1.森の入口
リェイダを発った元気組一行。彼らはサラゴナ自治区へと向かう街道を一度外れると北西に進路を変え緩やかな草原の上り坂を進んで行く。時折、強風が一行を襲う事はあったものの、特に大きなトラブルも無く一日の行程を終了するとキャンプの準備をしつつ翌日の行程について話し合いを始めようとしていた。
「今日はお疲れ様、明日も頼むね。」
ワッチはオリオンから渡された乾パンを齧りながら愛馬に労いの言葉をかける。
「お嬢も初めての傾斜道にも関わらず、よく皆に離されず着いて来られた。器用なモノですぞ。」
「ゲンガンも同じでしょ?」
「拙者は東方での騎乗経験はありましたから全くの素人ではござらん。」
「東方の馬はこっちと違うんだ。」
「そうですな、どちらかと言えば速さより持久力が求められる土地柄故、この様なしなやかな脚部では無くもっと肉付きの良いしっかりとした脚部を持つ馬が好まれました。」
「へぇ。いつかゲンガンの故郷も見てみたいな。」
「それは一興、拙者も是非ご同行させてくだされ。」
「うん、一緒に行こう!」
久しぶりに明るい話題で盛り上がる二人に、リチャードが手招きで二人を呼ぶ。
「明るい話題も結構だが、そろそろ明日の話について始める。続きは後だ。」
元気組一行はパチ、パチと音を鳴らす焚き火を囲む様に、それぞれのマットに座る。
「それじゃあ明日の行程の確認だ。この丘の超えた先に目的の”囁きの森”がある。この森に棲む風の精霊”シルフ”に会い、魔女と精霊を結びつける契約を絶つ助力を得る、これが今回の目的だ。俺はワッチが魔女に対する絶対的な切り札になる、そう信じて今回のルートを選んだ。」
リチャードは立ち上がると炎で揺らぐワッチの顔を見やる。
「ワッチ、リェイダの事件がお前にどんな傷を与えたかは、正直俺には分からねぇ。だから背負い込むな。無理をして期待に応えようとするな。結果、俺達にプラスになればそれでいい。」
「うん。」
「俺からは以上だ。詳細はユウナに任せる。」
リチャードはそういうとユウナに手を差し出してみせる。
「リェイダを発つ前は随分知った顔してたじゃない?」
「俺は教養として知っていただけだ。専門的な知識は専門家に任せるべきだろ。」
「私は魔術師で精霊使いでは無いのだけど。・・・平気で嘘を語られるよりはマシかもね。」
「じゃ、参謀殿にバトンタッチで。」
リチャードが再び着席すると、ユウナは語り始める。
「まずは四大精霊から。ワッチは知ってる?」
「風の”シルフ”、土の”ノーム”、水の”ウンディーネ”、火は・・・う~ん。」
ワッチは両手を組み、しばらく考え込む。
「時間切れ。はい、リーダー。」
「俺?」
「基礎教養よ?」
「・・・竜?」
「間違い、と言いずらい微妙な箇所に当てるわね。でも基礎教養としては不正解。」
「チッ、おいオリオンお前は分かるのかよ。」
リチャードは恐らく腹では笑っていたであろうオリオンに質問をぶつける。
「ああ、それなら”サラマンダー”ですね。竜族、とは言われていますが別個体と認識されています。」
「オリオン正解。私のフォローもしてくれて助かるわ。」
「いえ、それほどでも。」
「ぐぬぬ・・・。」
悔しがるリチャードに満足したかようにユウナは引き続き話を進める。
「四大精霊は精霊界に存在する本体である”精霊の君”の御使いとしてこの世界にある属性領域の管理者なの。彼らは独立した自我であり、人間の言葉も容易に使うと言われている。だからケルピーのような曖昧な意思疎通にならない。ここは安心出来る部分であり、また不安要素でもある難しいところね。
この先に向かう事になるサラゴナ自治区の西方は、精霊の終の棲家と呼ばれる『シェ・デヴィン王国』との国境と接しているわ。国境近くには属性領域と呼ばれる場所が複数個所存在する。つまり”囁きの森”は風属性の属性領域の通称。だから今回の”囁きの森”で躓いたとしても、他の”囁きの森”で取り返せばいい。私もワッチに対しては同じ意見。オリオン、ゲンガンはどうかしら?」
「僕も同じです。」
「無論。」
ユウナの言葉にオリオンとゲンガンも同意を示してみせる。
「みんな、あ・・・あわわわ。」
