5.優しい嘘
リチャードが離脱して4日目の朝。昨日までは陽気に振舞っていたワッチもリチャードが戻らない事実を実感するようになっていた。髭爺の好意で実家に帰る事も許されていたが、ワッチは元気組の仲間と共にリチャードを待つ事を選択した。オリオンはそんな落ち着かないワッチや不安を隠しきれないユウナの様子を見てある決断をする。
オリオンが皆を召集した場所は冒険者ギルド奥の間の一室。エリーから使用の許可をもらいリチャードを除く元気組一同がソファに腰掛ける。
「さて、どこから始めようか。」
歯切れの悪い口調のオリオンに対し、ワッチが問い掛ける。
「リチャード、やっぱり兵団に戻っちゃうの?」
「うん、僕も最初そう思っていた。リチャードの百人隊長昇格試験の話は聞いてたかい?」
オリオンの問い掛けに3人は首を横に振る。
「と、いう事は最初から後は僕に任せるつもりだった訳か。実際このメンバーを実力以上に指揮出来るリーダーなら即戦力として十分合格といえる。ましてやそれに加え魔女討滅戦線初となる導師鹵獲、不合格になる要素を見つける方が難しい。」
「それにしたって何で連絡くれないのさ、同じ仲間じゃん!」
「隊長のエドゥ様がまだ戻られていないとエリーさんから聞いたよ。それにリチャードの補充として新たな人選を行う時間も必要。ワッチもギルドの推薦より実戦経験豊富な兵団員の方が安心でしょう?」
「あ、ネッセさんみたいな人だったら大歓迎だよ!」
「ハハ・・・。僕とユウナは女王陛下から魔女結社討滅の王命を受けている。だからワッチ、それにゲンガンには僕達と同行する強制はしない。けれど共に戦って欲しい、と心から願っている。」
「そんな寂しい事言わないで!・・・アタシの目的は魔女を赦す事。魔女としての力を奪えばバーバラさんの様に正気に戻る。その為には多くの見えざる精霊だけじゃない、オリオンや皆の力が必要なんだって何度も言ったよ。」
「お嬢の言う通りでござる。水臭い話は抜き、拙者も皆と行く道で己の使命を拾う所存でござるよ。」
「貴方の負けね。私も今のこの距離感が好きよ。」
三人の発言は意味はそれぞれ違えど温かみを感じる仲間としての連帯感があった。
「分かりました。僕も覚悟を決めます。次のメンバーが決まり次第、ギルドマスターの依頼を受けましょう。僕達には魔女に関連する依頼しか届きません。今、導師という指導者を失った魔女が次にどのような凶行に及ぶか未知数です。ですが僕は今この場に居る皆さんを最後まで信じます。」
オリオンのリーダー宣言に3人は首を縦に振って同意を示す。
「では、待ちましょう。バルダを発つ、その時を。」
同時刻、エドゥが単騎で駐屯地入りし駐屯所全体の空気が張り詰めた空気となる。彼を乗せた馬が厩舎に運ばれる前に崩れ落ち泡を吹いた事実から察しても緊急性の高い事態が発生している事は容易に想像が出来た。装備を外し、隊長服に着替えるとその足で会議室へと向かい各百人隊長からの報告を受ける。
「・・・この報告書は、ネッセか。」
「はい。単純に事実のみを列記しております。」
「なるほど。素質のある娘とは感じたが、報告を信じるなら想像を超えた逸材だ。」
「実際に導師鹵獲という現実を見せられたら、さすがに信じるしかありませんね。」
「リチャードは?」
「先に指令室に待機させました。放っておくと訓練室に引きこもりになりますから、アイツ。」
「気が利くな。」
「気が利かない男が多いだけですよ。」
ネッセの投げやりな言葉にエドゥは僅かに笑みを浮かべる。
「そういえば、ハンクとケントの二人はどうしたんです?同行したと報告では聞いてますが。」
「ああ、彼らは第二部隊に預けてある。別動隊は他の百人隊長に動くよう手配済だ。入れ替わりで二人が帰還する。」
「つまり北の動向は芳しくない、と。」
「詳細は追って通達する。その前にリチャードに結果を伝えてやろう。」
「少しはご自身の身体を労わった方が良いと思いますが?」
「考えておく。」
エドゥはネッセにそう言い残し会議室を去る。
指令室。ほぼエドゥの個室といってよいこの部屋には部屋に飾られた絵画や甲冑、椅子やテーブルといった調度品のどれをとっても質と威厳を感じさせる黒太子と呼ぶにふさわしい空間となっていた。
エドゥが部屋の中に入ると、護国兵団儀礼服に身を包んだリチャードが直立し拝礼する。
