第六話「すっかりふやけた」
人間が、誰かの事を知りたいと思ったとき、その人間は一体何を以て知りたいと思うのだろう。
好意だろうか、敵意だろうか。または善意か、はたまた悪意か。敬意というケースもある。もちろん蔑意も同様に。大穴で配意というのもアリかもしれない。
とかく、それは必ず有意であり、無意では無い事が、その人間の情報を知りたいと思う根本的な動力源となり得るのだ。
そしてその人間はなにかしらの感情を動力源とし、様々な媒体を用い、その誰かの情報を獲得、もしくは共有しようと、多量か少量か努力する。
では、目の前の女性はどうだろう。
その人間に、相思相愛の関係となっている者は、今現在存在しているのか。
そう問うてきた彼女は、何を以てその人間の情報を知りたいと思ったのだろうか。
……と、ここまで無意義な考察を重ねてみた訳なのだが、しかし、そんなものは彼女が恋情関係の質問をしている時点で、既に解りきっている事である。
そんなの、好意以外の何物でもない。
…………冷静になろうと努めれば努めるほど、自分でも訳の分からない思考を頭の中を撒き散らす悪癖は、子供の頃から全く直っていないようだ。ここ数年、今日のようなトラブルラッシュは起きていなかったゆえ、すっかり完治してしまっのだと思っていたのだが……いやはや、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。悪い意味でも、幼い頃からの習性は直る気配を全く漂わせない。一体どんな遮蔽物があるんだろうか。定価三千円くらいで売り出せば一儲けできそうな気配を漂わせている事だけは確かである。そういえば、僕は最近まで「三つ子の魂百まで」ということわざを、双子的な意味合いで三つ子と考えて、三つ子は百歳になるまで一つの魂を共有しているかのように結束が固いという意味だと――閑話休題。
どうやら現実逃避という病気も併発していたらしい僕は、伏し目がちに目を瞬かせてから、視線だけを動かして美咲さんを見る。
黒く澄んでいるな。彼女の瞳に対してふとそんな感想を持った。同時に、僕の瞳はこんなにも黒ずんでいるのに、とも思った。
「多分、……いえ、絶対……恐らく居ないと、思います……。……今現在、僕の知る限りでは、…………ですけど……」
合間合間曖昧。
「そうですか! ありがとうございますっ」
たどたどしい福音に、それでも美咲さんは声を弾ませながら爽やかな謝辞を告げた。
謝るのが、彼女の口癖なのだろう。僕の悪癖とは似ても似つかないが。
それにしても、ここまで喜ばれると、却って罪悪感を催してしまうのは何故だろうか。と、考える振りをしてみたものの、答えは明確。やはり情報の正確性の問題だろう。なにせ、直接訊いた事は無いからなぁ。まあ、本意を告げるなら、訊きたくないと訂正するべきか。
「みさきー、バスバスー」
「ああ、そうですね。では、私はこのへんで失礼します」
そう告げると、彼女はふわりと一礼して踵を返し、髪を弾ませながら颯爽と退室していった。
「…………………………はぁ」
一気に緊張の糸がほぐれて、ため息まで漏れてしまう。
雨音はすでに止んでいたけれど、不思議と僕は帰る気にはなれなかった。
僕は糸の切れたマリオネットのように足をほっぽって、項垂れる。
そうして、さっきまで目の前にいた美咲さんを想像した。
「ははっ、…………生き返ったのかと思った……」
そう零した瞬間、自分でも引いてしまうくらいに卑しく笑っている自分に気がついた。
「はっ……、ははっ、ははははは」
なぜ? とは思わない。
飛び降り、木製の看板、学園裏。そして、美咲さん。
今日は、過去に遭遇しすぎた。
「く……そっ、……はは…………」
彼女が沙紀でないことは、すでに理解してる筈だった。でも、どうしても、心のどこかで期待してしまう自分を隠しきれない。彼女が本当に生き返ったってのでもいいし、ちっぽけな約束も守れなかった僕を殺すために化けて出てきたってのでもいい。
「な……んで……」
僕が死んで、彼女が生き返るという夢は何度も見た。その夢から覚めるたびに、僕の心は虚無感に支配され、やがて厭世観となる。
僕にとっては沙紀が全てで、世界だった。
その全てが、世界が、それらが存在しない今僕がいるここは、いったいどこなんだろうか。
「……っ、……ぃ……さきぃ…………」
涙はとっくに瞼を通り越して、堰を切ったかのように溢れ落ちていった。僕から出て行った涙は床に吸い込まれて消えてしまった。泣いている内に理由も流れ出てしまったのか、なんで泣いているのかも分からなくなった。悲しいからのか、寂しいからのか、ふがいないからなのか。しかし理由を見失ってもなお、涙は床を濡らし続け「だいじょうぶ?」うわあっ!
沙紀?!
「…………君は、さっきの……」
軽音部員だった。
「スッキリした?」
どうやら彼女は美咲さんにはついていかず、ずっとここにいたらしい。
「え? あ、……うん」
「これ」
彼女はそういうと、いきなし僕の目に濡れたハンカチをあてがってきた。
「冷やした方が、いいから」
突然の介抱に戸惑いながらも、僕の腫れてしまった瞼が治まっていく感覚は悪いものではなかった。
こんな奇功にも拒絶が生まれないのは、きっと自分が脆弱で、甘えることだけには特化しているからだろう。
「……ありがとう」
「帰れる?」
彼女は僕が泣いていた事など知らなかったかのように振舞っている。彼女が気を使ってくれているのか、もしくは本当になんとも思っていないのか、僕にはまったく分からなかった。
ただ、彼女の優しさに甘えながらも、沙紀という過去が片時も離れなかったということだけは確かだった。
七月四日――タイトル「ともだち」
きょうもあそんだ!
たのしかった!
またあしたもあそ