数字列の向こうに、プロの背中――エルさん、テンキーの修行
資料整理の合間、エルさんは伝票データの数字入力を任されるようになっていた。
「エルさん、この日付と金額、ここに打ち込んどいてくれる?」
「承知しました」
パソコンのテンキー(数字入力専用のキー)が並ぶ右端に、エルさんは静かに指を添えた。まだぎこちない動きではあるが、正確に、一つひとつを確認しながらキーを叩く。
その様子を、近くで見ていた事務の肝っ玉かあちゃん――木村さんが、ふと口を開いた。
「アンタ、丁寧にやるわねえ。……昔ね、私が若いころ、スーパーでバイトしてたのよ。レジ打ち。あの頃のレジって全部、数字キーだったの」
「おお……数字で?」
「そうよ、バーコードなんか無かったからね。商品コード打ち込んで、数量打って、合計……って。慣れてる人なんか、**“カタカタッ”ってブラインドで打つの。見てて惚れ惚れしたもんよ。あれが“プロ”だったわねぇ」
エルさんは一瞬、目を丸くした。
「なるほど……数字の打鍵に、そんな世界が……!」
「まあ、そこまで行かなくてもいいけどさ。あんたもなかなかのもんよ。最初に比べたら、今は音がスムーズだもん。手が止まらなくなってきた」
確かに――最初は数字を探していたエルさんの指は、今は自然に“1”から“9”、そして“0”へと流れるように動いていた。小数点、Enter、Backspaceも、たどたどしくながら習得済みだ。
「最近はテンキー付きのノートが減ってきてるけど、やっぱ数字入力は“右手の剣”だよねえ」
「“右手の剣”……良い表現です。それ、いただきます」
メモ帳にその言葉をメモるエルさん。
ふと木村さんが、にっと笑って言った。
「そのうち、アンタも“プロの背中”って言われる側になるかもねぇ」
その日、退勤後の寮の部屋。
エルさんは今日の反省をまとめながら、ふと、数字だけの入力練習ソフトを立ち上げていた。
「7、2、0、Enter……1、4、3、Delete、修正完了……」
単純な作業に思えたそれは、彼にとって「職人の手の動き」を学ぶ時間となっていた。
テンキーの音が、パチ、パチ、と軽快に響く。
いつかその音が、“憧れられるリズム”になることを、彼はまだ知らなかった。