四人のワッチを見守る視線にワッチは思わず感謝の言葉を上げそうになったのを口を抑えて呑み込む。久しぶりに元気組5人が笑顔になった、そんな草原での夜だった。
翌朝。一行は荷物をまとめ再び北西を目指す。丘を越えた先に見えた光景は眼下に拡がる一面の森、それとは対照的に一行を見下ろす様にそびえ立つ薄灰色に覆われた山々の姿であった。
「うわぁ、すごい。」
ワッチは瞳を大きくして周囲を見渡す。
「乗り出して落馬するなよ。俺の知識はここまでしかない。畏れ知らずの冒険者だけが”囁きの森”に自ら踏み込む危険を冒す。今更怖気づいた、とは言うなよ?」
リチャードの言葉にワッチは口を真一文字に結んで頷く。そして一行は坂を下り森の入口へと向かう。
森の中へは簡単に入る事が出来た。しかし馬での移動は難しく一行は馬を降り徒歩に切り替えて森の奥へと進む。小一時間ほど進むが精霊の痕跡はリチャードの目では確認すら出来なかった。
「ワッチ、何か感じるか?」
リチャードの問いにワッチは目をこすりながら答える。
「ううん、何も。ただ・・・。」
「ただ?」
「・・・すごく・・・眠い。」
「はぁ?」
「妙ね。私に視線を向けず、彼女にだけ興味を向けている。」
ユウナの呟きにオリオンが反応する。
「それでは精霊シルフが既に出現している、と?」
「ここは属性領域の入口だから精霊達の興味は侵入者に向けられる。私が精霊を使役する力を持つ魔術師、というのは相手も認識済、だから大抵は排除に動く。」
「つまり、ユウナよりも興味深いワッチを取った・・・。リチャード、ここは一旦引き上げた方が良策かも知れません。」
オリオンがリチャードに提案しようとしたその時、ワッチはフラっと森の巨木に寄りかかると崩れるように倒れてしまう。
「お嬢、どうされた・・・これは!?」
ゲンガンがワッチに駆け寄るとワッチの身体が溶け込む様に巨木と同化していこうとしていた。
「おのれ邪霊め、お嬢を何処へ連れ去るつもりだ!」
ゲンガンは太刀を抜くとワッチ救出の為、巨木に斬りかかろうと試みる。
「待ちなさい、ゲンガン!」
「ユウナ殿、何故拙者をお止めになる?!」
「これは精霊シルフからの招待。どうやら向こうも彼女の到着を待っていたみたいね。」
「だとしても、ワッチは解放されるのか?場合によっては一生、精霊とお友達にされるの可能性だってあるぞ。」
リチャードの指摘にユウナは杖を抱えると、しばしの間思案に耽る。
「・・・確かにその可能性はあるわね。なら方法は一つ。」
ユウナは踵を返すと、元来た道へと足を進める。
「戻りましょう。馬を留めた場所まで。」
「お嬢を置いていく気でござるか?!」
「焦らないで。第一、ここにいたところで何の解決にもならないわ。」
ユウナは焦るゲンガンを窘めると歩みを止める事無く先へと進んていく。
「何度も言っているけど、私は魔術師であって精霊使いじゃ無い。精霊について聞くなら専門家の方が早いし的確でしょう?」
「精霊の専門家、って髭爺か?」
「彼でも助言は可能だろうけど借りは作りたくないわね。」
「では誰が・・・ああ!」
オリオンは手を打つと納得の表情を見せる。
「前回の使用から10日は経過している。余り早い時間で使用したくはなかったけれど、背に腹は変えられないわ。」
ユウナ達は森を抜けると馬のところに到着する。
「ワッチを手に入れてからシルフは私を排除に動かなかった。話が良い方向に進んでいるといいけど。」
ユウナは荷物から一本の巻物を取り出す。それを森の木に貼り付けると、以前見た記憶のある扉が出現する。
「馬を放置する訳にはいかないからこのまま連れていく。まずは彼に助力を求めましょう。」
一方、ワッチは淡い緑に包まれた平原に横たわっていた。
「ん・・・ここ、どこ?」
「やっと起きたわ、このお寝坊さん。」
ワッチの背後でクスクスと笑う少女らしき声がする。
「誰?」
ワッチが振り向いた先には蝶の羽でふわりと浮かぶ薄絹をまとったエルフに似た少女の姿があった。
「こんにちは、お嬢さん。アナタもワッチっていうのね。」
「どうしてアタシの名前を?」
「精霊達が囁いていたわ。それに私が今読んでいる本も”ワッチの大冒険”っていうの。」
「あーっ!それ、新作のグレイハウントだぁ!!」