「リチャード=レンカスター、魔女討伐の任を終え帰着しております。」
「ああ、待たせたな。まずは椅子に座れ。」
エドゥに促されるままリチャードはエドゥと対面した形で椅子に座る。
「では結論から言おう。リチャード=レンカスター、貴公は護国兵団百人隊長昇格試験に該当する魔女討伐作戦に参加し、4人の冒険者をまとめ誰一人失う事無くこれを完遂した。よって護国卿オリバー=クロムウェルの代行者であるエドゥ=クリストの名において貴公がその資格を有した事を証明する。」
エドゥは作業机から羊皮紙を取り出し、羽ペン、インク壺と共にリチャードの前に置く。
「この書式にサインを入れれば、お前は百人隊長だ。」
リチャードは震える手で羽ペンを取る。しかしいざ書こうとすると筆が動かない。再びインク壺に浸し書こうとするがその度に手が止まってしまう。その行動を何度も重ねた後、リチャードは絞り出すようにエドゥに告げる。
「書けません。こんなに嬉しいはずなのに書けないんです。」
ポタリ、ポタリ、とリチャードの心を代弁するかのように、黒い雫が羊皮紙に落ちていく。
「彼女人です。皆、除隊後の未来を見据えてる。でも俺の未来は父親の後を継ぎ良き貴族として皆の見本として生きる・・・それが嫌で溜まらなかった。だから黒太子エドゥの影を追いました。貴方に付いて行けば今とは違う世界があると信じたかったから。でもアイツは違った。ワッチは貴方さえも追い抜きその先を目指そうとしている。そして、その一端を証明して見せた。」
「魔女を赦す道、か。」
「そうです。そして俺も見てみたい、手を貸してやりたい。護国兵団員でも無く、レンカスターの嫡男でもない、一人の戦士として。その道はワッチ一人では成しえない、でも俺達元気組なら可能に出来る・・・そう信じさせる力を感じた。だから俺には書けません。」
エドゥは少し表情を崩し無言で立ち上がると、リチャードの固く握った拳をゆっくりとほどいて折れ曲がった羽ペンを回収する。
「お前にそこまで言わせるとは、あの娘は想像以上の劇薬だったようだ。『グレイハウント』の因果の成せる業というべきか。」
「えっ?」
「お前はまだ知らなくていい。要するに俺はお前がこの選択をする事を望んでいた、というだけの話だ。」
「ええっ?」
「よく考えてみろ。女王陛下から王命という重圧、正体不明の魔術師、辺境帰りの神官戦士、アストライアの風俗に疎い東方の武士、そして冒険者を夢見る得体の知れない小娘。おまけに試験官はお前が良く知る気分屋ネッセだ。百人隊長にしては厳しい選考だと思わなかったか?」
「まぁ、言われてみれば確かに。」
「ネッセは決してお前に甘い採点はしない。だから彼女を試験官に任命した。」
「つまり最初から俺は不合格前提だった、と?」
「そういう事だ。そしてこれからが本題だ。」
「はぁ。」
エドゥは再び一枚の羊皮紙と羽ペン、そして指輪を引き出しから取り出す。それらをリチャードの待つテーブルに置き席に座る。
「お前達が魔女討伐の任務を遂行する間、俺はハンクとケントを率いて北方の第二部隊駐屯地に向かった。自分の目で確かめる必要があったからな。」
「第二部隊って、レオローラ王国との国境線を警備する国境警備隊の主力ですよね。」
「そうだ。オリオン=ヘテロギウスも従軍経験があった部隊。彼らから実際に会って話を聞く事が出来た。・・・北の魔女”白き捕食者”が圧力を強めている。これまでのような略奪行為では無い、まさしく侵略だ。」
「エドゥ様はどうされるおつもりなのですか。」
「まだ想像の範囲として聞いておけ。まず西側で大きな変化が起きた可能性がある。そして俺を”赤き茨”討滅に全軍を動かす事は出来ない状況に追いこもうとする勢力の出現。簡単に言えば魔女の協力者だ。リチャード、お前に頼みたい、いやお前にしか出来ない任務がこの書面にある。」
「護国兵団第一部隊所属魔女討滅独立部隊隊長 リチャード=レンカスター・・・何ですか、これは。」
「これまで通り、ワッチに同行して”赤き茨”を追い詰めればいい。護国兵団同士の衝突は何としても避けねばならない。そして全護国兵団とつながりがあるのはこの第一部隊ではお前ただ一人。部下はいない、がそれでも護国兵団の部隊長である事に変わりはない。胸を張れ。」
「あ・・・ありがとう、ございます。」
