『だいだらぼっちとプレスマンの水樋』
ある村のお話です。その村は、川から遠く、水が少ないのが悩みでした。井戸から塩辛い水が出て、それを飲み続けているので、村人は、長生きできるものは一人もいないのでした。村人は、遺伝を疑いましたが、よその村に嫁入りした娘たちは、皆長生きしているので、どうやら原因が水だということがわかっていたのですが、全員移住するわけにもいかず、半ば諦めのような気持ちで、日々を送っていたのでした。
この村のある若者が、どうせ短い人生なら、憧れの速記をやって死のうと、世のため人のためになる速記をやって死のうと、そんなふうに思って、夜空を見上げ、星をつないで速記文字に見立てるという、無意味なことをしていたとき、向こうの山のもっと向こうから、だいだらぼっちが顔を出しました。
だいだらぼっちは、神様ですから、若者は、速記がうまくなりますように祈り、はっと思い返して、村に塩気のない水をください、と願い直しました。うっかりしました。美談にならないところでした。
だいだらぼっちは、向こうの山のもっと向こうから向こうの山のこっちまでやってきて、山の向こうの竹やぶから、とんでもなく長いプレスマンを引っこ抜いたかと思うと、山の向こうからこちらの山の腹に突き通しました。だいだらぼっちは、一度こちらに顔を向けたかと思うと、ゆっくりと、向こうの山のもっと向こうに消えていきました。
夜が明けると、村の真ん中を、大きな川が流れていました。手ですくって飲んでみると、甘露な沢の水でした。村人たちは、若者から話を聞き、だいだらぼっちに感謝するとともに、水没した田畑をどうやってもとへ戻すか、いや、そもそももとへ戻せるのか、答えの出ない問いの前に、水を飲むしかないのでした。
教訓:人が生きていくのに水は欠かせない。しかし、水さえあればいいかというと、そうでもない。ところで、竹やぶからとんでもなく長いプレスマンを抜いたのなら、それは竹ではないのかと思うかもしれない。しかし、竹ならば節があるはずで、水が通ったのならば、それは竹ではない。うん、きっとそうだ。




