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第四話「述懐されし過去=回想するは今」

 蘿蔔学園の体育館は、校門に対して一番遠い場所にある。

 体育館裏の向こう側には草木が鬱蒼と茂る林があり、その入り口には、風が吹けば木屑と化してしまいそうなほど脆くなっている小さな木製の看板が、一つポツンと立ち入り禁止を示している。

 つまり、蘿蔔学園生徒間で使用される体育館裏とは、その林と体育館の間を指している。

 何故このような回りくどい説明をしたのかと言うと、ここ蘿蔔学園の体育館裏は一般的に使われる体育館裏とは少し違う。実質的には体育館の裏側では無いのだ。

 先程言った蘿蔔学園で言われる体育館裏とは、一般的に言えば体育館の側面部を指している。実質的な体育館裏には、所謂、部室棟が建っているのだ。

 ゆえに、ここ蘿蔔学園で使用される体育館裏とは、体育館の左側面部の事を指しているのだった。

 …………ああ、来てしまった。どうでもいい説明をする為にゆるゆる牛歩戦法を駆使したつもりだが、もう体育館近くまで来てしまった。

 しかし、それもそのはず。もうすぐついてしまう体育館裏は、職員室から徒歩で1分も掛からないほどの近辺にあるのだ。つまり、校門から校舎へ向かうまでに結構な距離があるということでもある。校門と校舎の間にどかっとグランドが居座っている理由は未だに不明である。

 考えている内に、僕はすでに体育館の玄関前を過ぎようとしていた。

 ……この体育館の角を曲がれば、恐らく、誰かいる。

 小雨が降っているのだから帰ってしまったかもしれない、と少し期待していたのだが、それを一気に打崩してくれるフィジカルな証拠が目に入る。ちょうど体育館の角あたり、コンクリートの床から、土が顔を見せる地面へと変わる境目。少量の土が撥ねていた。詮ずる所、誰かの足跡である。雨が降り始めた時間帯を考えても、恐らく僕を呼び出した子に違いない。足跡も体育館裏へ向かっているモノだけなので、帰った形跡もないと言うことになる。

 諦めて覚悟を決めた瞬間、その場で一旦立ち止まる。いや、勝手に足が止まった。

 ここからでも十分直視可能な小さな看板。それが、目に留まった。

 考えてしまうのは、この先にいるであろう人物のことではなく、過去の住人。

 その『彼女』と過ごした、つかの間の逃避行。

 昔、僕は彼女を連れて、学園裏の林の奥の奥、そこに迷い込んだ事がある。

 どこか来訪者を暗然とさせるオーラを揺り動かしている雑木林の中で、まるでそこだけ天国が降臨してしまったような、月夜の下に咲き誇る一面真っ白の世界。

 その幻想のような箱庭の中で、僕と彼女は約束をした。

 僕にとってはちっぽけな、彼女にとっては大きな約束を。

 指切りをした彼女の小指は、小枝のように細くて非力だったけど、それでいてしっかりとした意思の強さを感じさせた。

 今になって思い出される、そんな一時。

 唐突に手が震え、動く。

 自然と、指切りをするポーズをとる。

 もうこの指が再び結ばれることは無いという事は理解している。

 でも、僕は今でも時々、未練がましくこんな行動をとってしまう。ちっぽけな約束も果たせなかったくせに。

 そんな自分に嫌気が差した。自然と眉間に皺ができて、目を強く閉じる。

 なにが助けてやるだ。なにが救ってやるだ。

 彼女と交わしたちっぽけな約束も果たせなかったのに、なにが治してやるだ。大言壮語にも程がある。

 彼女の為なら死んでもいい? なら何故、あの時お前は逃げた?

 救う? 助ける? なんだかんだ言って、結局救われていたのはお前じゃないか。

 救われたのは、助けられたのは、全部、僕の方じゃないか…………。

 彼女がいなければ、きっと僕は死んでいた。

 僕がいてもいなくても、きっと彼女は死んでいた。

 それでも僕は、今も誰かに縋りたいと思っている。その証拠が、未練垂れッ垂れのこの小指だ。

 いっその事この小指を切断してしまおうか。でも、結局僕にはそんな勇気もありはしない。自分で自分が情けなくなる。

 ほとほと嫌になって、手を下ろしかけた――その時。

 ギュッと、小指を掴まれた。小さな、小枝のような、小指で。

「大丈夫ですか?」

 一瞬、頭が真っ白になった。

 驚きに目を開けると、ひどく整った顔が僕の目に飛び込んだ。――いや、吸い込まれた。

 綺麗すぎるほどツヤのある長い黒髪。

 病的なまでに白く、きめ細かい肌。

 ビー玉のように澄んだ黒い瞳。

 少し開かれた薄紅色の唇。

 僕の小指を結んだ小指の持ち主は、もう片方の手で傘を差しながら僕を見てキョトンとしている。

「ハンカチ、ありますよ」

 そう言って、おもむろに彼女は傘を肩と首の間に挟み、僕と小指を結んでいる手とは反対側の手でハンカチをポケットから差し出してきた。

 その髪、その顔、その声質。その全てが、『彼女』と完全に一致していた。

「あの……君の、名前は……?」

 ありえない、と思いながらも口が動いた。

「あたし? アマナミサキですけど……」

 確かに目の前に存在している彼女は、絶対に存在するはずのない人間の名前を音にしていた。




五月二十日――タイトル「アイツ」

 今日はひさしぶりにアイツが来た。

 お母さんと少し会話をした後、僕に「元気か?」と声をかけてきた。

「うん」とだけ答えた。もしかしたらアイツと会話したのはこれが初めてかもしれなかった。

 その後、お母さんを病室の外に連れ出したと思うと、そのままアイツは帰っていった。

 戻ってきたお母さんに何か悪いことされなかったか聞き出そうとしたけど、なんでもないのよ、と言ってはぐらかされた。

 フシギなきもちだった。

 よくわからないモノが僕の中でうずまいている気がした。


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