今まで動かなかったのが嘘の様に筆が走る。リチャードはサインを終えるとエドゥに深く頭を下げる。
「まだ話はおわっていないぞ、リチャード。同格だ、といっても他の護国兵団と衝突する機会も増えるだろう。その時はこの印章指輪を使え。」
印章指輪が記すのは黒炎竜のシンボルを囲うように刻まれるクリスト王国の文字。
「それは護国兵団とは違う、王太子エドゥ=クリストが認可する印章だ。有効に使え。」
その言葉にリチャードは改めて事態の重大性に気付かされる。
「はい。必ず、エドゥ様の期待を超えてみせます!」
「ようやく目に光が戻ったな。護国兵団第一部隊所属魔女討滅独立部隊、部隊名『元気組』頼んだぞ、リーダー。」
「えええっ?!」
リチャードの絶叫にエドゥから自然と笑みが漏れる。
「いや、そこまで併せなくても良いんじゃ無いですか?」
「ギルド登録名と同じであれば会話に不自然は出ない。現実的にも魔女を追い詰める呪いの言葉として有効な手段だ。それにこの内容自体、任命状に記載した事項。サインした以上、『知らなかった』は通らないのはお前自身がよく知る世界だろう?」
エドゥは任命状の一項目を指差しリチャードに説明する。
「ええ、悪意しか感じませんけどね。」
「最初の依頼はウゴンロ翁には伝えたが、サラゴナ自治区に行ってもらう。バルダでの動きの収束、北方への逃亡リスクを考えるとサラゴナ自治区に隠れ潜む事を選択する可能性は高い。ここで叩いておけば”赤き茨”討滅への道筋ははっきりとしたものとなるはずだ。」
「サラゴナって第三部隊ですよね、駐屯しているの。」
「そうだ。お前もよく知る『ビッグ・ジョー』が率いる護国兵団第三部隊。アイツには俺が出向くよりお前の方が都合がいい。」
「そういう事ならこの人選は納得です。でも根に持ってるだろうなぁ、きっと。」
「今のお前を見ればその選択は正しかったと思うだろう。それだけの変化をお前は俺に見せた。」
「その言葉、額面通りに受け取らせていただきます。」
いつもの、やや不遜な笑顔がリチャードの表情に戻り始める。
「俺からは以上だ。後は【一攫千金】に戻って彼女らを安心させてやるといい。部隊の者には俺から直接通達しておく。」
リチャードは少しの間、顔を上方に上げエドゥから視線を外す。そして再びエドゥへと視線を戻す。
「最後に、一つだけお願いがあります。」
「何だ?」
「バーバラの処刑、俺達がサラゴナへ旅立つまで待ってもらえますか?」
「意図は?」
「ワッチにとって黒太子エドゥは憧れの存在です。でも彼女は貴方の過去を詳しくは知らない。多くの仲間を喪ってなお剣を取り魔女と戦い抜いた過去を知らない。いずれは知るでしょう、でも俺はまだ彼女が憧れる黒太子エドゥであって欲しい。俺の願いでもあります。」
「・・・分かった。今回はお前の意見を受け入れる事にしよう。今のお前なら結果を求め過ぎず魔女を追い込める。期待しているぞ。」
リチャードは立ち上がり、直立姿勢でエドゥに敬礼する。
「では、これで仲間の元に戻ります。ご武運を。」
同日、昼過ぎ。元気組一同はギルドからの依頼を待つ為、一度奥の間の一室に集合していた。それぞれ覚悟は決まったものの、場は決して明るいとは言えない雰囲気になっていた。そんな中、扉をノックする音。
「はい、どうぞ。」
オリオンがノックの音に応対すると姿を見せたのはエリーだった。
「エリーさん?」
「皆様大変お待たせしました。ユウナさん、『待ち人来る』ですよ。」
「え?」
ユウナが答える前にエリーは退き、入れ替わりに姿を見せたのはリチャードその人だった。
「悪い、待たせてしまったな。」
『リチャード!?』
ほぼ同時に驚きの声を上げる一同。そして次の瞬間ワッチは泣きじゃくりながらリチャードに詰め寄る。
「ゔぁぁぁん、リチャード会いたがったようぅぅぅ!!」
しかしリチャードはワッチの熱烈な歓迎を華麗に躱しその勢いでワッチは開いた扉の縁部分に激しく激突してしまう。
「うう・・・避けるなんてヒドイよぉ。」
「まずはその涙と鼻水で濡れた顔を何とかしろ。折角の新調品をそんな顔で汚されてたまるか。」
ゲンガンが駆け寄り、手ぬぐいでワッチの顔を丁寧に拭き取ってみせる。
「ささ、そのままこれをお使いくだされ。」
「ありがと、ゲンガン。」
リチャードはオリオンに近づき、握手を求める。
