第七話「絡む夕陽、赤らむ雲」
カラカラと音をたてて回り続ける車輪の影を踏みながら、僕は彼女と下校していた。彼女といっても、美咲さんの友達、だけど。
彼女は自転車を押しながら、僕の少し先を飄々と歩いている。肩にかからない程度に切りそろえられた髪が、夕日にきらめきながらふわふわ弾んでいる。あかね雲のようなそのシルエットは妙に絵になっていて、僕はストンと見惚れた。「何?」即効で彼女の影法師に視線をシフト。
「んや……」
足を止めた彼女に素っ気無くそう答えると、彼女は再び自転車をおし始めた。彼女との距離が少し縮んでいたが、その分沈黙も濃さを増す。さまよう視線。
暮れなずむアスファルトに視線のシフトチェンジを終えてから、そういえば、と思考する。奏や葉月以外の女子と下校するのは、もしかしなくとも初めての試みだった。
たまたま通学路が一致してしまったがために現在に至るわけだけど、想像していたよりも沈黙が痛かった。向こうは何とも思ってなさそうだけど、気まずいと感じてしまうのは僕の性質だから仕方がない。
幸か不幸か、信号に引っ掛かった。住宅街の入り口にある交差点ゆえに、この時間帯で視界を横切る車はアイドリングしていた最初の一台だけだった。
信号という視線の待遇には恵まれたものの、心の所在は加速度的に悪くなっていく。
何か喋らなければと喉仏を上下させるだけで、発声にまでは至らない。無駄に喉が渇くのだ。
このままでは喉仏の運動回数が二桁台に到達してしまう。
「美咲はね」
サクッと沈黙を裂く彼女。依然、泰然を繕う僕。赤に埋もれし黄色い小人を凝視する。
「あなたに告白したとおり、双見さんが好きなの」
確認するように彼女は告げた。
「あれは入学式当日。体の弱い美咲は、式中の長時間の起立に耐え切れず、貧血を起こして倒れてしまったわ。友達が支えてくれたお陰で、幸い怪我はなかったけど、先生は念のためにと言って美咲を保健室に連れて行ったわ。そこで同じように貧血で横になっていたのが、双見さんだったの」
淡々と語る。
「二人はそこで沢山の会話をしたわ。入学式恒例の取るに足りない、ありきたりな情報交換めいたものだったけど、美咲は双見さんの人柄や趣向を把握するたびに嬉しかったそうよ」
沈黙。
………………………………、それだけ?
「そ、そうなんだ…………」
ナレーションのようにスラスラと話し終えた彼女は、道路交通法をきっちり守りきってから再び自転車を押し始める。
今の話はどう消化すればいいんだろう。にしても、カンペなしでここまで流麗と語れるのだろうか? そう悩む振りをしてから、僕は彼女についていく。
結局、彼女は僕の家に着くまでそれからずっと無言だった。
そんなこんなもなく柚原邸到着。
僕は彼女に軽く別れを告げてから華奢な門扉に手を掛ける。
「繰綿雨季」
「へ?」
からわたうき、そう開口した。恐らく彼女の名前だろう。どんなタイミングだよ彼女のタイミングだよと脳内で自己完結。すこし彼女になれていた。
そういえば自己紹介とかしてなかったっけ。
「あ、ああ。えっと、僕は柚原翔です」
「知ってる」
ですか。
「また明日ね」
手を振る仕草無しに言い残し、彼女は踵を返した。挙動の一つ一つにまるで無駄が無い。
「あ、ああじゃな」
少し早口になりながら、僕は背中に手を振る。
その背中が、やおら夕日に霞んでく。遠くから聞こえてくる飛行機雲の製造音が、やけに響いて聞こえた。
「…………はぁ」
小規模な開放感があった。帰宅後に蒸れた靴下を脱ぐような、ささやかな快感がそこにはあった。
にしても――また明日、ね。
「ただいまー……」
もたれるように玄関扉を押し開けると、シチューのいい香りが鼻腔をくすぐった。奏は料理スキル皆無だから、きっと葉月が遊びに来てくれたのだろう。居間へいくと、予想通り葉月エプロンタイプがダイニングキッチンに佇んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
エプロンが似合うなぁ、と率直に思いながら僕はソファーに腰掛ける。
「ぎゅっふ」
ソファーがやけにやわらかいなと思った瞬間、居間に響くスタッカート入りの断末魔。ソファーに声帯でもできたのかな。
「翔さん、冗談キツイっす…………」
その声帯は奏のものだった。どうやら奏もソファーに腰を下ろしていたらしい。やわらかさの原因はももだったのかー。分かってたけどね。
「ごめんごめん、疲れてたから」
「謝っておきながら妹を背もたれにするのはどうかと思います」
声に険が混じる。最近の子は切れやすいなぁ。頭は別だけど。
「って、今日は部活じゃなかったのか?」
分かりきっていたが、あえて訊く。
「そーだにーちゃん! 今日せっかくチロコロネ買おうとおもってたのに店閉まってたんだよどうおもうー?」
こう思う。会話を一段飛ばしされた。そして僕はソーダじゃない。
「それはかわいそうだな。ところでチロコロネってなんだ?」
「そういえばちゃんと行った? 放課後ー」
かなでさん、ぼくときゃっちぼーるしませんか?
「行ったよ」
あまり思い出したくはないけどね。
「そ」
キャッチボール成功。空回りした感じは否めないけど。
「できましたよー」
食事ができたみたいだ。持つべきものは幼馴染だと常々思う。
「殿、そろそろお時間ですぞ」
「承知しておる」
奏がどっかの側近みたいに声を掛けてきた。そういえば妹もも肉に乗っかったままだった。
腰を上げて、食卓の椅子へと向かう。食卓には僕好みの「野菜ゴロゴロシチュー」が三つ並べてあった。とろけた野菜たちの、柔らかくもホクホクとした食感が堪らない絶品である。妹にも大不評である。それでも絶品には変わりない。
椅子についてから、それにしても、と。田舎育ちのゴロツキとにらめっこしている妹を眺める。なんにでも首を突っ込んでくるこの野次馬少女は、なぜ放課後について何も詮索してこなかったのだろうか。それが少しだけ不思議だった。
しかし、そんなちっぽけな疑問は、野菜たちの食感とともに嚥下されていった。
七月十日――タイトル「しんさつ」
今日はしんさつをした。
僕のビョウキはじゅんちょうになおっているらしい。
お母さんはうれしそうだったけど、僕は少しだけさみしかった。