
「あらまぁ!」
「お久しぶりです。おばさん」
「まぁまぁ。本当に、いつもテレビみてるわよ?」
おばさんと……どこかで聞いたような女の子の声……なんだろう。背筋が寒い。ここにいちゃいけないって、本能が警告を発している。
でも、どうして?
「ありがとうございます」
声の主は続けた。
「美奈子ちゃんが筋肉痛で寝込んでいると聞いて笑いに―――じゃなくてお見舞いに」
「あら、ケーキ?ありがとうね?丁度、水瀬君が来てくれてね?マッサージなんてしてもらった後、眠っているのよ」
「マッサージ……」
まずいっ!
「ほんとねぇ。痛い痛いって泣いてたのに、そのうち気持ちよくなっちゃったみたいで。いまじゃもうぐっすり」
「……へぇ?」
警告が鳴り響く!
本当に怖い、どうして!?
「あ、立ち話もなんだから二階へどうぞ?」
「ありがとうございます♪」
パタパタパタ
二階へとおばさんとお客さんは登っていった。
●桜井美奈子の日記より
いつの間にか寝ていたらしい。
お母さんの声に起こされた。
あー。ねむい。
あれ?綾乃ちゃん?
「お、お見舞いに……」
綾乃ちゃんがケーキの箱を掲げてくれた。
ただ、びっくりというか、呆然としているのはどうしたの?
「だ、大丈夫……ですか?」
「うん。水瀬君に(マッサージ)してもらって、気持ちよかったぁ」
「そう、そうですか」
「?」
あっ!
いけないっ!
私、水着姿のまま寝ちゃったから、しかも!
やだっ!
どうして!?水着のひもが全部はずれているなんて!
あーあ。
よかった。相手が女の子で。
おっぱいどころか、私、すっぽんぽんじゃないっ!
「ち、ちょっと、ごめんねっ!?」
私は寝ていたバスタオルを慌てて体に巻き付け、とにかく着るモノを探したけど……。
「い、いたたっ」
「い、痛い、ですか?」
「う。うん。やっぱり……ね」
「そ、そう……ですね。血、出てます?」
「ううん?」
筋肉痛だから、普通は出ないよね。
「そ、そうですか?体質か、何でしょうね。そういう人もいるんでしょうか」
「?う、うん……たぶん。とにかく、着替えるね。こんな格好じゃさすがに……」
「は、はい。なんでしたら、シャワーでも」
「ありがとう」
私が痛む腕をこき使って身支度を調える中、綾乃ちゃんはドアの向こうへと姿を消した。
「水瀬君っ!」
すぐに一階からすごい綾乃ちゃんの怒鳴り声が聞こえてきた。
うわぁ。
家が本当に揺れたよ。
「桜井さんに何したんですっ!
マッサージ!?
あんな、あんなハレンチな格好で気持ち良かったなんて言わせるマッサージなんて、マッサージじゃありませんっ!
でももへったくれもありませんっ!
さぁっ!
今すぐ、私にもしてください!
避妊なんて必要ないですからっ!」
●桜井葉子の絵日記から
ごかいだってわかったあやのおねえちゃんはなきそうになってあやまった。
みんなでケーキをたべた。
とってもおいしかった。
でも、おねえちゃんのひもをはずしてあそんだがいけなかったみたいで、わたしもおねえちゃんにあやまった。
ゆるしてくれたけど、やっぱり、ねているひとにいたずらしちゃいけませんっていう、ともえせんせいのいうことをまもらなかったからいけないんだね。
ゆうがた、おせんたくものをたたむおてつだいをした。
みずぎをじぶんでたたんでほめてもらった。
また、プールにいきたいなぁ。