「あの時、俺はお前からの握手を受け止める事が出来なかった。これはその時の詫びと帰還の証だ。」
「君がその決断を下した事、僕達全員で歓迎します。お帰り、リーダー。」
二人は握手を交わし、軽く抱擁する。オリオンが場を離れると、リチャードはユウナに視線を向ける。
「服、新調したのか。」
「うん。私もたった一度の任務だけど多くを学んだ。だから少しでも自分から変わろう、って。」
「似合ってるよユウナ。ただいま、これからもよろしくな。」
「おかえりなさい。戻ってくれて私も嬉しい。」
二人は少しだけ笑みを浮かべて互いを見つめ合う。ほんの数日前には無かった劇的な変化が二人の間に起きていたのはもはや誰の目にも明白となっていた。
「アタシも会いたかったよぉ!」
鼻水を拭いたワッチが空気を読まずに背後からリチャードに抱きつく。
「わかったわかった、暑苦しいから抱きつくな!」
リチャードにしがみつくワッチだったが最後はゲンガンの手によってリチャードから離される事になる。
「拙者も貴殿の帰還を嬉しく思いますぞ。リチャード殿の存在が元気組を一本芯が通った一団にする、と感じておりまする。拙者の行く道に元気組の力は必定。なればこそ今後の魔女との戦いにも拙者の力、是非お使い下され。」
「ああ、ありがとう。やっぱりいいよな、この空気。」
「感傷に浸るのはまた後にしてくれ。仕事の話じゃ、まずは全員座ってもらうか。」
リチャードの背後から大きな声で髭爺が元気組に呼びかける。急いでテーブルを囲みソファに座ると、髭爺がゆっくりと最後のソファに着席する。
「では改めてギルドからの依頼を伝える。導師バーバラを失った魔女結社”赤き茨”は拠点をサラゴナ自治区に移動した事がギルドの調査から明確となった。バルダからサラゴナまでは馬と徒歩でおよそ14日を見ておくと良い。途中精霊からの干渉もあるじゃろうから、それを含めての試算じゃ。」
オリオンが髭爺に依頼内容の詳細を問い出す。
「つまり、サラゴナに潜伏する”赤き茨”の残党狩りが当面の依頼、と。」
「そういう事になるの。捕縛した魔女は駐屯する護国兵団に引き渡せばええ。後日バルダに護送される手筈になっておる。」
一方のユウナは魔法の干渉について髭爺に意見を問う。
「サラゴナはシェ・デヴィン王国に近い分、精霊の干渉が多い地域。魔術の威力がどこまで担保されるのか聞いておきたいわ。」
「お前さんの使う魔導書による術式魔法が精霊の干渉を受けることは無い。まぁ知っておると思うが。
心配なのは精霊魔法の方じゃろう。確かに四大元素【地・水・火・風】の力はシェ・デヴィン王国に近いサラゴナとバルダではその威力差は数倍の開きが生まれる場合がある。」
「実数値は持っていないの?」
「巫術魔法は精霊の格と術者の力量で大きく変わるからの。一定の火力を担保する術式魔法と同列には行かぬ。」
「つまり、バーバラと同格の魔女が新たに出現しても不思議は無い訳ね。」
「だからこそ、今が追撃の機会とワシらは考えておる。より詳しい情報はバルダ・サラゴナの中継地に位置する街リェイダで収集するが良い。ワシからは以上じゃ。」
髭爺が発した〆の言葉と同時にリチャードは立ち上がり皆を見渡す。
「任務については了解したな。皆、明日の朝にはバルダを出るつもりだ。しばらくは宿で寝る機会も少なくなる。体調はしっかり整えておいてくれ。」
元気組がバルダを発ったその日の夜。一人の老婆が護国兵団による護送の元、バルダ郊外にある刑場へと向かっていた。本来であれば公開してバルダの安全を住民に知らしめるのであるが、今回は非公開という形で粛々と準備が行われていた。
十字にはり付けられた老婆の足元に続々と藁が詰まれ、油がまかれる。処刑人である甲冑に身を包んだ団員が四方を囲むと松明に明かりを掲げ、処刑の準備が整った事を告げる。
「火をくべよ!」
百人隊長の号令により4つの松明が老婆の足元に投げ入れられる。濛々と煙が上り炎は処刑台を舐めつくしていく。老婆は最後まで怨嗟の声を上げる事無く、静かに灰となり世界から姿を消した。世の司祭は民に説く、「魔女となった者の魂は穢れアストライアの輪廻を外れ決して救われる事は無い。」と。果たしてこの老婆は本当に救われぬ魂となったのだろうか。それを知る者は誰一人としていない。




