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第三話・指輪について

 沙紀と僕が、どうして付き合うことになったのか、今でも分からない。沙紀は、派手な女だと思う。露出の高い服を嗜好し、化粧は少し濃く、スタイルはいい。そのせいだろうか、男関係も多彩だった。一度、沙紀に聞いたことがあった。

「沙紀、今までどれぐらいの人と付き合ったことがある?」

 沙紀は、おもむろに指折り始め、最後には両手ではすまなくなってしまった。

「分からない。思い出せないわ」

 あっけらかんとした顔で笑って見せる沙紀に対して、僕はただただ呆れていた。僕の顔色を読み取ったのか、沙紀は僕の腕に自分の腕を力強く絡めると、首筋に頭を摺り寄せてきた。

「でも、今は真司が一番好き」

 沙紀が、僕にいったい何を求めたのかは分からない。

 僕は、大声で言えるような取り柄などもっていないし、あまつさえ金や、名声もない。ただ、人間として当たり前の心身があるだけだった。

 沙紀を好きになったことはない。彼女が一方的に僕を好きになった。

 気付けば僕のアパートにいたし、気付けば僕のベッドの中に、僕の腕の中にいた。僕は、選択すらしていなかった。彼女は何かを選択したのかもしれないが、それは僕にとっては無意味なことだ。僕が選択をしていないのだから、それは恋人が持っている愛情とはなりえない。だが、彼女は僕を恋人だと思っているし、当然のように僕との関係を求めてくる。そうされればされるほどに、僕は彼女のことをどこかで好きになりかけていたのかもしれないが、決定的な愛は、そこには見当たらなかった。確信がもてなかった。

 過剰な自信を持っているように思うかもしれないが、沙紀は僕のことを好きなのだと思う。

 僕の体に口付けをしていく様や、硬くなったそれを愛しそうに口に運ぶさまを見ているとそう思えて仕方がない。僕が、恍惚に身を染め、発声することを彼女自身の喜びにしているようだった。そのときの彼女の顔は、本当に嬉しそうだった。行為の後、僕の腕を枕にしているときも、彼女の手は必ずもう片方の手で、僕の手を強く握っていた。その強さは彼女が眠りについても、緩むことはなかった。沙紀の細い寝息を耳にしながら、僕は、ふと沙紀の寝顔を覗く。するとそこには、至福の表情が映し出されていた。

 なんて幸せそうなのだろう。

 僕は急に嫌気がさしてきて、彼女の頬をつねる。それは、沙紀に対する嫉妬なのだろうか。沙紀の温かい頬が僕の指に潰されると、彼女は、低いうめき声を上げて目を覚ました。細く開けた目で、僕の指を見る。そして、その指が自分の頬をつねっていると知るや、沙紀はやはり嬉しそうに僕の頬をつねり返すのだった。

 誰かに愛されていると知ることほど、つらいことはなかった。

 僕にとって沙紀との付き合いはそうだった。

 僕が愛しているのは別の誰かであると、自分自身で明瞭に理解していたから、ことさら胸の奥が重く、やるせなくなった。

 自分勝手な行動に。返すことの出来ない無責任な愛に。

 沙紀が、僕を愛してくれていると見る度、聞く度、感じる度に、僕は胸が痛んだ。本来愛されることは幸福なはずなのに、僕は心底喜ぶことが出来ないでいた。幸福に浸ることが出来ないでいた。

 もし、別れることになっても、僕は心痛を病むことにはならないと思う。

 そんな一方的に注がれる愛を、僕は今、沙紀から受け取っている。誰よりも幸福なはずなのに、僕はそれを手ですくった水のように、扱っている。いつか、沙紀の愛は枯渇してしまうだろう。

 炎はいつか必ず灰になるものだ。どんな大恋愛も、いつかは終わる。

沙紀との関係も、もう下火になりつつある。ひんやりと冷たい指輪の質感が、それを如実に物語っている。指輪に託した思いを、僕はもう忘れてしまった。二人、指輪を手にしたときの感情はもう戻ってこない。今では、恋人であるというささやかな証でしかなく、一度外せば、もはや他人であるような気さえする。もはや、ただの飾りでしかないのであろう。

 だが、沙紀はまだ指輪を持っている。


興味を持っていただいた方、読んでいただいた方、ありがとうございます。残り二話です。できれば最後までお付き合いいただきますよう、よろしくお願いします。ではでは。

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